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第30幕 構図という罪

ピチャン。

水滴が落ちる音がした。地下牢の天井からではない。もっと近く、自分の頭蓋骨(ずがいこつ)の内側で反響(はんきょう)している。

湿気がひどい。腐った(わら)の臭いが、いつの間にか濡れたアスファルトと、(さび)びた鉄の臭いに()り替わっている。

川添千秋は、暗闇の中で目を見開いていた。

見たくない。だが、(まぶた)というシャッターが機能しない。目を閉じても、網膜(もうまく)の裏側から映像が発光して焼き付いて離れない。

雨の日だった。タイヤの摩擦音。鈍い衝突音。

横断歩道の上に、骨の折れたビニール傘のような赤色が転がっている。少女が倒れている。白い制服が、泥水と鮮血(せんけつ)で汚れていく。

その赤色が、異常な輝度(きど)を持って視神経(ししんけい)を刺した。まるで、そこだけ現実の解像度(かいぞうど)が上がり、灰色の世界から浮き上がって見えた。

川添は走った。そう記憶していた。俺は走った。助けようとして、間に合わなかった。

……嘘だ。

神経回路は正確に記憶していた。あの日、あの瞬間、川添の脳が最初に出した電気信号は、大腿四頭筋(だいたいしとうきん)への「前進」ではなかった。

右手の「挙上(きょじょう)」。左手の「回転」。

距離10メートル。(しぼ)り値F2.8。背景をボカし、鮮血の赤を強調する。

美しい。

そう言語化するよりも速く、脳内麻薬がドロリと分泌され、瞳孔(どうこう)が開いた。唾液(だえき)が溢れる。指先が震える。それは恐怖ではない。極上の獲物を前にした、捕食者の生理反応。

カシャッ。

乾いた機械音が、雨音を切り裂いた。

川添が「大丈夫か!」と叫んで走り出したのは、そのシャッター音を確認した後だった。遅れではない。手順ルーチンだ。

撮った。だから走った。

「あ、ああ……!」

川添は自分の両手の親指を、眼球に深々と突き立てた。

見るな。こんな機能は要らない。世界を「被写体」としてしか認識できない、この呪われたレンズを、物理的に破壊しなければならない。

爪が瞼の皮膚を食い破り、温かい液体が頬を伝う。

激痛。

だが、その痛みさえも、どこか客観的に「陰影の階調(トーン)が深い」と感じて観察している、もう一つの視線がある。

川添は、その逃れられない「(ごう)」の深さに耐えきれず、石畳(いしだたみ)に額を何度も、何度も打ち付けた。

ゴツッ、ゴツッ。

鈍い音が地下牢に響き、皮膚が裂けて血が(にじ)んでも、その反復動作を止めることができなかった。

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