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42/50

第42幕 反射のルール

「……速い」

 川添千秋は、血反吐(ちへど)を吐きながらカメラを構え直した。 ファインダーの中、アンドリュー・ウォルフガングの姿が捉えきれない。 消える。現れる。 予備動作がない。筋肉の収縮(しゅうしゅく)も、重心の移動もない。 まるで古いフィルムのコマを間引いたように、アンドリューの体が座標Aから座標Bへと、物理的な過程を無視して転移(てんい)している。

 シュポン。

 そのたびに、気の抜けた音がした。 ワインのコルクを抜いた時のような、あるいは真空パックを開封した時のような、間の抜けた音。 だが、その音の直後に発生する気圧差は強烈だった。 空気が爆ぜる。川添の鼓膜(こまく)が内側から押し出され、キーンという耳鳴りが思考を遮断する。

「無駄ですよ。私には『道』が見えている」

 アンドリューの声が、頭上から降ってきた。 見上げると、彼は空中に浮遊する銀色の鏡――「透鏡(マイルス)」の横に立っていた。 重力無視。 川添は、脂汗で滑る指でピントリングを回した。 レンズの中央、あの「亀裂(きれつ)」越しに、アンドリューの顔を拡大する。 違和感。 何かがおかしい。彼の動きには法則があるはずだ。 川添は、充血(じゅうけつ)した左目を見開き、(またた)きを止めた。乾燥した角膜(かくまく)が眼球に張り付き、紙やすりで擦られるような痛みを訴えるが、無視する。

 見た。

 アンドリューが消える直前。彼の眼球が、奇妙な動きをした。 左右の瞳が、別々に動いたのだ。 右目は川添たちを見下ろしている。だが、左目だけが、カメレオンのように独立して回転し、背後にある鏡の表面を捉えていた。 人間ではない。精巧(せいこう)に作られた義眼が、内部のギアで強制的に駆動させられたような、生理的な気味悪さ。

「……鏡、か」

 川添の脳内で、バラバラだった情報が線で繋がった。 彼は好き勝手に移動しているのではない。 必ず「鏡」を見ている。 視線。 彼が転移先を決定するトリガーは、思考ではなく「視覚情報」だ。鏡に映った座標を目視確認することで、初めてその場所へアクセスできる。 つまり、見えなければ飛べない。

「――飯野ッ!」

 川添は、裂けた喉から血を吐き出しながら叫んだ。 言葉にする必要はなかった。その叫びに含まれた「殺気」の指向性を、生体兵器である彼女が読み取れないはずがない。

「奴の『目』だ! 視界を塞げ!」

 その指令が空気を震わせるのと同時に、飯野愛恵の手はすでに腰のポーチへと伸びていた。

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