表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

3.小さな事務所

 それからオフィスにつくと施設の説明が始まる。二階建ての建物であり、一回は事務所になっているようだ。想像していたよりもずっと小さな建物がそこにはあった。

大きさで言うならば村にある家族の家とそう変わらないだろう。きっと土地の値段を考えるとこの街ではこのくらいの建物が妥当なのだ。

 建物のサイズを考えると見合わないほど入り口は頑丈な門になっており、そこには受付が一人いる。近所の建物を見てもこうしたスタイルが多いのは、この町の治安のせいなのだろう。社長に連れられて中に入っていくとそこにはここで働く者たちの姿があった。業務を聞いた限りでは従業員も多いのだと思い込んでいたものの、蓋を開けてみれば席の数はそう多くない。視界に移る範囲では自分を含めて五人ほど、ここにいない人物が他にも数人いそうな程度であった。

 青年は第一印象を考えて、簡単ではあったものの丁寧な挨拶をする。受付や事務の仕事をしていた者はこの街の者であったようではあったものの、青年と同じ立場の者たちは皆他の町から来た者たちのようである。身体的特徴も青年と似ていて、言語も村で使っていたものやそれに近いものを話したために少し安心した。この街の言語を覚えている人も過半数ではあったものの、まだまだ未熟な者もいるようで境遇も似たようなものなのだろう。

自分の席に案内されるとまずは荷物を置く。それから失礼にならないように、その時にいた先輩たちの席を周ると各々に改めて挨拶をしに行った。その場にいたのは四人であり誰もが個性的に見えたのだが、彼らからしてみれば青年も大差ないのだろう。

 一人目は年配の女性である。社長よりも年上かもしれないが、人生経験が豊富そうであり、優しそうな話し方の中に鋭い目つきがあった。彼女は青年がまだ若いことに気が付くと、ここでは上手にサボらなければならないことや責任を感じ過ぎてはいけないことを説く。仕事についてのストイックな話をされると思っていたばかりに拍子抜けもしてしまうものの、こうした仕事の経験がない以上は覚えておくべきなのだろう。

 言っている意味は体感して見なければ分からないとも思ったが、心遣いには感謝すると次の席に移動する。隣の席にいたのは背の高い男の人であった。歳も青年の二つか三つほど上のようであり、フレンドリーの彼は青年としても接しやすく感じる。少なくともこの職場の中では最も印象が良い。一つ気になったことがあるとすれば、彼も見たところ疲れているようであり、それほど健康そうには見えなかったことである。もしかしたらここでの業務はそれほどに過酷なのかもしれない。基本的にはなにも起こらないとは聞いているものの油断するべきではないのだろう。それからその隣の席にいたのは髭の濃い男であった。この男も青年や、一つ前の背の高い男と歳は近そうである。彼も彼で気さくな男ではあったものの、青年に対しては特に興味のある様子でもなかった。自分のことで手一杯だったとしても何も不思議ではない。彼も若そうな見た目ではあったために、余裕はないのだろう。それから最後に挨拶をした男は、青年と一回りほど歳の離れた男であった。どうやら彼がこの場の責任者のような立場にいるようであり、落ち着いた雰囲気からは冷静さを感じる。何か困ったことがあれば彼に尋ねるようにも言われていたものの、話しかけやすいかと言われればこの中では一番難しい。雰囲気が悪いと言うことではないものの、あまりに堂々とした態度には遠慮してしまいそうにもなってしまう。ただこの責任者の男を含めた誰もが、気の良さそうな者たちであったために、ここでの人間関係には悩まなくていいような気はしていた。

 青年は自分の席に戻ると荷物を広げる。目の前に窓があり、一番眺めの良い席である。丁度ここが空いていたのか、それとも今日から来る新人のために空けておいてくれていたのかは分からなかったものの、幸運な話ではあった。今日から始まるこの街での仕事にも今のところは不安も覚えない。この日に関して言うのならば、特別な仕事を振られることもなかっただけに荷物の整理と施設の見学で終わり、仕事と呼べる仕事は何一つしていない。途中何組もの依頼人らしき人物が訪れたのを見ていたが、これからの自分のするべきことを考えると特に危険なことも感じられない。依頼の内容も、ただの買い物について行くだけだったり、子どもの護衛であったりと、想像よりもかなり緩そうなものである。事務所自体は終始落ち着かない様子ではあったものの、青年のすべきことは何もなく、そのまま夕方になるとあっさり帰ることを許された。

 青年が荷物をまとめて外に出ると、後ろから付いてきた者がいた。それは職場の責任者をしている男であり、落ち着いた雰囲気のあの男である。彼はこの街にも詳しいようであり、青年のこの後の予定を尋ねるとバーに行かないかと提案してきた。社長にはあまりふらふらと歩き回るべきではないとは聞いていたものの、先輩と一緒であるのならばそれも例外だろう。ここで誘いを断る方が失礼である上に、この先のことを考えると店の一つくらいは覚えておいても良いのだと思った。

 先輩がビールを持ってくると二人で乾杯する。それから彼は自分が話しかけにくいのを知っているのか、自分のことを話し始めた。先輩はもうここに来てそれなりの歳月が経っているようである。そのことは彼の言語能力を聞いていても疑う余地のないことであった。この街に来てからもう三年以上は経っており、ここには彼女もいると言うことであった。今の仕事はリスクもあるために軽々しくは考えられないものの、この先は結婚したいとも思っているようであり、計画もあまりなかった青年と比べると人生設計もしっかりしていた。今は仕事も順調であり、このままいけば何事もなく、それなりに幸せな人生を送れるのだろう。先輩が青年に対して言ったことは、何かあった場合には助け合いの精神を忘れないでほしいと言うことであり、責任者らしい発言であった。立場を考えると迷惑をかけるかもしれないのは新人である青年の方だ。青年としては、自信があってここに来たとは言えなかったものの足を引っ張る気もない。できるだけ愛想のいい笑顔を作ると、握手をしてからビールを飲み干した。奢ってもらってしまったことを考えるといい加減なこともできまい。青年は翌日からの仕事のことを考えると、先輩にはできる限り協力する旨を伝えてその場を後にした。

 そこからは一人の帰り道である。先輩に誘われたバーはオフィスからそう遠くもなく、同様に青年の部屋からもそう遠くないところであった。そのため特に道に迷うこともなく宿屋の方へと向かう。簡単な買い物くらいはしてもいいのだろうと思うと、途中でパンだけを買って部屋に戻る。買ったものはそれだけではあったものの、買い物に使う言葉は通じたようであり、それを確かめるための意味もあったために満足して帰って行った。

 それから青年の仕事が本格的に始まったのは翌日のことである。この日の青年は、初日から迷惑をかけないようにといつもよりも早い時間に目を覚ました。本来ならばあと一時間ほどは眠っていても問題はなかったものの、最初の業務に遅刻していく訳にもいかない。この時期の暖かい気候は安眠にうってつけではあり、不満がなかった訳ではなかったものの、この街には遊びに来た訳でもない。前日に買ったパンを食べてから身支度を済ますと、部屋の鍵をかけて外に出た。

 その日も比較的天気の良い日であった。ここが自分のいた村と違うのは雲の高さや形を見れば嫌でも思い出せる。村にいた頃は空の高いところを柔らかそうな雲が進んで行く様を眺めたものだ。一方ここでは低い位置にどっしりと構えたものがこちらを見ているようなのである。色も純白ではないように見えるのがそのような印象を与えているのだろう。通り過ぎる風も透き通ったものとは思えず、大勢住んでいるからなのか不自然な匂いもした。環境を考えただけでもそれくらいには差があり、まるでここが異世界に来たようにも思えてしまう。人の顔に注目したところでそれは違ったものであり、大人っぽい者も多く、悪く言うと老けて見える人も多かった。職場までの道のりはやや方向音痴な青年でも迷うことはないほどに単純だ。青年がまだ約束の時刻になる前にも関わらずに早めにオフィスに到着した。

「重役出勤」という言葉があるだけに、会社のトップにいる人物とはゆっくり来るものだと思っていたのだが、どうやらここでは違うようである。この日の社長は誰よりも早くこの場所にいて、仕事についての話をするために各従業員の席を巡り歩いている。これがこの日だけのことであるのかを先輩に聞くと、どうやらそんなこともないらしく、毎朝の習慣であるようであった。青年が自分の席に着くと社長が歩いてくる。挨拶が遅れてしまえば失礼に値すると思い、できるだけ早く応対すると社長は笑顔で話しを始める。今日の青年の仕事についての説明だ。話を聞いた限りでは特に難しいこともなく、寧ろ簡単なことのようである。具体的な内容は、この近くのカフェに行き、そこに客として来ている依頼人の傍にいると言うことであった。改めて伝えられたことではあるが、基本的にはなにも起こらない。常連の依頼主のようであり、もう何年も同じような業務を頼まれているようではあるが、誰かに狙われている気配すらない。そのため気軽に言って時間になったら帰って来ればそれでいいのだと話した。もし依頼主に話しかけられた場合は、普通に対応すればいい。話を聞いていればいいだけのことであり、普通はそんなことはないとは思うものの、お得意様であるが故に機嫌を損ねないようにだけ気を付けてほしいのだと言われた。

 それから依頼主自体ではなく、仕事としての注意点も話される。カフェの中をうろついていれば店員に怪しまれるかもしれなかったが、ここの会社の名前を出せば理解してもらえるようである。この辺りの地域ではそれなりに名の知れている会社であり、今後の業務に関しても名前を出せば大抵の場合は問題ないと言うことであった。

警察にすら警戒されなくなると言う話を聞くと、この会社の経歴や、社会における信頼性の高さを伺える。会社の看板に泥を塗るような行為だけはするべきではないのだ。

 初日からの出勤のことや、朝早いことなど、勤め先については不満や不安がなかった訳ではないものの、そういった話を聞けば誇らしくも思えてくる。ここでの仕事で成果を上げれば、村に帰った時にも自慢できるに違いない。青年のモチベーションが高くなると、予定の時間を待たずに指定された場所へと向かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ