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第11話:覚悟と誓い side.Serena

 雲間から魔界独特の紫の月明かりが静かに中庭を照らしていた。石畳に映る自分の影を見つめながら、セレナはそっと息を吐いた。夜風が冷たい。


 この国に来てから、何度もこうして夜の庭を歩いている。眠れないからだ。


 ルシリオンは優しい。

 彼はセレナを魔王妃として迎え入れようとし、尊重し、過保護なくらいに守ろうとしてくれる。

 それでも、不安は消えなかった。


(私は、本当にここにいていいの?)


 王国を追われ、聖女の力を失いかけ、それでも生きる場所を見つけようと足掻く。

 だが、この国のすべてがルシリオンのようにセレナを受け入れているわけではない。

 大半の魔族は聖女の力を恐れて、でもルシリオンの手前あからさまに忌避することもできず、さり気なく距離を取っている。


 また、魔族の中には、彼を魔王と認めない者たちもいるようだ。

 ルシリオンは、魔族と人間の血を引いている。その血統を快く思わない過激派がおり、彼らは幾度も反乱を企てているらしい。

 つまり、人間であるセレナのことも、排除したいと思っていてもおかしくはない。


 ーーそして、今夜。


「貴様が、人間の聖女か」


 静寂を裂く声。

 ゾクリとするほど冷たい殺気が背後から迫る。

 振り向いた瞬間、闇の中から鋭い爪が振り下ろされた。


「ーーっ!」


 本能的に後ずさる。間一髪で逃れられたのが奇跡のように思える。


 見知らぬ魔族の男。

 闇に紛れながらも、瞳に滲む敵意だけははっきりと見えた。


「ただでさえ混じり物の血だというのに……これ以上、穢らわしい人間の血などーー不要だ!」


 言葉の意味を理解するより早く、再び爪が振り下ろされる。


(ーーっ!)


 体が竦む。

 逃げなくては、と思うのに足が動かない。


 ーーその瞬間だった。


「セレナ!」


 低く響く声とともに、強い腕が彼女を引き寄せた。


 ルシリオンーー!


 彼の身体が視界を覆う。

 その瞬間、鈍い音とともに、生温かいものが頬に飛び散った。


「……え?」


 思わず見上げると、そこにあったのは血に塗れたルシリオンの肩ーー深々と爪が食い込んでいる。


(私を、庇った……?)


 彼は顔色一つ変えていなかった。

 代わりに、鋭い視線で男を睨みつける。


「貴様らのような愚か者が、まだいたとはな」


 低く冷たい声。

 瞬間ーー空気が震えた。ルシリオンの魔力が炸裂する。

 禍々しいほどの魔力の奔流が、瞬く間に男を薙ぎ払った。


 その光景を見て、セレナは改めて思い知る。

 彼は圧倒的に強い。だからこそ、普段の襲撃など取るに足らないものだったのだろう。

 けれど、今回は違う。


「……どうして」


 震える声が零れる。


「なんで、私なんかのために……!」


 彼が自分のせいで傷ついた。

 それが、恐ろしくてたまらなかった。


「お前が傷つくくらいなら、俺が傷を負ったほうがいい」


 静かに告げる彼の言葉に、心臓が締め付けられる。


「……馬鹿」

「そうかもな」


 ルシリオンは、ふっと微笑んだ。

 温かい手が、震えるセレナの頬を撫でる。


「お前に、怖い思いをさせたくない」


 まるで、自分よりもセレナのことを大切に思っているような言葉ーー本気でそう思っているように聞こえた。

 それが、嬉しかった。そして、怖かった。


 彼は強いけれど、無敵じゃない。

 もし、次は彼が致命傷を負ったら?

 もし、次は彼がいなくなったら?


(嫌っ……!)


 想像しただけで、胸が張り裂けそうになる。

 手が震える。

 彼のいない未来なんて、耐えられないーー。


 気づけば、彼の手を強く握っていた。


「ルシリオン……あなたを、守りたい」


 涙が溢れそうになるのを堪えながら、必死に言葉を紡ぐ。


「あなたがいなくなるなんて、考えたくない。

だから……お願い。もう、こんな無茶はしないで」


 ーー彼を、守りたい。


 心の底から湧き上がるその想いを、ようやく認めることができた。


(私は、ルシリオンが、好きなんだーー)


 ルシリオンは、驚いたように目を見開いた。

 けれど、その表情はどこか柔らかくて。


「……ふ」


 微かに笑うと、彼はそっとセレナの頭を撫で、その小さな身体を優しく抱きしめた。


「お前にそんなことを言われるとは、思わなかったな」


 くすぐったいような、それでいて嬉しそうな声だった。

 その言葉に、セレナも小さく笑う。


 ーーもう、迷わない。


 彼と生きる。

 彼を守る。

 これが、自分の選んだ道なのだから。


 セレナもそっと、ルシリオンを抱きしめ返した。

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