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恋の方程式

作者: めろん

「秋月〜」

 担任の先生が私の名前を呼ぶ。

「はい」

 先生からある用紙を渡される。

「池本〜……江藤〜……」

 私は受け取ったそれを見る。

「えっ……98点……!?」

 やった。数学のテスト、98点だ。頑張って勉強したから、とても嬉しい。

「とも〜。何点だった?」

「きゅ……98……」

「マジ〜!? とも……さすがぁ」

「ありがとー。千春ちゃんは?」

「私はねぇ、74点。数学は苦手だし、こんなもんかな」

 中学3年、二学期の中間テストが終わり、今日からテストが返却される。

 秋月 朋香 98点 ――数学の答案用紙の右下、私の名前の横に、98という数字が書いてある。その点数を見て、何度も誇らしくなってくる。

「はい、それじゃあ席につけ〜。今回の平均点は、60点だ。前回より少し悪くなっているぞ。もうちょっと頑張ってくれ。最高点は、98点、秋月だ。みんな、見習えよ」

 おおー、スゲー、という声とともに、何人かが拍手をしてくれる。ありがとう、嬉しいです。

「数学は復習が命だからな、しっかりテスト直しをしておけよ」

 どこを間違えたんだろう……。先生の言葉を聞き流しながら、間違えたところをチェックする。

「あ、ここの方程式を間違えちゃったんだ……」

 惜しいな。ここを焦って解かなければ満点だったのに。それでも、ものすごく頑張ったから十分満足している。

「もうほとんどの奴が部活を引退して、受験に向けて勉強を始める時期だ。学校でも塾でも家でも、真面目に勉強をしろよ」

 そう、もうすぐ高校受験が控えている。まだ実感はあまりないけど、やっぱり不安。毎日の授業の予習復習は頑張っているんだけど、まだ志望校も決めていないから受験勉強には熱が入らない。先生には早く決めなさい、って急かされているんだけど。

 

「ただいま」

「おかえり、朋香。テストどうだった?」

「うん、数学が98点だった」

「すごいじゃない。早く志望校を決めるのよ」

「うん」

 家に帰り、テスト結果をお母さんに見せる。

「……ねぇ朋香。家庭教師をつけることにしたの」

「え? 家庭教師!? どうして急に……?」

「ほら、お受験が近いじゃない。朋香は塾にも通っていないしね」

「そう、なんだ……」

「来週からお見えになるから。しっかりお勉強をするのよ」

「う、うん……」

 勉強、か……。文章を読むのは得意な方だから、国語は好き。数学は難しい問題が解けたときの達成感が良い。……勉強は、基本的には嫌いじゃないんだけど、強要されるのは良い感じがしない。

「とりあえず、志望校を決めなきゃ……」


「いってきます」

「いってらっしゃい」

 私は朝の6時に起きる。ご飯を食べ、制服に着替える。この着こなしたブレザーも、あと半年弱でお別れ。春になったら、私はどんな制服を着ているんだろう。

「おはよー、とも」

「おはよ、千春ちゃん」

 毎日一緒に通学する、香原 千春ちゃん。小学校からの友達で、私の心許せる親友。

「とも、私……興高にした」

「え? 何が?」

「高校だよ。受験する高校。第一希望は、興賀高校にしたの」

「そう。千春ちゃん、決めたんだね……。クラスで志望校を決めていないの、私だけかも」

「うん、志望校が決まっていないと、熱も沸かないからね。ともも早く決めなよ?」

「うん、わかってる……」

 どこの高校にするか一緒に迷っていた千春ちゃんも、とうとう志望校を決めた。私は何をのんびりしているのだろう。焦りが走る。一人取り残されたようで、とても寂しい気分。

「おはよう」

 教室に入り、友達と挨拶を交わす。……教室の雰囲気が違ったことに、私は驚いた。昨日まではいつも通りだった教室の雰囲気が、今日はまるで違った。

「(ねぇねぇとも。なんかみんな勉強してない?)」

「(私もそう思った)」

 小声で千春ちゃんとやりとりをする。教室では半分くらいの生徒が、教科書や参考書を広げていた。

「ここの問題ってさ……」

「この単語なんだっけ?」

 すごく熱心に、というわけじゃない。それでも、みんなは確かに受験に向けて勉強をしていた。

「私、志望校を決めていないなんて、ちょっとマズイね」

「うん、でも私だって同じようなもんだよ。はぁ、これからは勉強三昧なんだね」

 そう千春ちゃんと話していると、

「イナバウアーーーーー!!!」

 ガラッとドアが開き、入ってきた男子が体を後ろに反り、どこかのフィギュアスケートの選手の真似をする。教室の中にいる全員が大笑い。

「お前相変わらずだな、智也」

「え? なになに? みんな勉強してんの?」

 勉強ムード一色で張り詰めていた教室の空気が一変する。少し息苦しかったから、正直江藤くんの登場には救われた。

 私の好きな人、江藤 智也くん。クラスのムードメーカーで、お騒ぎさん。いつも面白いことをして、みんなを笑わせている。

「江藤くんって、全然受験生っていう感じじゃないよね」

「そうだね」

 受験でこれから苦しくなるっていうのに、江藤くんは辛くないのかな。能天気な姿が、少し羨ましい。


「……それじゃあ、江藤。ここには関係代名詞が当てはまるんだが、どれだ?」

「whoです。世界保健機関です」

「それは社会だ!」

 英語の授業。また江藤くんがみんなを笑わせる。

「まったく、受験生だっていうのにお前は相変わらずだなぁ」

 教室の重たい空気の中で、一人だけ陽気な江藤くん。

「……今日は1年生の時にやった問題をするぞ。受験勉強始めてるか?」

 数学の授業。先生がプリントを配りながらそう言う。

「はーい先生。教材の宣伝マンガを読むのは受験勉強に入りますか?」

「入るわけないだろ!」

 江藤くんのおかしな発言で、また教室に笑いが戻る。

「えー、おほん。これくらいのテストだと、8割を目標に頑張れよ。それじゃあ、10分。始め」

 テスト開始の合図とともに問題を解き始める。1年生の、それも基本的な問題なので、そう難しくはなかった。それに数学は得意だし、多分満点だと思う。

「はい、じゃあやめ。隣の奴と交換しろ。採点してくれ」

 隣の男子とプリントを交換する。隣の人……江藤くんと。

「はい、秋月さん」

 プリントを渡される。私もプリントを渡して、採点。

「はい」

「お、ありがとう。はい、秋月さん」

 採点した小テストをお互いに返す。得点は、二人とも満点。

「……別に、カンニングしたわけじゃないよ?」

「え……う、うん」

 いきなり江藤くんに話しかけられて、動揺してしまう。昔から人付き合いは苦手で、特に男子と話す時は、緊張して上手に対応できない。私のダメなところ。

「名前書き忘れてたよ」

「えっ……!?」

 プリントの名前の欄を見ると、男子には似合わない可愛らしい字で、「秋月さん」と書いてあった。

「本番では書き忘れないように気をつけてね」

「あ、ありがとぅ……」

 

「江藤くんってホント面白いよね」

「う、うん」

 帰り道。千春ちゃんと一緒に帰る。

「昔からあんな感じだったよね」

 そう、私と千春ちゃんと江藤くんは、同じ小学校。私が江藤くんを好きになったのは、小学5年生くらいのときからかな。

「じゃあね、とも。早く高校決めなよ?」

「うん、バイバイ」

 千春ちゃんとお別れをする。はぁ、帰って、勉強をしないと。

「ただいま」

「おかえり、朋香。……少し休んだらすぐにお勉強するのよ」

「……うん」

 最近は、お母さんがよく「勉強しなさい」と言うようになった。少し耳が痛い。

「ほら、来週から家庭教師さんが来られるんだから。しっかり予習しておきなさいよ」

「うん、わかってる」

 これからは、勉強勉強の毎日が始まる。もう、遊ぶことものんびりすることも出来なくなるのかな。あと半年弱、自由がないって思ったら、なんだか辛い。


「千春ちゃん、帰ろ」

「ごめん、今日は塾があるから、一緒に帰れないの」

「あ、そうなんだ……。わかった、バイバイ」

「ごめんね、また明日」

 次の日。授業が終わり、帰ろうとしたところ、千春ちゃんにそう言われた。

「千春ちゃん、塾行き始めたんだ。そうだよね、私だって家庭教師の先生に来てもらうんだし……」

 今日も、みんないつもと同じようで、いつもと違った。表面では敢えて受験を意識しないように振る舞っているけど、やっぱりみんな焦っていた。志望校を決めていない私は、みんなよりもスタートが遅いからもっと不安で。

「寂しいな。みんなそれぞれ違う高校に行く。ほとんどの人と、中学でお別れなんだ……」

 小学校のときの友達は、受験した子以外は一緒に中学に上がった。でも、高校は違う。みんな一緒っていうわけにはいかない。それぞれ選ぶ進路が違うから。考えると、少し落ち込んでしまう。

「あ、雨だ……」

 とぼとぼと歩いていると、雨が降ってきた。最初は頭にポツッと当たる程度だったのが、次第に強くなっていく。

「もう……行くときは晴れていたのに……。今日は災難」

 傘を持ってきていないので髪が濡れてくる。早めに帰らないと風邪をひくかもしれない。

「……天気予報、見忘れた?」

「え……」

 頭に落ちてくるはずの雨粒は落ちてこず、上を見ると深緑色の傘が差してあった。

「俺、折り畳み傘を毎日二本持ってきてるからさ。それ、使いなよ」

 その人は青色の折り畳み傘を差していて、私にその深緑色の傘を渡してくれた。

「……江藤くん!?」

「帰り道、途中まで一緒だからさ。貸してあげるよ」

「ぁ…………ありがとう……」

 江藤くんと雨の降る道を一緒に歩く。

「……………………」

「……………………」

 沈黙が流れる。うー、緊張する。何か話さないとって思うけど、言葉が出てこない。

「勉強頑張ってる?」

「え……! あ……う、ううん、まだ志望校も決めてなくて……」

 突然話しかけられて驚いてしまう。こんな内気な性格、やっぱり嫌だな……。

「そっか。俺は興高なんだけどね、今からすごく頑張らないと無理だって……」

「そ、そうなんだ……」

 そっか。江藤くんも千春ちゃんと同じ、興高なんだ……。

「あ、ここだよね、秋月さんち。はい、傘返してね」

「あ……ご、ごめんね、江藤くん……傘、乾かして返すから……」

「いや、いいっていいって。ほら、早くタオルで頭拭きなよ? それじゃあまた明日」

「ご、ごめんなさい……バイバイ」

 もっとお礼を言わなきゃ……私、緊張して謝ってばっかり……。そんなことを思っているうちに、江藤くんはもう先を歩いていた。江藤くんが、差していた傘を青色から私に貸してくれた深緑色の傘に変える。よく見ると青色の傘は壊れていた。

「二つ持ってるって……一つは壊れているのに、私に貸してくれたんだ……」

 江藤くんが見えなくなった後も、私は玄関前でボーっと立ち尽くしていた。


「……も……? ……とも〜……? …………とも!!」

 目を覚ます。名前を呼んだのは、千春ちゃん。今は休憩時間。

「どしたの、とも? 休憩時間に寝たことなんてなかったのに……」

「う、うん、昨日ちょっと眠れなくて……」

「よかった。今日はボーっとしてたし、心配しちゃったよ」

「あ、ご、ごめんね……」

 だって、昨日はずっと江藤くんのことを考えていたんだから。胸がドキドキして、全然眠れなかった。

「ホントに大丈夫? 勉強しすぎちゃった?」

「うん、大丈夫……」

 千春ちゃんとの会話も上の空で、私はじっと江藤くんを見つめる。友達と、黒板にチョークで絵を描いてどちらが上手いかを競い合っている。ボーっと、江藤くんだけを視界に入れる。

「とも!! またボーっとしてる……。今日は早退した方がいいんじゃない?」

「うん、大丈夫……」

 ううん、そんなことしたら江藤くんが見られなくなるから……。ずっと学校にいたい。

「無理はだめだよ?」

「うん、大丈夫……」


「あ……」

 次の休憩時間。肘が筆箱に当たってしまい、シャーペンや消しゴムが床に落ちる。

「大丈夫?」

「あ、ご、ごめんなさい」

 すぐに拾ってくれる江藤くん。今がチャンス……昨日のお礼を、ちゃんと言わなきゃ。

「昨日は、傘………………………………ありがとね」

「ああ、いいよそんなの」

 よかった……。ちゃんとお礼を言えた……。恥ずかしかったよぉ……。

 

「もう、男子ってば全然働いてくれないんだから」

「ま、まぁまぁ……」

 掃除時間。遊んでばっかりで全然掃除をしてくれない男子に少し怒り気味の千春ちゃん。

「秋月さん、香原さん、ごめん! 男子ってあんな感じだからさ」

 班の男子と遊んでいた江藤くんが、私たちが困っているのに気付いて掃除を再開してくれる。

「江藤くんって見かけによらず優しいね〜」

「み、見かけによらず!?」

「あはは! うそうそ、顔もカッコイイよ」

「お世辞は止してくださいよ……じゃ、あとちりとりだけだから遊んできます!」

「はぁ〜い、いってらっしゃい」

 江藤くん、ホントに優しいな……。それにしても、いいなぁ千春ちゃん。私もあんな風に積極的に話が出来たらどんなに嬉しいことか。


「ただいま」

 学校が終わると、少し脱力。家では江藤くんを見られないから。

「おかえり、朋香。もうすぐ家庭教師の先生がお見えになるからね」

「あ、うん。わかった」

 今日から家庭教師かぁ……。うん、志望校も決まったし、勉強を頑張らないと!

 私服に着替えて江藤くんのことを考えていると、インターホンの音が鳴る。家庭教師さんだ。

「こんにちは」

「はい。今、開けます」

「はじめまして。家庭教師の進藤です」

「はじめまして。どうぞ朋香をよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「それでは、和室の方に……」

 和室で、家庭教師の先生と向かい合って座る。

「改めまして、朋香ちゃん。家庭教師をやらせてもらうことになった、進藤 由佳里です。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「それじゃあ、早速。朋香ちゃんはもう志望校は決めた?」

「はい、興賀高校なんですけど……」

「興高!? とても良い高校よ! 私もそこの卒業生で、今は弟が通っているの。少し勉強が難しいけれど、楽しい高校生活が送れるから、頑張ろうね!」

「はい……よろしくお願いします」

 楽しい高校生活……江藤くんと。絶対に、江藤くんと同じ高校に行きたい。

「今日は、五教科のテストを持ってきたから、来週までにやっておいてね。もちろん、教科書や参考書は見ないでね。これで朋香ちゃんの現時点でのレベルがわかるから」

「はい」

「あとは……」

 それから、授業で使う教材の話などを聞いた。でもその内容はほとんど頭に入らなかった。だって、私の頭の中は江藤くんでいっぱいだったから。

「じゃあ朋香ちゃん、また来週ね。テスト頑張ってね」

「はい、ありがとうございました」

 興賀高校。江藤くんと、同じ志望校。……頑張ろう。同じ高校に行くために、頑張ろう。私は、進藤先生に渡された五教科のテストを解いてみた。


「おはよ、とも」

「おはよう、千春ちゃん。あっ、千春ちゃん。私も志望校、興賀高校にしたよ」

「えっ……ホント!? 嬉しい! また高校でも一緒にいられるね」

「うん、受かったら、だけどね」

「大丈夫だって〜。ともは私より勉強出来るし、まだ時間もあるしさ」

 興高だと、千春ちゃんとも一緒にいられるんだ。勉強、本当に頑張ろう。


「ともや〜!!」

 ドキッ。男子が叫ぶ。驚いた。私のことを呼んだのかと思った。そっか、江藤くんの下の名前は「智也」で、「ともや」と「ともか」って発音が似てるから、間違えてしまいそう……。

「よっし! プレイボール!!」

 一生懸命に遊ぶ「智也」くん。そんな姿さえもカッコ良くって……。智也くん、モテるんだろうな……。私は……私には魅力なんてないから……智也くんは振り向いてくれないんだろうな……。


「それじゃあ採点するね。自信の方は?」

「……あんまりないです」

 家庭教師。進藤先生に五教科のテストを採点してもらう。

「出来たよ。……うーん、このままだと少し遠いね……。でも大丈夫。私がしっかり教えてあげるから」

「はい……」

 県内屈指の進学校、興賀高校。まだハードルはとても高かった。


「千春ちゃん、私、興高無理かも……」

「そんな、私の方が全然ヤバイって。でも諦めないで頑張るの。絶対に行きたいからね」

 やっぱり、さすが進学校。応用問題が出来ないと、全く歯が立たない。でも、それでも行きたい高校だから……。それにしても、智也くんはどうなんだろう。大丈夫なのかな……。聞いてみたいけど、恥ずかしくて話しかけることなんて出来なかった。智也くんのことを考えるだけでも、顔が真っ赤になっちゃうから。

 でも、そんな自分を変えたかった。智也くんと、少しでも話せるようになりたかった。いつまでもこんな弱虫な自分ではダメだと思った。


「やっぱり、服装にも問題があるのかも……」

 鏡の前で、私は悩む。今までは真面目に、スカートも短くしなかった。でも、もっと可愛く見せたい。智也くんに少しでも振り向いてもらいたいから。

「あ、スカートを短くしたら少し可愛くなったかも……」

 嬉しくて、鏡に映った自分を何度も眺める。

「髪の毛も結って……よーし、思い切ってグロスも塗っちゃお!」

 弱虫な自分を変えるために、また、頑張ってみよう。


「おはよう、千春ちゃん」

「おは……よう……」

 ぽかんと口を開けている千春ちゃん。やっぱり驚いているのかな。

「どう? 少しスカート短くしてみたの」

「グロスも塗ってるんでしょ? うん、ものすごく可愛いけど……どうしたの? とも、ストレス溜まってるの?」

「え……? どうして?」

「だって……スカートを短くしたことなんてなかったのに……」

「私だって、女の子なんだから」

「う、うん。ともがそう言うんなら別に何も言わないけどさ……」

 ものすごく可愛いって。驚いているけど、嬉しい褒め言葉だった。少し、自信が湧いてきた。 

「おはよう!」

 教室、いつもよりちょっぴり大きな声で、挨拶をする。

「おはよー朋ちゃん。うわー、今日はいつもと違うね!」

「少しは可愛く見えるかな……」

「そんな、とっても可愛いよ! ……もしかして、好きな男子でも出来たの?」

「ふふふ、な〜いしょ!」

 嬉しいな。みんな口を揃えて可愛いと言ってくれる。これなら、智也くんも……。

「(秋月さん、今日は気合入ってるなぁ〜)」

「(こんなに変わるなんてな。俺、狙っちゃおうかな)」

 男子のひそひそ話も聞こえてくる。嬉しくて、思わずにやけてしまいそう。

「おはヨーグルト〜!」

 智也くんが来た。今日は、智也くんに「おはよう」って言うんだ。今日こそは……。

 ドキドキしていると、朝のチャイムが鳴り、智也くんが私の隣の席に着く。

「あの、ぉ……おは……よ」

「ん? ああ、おはよ、秋月さん」

 もう、バカバカ! どうして「おはよう」くらい照れずに言えないの……。でも智也くんと挨拶出来た。ドキドキする。すっごく嬉しい!


「あのさ〜、みんなで思い出作りに肝試しでもやらない?」

 休憩時間中、智也くんの声が響く。

「だってこれからはずっと勉強で、もうみんなで遊ぶことなんてないからさ」

 静かだった教室も、ざわめき出す。まだ半年弱ほどあるとはいえ、一応受験前。みんな遊ぶことに少なからず抵抗があるんだと思う。

「まぁ、最近は家に帰っても勉強ばかりで、つまらないからなぁ」

「中3最後の思い出ってことで、良いかもしれないな」

 乗り気の男子たち。女子は……。

「うーん、ま、いっか。一晩くらい遊んでもバチ当たんないよね」

「参加する? 思い出作りにさぁ」

「よーし、みんなOKだね。じゃあ今週の日曜日の夜8時、学校の正門に集合ってことで」

 今週の日曜日、肝試し。暗いし怖いし、肝試しなんて大の苦手だけど……。でも、これはチャンスだから。智也くんと仲良くなれるかもしれない、チャンスだから。


「はーい、それじゃあくじを引いてくださーい」

 肝試し当日。中学校裏のとても広い墓地の入り口で、割り箸を引く。ルールは定番で、男女二人でペアになり、一番奥に置いてある箱の中から紙を一枚取ってくる。

「はーい、みんな引きましたね。それでは、黒で書いてある数字と赤で書いてある数字の同じ人がペアでーす」

 割り箸には、赤い字で「18」と書いてあった。お願いします、智也くんが黒の18でありますように。

「赤の18の人ー」

「あ……は、はい」

「18番で最後、秋月さんね。江藤と一緒だ」

「え…………!」

 やった! 智也くんと一緒になれた! 良かったぁ、参加して。


「あ〜〜〜〜〜〜怖かったぁ……」

「なんだよ、普段はテンション高いくせに」

「なによぉ、夜の墓地なんて、怖がって当たり前じゃない!!」

 一組目のペアが帰ってくる。斉藤くんと、池本さんのペア。いつも元気な、あの池本さんが怖がっている……。どうしよう、私、無理かも……。

「ふふふ、吉田って意外と臆病なのね」

「う、うるせーよ!!」

「頼りになったよ、橋本」

「そ、そうかな……」

 だんだんと帰ってくるペアを見ていると、なんだかみんな仲良くなっているみたい。私も、怖いけど……怖いけど、勇気を出して、智也くんと仲良くなろう。

「秋月さん」

「は、はい!」

 声が上ずってしまう。智也くんに話しかけられて、ドキッとする……。でも。

「さ、行こっか」

「う、うん」

 ついに、順番が回って来た。


「うわ〜、さすがに夜のお墓は怖いね……」

「う、うん……」

 こ、怖いよ〜……。こんな真っ暗な道を、二人で歩くなんて……。

 行きに5分、帰りに5分の往復10分。各ペアは、前のペアがスタートして5分後に出発する。全員で計2時間弱ほどの大掛かりなこの肝試し。それもようやく、私たちで最後。

「あれ、なんか光った?」

「ぃ、ぃゃ……」

 身体が震えてきちゃう……。どうしよう、まともに歩けそうにないよぅ〜……。やっぱり、参加するんじゃなかったかも。

「あ、あの……あのあの……」

「ん?」

「あの……手……」

「手? ああ」

 智也くんはそれだけでわかってくれて、私の手を取ってくれた。

「やっぱり、こういうのは苦手?」

「う、うん……すごく」

「そっか……ごめんね、参加させちゃって」

「ううん! いいの……」

 いいの……だって、おかげでこうして智也くんと手を繋げたんだから。

 智也くんと暗い道を歩く。やっぱり怖かったけれど、智也くんの手のぬくもりを感じ、少し安心出来た。ああ、私、男の人と手を繋いでいるんだなって。こんなに心臓がドキドキしている。鼓動の音が智也くんに聞こえないかと、不安になってしまうくらい。

「朋香さん」

「え……!?」

「ああ、ごめん。なんとなく名前で呼んでみたくなってさ」

「え……う、うん」

「嫌だったらやめるけど」

「ううん! いいよ」

「ありがと、朋香さん」

 な、名前で呼ばれた……ドキドキ。智也くんって、ちょっと大胆。

 軽い沈黙。いつも相手が話しかけてくれるのを待っているなんて、いけないよね。自分を変えてみようって決めたはずなのに。変わったのは見た目だけなんて、意味がないよね……。

「と……智也くん、あのね!」

「うん?」

 名前で呼んでしまった。でも、自分を変えるんだ。恥ずかしがってばかりの自分を。

「あ、あの……まだ……着かないのかな」

「うん、もう少しあるかなー。10分って言っても、いざ行ってみると長く感じるでしょ」

「うん、あの、手……離さないでね……」

「はは。うん、わかった」

 智也くんが握っている手に力を入れる。……落ち着いて見回してみると、辺りはものすごく暗い。智也くんが持っている懐中電灯がないと、まず歩けないと思う。もしここで一人きりにでもなったら、震えて動けなくなりそう。

「大丈夫?」

「う、うん……」

「はぁ、ホント参加させて悪い気分になっちゃうなぁ」

「ううん。大丈夫。私……ちょっと、今までの自分を変えてみようかな……って」

「へぇ〜。すごく良いことだね。でも朋香さん、勉強もできるし、優しいし、自信持っていいと思うよ」

「え…………! あ、ありがとう……」

「それに比べて俺は、こんな肝試し大会なんて企画して……。勉強から逃げる言い訳を作って、みんなを巻き込んで……」

 智也くんは、私のことも見てくれているのかな……。嬉しい。今、気持ちを伝えたい……伝えたいけれど、そこまでの勇気は今は出て来ない。智也くんと手を繋いでいるだけでも緊張して何も話せないくらいなのに。これだけ智也くんと話せたんだから十分なんだけど……。それでも、「好き」っていう気持ちを伝えたかった。

「そんなことない。智也くんって、言うことやることいつも唐突で驚くようなことばかりだけど、私、知ってるんだ。それは、みんなのことを考えてやっていることなんだって」

「朋香さん……」

「私なんかが言うのは失礼かもしれないけど……その……智也くんこそ、自分に自信を持っても……あの……」

「ああ……ありがとう、朋香さん。やっぱり朋香さんは優しいな」

「いえ、そんな……」

「最近の朋香さん、本当に可愛いし。男子もみんな狙い始めるかもね」

「え……私が?」

「うん。朋香さんって目立つタイプじゃないと思うけど、最近は……すっごく可愛いよ」

 智也くんが、私のこと……可愛いって……。

「あ、あそこかな。ほら、あの箱だ。あの中に持って帰る紙が入っている。よーし、最後の一枚だな」

 智也くんは私のことを可愛いって思ってくれている。わ、私は……私は……智也くんのことが……。

「あの、と……」

 頑張って朋香! 勇気を出して……。

「と…………」

 ダメ……。声が震えちゃって……。

「ほら、この紙だよ、朋香さん。最後だから箱ごと持って帰らないと」

 私、臆病なんだ……。智也くんに自信を持ってって言われたのに、自信が持てないんだ。ここで私が想いを伝えてしまえば、智也くんに拒絶されるような気がして……。やっと智也くんとまともにお話ができたのに、そんな関係を壊してしまいそうな気がして……。

「さ、朋香さん。あとは帰りだけだよ」

「うん……」

「はぁ〜、もうみんなで遊ぶこともないんだろうなぁ。高校生になったらみんなで集まることなんてないと思うし」

「うん……寂しいよね」

「ああ……この肝試し、良い思い出になったら良いんだけど……。あれ、そういえば朋香さん、もう怖くないの?」

「智也くんと一緒にいると、怖くなくなっちゃった」

「ははは、それは頼れる男の子として認めてもらったと喜んで良いのかな?」

「も、もちろん。傘も貸してくれたし……」

 良いの。私、幸せだもん。智也くんとこんなにお話が出来て、それに私のことを「可愛い」って褒めてくれたんだから。智也くんへの想いは、今はそっと胸に閉まっておこう。

「おかえり〜」

「おい智也〜! 秋月さんに変なことしなかったか??」

「してないよ!」


「ただいま」

 家に帰り、シャワーを浴びた後、ベッドに寝転がり、枕に顔をうずめる。

「や〜〜〜……。智也くんが……私のこと……可愛いって……」

 思い返して、思わず枕を抱きしめてしまう。それくらい嬉しかったから。

「智也くん……好き……大好き」

 すっごく緊張したよぉ。暗い夜道だって怖かった。でも、智也くんと、手、繋いじゃった……。

「こんなにドキドキするの、初めて……」

 カッコ良くて、面白くて、勉強も出来て、すっごく……すっごく優しくて。

「智也くん、だ〜いすき!」


「おはよう、智也くん」

「おはよー!」

 次の日、私は智也くんに自然に挨拶が出来た。だって、昨日なんか手を繋いじゃったんだから。

「昨日は……楽しくなかったかもしれないけど……。仲良くなれて良かったよ」

 微笑みながら智也くんはそう言ってくれた。

「うん…………」

 あ、あれ……? 頭がクラクラする……。ちゃんと、返事を返さなきゃいけないのに……。

「朋香さん?」

 智也くんの声が、あまり届いてこない。あれ、おかしいな、私……。

「朋香さん、大丈夫!? 保健室行った方が……。おーい、香原さん」

「はい?」

「秋月さんが、体調悪そうなんだ。保健室連れて行ってあげてくれない?」

「え? ともが!? とも、大丈夫?」

 千春ちゃんの声がする。それもあまり届いてこない。

「うん、大丈夫……」

「んー……熱っぽいよ。保健室行こう。歩ける?」

「うん、大丈夫……」

「肩貸して……よっと」

「じゃあ香原さん、よろしくね」

「うん、任せといて」


「……7度8分。今日はもう早退した方が良いわね」

 え? 早退? そんな……智也くんを、もっと見ていたいのに……。

「風邪だと思う。無理はしないようにね」

 風邪なんて……智也くんの顔を見れば治るよ……。

「朋香! 大丈夫!?」

「あ、お母さん来られましたね。熱があるようですので、病院に連れて行ってあげて下さい」

「わかりました。ありがとうございます」


「はぁ。退屈だなぁ」

 病院に行って、家に帰って。熱も大分下がったし、何もすることがない。

「朋香〜。千春ちゃんが来てくれたわよ」

 千春ちゃん? 嬉しいな、お話相手が欲しかったんだ。

「とも〜! 生きてる〜?」

「生きてるよぉ〜。……あ、熱は大分下がったんだけど、うつっちゃうかも」

「大丈夫、元気だけが私の取り柄だからね」

 そう、千春ちゃんの元気の良さにはいつも助けられている。私の最高の友達。

「ここに来るまでにね、江藤くんと来たの。昨日の肝試しで体調崩したんじゃないかって、心配してたよ」

「そっか、江藤くんが……」

 私のこと、心配してくれてるんだぁ……。智也くんは本当に優しいな。

「ね、聞いてよ。江藤くんね、私のこと『千春さん』って、下の名前で呼んでくれたんだ〜。どうしてか聞いたらね、『女子は特に結婚して苗字が変わるかもしれないから』だって」

「へ、へぇ〜……江藤くんが」

 い、いいもん……。私だって、「朋香さん」って呼んでもらえたもん。

「とも、絶対内緒にしてね。実は私さぁ……。江藤くんのこと…………好きなんだ」

「え…………」

 今、なんて……?

「驚いた? だってすっごいカッコイイし、優しいしさぁ……」

「そ、そう……なんだ……」

 知らなかった。まさか、千春ちゃんも智也くんのことを……。

「実は、興高にしたのも、ほとんど江藤くんの追っかけなんだよね……。あ、ホントに秘密にしてよね? ともには親友だから話すんだよ?」

「う、うん……」

 ショックだった。千春ちゃんは可愛いし、スタイルも良いし、もし張り合ったら勝ち目なんてないと思う。でもそれ以上に、「親友」の千春ちゃんが智也くんのことが好きっていう事実が、とてもショックだった。

「私ね、村岡くんに肝試しのときに告られたんだー。でも、江藤くんのことが好きだから、断って」

 村岡くん……クラスで一番カッコイイって女子の間でうわさの……。

「だって江藤くんの方が優しいしね……大好きなんだ、私」

 千春ちゃん……。もう、聞きたくないよ……。

「……千春ちゃん、もう帰りなよ」

「え? なに?」

「やっぱり風邪をうつすと悪いから、もう帰ったほうが良いよ」

「そっか、そうだね。うん、じゃあとも、お大事にね。バ〜イ」

「バイバイ」

 バタン。扉が閉まる。私は何をするでもなく、千春ちゃんが出て行ったその扉を見つめていた。

「千春ちゃん、私も智也くんのことが好きだって言ったら、怒るよね……。でも、私だって……私だって、負けないくらい好きなんだから」

 今までケンカなんてしたことがなかった千春ちゃんとの間に亀裂が入りそうで、私は胸が苦しかった。


「おはよ、とも」

「おはよう……」

「んー、まだ元気ないね」

 風邪はほとんど治ったけれど、千春ちゃんとは気まずい雰囲気。

「無理しないようにね」

「うん……」

 やっぱり、千春ちゃんは優しい。でも、私も智也くんのことが好きって言ったら怒るだろうな。生まれて初めて好きになった人が、千春ちゃんの好きな人と同じ人だなんて……。


「おはよう、智也くん」

「あ、おはよう。昨日大丈夫だった? ごめんね、肝試しをさせたばっかりに」

「ううん、そんなことないよ。こっちこそ心配をかけてごめんね」

 やっぱり智也くんは優しいんだけど、魅力はそれだけじゃない。一緒にいてすごく和む雰囲気。少し話しただけでも楽しい気分になっちゃう。そりゃあ、千春ちゃんも好きになるわけだよね……。

「はい、昨日の分のノート。受験生にとって、一日でも休むのは大きいからね」

「あ、ありがとう」

 本当に優しいな……。もう止められないくらい、好き。千春ちゃんには悪いけど、私も好き。大好き。

「と、智也くん!」

「なに?」

「あ……え、と……あの……」

「どうしたの?」

「あの……じゃなくて……えと……こ、今週の日曜日!」

「今週の日曜日?」

「あ、開いてるかな……。勉強……教えて欲しいところが……」

「今週の日曜日は……って受験生に勉強以外の予定なんてあるわけないか。いいよ。どこにする?」

 やったぁ! 勇気を出して声をかけて、良かった!

「と、図書館で……」

「図書館ね。わかった。じゃあ昼の1時くらいでいいかな?」

「うん! あの、急にごめんね」

「いいって。家にいてもずっと一人で勉強するだけだしさ」


「今日の朝、江藤くんと……何話してたの?」

「え……」

 帰り道。千春ちゃんにそう聞かれる。

「勉強……わからないところがあって、今週の日曜日に、江藤くんに聞こうと思って」

「ふ〜ん。ま、ともは私よりも偉いから私じゃあ教えられないけどさ……。そっか、江藤くんと」

 一歩、先に進んじゃった。ごめんね、千春ちゃん。智也くんだけはどうしても譲れません。

「私も行っていい?」

「え…………」

 ち、千春ちゃん!? ちょっと待ってよ。

「ダメ? 二人きりが良いとか?」

 そ、そうだよ。そのために、智也くんを誘ったんだから……。

「い、いい、けど……」

「やったぁ〜。楽しみ〜!」

 千春ちゃんが智也くんのことを好きって知ったから、断るわけにはいかなかった。ま、いっか……。二人きりだと、緊張して何も話せないかもしれないし。肝試しのときだって、すごく勇気を振り絞って、あれだけ話すのが精一杯だったから。


「……だからこうなるってわけなの。わかった? あれ、おーい、朋香ちゃん?」

「は、はい!」

「大丈夫? なんだかボーっとしてるけど」

「あ、大丈夫です。すみません」

 家庭教師。ダメ、集中しないといけないのに、今週の日曜日のことを考えるだけで、胸が弾んで……。

「ほら、頑張れば絶対に合格できるから。しっかりやろうね?」

 そうだった。高校で、智也くんと一緒に過ごすんだ。そのためには、しっかり勉強をして合格をしないと……。

「でね、ここの方程式が難しいんだけど……」

 そうだ、ここの方程式を智也くんに聞こう。日曜日、早くこないかな……。


「思ったんだけどさぁ。俺なんかが朋香さんに教えられるところってあるのかなぁ」

「え? 私、そんなに偉くないよ?」

「テストいっつも良い点なのに?」

「それは智也くんも同じだよ。あ、日曜日ね、千春ちゃんも来ることになったんだけど、いいかな」

「香原さん? いいよいいよ。俺でよければ誰でも教えてあげるよ」

 智也くん、断ってくれるかなってひどいことを期待していたけど……もちろんそんなはずもなくて。智也くん、誰に対しても優しいもんね。でも、千春ちゃんが来るって聞いて、心なしか喜んでいた気がするのは考えすぎなのかな。もしかして智也くん、千春ちゃんのことが好きだったりして……。


「なんだかデート前みたいな気分で、楽しいな」

 今日は待ちに待った日曜日。服装もしっかり気にして。白いブラウスの上に薄ピンクのカーディガン。それに、お気に入りのキュロットスカート。

「おしゃれしちゃった。智也くん、どう思うかな」

 可愛らしい服装で、いつもとは別人のように見える。おしゃれするのなんて久しぶりな気がする。だから、すごく新鮮な気分。

「いってきます」

 家を出てバス停へ向かう。もちろん問題集も忘れずに。バス停でバスを待っていると、

「ちぃーっす、とも。うわー、可愛いねー」

「あ、千春ちゃーん」

 千春ちゃんがやって来た。可愛いだなんて、千春ちゃんの方が全然キレイだった。フード付きのトレーナーにジーンズ、軽くお化粧もしているらしく、とても大人っぽい雰囲気だった。千春ちゃんは身長も低くないから、何でも着こなせる。それに比べて私は背が低いから、コーディネートが難しい。はぁ、これでまた智也くんが千春ちゃんの方に目がいっちゃうな。

 市立の図書館まで、バスで15分程度。最近出来た図書館で、多くの本に、広いスペース。もちろん冷暖房完備で、本を読む以外にもくつろいだり勉強をしたりするにはうってつけの場所。

「やっほー。うわー、二人とも、私服姿がすっごく可愛いね」

 入り口の前で智也くんと合流。良かった、智也くんに可愛いって言ってもらえた。お気に入りの服装だもん。

 二階の多目的ルームに行き、四人がけの机に、私と千春ちゃん、向かい側に智也くんが座る。三人とも緊張気味なので、早速問題集を開く。

「あ、あの……ここの問題なんだけど……」

 私がわからなくて、智也くんがわかる問題なんて、多分これぐらいしかない。基本的な問題はしっかり出来るし、授業では触れないような難しい問題は、多分智也くんにもわからないから。

「あぁ、この問題ね。確かこれを習ったとき、朋香さん休んでたよね」

「そうなの。だから、ここの発展問題がわからなくて」

「オッケー。ここはね、まずこの難しい方程式を解いて……」

 初恋。初恋は実らないってよく聞くけど、わかる気がする。だって、千春ちゃんを気にせずにはいられないから。恋の方程式を解くのは、本当に大変で……。

「……となるわけ。どう?」

「うん、ありがとう!」

「どういたしまして」

 あーあ、これでもう聞くこともなくなっちゃったな。

「ねー江藤くん。私にも教えてよ」

「どれどれ」

 さりげなく智也くんの隣の席に移動する千春ちゃん。ずるーい。

「ここはね、こうなって……」

「へぇ、なるほど〜。じゃあこれは?」

「この場合は、こうやって……」

 積極的に教えてもらう千春ちゃん。いいなぁ、私もわからないところがたくさんあればいいのに……。

「偉いんだねー、江藤くん。なになに? 塾とかに行ってるの?」

「うん、行ってるよ。そこの塾、すごくわかりやすくてさぁ」

「へぇー。私もそっちの塾にしようかなぁ。あ、高校入ったらクラブやるの?」

 いつの間にか雑談になっている智也くんと千春ちゃん。問題集を開いたまま、問題を見もしないで二人の会話を聞いている私……。何やってるんだろう。

「江藤くんって、彼氏いるの?」

「え? いないけど……」

「そうなんだぁ」

「千春さんは?」

「私もいないけど……好きな人はいるよ」

「え? だれだれ?」

「えへへ〜。言っちゃおっかな〜」

「どうぞどうぞ」

「あのね……」

 え……。千春ちゃん……こんなところで……?

「実はね…………江藤くん、好きです」

「お、俺!?」

 千春……ちゃん……?

「もしよければ、付き合って下さい!」

 …………智也くんは、何て返すんだろう……。

「…………うん、俺なんかで良かったら……」

 と、智也くん!?

「ほ、ホントに!? 夢みた〜い……嬉しい」

「いや、俺もさ……その……千春さんのこと、良いなぁって思ってた……んです」

「そんなこと言って〜。ふふ、智也くん」

 そんな…………。千春ちゃんと智也くんが……付き合うことになっちゃった。私も、智也くんのことが……好き……だったのに……。

「ちゅっ」

「わっ!」

 智也くんの頬に軽く唇を当てる千春ちゃん。もう、すっごく楽しそうな二人を見てなんていられなかった。

 ガタッ!!

「ん?」

 私は……

「とも? どしたの!?」

 ……その場から走り去るしかなかった。


「昔は……泣き虫だったけど……」

 最近は泣くことなんて全然無かったのに。

「ずっと……ずっと、智也くんのこと、好きだったのに……」

 涙が止まらない。どれくらい沈んでいたんだろう。あんなに明るかった空が、もう赤色に染まっている。

「『可愛い』なんて言われて、舞い上がっちゃって……私、バカみたい」

 智也くん、智也くん。私の心の中はいつも智也くんでいっぱいだった。それでも、泣いても叫んでも、どうしようもなくて……。

「今日はずっと、ここにいようかな……。今は何もしたくないよ……」

 公園のブランコに座って、惚けている私。

「智也くん……ひっく……だめ、思い出したら、また涙が出ちゃう……」

 今日は、思いっきり泣こう。また明日から学校が始まるんだから。

「ひっく……うぅ……ひっく……」

 もう、智也くんのことは忘れよう……。大好きな智也くん。気持ちを伝えることは出来なかったけれど……さよなら。

「探したよ、朋香さん」

「えっ……!?」

 智也くんが探しに来てくれるって、そんな都合の良いことも少しは想像していたけど……。まさか、本当に来てくれるなんて。

「ホント急に飛び出しちゃうからさぁ。千春さんはトイレでしょって言ってたけど、なかなか帰ってこないから心配になって……」

「智也くん……」

「用事があるからって言って俺も図書館を出てね、今までずっと探してたんだよ」

 智也くん……こんな時間まで私のことを……。

「ごめん、俺も軽率だったよ……。千春さんと二人で勝手に盛り上がっちゃってさ」

「ううん、良いの……。智也くんも、彼女……出来て、良かったね」

 無理にでも笑顔を作る。泣いちゃダメ。ここで泣いたら、智也くんが困っちゃう。

「あ、う、うん……。でも、朋香さん、どうしたの?」

 いきなり席を立って図書館を走り去ったなんて、良い言い訳なんて思いつくはずもなかった。

「え、あの、え、と……」

「びっくりしたよ。ここの公園のブランコに座ってるんだもん」

「な、なんか勉強のしすぎかな、つ、疲れちゃって」

「そっか……。朋香さんも頑張ってるんだなぁ。ごめん、勝手に心配して、迷惑をかけたね」

「ううん! そんなことないよ! う、嬉し……かったから……」

 もう忘れようって誓ったのに……

「頑張りすぎは良くないよ? 受験受験って追い詰めすぎないで、気楽に頑張ろうね」

 そんなに優しくされたら私……

「私服姿の朋香さん、ホントに可愛かったから、実を言うともっと一緒にいたかったんだけどね……」

 智也くん……! もう、我慢できなかった。涙がどんどん溢れてきた。とっさに後ろを向いて、泣き顔を隠す。ねぇ智也くん。女の子がお気に入りの服装を褒められるのって、すっごく嬉しいことなんだよ……?

「それじゃあ、また明日。今日はホントにごめんね」

 悪いのは私の方なのに……。千春ちゃんの彼氏になったのに、私を追いかけてきてくれた。いつだって誰にだって優しい智也くん……。

「ひっく……あり、がとぅ……」

 言うんじゃなかったかなって思った。泣いているのが智也くんに知られてしまうから。それでも、言わずにはいられなかった。

「朋香さん……」

 智也くんはそれだけ言って、背中を向けた。智也くんが見えなくなった後も、私はブランコに座り、智也くんのことを想っては涙を流した。優しい智也くん。私、やっぱりあなたのことが好きです……。もう、どうしたらいいのかわかんない……。


「……おはよ」

「……お、おはよぅ」

 昨日あんなことがあった手前、智也くんとは顔を合わせづらかった。それでも、たくさん泣いて、少しはスッキリした。

「とも〜! 昨日はどうしたのよ、急に出て行っちゃって。心配したんだよ?」

 うそつき……。智也くんは追いかけて私のことを見つけてくれたのに。

「ご、ごめん。突然お腹痛くなっちゃって……」

 それでも、千春ちゃんを恨むのはお門違いだと思う。千春ちゃんが誰を好きになろうと勝手だし、やっぱり千春ちゃんは私の一番の友達だから。

「気をつけなよ? あ、智也くんおはよ!」

「おはよう。昨日はすぐ帰っちゃってごめんね」

「いいのいいの。それよりさぁ、今日も遊ばない?」

「え? 遊ぶの……? まぁ、良いけど……勉強は大丈夫?」

「もちろん、教えてもらうのも兼ねて、さ」

 そういう会話はなるべく、私のいないところでしてほしいなって思ってしまう。ちょっと気が緩むと涙が出ちゃいそうで怖かった。好きな人をとられるって、胸がとっても苦しい。千春ちゃん、智也くんに何を話すの? どんなことをするの? 智也くんは何て答えるの? 何をしてあげるの? ……智也くん、私じゃ、ダメ? 私も好き……好きなんだから……。

 はぁ、ダメ。また気持ちが沈んじゃう。無理にでも明るく振る舞うって、難しい……難しすぎるよ……。やっぱり、学校、休めば良かったかな。部屋で一日中、何も考えないでいられたらな……。


「もうすぐ定期考査だぞ。受験勉強ばかりに目が行って、こちらの点数が悪い……なんてことにならないようにな」

 もう期末テストが始まる。その後はすぐに冬休みに入り、終われば受験間近。本当に、勉強に専念しないと……。

「ねぇ朋香さん、さっきの授業の最後の問題、わかった?」

「あ、ううん……難しくて、あんまりわからなかった」

 授業が終わり、休憩時間に智也くんに話しかけられた。

「ここのグラフが移動するところまではわかったんだけどさ……」

 さっきの授業で最後にやった問題は、本当に難しかった。私も家庭教師の先生に聞こうと思っていたくらい。

「あ、ここがこうなるのかも……そうしたらさっき先生が言っていたことも当てはまるし……」

「あ、なるほど! そっか、それでこうなって……。おぉ、できた。ありがとね!」

「どういたしまして」

 すごく優しくて……みんなと仲良くして、千春ちゃんとも付き合って、勉強も疎かにしないで。私には到底真似できないな……やっぱり智也くんはカッコイイよ……。


「ねぇ、とも。ちょっといい?」

 放課後。機嫌悪そうな千春ちゃんの声。怖いなぁ……。

「どうしたの?」

「ちょっと来てよ」

 千春ちゃんに連れられて、誰もいない空き教室へ。

「あのさ、あんた……智也くんのことが好きなんでしょ?」

「え?」

「気付いてないと思った? 智也くんと話してるとき、顔赤くしてさ……。そういえばともが男子とあんなに話すのは見たことないよ」

「……………………」

「私の彼氏なんだから……色目使わないでよね」

「千春ちゃん……」

 気付かれ、ちゃった……。それは、もう智也くんには話しかけるなってコト……?

「……わかった。ごめんね、千春ちゃん……」

 わかってる……わかってるの。智也くんは……千春ちゃんと付き合ってるって、わかってるんだけど……。

「わかってくれたらいいよ。じゃ」

 千春ちゃんがそう言って踵を返す。

「私……もう……ダメだよ……」

 大好きな智也くんとは話すことも出来なくなって、親友の千春ちゃんとも仲違いをして……。

「どうして……うまくいかないの、かな……」

 心が痛かった。いくら泣いても泣き足りないくらい、私の心には大きな穴が開いたようだった。


「もう……疲れちゃった」

 家に帰り、ベッドへ一直線。電気もつけずに、私はうずくまっていた。

「智也くん……私、好きなの……大好き……」

 口に出してもどうしようもなくて。いくら好きと言っても満たされることはない。……私が、勇気を出さなかったから。千春ちゃんより先に告白していれば、また違う未来もあったのかもしれない。

「智也くん…………」

 私は、好きな人のことを想いながら、ただ涙を流すことしか出来なかった。


「どうしたの、朋香。学校を休むなんて」

「うん、ちょっと調子が悪くて……」

 次の日、私は学校を休むことにした。病は気からってよく言うけど、恋の病にかかっちゃったみたい。

「昨日もご飯を食べなかったしね。わかった。受験前だから、気をつけるのよ」

 食事は全然欲しくなかった。眠ろうとしても寝付けない。まぶたは少しだけ下がった状態のまま、瞳は何を捉えるでもなく床の方を見つめていた。何度も何度もため息をつきながら。

「智也くんは、もう付き合っているんだから……。きっぱりあきらめれば良いのに……」

 忘れたくても、忘れることなんて出来なかった。智也くんの笑顔が浮かんでは消えていく。他のことを考えようとしても、どうしても智也くんのことを想ってしまう。

「こんなに好きだったんだね、私……」

 失恋……しちゃった。「初恋は実らない」って。どうして当たってしまうんだろう。

「智也、くん…………」

 試験前なのに、学校まで休んじゃって……。でも、それだけ私の胸は苦しかった。


「朋香ー。クラスの男の子がプリントを持ってきてくれたわよ」

「え……?」

 結局お昼も食べずに、気付けばもう夕方。男の子って、智也くん……?

 お母さんからそれを受け取り、中身を確認する。中にはコピー用紙が数枚と、小さな手紙が入っていた。手紙は、智也くんからだった。


   朋香さんへ

   体調の方は大丈夫? 朋香さん、頑張り屋だから、

   また勉強とかで無理をしすぎたのかなって、心配しています。

   今日の分の授業ノートと、試験範囲をコピーしておきました。

   良ければ使ってください。

   朋香さんは数少ない興高仲間だから……頑張って一緒の高校に行こうね!       

                     早く元気になってね   智也より


「智也くん……!」

 もう、止められないよ……。いつでも優しい智也くん。

「もう、決めた」

 好き。智也くんが好き。大好き。忘れることなんて絶対に出来ないよ。千春ちゃんと付き合ってたって……好きなものは好きなんだから……!

 いつから智也くんを好きになったのか、どうして智也くんを好きになったのか。多分、好きになった理由なんていうのは関係なくて、大事なのはその人をどれだけ想っているか、なんだと思う。

 千春ちゃんには悪いけど……智也くんと話さないなんて、出来ないよ。千春ちゃんとの対立は辛いけど、智也くんを好きな気持ちは誰にも負けないから。辛くても前に進んでいく強さを手に入れなくちゃ……。


「昨日は本当にありがとう。すっごく助かったよ」

「そっか。役に立って良かった。体の方は大丈夫?」

「うん、おかげさまで。それより、昨日の授業も難しかったんだね」

「そうそう。頭から煙が出そうになったよ。ここの問題がね……」

 千春ちゃんの目も気にせずに、智也くんとお話。やっぱり智也くんと話すとドキドキして、ときめいて、好きー! って思っちゃう。はぁ……私も智也くんと付き合いたいな……。


「ねぇとも……」

 案の定、千春ちゃんに声をかけられる。

「なに?」

「昨日、休むくらいショックだったの……? もう、いいよ……もういい」

「ご、ごめん……」

「いいよ……あんたの勝手だしね……」

「……ごめん…………」

 小学校に入学してからずっと仲良しだった千春ちゃん。いつでも元気で優しくてムードメーカーで、私の自慢の親友。

 だけど、人は出会ったり離れたり、傷つけたり傷つけられたりして生きていくんだって、今なら少しわかる気がする。千春ちゃんも私も、智也くんのことを好きになってしまったんだからしょうがないよね。辛くても前に進むって……決めたから。


「やった……!」

 期末テストが終わり、テストが返される。数学のテスト、満点だった。

「おぉ、スゴイね朋香さん」

 今回は難しい方程式もしっかり解けた。勉強は最近順調。恋の方程式だって、このくらい上手く解けたら良いんだけどな……。

 テストが終わるとすぐに冬休みで、休みが明けると間もなく受験。別に遊ぶ暇がなくて寂しいのではなくて、冬休みは智也くんと会えないこと、そしてもし興高に落ちてしまったら智也くんと一緒にいられないということを考えると、心が締め付けられる。

 相変わらず千春ちゃんは智也くんと付き合っていて、何を話しているんだろう、キスはしちゃったのかな、なんて、嫉妬をしてしまって。

 冬休みになっても、毎日智也くんのことを想っていた。クリスマスの日は、二人で楽しく過ごしているのかなってうらやましく思って、それともやっぱり受験前だから勉強をしているのかなって私も頑張って。

 私はある決心をした。智也くんに、私の気持ちを伝えようって。千春ちゃんと付き合っているのはわかっているけど、私の気持ちも知って欲しいって思うから。フラれちゃっても……それはしょうがないよね。もう、智也くんが好きで好きでたまらないから……。


「今日は……絶対気持ちを伝えよう」

 クリスマスが終わり、もうすぐ大みそかがやって来る。私は、今日智也くんに「好き」っていう言葉を伝えることにした。

「智也くん……気持ちだけでも、知って欲しいから……」

 千春ちゃんと別れて私と付き合ってくれるなんて、そんな高望みはしないけど……受験前にこんなこと、不謹慎だけど……もう、私、ダメだから……。好き、だから……。

「朋香ー。千春ちゃんから電話よ」

 え……千春ちゃんから……? どうしたんだろう。ここ最近はずっと話していなかったのに。

「もしもし?」

「あ、とも? あのさ……今から、会えない?」

「今から……?」

 今から……今から智也くんの家に行こうとしてたんだけどな……。でも、千春ちゃんの沈み気味の声も気になって。

「うん、いいよ。どこにする?」

 なんだかんだ言っても、千春ちゃんは、大切な友達だから。


「実はね……智也くんと、別れちゃった」

「え……え…………!? ど、どうして!?」

 千春ちゃんが、智也くんと別れた? どうしてだろう。あんなに好きって言ってたのに……。

「智也くんは……優しすぎるの」

 うん、わかってる。誰にでも、等しく優しい。

「最初は、私もその優しさが好きだった。カッコイイ上に優しいなんて……そりゃあ、好きになるよね……。でも、智也くんと付き合って、デートをするようになって……」

 デート、か……。うらやましいな……千春ちゃん、智也くんの何が嫌っていうの?

「その日、デートで待ってたんだけど……こないの。約束の時間が過ぎても。それからしばらくして、やって来て……。智也くん、道に迷っている人に、教えてあげてたんだって……。その日、クリスマスなのにだよ? 他にもバスで二人で座っていたのに、お年寄りに席を譲ろうって言ったり、デート中でも、空き缶とかを拾ったりするんだよ? 優しいのは良いことだけど、智也くん、お人好しすぎるのよ……。私、好きな人には、私だけを見てもらいたい。人に優しくするのもわかるけど、好きな人が待っているのにデートで遅れて来るなんて、嫌……。それで智也くんに別れようって言ったら、『千春さん、もっと優しい人かと思った』って、言われちゃった……。そうね、私、わがままなんだよね。ダメだね……ホント。優しい智也くんやともを、見習わなきゃね……」

「千春ちゃん……」

「ともには、本当に悪いことをしたなって、ずっと後悔してたの。ホントにごめん。ごめん……」

「いいの……いいの、千春ちゃん」

「ともも……優しすぎるよ……。ごめん、とも。仲直り、してくれる?」

「もちろん!」

 嬉しかった。それは、千春ちゃんが智也くんと別れたことじゃなくて、千春ちゃんが仲直りをしてくれたこと、もっと優しくなったこと。

「それじゃ、受験、頑張ろうね。とも……私の友達でいてくれて、ありがとう」

「千春ちゃん……私も、だよ。それじゃあ、バイバイ」

 私たちは、少しだけ成長した。それは端から見れば些細な出来事だけど。これからも、たくさんのことを経験し、成長していけばいい。素敵な人になれればいい。私たちは、一歩ずつ歩んでいく。これからも。


「はーい、どなたですか?」

 インターホンを押し、智也くんの声が聞こえる。

「あ、あの……秋月です」

「朋香さん? どうしたの?」

「今、ちょっと……良いかな」

「良いけど……少し待っててね」

 少しして、智也くんが家から出てくる。終業式以来会っていない智也くん、やっぱり直に見ると、カッコ良くて、ドキドキしちゃう。

「お久しぶり。今日はどうしたの?」

「あの……あのね……その……少し、歩きませんか?」

 きゃ、私、緊張して声が上ずっちゃって、それに敬語なんか使っちゃって……。

「良いよ。勉強に疲れて、気分転換かな?」

「あ、うん、その、うん……」

 も、もう! 私、これじゃあ始めの頃と変わらないじゃない……。でも、智也くんに告白することを思ったら、冷静になんていられないよ。

「……へぇ〜。じゃあ今日までずっと勉強をしてたんだ」

「うん。やっぱり、絶対合格したいし」

 智也くんと並木道を歩く。今日は珍しく気温が上がり、寒くて歩けないほどではなかった。

「そうだよね〜。俺もしっかりやらないといけないのにさ……。俺、昨日泣いていたんだ……。実はね、千春さんと……その……別れちゃってさ」

「そ、そうなんだ……」

「うん……それで、千春さんに、『優しくしすぎ』って、叱られちゃった。勉強も、恋も、上手くいかないなーって……」

「智也くん……」

「やっぱり、別れるのって……想像していたのよりずっと辛いんだな〜って思ったよ」

 智也くん、私は、あなたのその優しさを、煩わしく思いませんから……別れることなんてなく、ずっと好きでいますから……。

「と、智也くん!」

「なに?」

「あの、ず、ずっと前から、ずっと……………………好き、でした……。えと……今でも……その……大、好き、です……。つ、付き合って……下さぃ……」

 い、言っちゃった……。誰が聞いても笑われるくらい、ぎこちない告白。それでも、好きって、言ったよね……。頭が真っ白になって、自分でも何を言ったのかもわからなかった。

「朋香さん……………………」

「………………………………」

 智也くんからの返事を待つ。たった数秒が、とても長く感じられた。期待と不安で、胸が押し潰されそうだった。ドキドキドキドキ。

「あの……いいよ。俺も、朋香さんが憧れだったんだ……」

「え……?」

 い、今、なんて……?

「俺、昔はすごい不真面目で、無口で。でも、朋香さんの真面目な姿を見たら、優しさに触れたら、俺、何してるんだろうって思って……」

 私の告白に、智也くんは……

「それからは、みんなを笑わせたり、優しくしたりしようって思った。朋香さんの優しさを真似してみようって。だから……俺でよかったら、ぜひ……」

 オッケー!?

「智也くん……」

 嬉しい。何でこんなに嬉しいんだろう。智也くん、大好きだよ。私と付き合ってくれるの? 嬉しい。本当に嬉しいよ。

 恥ずかしさでお互いに無言のまま、来た道を帰る。もう智也くんの家が見える。今日は多分このままいてもずっと何も話せないだろうけど、別れるのは寂しいな。

「じゃ、じゃあ朋香さん」

「う、うん、バイバイ」

 顔を赤らめたまま、お互いに手を振り合う。私は智也くんの家の前で、寒さも忘れてしばらくボーっと立っていた。


「やったぁーーーーーー!!」

 飛び跳ねたい衝動に駆られる。今まで生きてきた中で、一番嬉しいかも。

「智也くん……智也くん!」

 今日から、私は智也くんの彼女さん。そう思っただけで、心がくすぐったくなる。いくら喜んでも喜び足りないくらい、私の心は躍っていた。

「智也くん……好きだよ!」

 心の中はあきれるくらい智也くんでいっぱい。勇気を出して告白をして、本当に良かった。人を好きになるって、すっごく良い気分。

「……勉強も頑張らないとね。これで興高に落ちちゃったら、一緒にいられる時間が少なくなるもんね……」

 勉強をしないと、と言いながら、私はノートを開いたまま、手に持ったシャーペンは一つも動かなかった。頭に浮かぶのは数学の公式じゃなくて、智也くんだった。


「やーん寝ぐせが取れないよ〜。あれ、お財布どこだっけ……」

 忙しい朝。今日から新しい年が始まる。元旦の今日、智也くんと合格祈願に初詣に行くことになった。

「智也くんと初デートだぁ……緊張するよ……」

 受験が上手くいくようにお祈りをしに行くっていうのに、私は智也くんのことしか考えていなかった。だって、男の子とデートなんて、生まれて初めてだから。

「いってきまーす」

 早く智也くんに会いたいな。もう、智也くんがいない人生なんて考えられないよ。


「あけましておめでとう」

「おめでとー!」

 少し遠い所にある大きめの神社の前で、智也くんに新年のごあいさつ。

「寒いね。早くお参りしよっか」

「うん!」

 元旦の朝ということで、神社にはたくさんの人がいた。私たちは人ごみを掻き分けながら、お賽銭箱にお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼。

 隣で、お願い事をする智也くん。何をお願いしているんだろう。やっぱり興高に合格できますように、かな。

 私も。パチパチ。え、えっと……お願いします、智也くんと…………キス、できますように……。キャー、何言ってるんだろう……。やっぱり興高に……でも……。

「朋香さん?」

「は、はい!」

 い、いけない。智也くんを待たせちゃってる。えっと……えっと、智也くんとキスできますように――。


「くしゅん」

 神社の帰り、少し寄り道をして、商店街の方へ。やっぱり外は寒いなー……。この時期に風邪をひいちゃったら大変だし……。

「大丈夫? ちょっと待ってて」

 そう言って、智也くんは近くのお店に入っていく。

「お待たせ。はい、これ」

「え……?」

 智也くんが、買ってきたものを私の首に巻いてくれる。それは、赤いマフラーだった。

「合格祈願に行って、風邪なんかひいちゃったら大変だからね。それ、プレゼント」

「え……? あの……ありがとう!」

「いえいえ」

 智也くんから、プレゼント。すぐに首もとが温かくなる。もうすっごく嬉しい!

「ひどくならないうちに帰ろっか。それじゃ、勉強頑張ろうね。一緒に合格しよう!」

「うん。今日は……ホントにありがとね。あの、またね」

 智也くん、ホントに優しいよ……。私にはもったいないくらい。マフラーを抱きしめる。智也くんがくれた、初めてのプレゼント。一生大事にしよう。智也くん、いつまでも大好きだから。


「うーん……朋香ちゃん、点が伸びていないなぁ……」

「……………………」

「この時期は、みんなが追い込むからね。ここは正念場だから、しっかり頑張ろうね」

 年が明けてからも、勉強は頑張ったつもりだった。興高に落ちるかもしれないなんていう危機感なんて、ちっとも持っていなかった。家庭教師の進藤先生に言われるまでは。

「以前出来た問題もミスしてるね。もう一回復習しようね。ここは……」

 勉強は、頑張れば頑張るだけ出来るようになる。でも、例え以前は出来たところでも、やらなければ頭の中で薄れてしまう。受験生にとって、ただ一日休むだけでもそれは大きな差になってしまう。思い返してみれば、私は……一週間くらい勉強に集中していなかった。机に向かう時間は多くても、参考書と向き合う時間は少なかった。それは、好きな男の子のことを考えていたから。


「自信、ある?」

「ううん……全然ない……」

 智也くんの通う塾で、受験前の最後の模試を実施する。私は智也くんに誘われて、その模試だけを受講させてもらうことにした。

「今回良い点取れないと厳しいからね〜……。頑張ろ!」

「うん……」

 落ち込んでなんていられないよね。せっかく智也くんと付き合うことになったんだから、一緒に合格する……するんだから。


「なに……やってんだろ……」

 模試はすぐに返ってきた。部屋の中で結果を見返し、また落ち込んでしまう。

「やっぱり、無理なのかな……」

 手応えなんてもちろんなかった。悪い点だと思ってはいたけど、実際に見せられるとすごく辛かった。

「C……か……」

 合格判定。興高は、この模試でいくと、五教科合計420点は必要だった。私の点数は…………307点。

 ケアレスミスが多いのなら、まだ救いようはあったけど……大問丸々わからないところもあったから、ショックは大きかった。

 「落ち込んでも……どうしようもないよね……頑張らなくちゃ……ね……」

 時間がなかった。それに、学力も足りなかった。もうあとは気力で頑張るしかない。私はその日、涙を流しながら模試の復習をした……。


「え……!? 千春ちゃん……なんて?」

「だから、合格よ、ゴウカク」

 受験まであと1ヶ月。千春ちゃんが、紙切れを持って私に声をかけてきた。

「ほらほら、推薦の内定書。へへ〜、すごいでしょ」

 昨日結果が出たらしいそれは、興高の推薦で合格した証。

「やっぱり興高の先生は、人を見る目があるのかもね〜なんて」

 千春ちゃんは、興高の推薦を受けたんだった。私は、面接も小論文も自信がなかったし、何より一般試験の方に力を入れたかったから、推薦は受けなかった。千春ちゃんの合格を聞いて、「私も受けておけば良かった」なんてことは思わなかったけれど、友達が合格したことで、私はとても焦りを感じていた。

「ともも頑張って! あと1ヶ月辛いと思うけど……一緒の高校に行くんでしょ!」

「うん、ありがとう」

 そっか……。私が興高を目指す理由は、やっぱり……。だから、明日は渡すことにしよう。智也くんに、改めて、想いを伝えよう。


「まだかな…………」

 翌日、放課後の教室。私は智也くんを待っている。受験生なのにこんなことをするのは迷惑かもしれないけれど……今日はバレンタインデー。

「お待たせ、朋香さん。どしたの? もしかして、今日……?」

「う、うん……そうなの。ごめんね、貴重な時間を……。はい、これ」

 市販のものじゃなく、私の手作りチョコレート。今日は、私の今の気持ちを智也くんに伝えたかったから。それは、もしかしたら興高に合格できない、という気持ちからだったのかもしれないけれど。

「うわー、ありがとう。嬉しいな」

「あ、あの、あのね智也くん! 私……」

 勇気を出して。智也くんのおかげで、私は……。

「私……智也くんのことが、ずっと好きだったの。いつも、密かに想ってた……。私、おとなしくて、可愛くもないし、私なんかじゃ智也くんとは不釣合いだって、ずっと思ってた。智也くん、こんな私と付き合ってくれて……本当にありがとう。あなたのおかげで、私、本当に強くなれた。私ね……興高に……その……落ちちゃうかもしれないけれど……でも、ずっと……ずっと好きだから……」

「朋香さん……」

「ありがとね……う……ひっく……ありがとう……」

 智也くんの前なのに、泣いてしまった。恥ずかしい。でも、ダメ……。興高に合格出来ないかもしれない。智也くんと一緒にいられないかもしれない。確かなことは、智也くんのことが好きっていうことだけだから。

「あ、あの……泣かないで。泣かれると……困る……」

「ごめんなさい……ごめん……なさい……」

「俺も好きだから。大好きだから。大丈夫。だから、一緒に合格しよう。まだ時間はあるよ。ね? 頑張ろう。俺だって不安なんだから」

「智也くん……」

 あぁ、やっぱり智也くんは優しいな……。智也くんの優しさに触れたかったのかもしれない。優しさに甘えたかったかもしれない。

「模試が悪くて、千春さんも合格して、不安になってたんだよね。大丈夫、頑張ろう。俺たちも負けないようにさ」

「うん、ありがとう……。本当に……ありがとう……」

 私は、ここで智也くんとキスをしたいなって思った。大事な勉強時間を割いてもらって、慰めてもらって、その上キスをしてほしいだなんて、わがまますぎだけど。

「朋香さん……」

「あ……智也……くん……」

 智也くんが顔を近づける。え……まさか。私はとっさに目を瞑る。胸が今までで一番ドキドキしている。想いが通じたんだ。……智也くんと、初めての。智也くんの唇が私の唇と重なる。私は無我夢中で、息を止めながら智也くんと…………キスをした。感触を味わう余裕もないくらい緊張していて。頬が赤くなっているのが自分でもわかる。好きな人とキスをしたことで、少し大人になった気分がした。智也くん、本当に、本当に大好きだよ!


「ありがとう、智也くん。大好きです」

 恋の方程式を解いていくにつれて、私はちょっとずつ強くなった。暗かった私。泣き虫だった私。勇気を持てなかった私。千春ちゃんとケンカをしたし、智也くんとキスだってした。嬉しいことも、悲しいこともあって、楽しいことも、辛いこともあって。それでも、私は前に進んでいく。いつだって智也くんのことを想いながら、頑張って。




「新入生のみなさん、入学おめでとうございます。本年度も、多くの新入生を迎えることが出来、大変嬉しく思います」

 春。出会いの季節。みんなで泣いた卒業式も終え、今は入学式。私たちは汚れ一つない新しい制服を着ている。そんな私たちを歓迎するかのように、桜は満開で、舞う花びらがとても綺麗だった。

「我が翼聖学院は、行事が盛んな高校で、生徒同士とても仲が良いところが特徴です。期待と不安でいっぱいでしょうが、楽しい高校生活を送ることが出来るかと思います」

 私は、興賀高校に合格することができなかった。問題自体はそこまで難しくなかったけれど、緊張して頭が真っ白になる場面もよくあったし。

「高校生活で、色々なことを経験して下さい。そして、多くのことを学んで下さい。もし、卒業するまでに大切な何かを見つけることが出来たら、それは素晴らしいことです」

「お、この校長、なかなか良いことを言うね〜」

「ふふ、そうだね」

 私の大切な人、智也くんは…………隣にいる。

 結局、興賀高校には二人とも合格出来なかった。それでも、先輩や友達の話を聞く限り、この翼聖学院ではそれはもう楽しい高校生活が送れそうだった。

「卒業したときに、あぁ、良かったと思える高校生活を送ってください。それが、私たちの願いでもあります」

「朋香さん。帰り、デートしよっか」

「うん!」

 今度は、範囲も制限時間もない。ゆっくりと、恋の方程式を解いていけばいい。

「さぁ、みなさんの楽しい高校生活、スタートです!」


 ――智也くんと、一緒に!





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― 新着の感想 ―
[一言] 最後まで読みたくなるようないい作品でした
[一言] 面白すぎました。 一気に読んで、即感想を書きたくなりましたよ。 朋香の心情が素敵です。 話自体もすばらしく良くできてると思います。 個人的な意見を言わせていただくと、ちょっと話が長いので2話…
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