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波の向こうに残る声  作者: かみやまあおい


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12/12

最終話:季節が変わるように

 あの照りつけるような太陽の夏から、冷たい風が吹く秋へ。

 クライアントである病院をいくつも回り、要望を聞いて機器を納品する、そんな単純だけど忙しい中で時間が過ぎていく。

 いつしか俺は夏の事などすっかり忘れていた。


「小林さん、ちょっと紹介したい子がいるんだけど」


 ある日、ある病院の担当と話していた時にそんな話が話題に上がった。


「紹介したい子ですか?」

「そう。研修が終わってうちの科に配属されてきたんだけどね。小林さんとやり取りする事もあるだろうから」


 新人の医者か。

 今までに何人も会ってきたけど新人の子はみんなキラキラしている。

 もう社会人になって年が経つとそういうのも忘れてしまうからいい刺激になる。


 俺が承諾すると担当の人はどこかに電話した。

 少しするとドアがノックされ、1人の男の子が入ってくる。


 ——その目は濁っていた。


 何か大切なものをどこかに置き忘れてきたような。

 そんな目をしていた。


「雨宮君。こちら取引先の小林さん」


 担当の人が言うとその子——雨宮君は「どうも」とだけ挨拶してくる。

 この子はなぜこんなに人に興味のない目をしているんだ。

 それでいながら担当の人の紹介では「非常に優秀な子」らしい。

 俺はこの子の心の中を知りたくなった。


 商談が終わり部屋を出た後に彼に声をかけてみる事にした。


「雨宮さん、ちょっといいですか?」


 雨宮君は「なんですか?」と興味なさげに俺を見る。

 失礼を承知で俺は質問をした。


「なんでそんな目をされているんですか? すごく他のものに興味を持たれてない感じがして……」


 彼の肩がビクンと揺れる。

 やはり触れない方がよかったか。

 彼はその場に立ち止まった後、ゆっくりと目を俺に向けた。


「……僕はこの世界を信じられないんです」


「え?」


 言葉に耳を疑う。

 彼に一体何があったというのか。

 だけど彼はこうも続けた。


「だけど信じれるようになりたい。……人って簡単には変われない。だけど変わろうとする事はできるんですよね」


 彼の言葉が俺の胸に響き渡った。

 彼は俺と同じだ。

 簡単には変わる事はできず。

 だけど彼は変わろうと足掻いていた。

 俺の心に置いてきたはずの夏が蘇ってくる。


 彼はそれだけ言うと「失礼します」と去っていった。

 俺は動く事ができず、その場に立ち止まっていた。


 珍しく定時に仕事を終わらせ、俺は駅へと続く会社の前の道を歩いていた。

 落ち葉が降り積もり、歩くたびにカサカサと音がする。

 すれ違う人の格好もコートを着たり、厚手のシャツを着たりとすっかり冬模様だ。


 季節は変わっていく。

 もうすぐ冬が来ようとしている。

 だけど忘れていたはずの夏の記憶が雨宮君の言葉で思い出された。

 俺の中で夏の記憶が静かに形を変えていく。


 美咲のあの笑顔も

 あの夏の光も

 潮風の匂いも


 もう痛くない。

 そう思っていた。

 だけどやっぱりまだどこかに引っかかっているものもある。


「俺はまだまだ大人になれてないな……」


 暗くなり、ビルの窓から覗く明かりだけが街を照らしていた。

 そんな都会のくすんだ空を見上げる。


 ポケットの中でスマホが震えた。

 画面には隆也の名前。


『結婚式の招待状送ってあるから、ちゃんと返事しろよ』


 相変わらず隆也らしい。

 俺は『家に帰ったら確認する』と返事を返すとスマホをポケットに戻す。

 と、続けてスマホが鳴った。

 返事早いなと思いつつ再びスマホを取り出す。


 今度の相手は凪沙だった。


『ご飯いつにします? 私美味しい中華が食べたいです!』


 その文に笑ってしまった。

 こいつはこいつで前を見てるんだな。

 俺は『また連絡する』とだけ返して今度こそスマホをしまった。




 家に着くと、ポストの中に分厚い封筒が入っていた。

 玄関に腰を下ろし、封を切る。

 中には招待状と、彼らしい乱雑な字で書かれた短い手紙が入っていた。


『お前もようやく顔がマシになった頃だろ。ちゃんとスーツ着て来いよ。美咲も喜ぶはずだ』


 手紙を持つ指先が、少しだけ震えた。

 美咲の名前。

 その二文字に、胸の奥が静かに疼いた。


 だけど、それはあの夏の頃のような痛みじゃない。

 ただ、懐かしさと、ほんの少しの温かさが残るだけだった。


 机の上には、夏に捨てられなかったあの封筒がまだ置いてある。

 埃をかぶったその上に、隆也からの招待状をそっと重ねた。


 窓の外では、秋の風が街路樹を揺らしていた。

 落ち葉がひとつ、風に乗ってベランダに舞い込む。

 拾い上げて指先で触れると、カサリと乾いた音がした。


「……もう大丈夫」


 誰に言うでもなく呟いて、星空を見上げた。


 あの夏の日の光も

 潮の匂いも

 あの過ぎ去った日々も


 もう過去の中にある。

 けれど、その過去があったから今の自分がいる。


 それでいい。

 ようやく、そう思えた。


 窓の外では、秋の夜風が静かに吹き抜けていった。

 その音がどこか心地よくて、俺はそっと目を閉じる。

 遠くで、誰かが笑う声がした気がした。


 ——夏は終わった。

 でも、俺はちゃんと前を向いて歩いている。


 また次の夏を笑顔で迎えるために。

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