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怪しい勧誘にしか聞こえない

マリーは最終学年の最終試験に向けて、図書館に詰めて勉強していた。

最終試験は選択式のマークシートと、論述の二つが出る。論述の方が難易度が高く、今まで学んだことをいくつも絡めた高度なものを求められる。過去の試験問題をいくつも解き、担当教師にアドバイスを求めていると時間がいくらあっても足りなかった。


今年の卒業生に向けた求人に、王宮文官職があった。それは毎年のことだが、マリーの狙い通りに、女性文官の採用枠もあったのだ。予定採用人数は二名。このまま、マリーがきちんと今まで通りに自分の実力を出し切ることができれば、確実に採用枠に入れるだろう。


最終学年になったマリーは、もうほとんど学校の授業には出ていない。他の同級生たちは、家業を継ぐものが大半で、進路など決まっているようなものだし、女子生徒もほとんどが結婚が決まっているので、進路など考える必要もない。この学園であくせく勉強しているのは、法衣貴族の家系の子供か、奨学金を貰ってきている貧乏学生だ。マリーは法衣貴族の家系と、奨学金をもらう貧乏学生の二つに跨っているので、余計に手抜きすることはできなかった。


図書館の外は薄暮に沈み、図書館の中もランプの灯りがなければ何も見えなくなってきた。図書館の司書は、そろそろ帰りたそうにマリーの方をチラチラ見ていたが、無視して新しい文献を手に取った。

分厚く硬い表紙を開き、手垢で汚れたページを繰っていると、机を挟んだ真向かいに誰かが座った。

図書館の中は司書とマリー以外には誰もおらず、机も椅子も、他にたくさんある。なのに、わざわざマリーの目の前に座っている。マリーが目の前の人物を睨むようにして顔を上げると、そこにはいつかの早朝に、教室で会ったレオナルドが座っていた。


「やあ」

「ごきげんよう」


それだけ返すと、マリーは興味を失って再び目線を資料に戻した。今は一分一秒でも惜しい。


「そんなに勉強ばかりして、君に結婚の予定はないの」

「ありませんね、うちの家系の女は、全員不良債権なんです。死ぬまで実家に居座るか、家庭教師としてよそに出されるかしかないんです」


家庭教師の常として、他の使用人との格差や扱いの違いに常に悩みが尽きず、自殺率が異常に高い職種だと言うことまでは言わなくてもいいだろう。

黙々と資料を読み込むマリーのことを見ながら、レオナルドはさらに続けた。


「なら、家庭教師希望とか?」

「いえ、」


マリーは一瞬、正確に答えるべきか悩んだ。


「文官を目指しています」

「そういえば、そんなのもあったね」


レオナルドの意図が見えず、マリーは口を動かすのが億劫になってきた。


「あの女性文官の別名を知っているかい。オールドミスの墓場だよ」


それは初耳だ。とはいえ、そう言われる理由は十分に想像できる。下品な揶揄だな、と思うが、世間なんてそんなものだろう。この学園の延長、年齢の幅は多少広がっても、程度の悪さは変わらない。年齢を重ねてある程度理性は働くようになっても、底意地や品性は変わりはしない。


「そんなところに行くなんて、もったいない」


レオナルドは面白そうにマリーを見つめていた。

レオナルドに見つめられて、ふとマリーは言わなければいけないことを思い出した。


「そういえば、ありがとうございました。机のこと、口利きをしてくださったようで」

「ああ、そういえばそんなこともあったね。だって、あんな下品な落書きのある机があったら、教室の景観を損ねるじゃないか。異様だよ。ほかのクラスの人間が見たらぎょっとする。同じクラスの連中は、そんなふうに思わなかったのかな」

「思わないから、そうしたのでしょう。でも、助かりました。ずっと汚れた机でしたから」


レオナルドに伝えなければいけないことはこれだけだ。もう集中も切れてしまったので、マリーは読んでいた文献をぱたりと閉じて帰り支度を始めた。


「この後の予定は?」


レオナルドは何が面白いのか、マリーの帰り支度を眺めながら聞いてきた。


「部屋に帰って食事をとったら、続きをする予定です」

「そう、ならよかった。僕も食事はまだなんだ。奢るから一緒にどう?」


ぱっとマリーは思わず上がる笑みを、押し潰さなくてはいけなかった。マリーの家は貧乏なので、いつも似たような食事しか摂れない。もしかしたら、少し変わったものを食べることができるかもしれない期待に、お腹の中もぐるぐる動き始める。


「ありがとうございます。よろしければ、ぜひ」


思わず食い気味に返してしまったが、不自然に思われなかっただろうか。マリーは一瞬不安になったが、その気持ちはすぐに食欲に押し流されてしまった。




レオナルドに連れられて行った店は、学園の敷地内から出て、街の中心街のど真ん中にあった。

繁華街の片隅にある、壁に蔦の這う落ち着いた一軒家だ。その中は丸ごとが落ち着いたレストランに改装されていて、ウエイターがこちらを年若いからと侮ることなく、慇懃に席まで案内してくれた。

奥まった個室に通されて席に着くと、真っ先に飲み物を聞かれたので、マリーはガスなしの水を頼んだ。


「ノンアルコールでいいの?」


レオナルドは当たり前の顔をして、ワインを頼んでいたが、マリーはこの後の予定もあるのでアルコールを入れるわけにはいかなかった。


「部屋に戻ってからの勉強に差し支えますから」

「それもそうだ。僕は遠慮なく飲ませてもらおう」


レオナルドの頭の中に、気を使うや遠慮、と言う言葉はないらしい。マリーは生まれてこの方、アルコールを口にしたことはないので、思うところはないが、お酒が好きな人だったら不快に思うのだろうな、となんとなく思った。


素早く運ばれてきたグラスと水差しから、自分で水を注ぐ。レオナルドの前には、細長いワイングラスが置かれ、ウエイターの手から透き通った淡い色のワインが注がれる。


「なにに乾杯しようか、じゃあ……僕たちの出会いに」


差し出されたワイングラスに、マリーは何も言わずグラスを合わせた。かちん、と小さく硬質な音がした。家にある安物のワイングラスは、厚いくせに脆いので、そっとグラスをぶつけてもこんな鋭い音は響かない。こんなところからすでに違うのだな、とマリーはひとりごちた。


マリーが水を飲んでいる間に、レオナルドはウエイターになにやら注文を出していた。おかげでマリーは大人しく座っているだけでよかった。


まずは突き出しから。

もしかしてこれはいわゆる、よく兄と行った店で出てくるお通しに該当するのだろうか。おそらく自分から好んで食べに行くことはないであろう、量の少なさに、思わず前のめりになってしまう。なんでこんなに少ないんだ。

滅多に食べやしないが、こう言うものだと理解はしている。理解と納得は別だ。もう少し量があってもいいのではなかろうかと、不満が出てきそうになる。

一口サイズしかない肉のムースに、半月切りにされた薄いバケットが添えられている。一口サイズといっても上品すぎる量で、こんなのを食べたら余計に腹が空きそうだ。


そんなことを思ってはいても、マリーの顔はおそらく変わっていない。元々、家でお嬢様とはなんぞや、という教育を母に施されてきたし、学園で度重なる「嫌がらせ」にあって、すっかりマリーの表情筋は固まってしまった。

レオナルドの前で、マリーはつまらなさそうな顔で、ムースを口に運んでいるのだろう。


「僕が、君をここに連れてきたのは、ゆっくり話したいことがあるからだ」


マリーが内心で、出てきた食事の量の少なさに散々文句をつけている最中に、レオナルドはワインで口を湿らせながらゆっくりと話し始めた。


さっさと突き出しを飲み込んで、水で口の中の味を流しきる。味はずっと食べていたいくらい、とても美味しかったが、ずっと口の中に残っていると余計に腹が空いてしまう。


「君は、もしかして、実家の借金を少しでも軽くしたいと考えているんじゃないだろうか」


レオナルドの発言に、マリーはうんざりした。どうしてわざわざわかりきったことを、改めて聞かれなければならないのだろう。


「それは、そうでしょう。そんなもの、ないに越したことはありません。先に言っておきますが、愛人になれと言う話ならお断りします」

「いや、愛人ではないな」

「そうですか。安心しました。ちなみに妾もなりません。情婦もお断りです。男女関わらず、正式な手続きと契約抜きで他人と性的な関係を持つことは固く禁じられているんです。家風なもので」

「……随分と」


レオナルドは低く喉で笑った。


「お堅いことだ」


喉で笑う音は、猛獣が威嚇する音に似ていた。マリーは、元来笑うと言う行為は、威嚇行為にルーツを持つのだということを思い出した。


「愛人ではないよ。妾でも、情婦でもない、呼び方はなんでもいいが、そういう誘いではない。安心してくれ」


マリーはレオナルドの反応に、あまりにもはっきりと拒絶しすぎるのは良くないことだったのだと学んだ。初めからその気のない相手にあまりにもあからさまに言い募るのは、まるでそういったことを押し迫る卑劣漢であると根拠もなく決めつけることに等しいのだと。

マリーは反省して「失礼しました」と小さく言い添えた。


「いいさ、僕らの関係なら、君はある程度警戒しなければならない立場なのは理解している。というか、愛人ではないにしろ、僕が君に話そうと思っていたのは、まぁ、ある意味では愛人に近いのかもね」


場を取りなすように、明るくレオナルドは話し始めた。


「王宮の女性文官職は別名、オールドミスの墓場だ。入職難易度の高さの割に碌な立場もなく、仕事内容も男性文官とほとんど変わらないのに、彼女たちの給与は勤務している間、ずっと据え置きだ。男性文官は、年二回ペースで昇給するのに。元々、このポジションは、あくまで腰掛け程度のものだったんだ。彼女たちが結婚相手を王宮で見つけるまでのね」


そこでレオナルドは一度言葉を切った。


「君の努力を、そこに注ぎ込んでしまうのはあまりにも惜しい。だから、王宮ではなく、僕の家、公爵家で働かないか」


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