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波の向こうに残る声  作者: かみやまあおい


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2/12

第2話:潮風の裏側

 昼の暑さがまだ残るその日の夜。

 俺は隆也と待ち合わせている『もみや』に向かった。

 店のドアは開けてあり、中からは嗄れてはいるがまだまだ元気な声が聞こえてくる。


「こんばんは」


 赤暖簾(あかのれん)をくぐって中に入ると、小さい頃から見慣れたおじさんとおばさんの顔があった。


「おぉ、ひょっとして祐樹か? 久しぶりじゃねえか」


 俺の声に気づいたおじさんが、俺の顔を見て驚きの表情を浮かべる。

 皺も増え、髪に白髪が増えているが昔と変わらない。

 相変わらず厨房に立って料理を作っているようだ。


「祐樹くん? 随分と立派になったねぇ」


 奥の席に料理を出してきたおばさんは、俺の顔をよく見るためか近づいてきた。

 このおばさんは昔からそんなに変わっていない。

 何か若さを保つ秘訣でもあるのだろうか。


 俺のそばに立ったおばさんを見て、俺の心が騒ぐ。

 昔は俺よりも大きかったはずなのに、いつの間にか俺の方が追い抜いていた。

 時というのは残酷なものだ。


「おばちゃん、隆也来てる?」


 おばさんの威勢に負けないように聞くと、おばちゃんは店の奥を指差した。

 そこにあったのは、久しぶりに見る親友の顔。

 どことなしか顔が丸くなっている。

 よく見れば体全体が丸い。


 手を振る隆也の元に行くと、テーブルを挟んで俺は腰掛けた。


「やっと帰ってきやがったな、親友」


 ジョッキに残っているビールを飲み干す姿はうわばみのようだ。


「悪かったな。俺だって仕事があるんだよ」


「まあそうだろうけどよ。たまにはこっちに帰って来いってんだ」


 おしぼりを出してくれたおばさんにビールを注文する。

 隆也もジョッキを掲げて「俺もビール」と声を張り上げた。

 こいつ、もう酔っ払っているのか?


「お前さ、そんなだから彼女に振られるんだよ」


 ビールを待つ隆也の言葉がナイフのように俺の心に刺さった。

 相変わらずこいつは遠慮がない。


「うるさい。そんな事よりお前こそ彼女はできたのかよ?」


 俺が憎らしげに言うと、隆也は鼻を鳴らしながら左手を俺に見せた。

 その薬指には小さな、でも高そうな宝石のついた指輪が蛍光灯の灯りで輝いている。


「嘘だろ!? お前いつ結婚したんだよ!?」


 思わず立ち上がってしまった。

 これまでの人生で、こいつから女性の話を聞いた事がなかったのに。


「入籍はまだだよ。だけど近いうちにな」


 驚いた。

 こいつにそんな相手がいたなんて。

 俺のポカンとした顔を見て、隆也はケラケラ笑う。


「それで傷心のお前はどうするんですかぁ?」


 おばさんが持ってきてくれた新しいビールに隆也は口をつける。

 その言い方に苛ついた俺もジョッキを持つと、ビールを一気に流し込んだ。

 炭酸の心地よい感じが、暑さでやられていた俺の体を癒していく。


「どうするって言われてもな……」


 振られてしまった以上、他の人を探すしかないわけだが。

 かといってそんな簡単に見つかるものじゃない。


「まあ忘れろよ。出会いなんていつどこであるか分からないからな」


 笑いながら言う隆也の言葉に、俺は昼間の事を思い出した。


「そういえばさ、昼間に駅で美咲と会ったんだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、隆也の顔が苦虫を噛みつぶしたように歪んだ。

 その表情に俺は何か言ってはいけない事をいったのかと不安になる。

 彼女は何かしたのだろうか。


「……マジか」


 ジョッキをテーブルに置くと、隆也は天井を見上げた。

 何か言いたくない事を隠しているかのように。

 店のテレビから流れるタレントの声が、ノイズのように感じる。


「……まあ、網代に来たんだからな。会ってもおかしくないか」


 その顔は何か特別な秘密でも隠しているのか。

 それとも何か口にしてはいけない事を抱えているのか。


「なあ、隆也。美咲は何かやったのか?」


 俺はその謎が知りたくて尋ねた。

 隆也は何も言わずにビールに口をつける。

 店の中に流れる音は、さっきまでのタレントの声から、古臭い演歌へと変わっていた。


 隆也は顔を上げると俺に真剣な表情を向けた。


「……あいつな、見合いするらしいんだ」


 その言葉だけで、昼間の美咲の言葉の謎が解けた気がした。


 ——明日ぐらいしか暇じゃないから


 そういう事だったのか。

 俺が一人納得していると、隆也が難しい顔のまま続けた。

 枝豆を潰す音がやけに大きく響く。


「お前さ、コマツグループって知ってるか?」


「いや、初めて聞く名前だ」


「そこの社長の息子が相手なんだとよ」


 随分といい相手に見そめられたものだ。

 まあ美咲の魅力からすればそれはあり得る話だ。

 だけどそれが何か悪い事なのか。


「美咲が見合いするなんていい話じゃないか。なんでそんな顔してるんだ?」


 俺の質問に隆也はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。

 そしてテーブルにそれを叩きつけるかのように置く。


「美咲の実家がお店やってたの覚えてるか?」


 もちろんだ。

 忘れるわけがない。

 昔からの食堂だ。

 美咲と付き合ってる頃はよくご飯を食べさせてもらった。


「覚えてるに決まってるだろ」


「あそこな……今潰れるかもしれないらしい」


 その言葉に俺の心が跳ねた。

 確かに今、この町に人は少なくなってはいるが、そこまでとは。


「要するに政略結婚だよ」


「どういう事だよ?」


「コマツグループは最近、この熱海に店をいくつも建ててる会社だ。そこの社長の息子が美咲のことを気に入ったらしい」


「……なるほど」


 隆也の言いたい事は分かった。

 娘を嫁がせて店を守ろうと言う事か。


「でもそれって別に悪い事じゃないだろ?」


「俺もそう思うよ。だけど、実際コマツグループの店ができて、潰れていってる地元の店も多い」


 その言葉を聞いて完全に納得がいった。

 地元に悪影響を及ぼしている会社に擦り寄ろうって話か。

 ふと周りを見ると、店にいる客、おじさんやおばさんも難しい顔をしていた。

 俺達の会話が聞こえていたようだ。


「じゃあ、美咲の家は今大変なんじゃないか?」


「当たり前だろ。あそこの家は裏切り者の家だって言われている」


 隆也の手が震えていた。

 何もできない状況に怒りを感じているのか。

 それとも、娘を生贄に自分の家を守ろうとしている、美咲の両親に怒りを感じているのか。


「……美咲は納得してるのかな?」


「さあな」


 隆也は無表情のまま、目の前の枝豆を口に放り込む。

 美咲が俺を遊びに誘った理由がなんとなく分かった。

 分かってしまったが故に寂しさを感じた。


 ひょっとしたら美咲は見合いを望んでないのかもしれない


 俺は黙ってビールを口にする。

 さっきまで喉越しの良さを感じさせていたそれは、俺の心を容赦無く指していく狂気へと変わっっていた。


「美咲に関わるなよ。変に絡んだらお前が辛くなるだけだ」


 隆也のその言葉に、俺はただ黙って頷く。

 ここで俺が口出しをしたところで、結果は変わらないだろうから。


 その後いろいろな話をして、隆也とは店の前で別れた。

 夜空を見上げると、満天の星が光り輝いている。

 海の方から吹いてくる風が、どこか潮の匂いを運んできていた。


 俺はモヤモヤが晴れぬまま、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

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