第06幕 陶器の皮膚
翌日の昼休み。市崎高校の校舎裏は、熱の逃げ場を失っていた。
グラウンドから吹き上げる赤土の埃が、フェンスの金網を通り抜けてくる。金属バットがボールを叩く「カキン」という硬質な打球音が、セミの鳴き声の隙間を埋めるように鼓膜を震わせた。
川添千秋は、用務員室の裏にある植え込みの影で、首から下げた入校証のプラスチックカードを指で弾いた。汗ばんだ皮膚に張り付くビニールの感触。
三十過ぎの無精髭の男が、女子生徒の多い高校にいる。その事実が、シャツの襟元を締め付けるような物理的な圧迫感となって喉元に残る。
「……あそこです、先輩」
隣で囁いたのは、写真部の高橋直樹だ。彼が指差す先、中庭のベンチに「被写体」はいた。
飯野愛恵。
川添は無言で望遠レンズを構えた。焦点距離400mm。重たいガラスの筒を通して、遠くの風景が強制的に引き寄せられる。
ファインダーの中、世界は歪んでいた。
直射日光がアスファルトを焼き、陽炎が視界の下半分を揺らしている。昼食をとる生徒たちは、誰もが顔を赤らめ、額に脂の混じった汗を浮かべていた。
制汗スプレーの人工的な香料と、運動部の部室から漂う酸っぱい体臭が、熱風に乗ってレンズの前を横切る。
だが、レンズの中心にいる飯野だけが違っていた。
彼女は厚手のカーディガンを羽織り、湯気の立つ紙コップを両手で包んでいる。
汗がない。
周囲の生徒が下敷きで顔を仰ぐ中、彼女の白い肌は、冬の朝の陶器のように乾ききっている。毛穴が見当たらない。
「……なんだ、あいつは」
川添はピントリングを回した。合わない。
前後のベンチにはピントが合うのに、彼女の輪郭だけが背景から浮き上がり、境界線が滲んで見える。オートフォーカスのモーターが、ジジジ、ジジジと迷いの音を立て続け、レンズ群が前後に揺れた。
友人が話しかけ、彼女が頷く。その動作の瞬間、川添の指が止まった。
首が動くまでの「タメ」がない。
停止状態からトップスピードで首が回り、また唐突に完全停止する。中割りの画像が存在しない映像。
川添はファインダーから目を離さず、瞬きも忘れて凝視した。コンタクトレンズのように乾いた角膜が眼球に張り付くが、彼はそれを剥がそうともしない。
「綺麗ですね、飯野さん」
高橋が無邪気に言った。川添は答えなかった。
レンズ越しに見えるのは、少女ではない。精巧な工業製品だ。
人間の皮膚特有の、血流による微細な色の変化がない。一定のRGB値で塗りつぶされた肌色。だというのに、彼女は平然と「生徒」としてそこに座っている。
取材ではない。
川添の右手は、カメラのグリップが軋むほどの力で握りしめられていた。革張りの表面が手汗でヌルリと滑る。
暴きたい。剥がしたい。この完璧な塗装の下にある「中身」を見たい。
シャッターボタンに置いた人差し指が、痙攣するように小刻みに動き、空のシャッターを切り続けていた。
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
意味のない連写音が、金属バットの音と重なって響いた。




