4.自分の責務
目的地は商店街のようになっているエリアの一画にあるカフェである。この辺りも石造りの建物が並ぶ賑やかなエリアであり、雰囲気としては宿屋のあるあたりとそう変わらなかった。指定されたカフェというのも特に高級感のあるような店ではない。護衛を依頼するような客であったために依頼主は金持ちであり、カフェも高そうなところであるのだと思い込んでいたのだが、その予想は外れていたようであり、至極庶民的な店であった。考えてもみればこの辺りに見るからに高級そうな建物も見てはいない。元々そのような地域なのだろう。青年としては少しがっかりした部分はあったものの、入りやすい雰囲気であり心持としては楽であった。
店に入ると数組の客が席に着いている。外からのイメージよりは、重苦しい雰囲気が出ているのは気のせいだろうか。仕事のためでなければ帰ってしまいそうになるほどだ。
青年は店内を見回すと、依頼主を探す。予め名前や特徴を聞いていただけに、すぐに見つけるとそちらの方へと向かった。もし客が十組以上いたのならば、こうも簡単に見つけられなかっただろう。そう考えると重苦しい雰囲気が幸いしていたようであり、店の雰囲気に助けられたような気分になった。
青年が近づくと、依頼主の方から声をかけてくる。青年の方もすぐに挨拶をすると深々と頭を下げた。それから頭を上げると依頼主のことを見る。年季の入ったスーツを着た大柄な男である。社長ほどは歳をとっていないようではあるものの、青年よりはずっと歳が上に見える。正直に言うと護衛として来ていた青年なんかよりずっと体格もよく強そうなのだ。青年とて、鍛えてはいるものの体重差を考えると勝てる自信はない。自分がここに居なくても変わらないとも思ったものの、会社の名前を出せることが重要なのだと言うことを思い出した。護衛の会社の名前があれば、下手なトラブルは事前に避けることができる。そのために派遣されてきたのだろう。依頼主は新人にも慣れているようであり、いつ来たのか、どこから来たのかというシンプルな質問をしてきた。常連の客だと言うことであり、いつものことなのだろう。現地の言葉ではあったものの青年にも理解できる程度の簡単な質問は、青年の心を安心させた。
それから依頼主は青年に尋ねる。青年が新人としてここに来たということは、前にいた人が辞めたのかという質問であった。生憎青年はそこまでのことを把握していない。
こういった仕事柄、人の入れ替わりも激しいのだろうか。基本的には危ないこともないのだと聞いてはいたものの、そういった話を聞くと一瞬緊張もしてしまう。単純に契約を終えて帰ったということもあり得るため、あまり余計なことを考えるべきではない。依頼主は青年を見て笑うと、期待しているのだと言って話を終えた。
一通りのやり取りが終わると青年は端の方に行って依頼主の様子を見る。そういえばこの依頼主はここで何をしているのだろうか。わざわざカフェに来ているだけに何か目的があるのだと考えるのが普通ではあった。誰かと待ち合わせをしているのだろうか、それとも何もしていないように見えて何かをしているのだろうか。青年の目も悪くはない筈ではあったが、依頼主を見ていても何か気づくようなこともなかった。辺りを見回しても何か思うこともない。強いて言うならば、この店の客というのは柄が悪そうであると言うことである。同じような趣味の人が集まる場所なのだろうか。もしこの中の誰かに依頼主が襲われてしまった場合には、自分はどうするのが最善かを考えておかなければならない。先ほども思ったことではあるが、依頼主の方が自分よりも大きく強そうに見える。スーツの下にどれほどの筋肉があるのかも分からなかったが、立ち振る舞いを見ても勝てる気もしない。自分の立場を考えるとがっかりしてしまうのだ。休みの日や仕事の無い時間帯にはもっとトレーニングをしておくべきだろう。青年はその日何があっても動けるようにと気を引き締めるとその場で集中していたが、午前の間は何事もなく過ぎて行き、お昼の時間を迎えた。
青年としてはやりがいもなかったのだが、はじめの業務なだけに難しいことを押し付けられるはずもなく、こんなものなのだと納得するしかない。依頼主の方はというと、煙草を吸いながら手帳に何かを記入していただけだ。プライバシーに関わるといけないため何を書いているのかまでは見なかったが、それが仕事なのだろう。依頼主はきっとこの場所が好きで、一番効率よく過ごせる場所なのだ。自分のオフィスなり家なりを出て、仕事がしたかったためにわざわざ護衛を雇ったのだ。そうであるのならば、あの手帳の中身も誰かに見られないように気を付けるべきだ。午後になったらそこにまで意識を向けようと考えていると、依頼主は席を立った。どこに行くのかと思えば、ただトイレに行くだけであり、狭いカフェのことを考えれば付いて行くこともない。トイレのある方を眺めながらその場で待機していると、彼は数分の内に戻って来た。
その後も緊張感を覚えたのはこの時くらいのことである。暫く店内のことを観察していて気が付いたのは、この店の客の誰もが常連であると言うことである。恐らく青年以外には慣れていない客が誰一人としていない。誰もがメニューを見ないで注文しており、支払いも無造作に置かれていたものの誰も気にもしていなかった。煙草を吸うにも配慮をする必要もなさそうであり、それが当たり前のものだと言わんばかりの振る舞いであった。こうして常連客の中にいるとなれば、普通に考えたらトラブルも起きない。楽な仕事だと思えば間違いない。初日の自分への配慮として社長が斡旋してくれたのだろうが、これではあまりにもやりがいがないのである。親切心自体は有難く思うべきではあるものの、自分が頼りない存在だと思われているようで不満も感じてしまうほどなのだ。何も危険な目に遭いたい訳でもない。ただ覚悟を決めて出てきたことを考えれば拍子抜けしてしまうと言うそれだけのことであった。村にいた時のことを思い返すと、村の見回りをしているだけでもやりがいを感じたものである。いつ誰がそこを訪れるかも分からなかった上に、時には動物が襲ってくることもあったのだ。何も無い日だったとしても町を歩き回れば、村の人々との交流もあり、感謝の言葉をもらえれば満足できたのである。しかしここではそういった類のことは何一つなかった。無いに越したことはないのも事実ではあったが、自分である必要もないとなると虚しく感じてしまったのであった。
夕方になると依頼主は青年を呼び止めて、今日の業務はここまででいいのだと伝える。依頼主は笑顔であり、青年にはチップのようなものを渡す。自分のするべきことがこれでいいのだと思い出すと、なんとか自分を納得させてその店を後にした。これではやっていることは案山子と同じだ。
今日の行動を思い返すと本物の案山子を使っても問題ないほどである。変な疲れ方をしたことにため息を吐くと一度オフィスの方へと戻る。報告書を書いて提出するまでが仕事であったためにそれをしに行くのだ。翌日に回してしまってもいいものの、できるだけその日の内にしてしまいたい。ものの数分でやるべきことを終えて自分のしたことを紙にまとめると、何度見ても何もしていないのと同義に感じられた。多分自分の仕事の認識を改めなければなるまい。今日のことを思うと村から出て来た時のような覚悟は必要ないのだ。自分の満足感を重視しては疲れてしまうため、依頼主のことだけを考えてあとは金を稼げばいいのである。自分が経験してこなかっただけで本来商売とはそのようなものなのだろう。初日にして自分がこの仕事を続けられるのか心配にはなったものの、もう少し様子を見なければ答えも出ないのだと思ってその日を終えることにした。青年は速やかに部屋に戻ってシャワーを浴びると、電気を消して次の日に備えた。




