第10話:私が守るべきものは
魔王城での生活に、セレナは少しずつ馴染み始めていた。
――それが、恐ろしかった。
ルシリオンと過ごす時間が増えるにつれ、彼がただの冷酷な支配者ではないことを知るようになった。
彼は魔族の王として、民を守ることに誇りを持ち、無意味な戦争は避けたいと願っている。
『魔族は人間の敵』
それは、かつてセレナが王国で教えられてきたことだった。
でも、今の彼女は彼らが普通の暮らしをしているのを目の当たりにしている。
子どもたちは楽しげに遊び、家族は互いを想い合い、戦争ではなく日々の暮らしを大切にしていた。彼らが人間と何も変わらないことに、セレナは驚きを隠せなかった。
ーーもし、王国が魔族に侵攻するとしたら?
この人たちはどうなる?戦火に巻き込まれ、ただそこで生活していただけの魔族が傷つけられるのではないか?
「どうした?」
話しかけられて、はっとした。
気づけば、ルシリオンが彼女を覗き込んでいた。
「……何?」
「お前、また何か考え込んでるな」
「別に……」
「お前はすぐに嘘をつく」
ルシリオンはくすっと笑い、当たり前のようにセレナの髪を指で撫でる。
「……!」
「最近のお前は、すぐ表情に出る」
「……そんなこと、ない」
「あるさ。お前が俺に心を許してきた証拠だ」
「……っ」
彼は、いつもそうだ。
セレナの心を見透かしたように、一番動揺する言葉を投げかけてくる。
「俺とここで過ごすのも、もう嫌じゃないだろう?」
セレナは反論できなかった。それが事実だったから。
ルシリオンは甘く微笑むと、彼女の手を取る。
「お前が王国に未練を感じているのもわかっている」
「……え?」
「ここでの暮らしを受け入れながらも、王国のことを考えると胸が痛む……違うか?」
彼は、セレナの一番触れられたくない部分を、何の躊躇もなく突いてくる。
「……それは……」
「お前は王国をどう思っている?」
「……どうって……」
王国に愛着などないと思っていた。聖女としての使命を与えられ、ただ魔族に対抗しうる力を発現することを求められてきた。
家族とは幼い頃に引き離された。
婚約者のエドワルドとは、政略的な繋がりだけだった。
心から笑い合える友人がいたわけでもない。
だから、王国に特別な思い入れなどないと思っていた。
(でも――それは、本当?)
頭の中に、王国の風景が浮かぶ。
市場の賑わい、城下町の子供たちの笑顔。
幼い日に弟と過ごした時間、母が優しく微笑んでくれた記憶。
「……」
ーー私は王国を憎んでいるわけじゃない。
ーー王国もまた、私にとって大切な場所だったのではないかしら?
「お前は優しい」
ルシリオンの言葉に、はっとする。
「俺の民を見て、お前は『敵』だとは思えなくなってきた。だが、王国のことを思えば簡単にこっちには来られない」
「……私は……」
「お前のそういうところが、好きだよ」
さらりとそう言う彼の声音に、心臓が跳ねる。
「っ、からかわないで」
「からかってなどいない」
「私は、あなたに惹かれたりしない」
そう言いながら、胸が痛むのはなぜだろう?
惹かれてはいけないのに、惹かれてしまう。
でも、王国を捨てることなんてできない。
(私は本当に、このままでいいの……?)
ーー王国と魔界。
ーー使命と心。
ーールシリオンへの想いと、聖女としての役割。
それらの狭間で、セレナは引き裂かれるような苦しさを覚えていた。