第39幕 砂塵の舞踏
アンドリューが動いた。その速度は、人間の関節と筋肉の可動域を無視していた。
「――ッ!」
イヴェットが前に出る。彼女は反射的に左腕を上げ、指先から光る神経線維を伸ばして迎撃しようとした。
だが、音の伝達よりも速く、銀色の閃光が彼女の左肩を薙ぎ払っていた。
キィィィィン!
不快な高音が鼓膜を裂く。
金属がぶつかる音ではない。巨大なガラスの表面を、ダイヤモンドの針で強く引っ掻いたような、神経に障る摩擦音。
川添千秋は、爆風と粉塵に目を細めながら、カメラのファインダー越しにその「軌跡」を見た。
おかしい。
アンドリューが握っているのは、直剣ではなかった。それは不定形の、水銀のようにドロドロと蠢く液体の鞭であり、空中で三又に分岐してイヴェットの肉を食らっていた。
「あ、あ、ああああッ!?」
イヴェットが絶叫した。それは痛みの叫びではない。喉の水分が一瞬で蒸発し、声帯が乾いた皮となって擦れ合う、枯れた音だった。
川添はレンズのズームリングを回し、彼女の傷口に焦点を合わせた。血飛沫がレンズを汚すことを予測し、身構える。
だが、ファインダーの中の世界は、川添の常識を残酷に裏切った。
赤い液体は一滴も出ていない。
代わりに、斬られた肩口の皮膚と筋肉が、瞬時に灰色に変色し、水分を完全に失ってひび割れた。
カサ、カサカサ……。
乾いた音がする。イヴェットが傷口を押さえると、指の間からボロボロと零れ落ちたのは、血糊ではなく「灰色の砂」だった。
急速な風化。
王座の間に充満していたホルマリンの臭いが消える。代わりに、何百年も密閉されていた地下墓地の蓋を開けたような、乾いた埃とカビの臭いが爆発的に広がる。
「ご、ほッ……」
川添は咳き込んだ。吸い込んだ空気が、喉の水分を奪っていく。砂埃が気管支に張り付き、呼吸を阻害する。
怖い。
腕が切断されるよりも、肉が焼かれるよりも、自分が「単なる乾燥した塵」に還元される光景の方が、生物としての生存本能を逆撫でする。
視界が歪む。
剣が振るわれた空間の軌跡だけ、極彩色の世界から彩度が奪われ、セピア色の古写真のように褪色して焼き付いている。
目の前でイヴェットが膝をつく。彼女の美しい褐色の肌に亀裂が走り、パラパラと床に崩れ落ちていく。
助けなければ。脳が信号を送る。
だが、川添の大腿四頭筋は硬直して動かなかった。
脳が「出血多量」という事態には対処できても、「人間が砂になる」という物理法則のバグに対し、有効な運動プログラムを持っていなかったからだ。
アンドリューは、砂に変わっていくイヴェットを見下ろし、口角だけを吊り上げて、銀色の液体を振るった。
その切っ先から飛び散った滴が床の大理石に落ちると、ジュワリと音を立てて石が窪み、そこだけが一瞬で苔むした。




