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それ、私がしないとダメなやつですか?

手伝いに来たメイドと共に簡単な荷解きを済ませた翌日から、マリーの仕事が始まった。

勤務初日に、レオナルドの部下になるメンバーと引き合わされ、挨拶をしてからまずは、と簡単な業務を教えられた。

レオナルドから任せられた仕事は、初めはそれほど難しそうではなかった。

領地から上がってくる資料を読み込んで、種類別に振り分けるだけ。話はそれだけだが、とにかく量が多い。キイス子爵として総括している領地から上がってくる資料だ。これが来年、再来年の税収を決める。

基本的にはその資料の振り分けと、古い資料の整理が主な仕事だった。ほとんど補助要員のようなものだが、マリーは不満などなかった。正確を期すならば、不満など漏らしている暇もない。

物量があらゆる不満を薙ぎ倒し、押しつぶし、濁流の中に飲み込んでいってしまう。

ちっぽけな不満など、大量の資料と書類の波に瞬時に飲み込まれて行く。明けても暮れても、資料と引きも切らずに顔を突きつけ合わせる日々は、マリーからありとあらゆる些事を投げ捨てさせた。

気づけばマリーには専属のメイドがつけられて、食事を口に運ぶ以外の瑣末ごとは、メイドの手に委ねられることになった。

朝起きれば、半分眠りに沈んだままのマリーの着替えやら洗顔やらは、メイドが丁寧に行ってくれるし、仕事が終わった後は、半ば死んだような状態のマリーを風呂に入れて綺麗にして、寝着を着付けてくれる。マリーはそのまま布団に寝転がるだけでいい。また朝がくれば、メイドが半分眠ったままのマリーを着付けてくれる。

マリーはかなり後になってから、知らぬ間にメイドがつけられたことに驚いたが、同時に、合理的だ、と納得もした。マリーに求められているのは仕事だ。仕事をしに公爵家に来たのだから、全力で仕事に打ち込むべきだ。メイドが済ませてくれる細々したことに関しては、福利厚生の一貫だろう。

さすがは公爵家、福利厚生が手厚い。

マリーは公爵家に勤務できてよかったと心の底から思った。


レオナルドは、公爵家に就職したマリーとは違い、卒業後にそのまま家に戻ることはなかった。学園を卒業した後、国立大学(ロナルドが進んだ学校でもある)に進学し、変わらず勉学に励んでいる。

週末は休みなので、その日を書類の裁可に充てている。マリーの仕事は、つまりレオナルドの仕事の最適化だった。

仕事の量は多いが、慣れてくれば、多少余裕もできてくる。優先度順に振り分けた書類に、マリーはなんとなしに必要そうだと思われる資料を添付しておいた。

そうすると、レオナルドがそれに気づいて、こうしてもらえると助かるから、できるだけ資料の添付か、参照元なども追加しておいてもらえるとありがたい、と伝えてきた。はじめ、マリーは良いことをした、と嬉しかったが、しばらくしてから仕事が多すぎて、自分で自分の仕事を増やしただけだと気づいた。

確かにこの程度の作業は、本来であれば大した業務ではない。ではないが、兎角量が多いので、ほんのわずかな作業であっても、積み重なるとかなりの作業量になってくる。

レオナルドに雇われている、マリーの先輩達は、生ぬるい微笑みと眼差しをくれた。なんなら自分で自分の首絞めたよあのこ、とわざわざ口にしていた。事実なので、マリーはぐったりしながら頷いた。

とはいえ、雇い主からすれば良いことのはずだ。こういう積み重ねで、借金が減っていくのだとマリーは自らを鼓舞しなければやっていられなかった。




マリーの休憩時間は、ほとんどない。資料に埋もれて、片手に最優先処理待ちの書類に目を通しながら、簡単なものを口の中に詰め込んで、お茶で流し込むのが常だった。

仕事の合間に、時折、伯爵夫人からお声がかかる。仕事のキリのいい時にお茶でもいかが、というのが夫人の決まり文句だった。曲がりなりにも雇い主の御母堂だ。無碍にすることなどできず、マリーは同僚たちに断って、メイドに身繕いしてもらってから会いに行くことにしていた。



「ご機嫌麗しゅう、奥さま」

「ええ、いらっしゃい。今日はパティシエがおいしいお菓子を作ったの」


呼び出されたのは、美しく手入れのされた初夏の庭だった。東屋にはお茶の支度がすでにされていた。ポットはティーコゼーをかけられ、すでに客人が来るのを待っている状態だった。

テーブル中央にある磁器の皿の上には、チョコレートに覆われたケーキが載っている。

夫人の正面に座ると、なにも言わずに侍っているメイドが、お茶を出してくれた。


「お仕事はどうかしら。相変わらず忙しいの?」

「そうですね。ですが、レオナルドさまが楽になると思えば、私どももやりがいがあります」


レオナルドが楽になれば、やった仕事を認めてもらえる。それはつまり、実家の評価が上がることになる。

いかほどのやりがいになるかは、筆舌に尽くし難い。この調子で評価を積み重ねて、借金の減額をしてほしい。まだ公爵家にやってきて一年ほどだ。最近はやっと書類の仕分けとは違う、別の仕事も教えてもらえることが増えてきた。

夫人は少し悩んだ様子を見せてから、ゆっくりと口を開いた。


「実は、マリーさんにお聞きしたいことがあるの」


紅茶で口を一口湿らせてから、背筋を伸ばす。夫人は「大した話ではないのだけれど」と前置きしてから話し始めた。


「レオナルド……あの子は、婚約者がいないでしょう。あなたからみて、その、あの子はどのような感じかしら。どういったらいいのか……好意を寄せている人などは、学園でいたりしなかった?」


夫人の心配は尤もだ。公爵家の嫡男に女の影が一つもないというのは、どうしたことか。しかし、残念ながら答えられることはほとんどない。


「申し訳ありません……わたしは、レオナルドさまと、在学中然程親しくありませんでしたので、分かりかねます」

「そうなの?本当に?」

「はい、時折顔を合わせることはありましたが、それだけなのです。お話ししたことは、数えるほどしかありませんし、レオナルドさまの交友関係などは、わからないのです」

「まぁ」


夫人は本当に驚いた顔をしてマリーの顔をしみじみと眺めた。


「わたくし、あの子から部下にしたい女の子がいると聞いたとき、びっくりしてしまったの。あの子は、ずっと周りに男の子のお友達しか置かなかったから……心配していたのよ。年頃の子らしく、女優や歌手にも熱心ではないし、どこかの未亡人のお話し相手をしているようなこともないみたいだし……。そりゃあ、清廉潔白なのはよいことなのだけれど、あまりにも女っ気がないと、不安になってしまうわ」


マリーは夫人の言葉に頷いて、少し悩んでから口を開いた。


「そうですね……レオナルドさまから、特別懇意にされている方などの話が、出たことはありません」


実兄のロナルドですら、懇意にしている歌手がいる。実家で、時折そんな話を聞くことがあった。その歌手は、小夜鳴鳥のような可憐な歌声なのだそうだ。なるほど、よほどいい声で鳴くのだろうと納得していたが、レオナルドはそんな女すらいないらしい。女優に歌手、それから未亡人が、男性の遊び相手としては鉄板だが、そういえばレオナルドからはそんな話は一つも出てきたことはない。

レオナルドが夜会に出るときには、マリーを連れていくし、オペラにもマリーを連れていくし、演劇にもマリーを連れていく。おかげでマリーのクローゼットはその時にしか着ていないドレスが何着も掛かっている。夜会もオペラも演劇も、上流階級の人間にとっては社交の場だ。オペラも演劇も、ほとんど公演を見ることなく、ボックス席のカーテンは閉めたままで終わることもザラだ。正直、夜の社交はツラい。マリーは昼間、書類と首っ丈になっているので夜は正直に言えば休みたい。

しかし、レオナルドに言われるままにドレスを着て、腰を抱かれて社交に出るのも、仕事だと思えば頑張れる。一応、夜の社交に出た翌日は休みなので、それだけが救いだった。

マリーは正式に社交デビューもしていなかったので、実質、雇われてから半年後にレオナルドと出た夜会が、デビューに当たることになる。しかし、弱小貴族の娘になど、世間は意識を向けなどしない。

レオナルドが一から誂えてくれた一式で着飾って出た夜会で、どこぞの誰とも知れぬ娘を連れていると、一瞬人目を惹きはしたが、それだけだった。

夜の社交でのマリーの仕事は、アクセサリー兼秘書だ。レオナルドのそばにいて、仕事に関わる話の補助をする。詳細なデータを求められた時には答え、不明な点があった場合に、記憶に該当すれば助言する。

ダンスの時間に一、二度踊って、余計な事態が発生する前に退散する。

それでも帰宅時間は夜中を回る。レオナルドは慰労も兼ねて、夜会の後は高いウイスキーを飲ませてくれる。それを楽しみに、マリーはキツいコルセットを限界まで締めて頑張っていた。


夫人は憂鬱そうに、紅の塗られた唇からため息を漏らした。


「そりゃあ、いろんな女性と放蕩の限りを尽くせだなんて言わないわ。でも、あんまりにも興味を持たないのも心配になってしまうの。マリーさんから、それとなく聞いてみてもらうことはできるかしら」


また厄介な、と思いはしたが、断ることもできない。


「……できる限り、善処いたします」


マリーとしては、レオナルドにそんなプライベートな話を振りたくはない。しかし、雇い主一家の夫人に直接言われてしまっては、断るという選択肢は存在しない。

渋々受けたと思われないよう、とても気を遣いながらマリーは返事をした。


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