生者の望む死 —— 逃
小さい頃は良かったよ。
だって、うちの両親は、は平凡なサラリーマンの父と専業主婦の母なのにもかかわらず、異常に金回りが良かったから。
その金がどこから出てくるのかを考えることもなく、物をねだっては買ってもらい、毎週のように旅行に行く。時々豪華なレストランに行ったりもした。
小さい頃は良かったよ。そんな天国みたいな暮らしができてさ。
でもある時気が付いちゃったんだ。「これはおかしい」って――
うちの両親は、学校とかには頓着してなかったから、普通の公立小学校に通わせてくれた。でも、学校で友達と話していてもそうだった。どこかがかみ合っていない。僕の『常識』と他の人の『常識』は違った。
それに気が付いたのは三年生の春だったかな。
うちが、そんなにお金持ちなわけがない。ただのサラリーマンの収入なんてたかが知れているんだ。
友達と話していてそう気が付いた。
そしてもう少し大きくなってから分かった。うちの両親がやっていることは悪いことなんだって。子供心に、両親が悪人だ、というイメージが焼き付いたのを覚えている。
アニメの敵役みたいなかわいいものじゃない。もっと、ニュースでやってるような悪い人たち。それが僕の両親。
小学五年生くらいの時。夜中、両親が話しているのを聞いて知った。
父は、会社の金を着服していたんだと。長年にわたって。綿密に計画を立て、完璧に隠蔽をし、ばれないように。
それが税務署に怪しまれて、もうごまかしきれないかもしれないということも。
その時にはもう、自分のスマホを持っていたから調べて知った。
こんなに長年にわたって着服していた例は類を見ないと。
ばれたなら、両親は社会的な信用を無くし、もう社会に受け入れられないだろうということも理解した。
胸の内には、一刻でも早く、この悪人たちは日の下にさらされるべきだという思いと、もっとこの生活を続けていきたいという思いが交錯した。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。
同時に、「親のやったことだ、仕方ない」と思う自分もいて、自己嫌悪に陥った。
その後、両親の悪事は会社にばれた。
使い込んだ金は、数億円に上るということだった。
両親は借金にまみれて蒸発した。
最後に聞いた言葉は、
「産まなきゃ良かった、こんな穀潰し」
楽しかった家族の思い出が、その時ばかりは心に刺さって痛かった。
そして、僕は名義上は親戚に引き取られたことになった。
でも、風当たりが強くなるのを嫌ったのだろう、「友達がいるところの方がいいよね」という体のいい言葉で元の家の近くの安アパートに住まわされている。
僕は、何も悪くない。着服は、あの人たちが勝手にやったことだ。
そう思って、必死に自分を守ろうとしたけど駄目だった。
布団にくるまって、何度声を殺して泣いたことか。
泣いていることに気が付かれたら、誰かにもっとひどいことを言われるんじゃないかって思った。
この気持ちを相談できる人もいなくて、このとげの塊みたいな気持ちを、心の中に抱えてた。
中学校には行っているけど、先生が守ってくれるわけでもない。正直言って、行く意味が分からない。
友達はいない。居るわけがない。
こんな両親を持つ僕と、友達になろうとするやつなんて。
いじめがなかったことすら、奇跡のようなものなんだ。
正直、不登校になりたかった。
けど、それは、もともとは自分の心の弱さが招いたことだから。
悪いのは、悪いのは僕と、僕の家族だから。
目をそらして逃げるわけにはいかない、そう思っていた。
人間の屑みたいな両親がいる。
その事実だけで、僕まで信用を失った。学校の中ではのけ者にされ、外を歩いていても、陰口をたたかれる。
学校でも、道を歩いていても。
みんな同じような反応だ。
僕をいないように扱うか、嘲笑うか。
時々、こっちを見てくる人もいるけど、そのくらい。
でも一つ、共通してることがある。
目だ。
僕を見る目。僕を全く信じてないんだろうな、って思わせる目。
不信の念をたたえた目。
僕の家族のスキャンダルを、近所には、知らない人はいないと言ってもいいだろう。
それもそのはず、テレビで大々的に放映されたんだから。
だからと言って逃げようにも、ただの中学生が当てもなくさまよったところで野垂れ死ぬのがおちだろう。
どうせそうなるなら、自分の意思で………
だから。
だからここへ来た。
どこかで聞いで知った、『自殺の聖地』へ。
ここは電車で三時間、山奥の忘れ去られた谷川。
下を流れる急流と、そこに住む生き物たちが、僕の証拠を消し去ってくれるから。
何処かへ行きたくて。しがらみから逃げたくて。
両親の掛けた呪いから、近所の視線から、陰口から離れたくて。
死、という究極の”逃げ”を選択することにした。
どうせ、僕なんかがいなくても、社会は回っていくのだから。
両親がいなくなって、社会から闇が一つ、消えたように。
そして。
飛ぼうとしたとき、誰かに腕をつかまれた。
まだ若い、二十歳くらいの青年だった。
「離せ」
口ではそう言ったけど、心のどこかで安心している自分がいることにも気がつく。
今まで、僕を、こんなにも気にかけてくれる人がいなかったから。
「嫌だ。君の悩みがどんなものかは知らないけれど、望んだ死なんてあっていいはずがない。
命はそんなに軽くない」
その青年は言った。
でも、僕の命は……。
今までに、誰にも言えなかった、心の中に秘めていた想いが言葉になって溢れ出す。
「お前は知ってるのか?
人に、いないものとして扱われるって、どんなにつらいか。
自分のあずかり知らぬところで起きた出来事が、自分の人生をむしばんでいく怖さと絶望を。
しらないだろ?だからそんなこと言ってられるんだ。
命は軽くない?
そんなのは綺麗事だ。
僕は知ってる、命の重さは平等じゃない。
僕は、どこからも、誰からも認められることはなかった。いくら努力しても、人のために尽くしても、みんな見て見ぬふりをする。僕は、いてもいなくても変わらない存在なんだ」
それを聞いて、青年は笑った。
寂しそうに。悲しそうに。
「……あのね、本当に命の重さを知っている人は、そんな事は言わないよ。
少なくとも、僕はそうだ。
そんな事は言わないし、自分で命を絶つ気もない、つもりなんだ。
なのに、気がついたらここに来ている。
何でだろうね」
そして、また笑った。あの笑いだった。
その言葉は静かだったけれど、本当に、気持ちがこもっていた。
僕ははっとして青年の顔を見た。
どれだけつらかったのだろうか。この人の身に、何があったのだろうか。
その身に宿したものの、その大きさと、辛さのその片鱗を見て、息をのんだ。
僕は。
一生このままなんだろうか、と勝手に絶望して。
誰も気にかけてくれないとあきらめて。
自ら人とのかかわりを絶っていなかったか?
人が話すと、内容も聞かずに自分の悪口だと思って、逃げていなかったか?
そう考えると、どうしても否定しきれなかった。
本当は、違う、と叫びたいのに、心の中の何かがそれを邪魔する。
自分の境遇を言い訳にして、自分の非から、目を背けてきた。
使い込んだのは両親だから。自分じゃないから、と。初めは知らずとはいえ、その後、知ってからもなお、その金で買ったものを身に着けていたのは自分だった。
本当に、悪いのは周りなのか、そう考えるともう、耐えられなかった。
死ぬことで、なんの得がある?
周りの人が困るのか?
そんな訳はない。
困るのは、失うものは。
自分の命だけではないか。
青年が言っていたように、命はそんなに軽くないんだ。
そうだ。
事の発端は自分にはなかったかもしれない。
自殺なんて愚かな判断をしてしまうほど追い詰められていたのも事実だ。
でも。本当は、ただ逃げ出したいだけではないのか。
逃げだすだけの勇気が、なかった。
周りを取り巻く環境が、許してはくれなかった。
それが、僕の状況なのではないだろうか。
ならば死ぬ前に、まず何か一つ、全力で行動してみよう。
勇気をもって、皆の声を聴いて。
時には意見して。
いままでは、できなかったんじゃない。やらなかったんだ。
もし、僕の命の重さが、人と同じくらいあるならば。
何かを変えることくらい、できるだろう。
それでも何も変わらなかったとき、またここに来よう。
その時には、もう本当に打ちのめされているかもしれないけれど、後悔も迷いも、ないはずだから。
胸を張って、死んでいけるはずだから。
そして僕は、自分の家に帰った。まず、近所のおばさんに挨拶をした。
おばさんは、目を丸くしていたけれど、不思議とその瞳の中に、不信の色はないように見えた。




