神の血族
レオナルドはマリーに手を伸ばす。伸ばされた手が右手に触れて、マリーは肩を揺らした。
「君の家は、本当に結婚相手に恵まれない。かつての当主は、子供たちのために東奔西走して伴侶を探したが、我が家と王家が、得体の知れない家にその血を入れないよう、気をつけていたからね。その内に、君たちは他所の家と血を繋ぐことを諦めた」
レオナルドは、マリーの右手を取り、手遊びでもするように撫でたり、揉んだりし始めた。
「まぁ、こちらの家でも似たようなことはするが、君の家ほど近い相手を選ぶことは早々ない。それも、僕たちの妨害のせいだけれどもね。おかげで、昔の血が本当によく保たれている。レクザンスカ卿は、間違いなく僕たちの福音だ。君の兄君は、宮殿で見たかつての第三王子の肖像画に本当によく似ているよ、先祖返りかと思うほどにね。違うのは才能と、髪の色くらいかな」
マリーは血の気が引いて、背筋が凍えそうなほど冷えていくのを感じていた。足先の感覚はすでにない。
「現状、レクザンスカ家の血は、今の王家のそれよりも、かつての血を色濃く残していることになる。これなら、僕が君を妻に求める理由足りえるだろう」
マリーは、レオナルドの手を振り払うことはできなかった。
王家の血は、神の血脈なのだと、そういう謂れがある。
かつてこの地に、天上から神が降り立った。神は人間に火と服と数とを与えた。人間は神の齎したもの、火で鉄を作り、服と共に風雨を凌ぐ建物をたて、数を使って暦を編み出した。この三つが、文明の礎になっている、という神話だ。神は、人間の中から最も賢い女を妻とし、その地を統べることにした。これが王家の祖たる神の仕事の全てだった。
王家は神から賜わった血統をなにより重んじ、外から血を入れるのにも非常に慎重である。
それは、脈々と続く王家の伝統だった。マリーの祖先である、あの庶子の娘の頃にも当然伝統としてあったはずだ。男爵家の娘が王家に輿入れすることなく、王子の方が王族籍を抜けて男爵家に婿入りすることになった理由の、最たるものでもある。おそらくは、これでも随分と甘い措置だったはずだ。本来であれば、王族籍を抜けるときに、王子には断種処置を施されなければいけないところを、そのまま婿養子にしたのだから。
きっとこのときに、彼らはレクザンスカ家への処罰を決めてしまったのだ。男への断種措置をしない、と決めたのは、きっとそのときだった。
王家への輿入れも、降嫁先も、必ず九つある公爵家のどこかに限られている。
そのどれでもないレクザンスカ家は、都合のいい贄に選ばれたのだ。自ら巨人の口の中に飛び込んできた、哀れな子羊。それがレクザンスカの娘だった。
そして頭の足りない男をもう一人の生贄として、神の血の坩堝はずっと煮込まれ続けていた。王家の望む濃度になるまで延々と。焦げ付かないよう、適度に他の血を入れながら、長い時間をかけたのだ。公爵家相手には決してできない、非人道的な扱いだ。きっと王家はそれをするための機会を、着々と狙っていたのだろう。
逃げださないよう、借金という重い鎖を付け、配偶者を身内以外に決められないよう、硬い首輪を巻きつけた。血統に縛られた、呪いの如き復讐だ。レクザンスカは、王家のための家畜だった。
ゆっくりと煮込まれ、だんだんと火を強めながら、限界まで煮詰まった血の末路。その哀れな裔が、今の一族の姿だ。
マリーは、首を切られ、逆さ吊りで血抜きをされる自らの姿を幻視した。丁寧に腑分けされ、銀の皿に美しく盛り付けられる。その皿を待つのは、この国で最も高貴な人々なのだ。
マリーは得体の知れない激情が、腹の底から込み上げてくるのを感じていた。それは腹を掻き回し、胸を悪くして吐き気の形で口から溢れてきた。
「うっ、ぐ、……っ」
マリーは込み上げる嘔吐感に、強く口を抑えた。一気に口の中が酸っぱい味で満たされる。喉が中のものを吐き出そうとして、ぐるぐると鳴る。万が一にも書類を汚してしまわないよう、座席の隅に慌てて身を押し込む。
吐き気を無理やり飲み下そうと体を丸めたが、結局は抑えきれず、口から汚い音と共に溢れ出た。
びちゃびちゃと膝に吐瀉物がこぼれるのを、涙で滲む視界で見た。こんなつもりではなかった。咳き込み、えずきながら呆然と汚れた手と膝を見る。
「マリー」
穏やかな声でレオナルドが、マリーの汚れた膝元に跪く。狭い馬車の中は、不快な胃液の匂いでいっぱいだった。そんな場所で、穏やかな微笑みをしたレオナルドの姿は、間違いなく異常だった。
マリーは真っ青な顔で、レオナルドを見た。吐き気は治まりそうにない。鼻をつく生ぐさい臭いと、口に広がるえぐみに胸がむかむかとした。視界がぐらぐらと揺れる。
口元を抑えていたせいで、犬悦で汚れたマリーの手を、レオナルドはなんの躊躇いもなく取る。
「僕は君と結婚する」
恐怖で顔が引き攣り、再びひどい吐き気が込み上げてくる。震えてうつむき、顔を歪めるマリーの手を取って、レオナルドはこの上なく満足そうな顔で微笑んだ。




