表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/30

第14幕 焦げた抱擁

 激しい夕立が上がった直後だった。国道沿いのアスファルトからは、打ち水をした後のような湿った熱気が立ち昇っている。

 川添千秋は、濡れた靴の不快な重さを感じながら、「柴田屋」の暖簾(のれん)に手をかけた。自動ドアが開く。

 ピンポン。

 間の抜けた電子音。

「――見つけた」

 声がした。日本語ではない。喉の奥を鳴らすような独特の発音。

 街灯の下に、一つの影があった。女だ。ずぶ濡れのドレスを着ている。肩には軍用とおぼしき厚手のマント。金色の髪が雨水を吸って重く垂れ下がり、蒼白(そうはく)な肌に張り付いている。

 川添が足を止めるより早く、女の鼻翼(びよく)がピクリと動いた。

「ナッシュ!」

 叫び声と共に、女が跳躍(ちょうやく)した。予備動作がない。膝のバネだけで数メートルの距離が消失し、川添の視界が金髪と白い肌で埋め尽くされた。

 衝撃。

 彼女の両腕が川添の首に巻きつき、全体重が押し付けられる。

 熱い。

 川添の皮膚が粟立(あわだ)った。彼女の体温は四十度を超えている。人間を抱いているのではない。断熱材の()がれたボイラーか、焼きたての肉塊を押し付けられたような、殺傷力のある熱量がシャツ越しに侵入してくる。

 そして、臭い。

 鼻腔(びく)を満たしたのは、女性の髪の香りではない。肉をバーナーで直接炙った時に出る、脂っこいタンパク質の変性臭(へんせいしゅう)だ。

「会いたかった、ナッシュ、私のナッシュ……!」

 女は川添の胸に顔を埋め、譫言(うわごと)のように繰り返した。

 川添は反射的に息を止めた。この濃厚(のうこう)な「焦げた肉の臭い」を肺に入れることを、呼吸器が拒絶したのだ。彼は彼女を引き剥がそうと、その肩を掴んだ。マントがずれる。

 ()き出しになった鎖骨の下、胸の谷間のあたりに、黒い汚れが付着していた。泥ではない。(すす)だ。

 さらにその下、白磁(はくじ)のような皮膚には、無数の赤黒い点が刻まれていた。血管に沿って並ぶ、注射痕と火傷(やけど)の列。

 それは生身の肌というより、製造過程で何度も針を通され、半田ごてで焼かれた、工業製品の欠陥エラーのような傷跡だった。

「……離せ」

 川添は(うめ)いた。柔らかい感触などない。ただ、高熱を発する有機的なボイラーに張り付かれたような圧迫感(あっぱくかん)だけが、雨上がりの湿気の中で彼を窒息(ちっそく)させていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ