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第2話:魔王ルシリオンとの邂逅

 強烈な光が視界を覆ったかと思うと、セレナの体はふわりと浮かび上がるような感覚に包まれた。重力が消え、まるで風に舞う羽のように軽くなる。そして次の瞬間――


 ドサッ


 硬い地面に叩きつけられる衝撃が、全身を走った。


「……っ!」


 痛みとともに、セレナは目を開けた。


 見上げた先に広がるのは、黒く淀んだ空。ねじれた木々が不気味にそびえ立ち、灰色の霧が漂っている。どこからか、耳慣れない獣の咆哮が響き、空を裂くように漆黒の雷が閃いた。


「ここは……?」


 セレナはゆっくりと身を起こした。冷たい風が肌を撫で、背筋に悪寒が走る。見慣れた宮廷の庭も、エドワルドのいる大広間も、どこにもない。代わりに広がるのは、赤黒い大地と、見たことのない木々が生い茂る仄暗い森だ。


(これは、夢……?)


 そう思いたかった。だが、頬をつねると、しっかりと痛みを感じる。現実だ。


(私は、どこか別の場所に来てしまった……?)


 混乱するセレナの前で、不意に空間が歪んだ。

 黒い霧が渦を巻き、やがて一つの影が現れる。


 長く艶やかな黒髪が闇に溶け込み、真紅の瞳が獲物を見定めるように細められる。整った顔立ち、端整な眉、鋭い目つき。黒と赤を基調とした豪奢な衣装に身を包み、圧倒的な存在感を放っているその男は――


「ようやく来たか。我が愛しの聖女よ」


 冷たい微笑を浮かべながら、男は言った。


(聖女……?さっきの光は……私の聖女の力が、目覚めたということなの……?)


 神々しい光に包まれた、つい先程のことを思い出す。自覚してみれば、確かに己の中にそれまでとは違う何か強い力があることが感じられた。


(そう、あの光に包まれたと思ったら、突然景色が変わって……って、なんで私はこんなところにいるのかしら!?この人たちが何か関わっているの!?)


 我に返って、声の主を見上げた途端ーーセレナは息をのんだ。彼の姿は、まるで神話に語られる魔王のようだった。


 そして、その場にひざまずくようにして控える影たち。角を持つ者、羽の生えた者、漆黒の鎧をまとう者――すべて、恐ろしい魔族だった。


(私……魔族に囲まれてる……!?)


 魔族は人間の敵。これまで幾度となく王国に侵攻しては、酷い争いを繰り広げてきた。

 セレナは本能的に後ずさった。彼らの邪悪な気配が肌を刺すように感じられる。しかし――奇妙なことに、魔族たちは誰一人としてセレナに近づこうとしなかった。

 むしろ、彼らの表情には畏れが浮かんでいる。セレナが僅かに動くだけで、びくりと体をこわばらせる者もいる。


(なぜ……?)


 セレナの脳裏に、あることがよぎる。


 ーー聖女の力に触れれば、魔族は消滅する。


 王国でそう教えられてきた。聖女は神聖な存在であり、魔族にとっては天敵。

 だからこそ、聖女の力は圧倒的に力量の不足する人間が彼らに対応する唯一の力であり、聖女は尊ばれる。


(彼らは、聖女にーー私に触れることすらできない……。ならば、今すぐ逃げるべき? でも、どこへ?)


 焦るセレナをよそに、漆黒の闇を纏う男がゆっくりと歩み寄る。


「逃げる必要はない。お前の生きる場所は、ここなのだから」

「……っ!」


 セレナは身を強ばらせる。彼だけは、まるで恐れる様子もなく近づいてくる。


「……あなたは、誰?」


 怯えながらも、セレナは問いかけた。


「ふむ……この世界では、名乗る必要もなかったのだが。まあいい」


  男は薄く微笑む。


「我が名はルシリオン・ヴェル=ノワール。魔王と呼ばれている」

「ま、魔王……?」


 言葉が喉に詰まる。まさか、こんな形で魔王と出会うとは思ってもいなかった。


「お前をずっと待っていた」

「私を……?」

「そうだ、聖女よ」


 そう言いながら、ルシリオンはゆっくりと手を伸ばしてきた。


「やめて……!」


 セレナは咄嗟に身を引いた。だが、ルシリオンの指先は迷いなく彼女の首筋に――触れた。


(なぜ……?)


 聖女の力を纏った自分に、魔族が触れることなど、本来ならありえないはずだ。現に、彼の周りの魔族はセレナが一歩でも動こうものなら必要以上に距離を取ろうとする。

 それなのに、ルシリオンの指は確かに彼女の肌に触れ、まるで宝石を扱うように優しく首筋をなぞった。


「……っ!」


 恐怖に震えるセレナの髪を、ルシリオンは指先で梳いた。その仕草はどこか慈しむようでもあり、同時に支配する者のそれだった。


「ここに、俺がつけた印がある。お前の力が目覚めると同時に、この世界に転移するように、お前がまだ幼い頃に印をつけた」

「なぜ、あなたは私に触れられるの……?」


 怯えるセレナに、ルシリオンはくすりと笑う。


「愛しいお前に触れられないはずがないだろう?」

「……!」


 その言葉の意味が理解できない。けれど、彼の目には本気の色が浮かんでいた。


「……冗談、よね?」

「冗談? 俺が?」


 ルシリオンは目を細め、微笑んだ。その笑顔に、セレナは戦慄する。


「お前は、俺の聖女だ」


 ルシリオンの声は、まるで運命を告げるように響いた。


「これからお前は、俺と共に生きるのだ。人間の王国ではなく、この魔界でな」

「そんな……!」


 セレナは首を振る。しかし、ルシリオンは構わず手を差し伸べる。


「お前はもう俺のものだーー愛しい魔王妃セレナよ」


 魔王の宣告とともに、セレナの運命は、大きく変わり始めた――。

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