第8話:ふたりの孤独
城下町を見下ろす高台には、ひんやりとした風が吹き抜けていた。
普段は厚い雲に覆われた魔界の空。だが、今日は珍しく雲が切れ、わずかに光が差し込んでいた。
夕闇の中に沈みつつある城下町が、ほのかに照らし出される。
「……珍しいな」
ルシリオンが低く呟く。
セレナもその隣で、街の景色をじっと見つめた。遠くにはぽつぽつと灯る家々の光。そこには確かに暮らしがあった。
「……魔族の国にも、こんな景色があるのね」
ぽつりとこぼした言葉に、ルシリオンが微かに笑う。
「魔族も生きている。人間と同じようにな」
「……そうね」
そう頷きながら、セレナは横目でルシリオンを見た。
彼の黒髪が風に揺れ、紅の瞳が遠くを見つめている。
普段は堂々とした態度で、迷いのない言葉を口にする彼が、今はどこか静かでーー寂しげにも見えた。
「何を考えているの?」
何気なく尋ねると、彼は視線を動かし、セレナを見つめて少し目を細め、ぽつりと呟いた。
「……何も」
「嘘」
即座に返すと、彼はわずかに驚いたように眉を上げた。
「あなたが何も考えていないなんて、ありえないもの」
ルシリオンは一瞬黙った後、小さく息を吐く。
「……お前は、この国をどう思う?」
唐突な問いだった。
けれど、彼の低く落ち着いた声には、どこか迷いがあるようにも聞こえた。
「どう、って……?」
「お前は人間の国を追われようとしていた。そして今はこの国にだいぶ馴染んできたように思う。
だが、それでも不安はあるはずだ。居場所をなくした者が、新しい場所に馴染むのは……簡単なことじゃない」
その言葉に、セレナは思わず息を呑んだ。
彼はーーまるで、自分のことを話すように、それを言った。
「……あなたも、そうだったの?」
そう問いかけると、ルシリオンは街を見下ろしながら、静かに言った。
「俺は魔族の王だが、俺自身は純粋な魔族ではない」
セレナは改めて彼を見つめる。
「……人間の血が、入っているから?」
「ああ。俺の父は純血の魔王で、母は人間と魔族のハーフだった」
少し不思議な気がした。
自分の前にも人間の女性が魔界にいたーーそして、それがルシリオンのルーツに繋がっている。
「俺は、魔族の中で育った。だが、どれほど力を持とうと、俺の中には人間の血が流れている。魔族たちは俺を崇めるが、同時にどこかで警戒している。
……魔王としての俺を敬うが、俺自身を見ようとはしない」
「……」
「人間たちから見れば、俺は魔族の王であり、忌むべき存在だ。魔族から見れば、俺は混ざりものの王だ。
どこにいても、俺は完全に受け入れられることはない」
その言葉が、ひどく胸に刺さる。
(この人はーーずっと、孤独だったんだ)
王として君臨し、誰もが彼を恐れ、敬う。
けれど、彼を本当に『ルシリオン』という一人の存在として見てくれる者は、どこにもいなかった。
まるでーー王国で聖女になれなかった自分と同じように。
「……俺はずっと独りだった」
ルシリオンの言葉が、夕闇に溶ける。
「……でも、お前がここにいてくれるなら、少しは違うかもしれない」
その呟きを聞いた瞬間、セレナの胸が強く波打った。
「……ルシリオン」
気づけば、彼の手をそっと握っていた。
ルシリオンが驚いたように目を見開く。
「……あなたは、独りじゃない」
セレナは、強くそう言った。
「……宰相さんは、ずっと、あなたのそばにいるでしょう?あなたに仕えているというよりも、友人のように寄り添っているように見えたわ。
それに、城の人たちだって……あなたの命令だから従っているんじゃなくて、あなたを信じて動いているように見える」
セレナはこれまでのルシリオンと魔族の人々を思い出しながら言った。
「今日、街を歩いたときもそうだった。最初はみんな、少し距離を取っていたけれど……でも、あなたがお店の人に話しかけたら、美味しいものを食べて欲しいと次々と持ってきてくれて……ただ恐れているだけの相手に、人はあんなふうにしない」
ルシリオンは、僅かに目を伏せた。
「……そうか」
その表情は読み取れなかった。
けれど、彼の手がわずかに握り返してくるのを感じた。
そのとき、空を覆っていた雲の切れ間から、再び光が差し込んだ。
暗闇の中で、城下町がぼんやりと照らされる。
それはまるで、ふたりの心をそっと示すようだった。
ーーこの人の孤独を、少しでも和らげたい。
それは、ただの同情ではない。もっと、ずっと深い感情。
(どうしよう……私、ルシリオンに……)
胸の奥が熱くなる。
ーーそのとき、セレナは初めて気付いた。
自分が、彼に惹かれているのだと。




