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神の流刑地

鳥は飛ぶ

作者: 林伯林

「神の流刑地」の六話目です。

あまり需要は無いかと思うんですが、何故か無性に書きたくなるんですよね。

よろしかったらお付き合いください。


 長い事歪み折れ曲がっていた意識の強い羽を思い切り伸ばし、痛みも軋みもない事をゆっくりと堪能し、身体中に行き渡らせ。


 白い巨大な鳥は飛翔を開始する。


 人知らずの山の上を舞う白い鳥は、人間の間で徐々に知られるようになっていた。


 それは元邪竜討伐隊の剣士と魔法使いの報告にあった瀕死の巫女に寄りそう精霊である、とも知られ始めていたが、時折、無謀な者が己の腕を試す為にそれへ弓を射かける事態が発生し、物議をかもしていた。


 当然精霊に弓など通用するはずもなく、逆に光の結界に弾かれた弓が自身を襲い、命を落とすか二度と狩りなど出来ぬ身体になるかの二択ではあったが。


 そもそも、生き残った者の証言によれば、たまたま近くへ降り立った鳥は見上げるほどの巨体であり、脆弱な弓矢など通る可能性はないと知らしめられたのではあった。


 それでも一種の遊戯のような白い鳥討伐ブームはおさまらず。


 王城から白い鳥への攻撃禁止令はまだ出ない。


 いずれはそれが発布されると読んだ者達は、それまでの間は腕試しとばかりに次々と人知らずの森へ入り、人知らずの山へ登り、ブームは過熱していった。


 留めつけられた巫女を覆う結界へも興味本位で近づき、外側を覆う闇の霞に中てられる者も続出した。


 山の中腹に住む剣士は、自身の畑と小屋周辺を荒らされ、ついにこちらも結界で住処を覆った。


 魔法使いの方は、森の中に住み、元々隠蔽をかけていたので剣士程迷惑を蒙ることはなかったが、それでも時折傍を騒々しく通り過ぎる者達の気配を感じて忌々しくは思っていた。


 とっくの昔に王城へ剣士と連名で抗議と懸念の文書を送ってはいたが、王城の反応は無い。


 近く禁止令が発布されるという噂は、どうなるか判らないと魔法使いたちは思っている。


 彼らは異界の巫女に対する罪悪感を払拭したいのだ。


 見るからに神々しい鳥を「元邪竜」と貶め、弓を射かける事で。


 禍々しい闇の結界に包まれた瀕死の巫女を「未来の邪竜」と呼びかける事で。




 ご苦労な事だ、と鳥、ソラリスは思う。


 ここ数年で勢いを増した人知らずの森の緑を眼下に見下ろしつつ。


 そこにきらりと光る物があった。


 濃い緑に隠れた、大業な物。




 ---あれは確か、バリスタとかいう……




 ソラリスは数百年も前の召喚前の知識を掘り起こす。


 太い木枠にがっしりと支えられ、巨大な設置型の弓が木陰からこちらを狙っていた。


 あんなもので飛ぶ鳥を落とせるとも思えなかったが、器用に角度を変えてくる。


 一体、どんな人間が持ち込んだのかと観察すると、バリスタの周囲には武装した兵らしき男たちが何人もいた。


 普段見る腕試しの狩人や単独の騎士等とは明らかに異なる男達にソラリスは首をかしげる。



 兵がたむろすこの様子では、禁止令は出されないということなのだろう。


 すなわち、白い鳥を討伐される魔獣と同義に扱う、という事。


 思えばこの数年、この世界は平和を享受していた。


 瘴気によって傷つけられた大地の力は戻り、若干の国同士の揉め事はあれど、荒事は遠い。




 ---要するに、ダレちゃってつまらないのね。




 軍に仮想敵は一応あるのだろうが、平和が続けば士気は下がる、ということだろうか。


 賞金の一つもかけられたのかもしれない。




 ---馬鹿じゃないのかしら。


  


 ソラリスは高度を上げその場から遠ざかると、人知らずの森をゆっくりと一周した。


 森の中には点々と兵がたむろする場所があり、このところ人の出入りが増えた森が更に賑やかになっていた。


 バリスタは所々に垣間見え、山にも運び込まれていた。


 瀕死の巫女の結界のすぐ傍である。


 しかも、角度は水平。的は結界、いや、中の巫女だ。




 ---本当に馬鹿じゃないのかしら。




 どうやらバリスタは最新式らしく、その性能を試すつもりもあるのだろう。


 ソラリスは大きく羽ばたき、山の頂へ進路を変えた。


 視界の端に光が弾け、森から鋭く巨大な弓矢が飛んできて翼の端をかすったが、気にせず高度を上げる。


 かすかな接触で火花が散り、そこに魔法的な何かが付与されている事に気が付いて不快に思いはしたが。


 別段、その付与が効果があったわけではない。


 その証拠に、今までと同じく、弓矢は反転し、バリスタを破壊した。大した魔法付与でもなかったのだろう。


 だが、今までの腕試しとは明らかに違う、それはもう完全な、兵として、国としての敵対行為であった。



 人知らずの山の頂上は、反り返った岸壁の上にある。


 ロッククライミングの名所にでもなりそうな場所だ、とソラリスは思っていたが、そこへはこの世界の人間は辿り着く技術はない。


 とはいえ魔法がある世界である。用心しつつ降り立つ。


 森林限界の上でもあり、草は生えていても樹木は無い。瘴気が満ちていた頃とは違い、山も緑が増えてはいる。特に剣士が住みついている中腹の小屋周辺は、その魔力に惹かれた精霊たちがしょっちゅう入り浸っているので草木の成長が良く、そこだけが森のようにもなっている。


 そこにも、兵士がたむろしていた。


 現在剣士の小屋周辺は荒らされるの嫌さの結界に覆われているが、その外側の木立ちまでは入り放題である。


 人知らずの森に目を移し、隠蔽された魔法使いの家の方を見やると、その近くにも兵士はいた。


 その中に、ほぼ忘れかけていた女の姿が紛れていた。


 邪竜の討伐隊で、巫女の護衛を務めていた女騎士。


 かつて半泣きで剣士や魔法使いにすがりつこうとして、すげなく追い返された中途半端な女。


 方向感覚は正確だったらしい。


 魔法使いの結界は堅牢で、更にその中には精霊たちが飛び交っている為、よほどのことが無ければあの最新式のバリスタでも投石器でも打ち砕くことは出来ないだろうが。





 「魔法使い様、ここをお開けになって下さいまし!」


 女騎士が門扉へ向かって怒鳴っている。隠蔽で見えてはいないだろうが。


 「王のお召しでございます。今すぐ出頭なさいませ」


 返事はあるはずもなく、長閑な森の風景が続くだけ。


 はて、王命で出頭とは、と山の頂でソラリスは首をかしげる。


 このところ、王都方面の情報は殆ど追っていなかった。リウは人のいない所にしか興味がなく、海の中にばかりいたし。




 ---平和ボケして、仮想敵増やすことにしたの?




 足元に泉を出現させ、そこへ王城の様子を映しだす。


 魔力で生成された水にはすかさず細かい精霊たちが集まってくる。


 この山は、眼下の森は、今も昔も精霊たちのものであった。例え瘴気に覆われていようとも、無粋な人間達に無遠慮に踏み入れられようとも。



 精霊たちは大地の霊脈に沿ってどこへでも瞬時に移動出来る。


 それが王の執務室であっても。


 即座に映しだされたそれをソラリスはしげしげと覗き込み、溜息をついた。


 およそ、想像した通りの成り行きだった。




 ---リウ、今どこにいるの?




 もう一つ泉を出現させ、そちらへ向かって呼びかける。


 映しだされたのは、珍しく深海ではない場所だった。




 ---海。




 返事は端的だった。


 海面の少し下を仰向けになってゆるりと移動している姿。


 鯨の背中に乗って。




 ---何してるの。




 少し呆れて問う。




 ---鯨の背中に乗ってみたらあちこち行ってくれるから風景が変わって面白くて。




 ---仰向けじゃ空しか見えないんじゃない。




 ---今はね。何か用?




 ソラリスは現状を説明した。




 ---ふーん。




 リウの返事は「それが何」と言った関心の薄さ。




 ---所詮この世界の大型兵器程度でどうにかできる結界でもないのでしょ?まあ、壊れたってどうでもいいとは思うけど。




 ---いいんだ。




 ---もし私の体がむき出しになったらどうするのかしら。切り刻んで火で炙る?




 ---そういう扱いされるかもね。




 いずれ邪神になるならば、その前に滅してしまえという事か。


 王は側近にそう言っていた。


 王なりに、召喚陣が破壊されてしまった事をどう挽回しようか考え続けてはいたらしい。


 そこに白い鳥討伐ブームである。


 色々な思惑が重なった。




 ---あの体なくなったらどうなるのかしら。まあ、手出しできないでしょうけど。




 ---あなたの意識はもうそっちの身体のものだし、しっかりと定着しているけど、あっちとも糸は繋がっているから、何か影響は出るかもしれないわ。




 ---私の事より、「約束事」としてのあの身体のあの場所への留置よね。だって「神の意志」なんでしょ?




 ---ああ……そうね。まあ、繋がれた神より高位の存在なのは確かだろうけど、もうこの辺にはいないだろう神ね。




 何も感じないのだ。


 他の精霊もそう言う。


 高位の存在が近くにあれば、その気配を感じないではいられない。


 過去、突然現れたその存在の気は強烈で、清浄も過ぎれば苛烈な毒とでも言わんばかりに精霊たちは消滅の恐怖に震えたそうだ。




 ---もう大地の力は潤沢なのかしら。




 リウは呟くように言った。




 ---邪神のお役目は終わり?もう「満ちた」ってこと?




 ---どうなのかしら。




 それは、何度も二人で話して確認したこと。


 この世界の中心に一柱の神が留め置かれたわけ。


 最初は大地に神気が満ち、次はそれが瘴気に変じ。


 そして現在は魔力に変じている。




 神は苗床。




 ---腐って栄養になる必要ももうないって事なのかしら。なら……



 

 リウはにっこりと笑った。







 この世界の最新式大型兵器は、まず魔法使いの家の門扉へ向かって放たれた。


 無論、結界はびくともしなかった。


 が、隠蔽で隠されているため、何もない筈の場所で、恐らくは結界にとどめられ、「何か」に突き刺さった形で宙に留められた。


 兵達はざわめいた。


 そんな効果は見たことが無かったからだ。


 結界とは武器が通れば砕かれるし、通らなければ武器が弾かれる。


 兵達の背後から魔法使いのトーガを着た男が前へ出てきた。


 どうやらその男が、矢に魔法付与した当人らしい。


 空中でぴたりと静止したまま動かぬ矢に用心しつつ近づこうとすると、そのそばに女騎士が寄り添った。


 魔法使いはちらりと女騎士へ視線をやったが、行動を止めようとはせず、手を伸ばして矢にまとわせた魔力を確認する。


 結界を砕くための威力はきちんと効いている。


 では、威力が足りなかったのか。


 森に隠遁したとはいえ、当代随一と言われた魔法使いである。侮りすぎたかと男は更に付与を増す。


 ぎりぎりと、軋み、ひび割れるような音がする。


 微動だにしなかった矢がぶるぶるとその身を震わせ、矢尻の先端から金属がこすれる音とともに火花が散る。


 ぎりぎりみりみりとせめぎ合う悲鳴のような音が空間を歪ませる。


 穏やかな緑の風景が歪んで、鏡に映っていた映像だったかのようにひび割れる。


 「よし、今だ!」


 結界には修復能力がある。それが発動する瞬間を狙って魔法使いは指示を出した。


 投石器が幾つもの礫を打ち込み、ついに見えていなかった門扉の木戸を粉々に打ち壊した。




 「あらあら」




 のんびりとした声に、鬨の声を上げようとしていた兵たちの動きがぴたりと止まった。


 砕かれた門扉の向こうには。前庭の花に水をやっていたらしき女魔法使いが如雨露を持って身を起こしかけていた。


 「随分乱暴な事をなさるのね」


 おっとりと背を伸ばし、如雨露を抱えて向き直る。


 「最初に王のお呼び出しを無視なさったのはそちらです!」


 女騎士が叫ぶ。


 女魔法使いは首をかしげる。


 「はて。私は剣士殿と連名で森の現状をお伝えした際、大変迷惑しているので暫く結界に引きこもって騒々しい外界を遮断して暮らすととっくに申し上げておりますよ?王の呼び出しなど、知る由もありません。陛下もご存じの筈ですのにね」


 おかしなことをおっしゃる、とばかりに女騎士を見る。


 麗しい顔で。麗しい声で。麗しい微笑で。


 それに気を呑まれたように女騎士も魔法使いも兵士たちも一歩後ずさった。


 「きちんと解決してくださるものと思っておりましたのに」


 この有様ですか、と女魔法使いはその場で一番前へ出ていた魔法使いを見る。


 魔法使いはその視線に射られてびくりと背筋を伸ばした。


 かつて、魔法師団において、この女魔法使いはとびぬけた存在だった。


 誰も叶わず、誰も寄せ付けない高みにいて、常に戦いの最前線にいたものだった。


 苛烈な性格も攻撃もひりひりと焼け付くようで周囲の人間を畏怖させ、幼い頃から才能を見いだされ教育されてきた貴族家生まれの魔法使いは劣等感を募らせてもいたものだった。


 「王命に逆らった以上逆賊だ」


 貴族家出身でもない、単なる平民など虫けら以下だ、と魔法使いは笑う。


 女魔法使いは溜息をついた。


 「それが王の答えですか」


 「そなたには王都へ来てもらう」


 「あら、ここで始末するのではないのですか」


 意外そうな顔をする。


 「そなたには利用価値がある。その魔力、国の為に使い尽くせ」


 「まあ、生ぬるい事」


 ふ、と女魔法使いは目を細めた。


 「なんだと」


 「あなた方の誰が私に首輪を嵌められるというのです」


 文字通り、首輪とは魔力封じのそれだった。


 連行するには誰よりも魔力が強くなければならず、そして魔法を使わせるなら一時的に無効にしなければならない。そんな制御を誰が行うのか。


 「まさかあなたがなさるとでも?」


 その言葉は、単純な疑問以外の感情は何一つ込められていなかったが、男の腹がぐつりと煮えた。


 常に魔法師団に於いて、この魔法使いの後塵を拝する立場であった己を思い出して。


 「これを見るがいい」


 魔法使いは左腕を巻くって見せた。


 手首に黒い石のついた腕輪が嵌っていた。


 「あら、良い物をお持ちね」


 それが何であるかを女魔法使いは瞬時に理解した。


 魔力を補強する魔導具。


 使われる石によってその効果は異なるが、黒は知られている限り最上位の石であり、大きさも充分。恐らく、手に入れられる限りではこれ以上の物はないだろう。


 「流石、金満貴族のご令息ですこと」


 くく、と女魔法使いは笑った。


 「私はそなたを除けば魔法師団一の魔力量を持っている。これで底上げした今、そなたを御することなど容易い」


 男は魔法師団に入団してから初めて、優越感を持って目の前の魔法使いを見た。


 「さようでございますか」


 ふふ、と女魔法使いは笑った。


 「ではご自由にどうぞ」


 そう言って、如雨露を足もとへ置いて、待ち受ける。


 「わたくしはここから動きませんよ?」


 壊された門扉の内側から、女魔法使いは呼んだ。


 女騎士は腰から剣を抜き、兵士たちはもう一度バリスタを引いた。


 男は若干躊躇いを覚えながらも、傲慢に顔を上げて、足を踏み出し、門扉の残骸を踏み越えた。


 ゆっくりと女魔法使いの傍へ歩み寄りながら、懐から黒鉄の首輪を取り出す。


 「無粋な意匠だこと」


 女の呟きに男は目を眇める。


 「物の意匠に興味等なかったように思うがな。それとも女になれば趣味嗜好も変わるということか?」


 「あなたと個人的な好みについて話す気にもならなければ必要もなかっただけの話です」


 「そなたは他人にも興味が無かったようだったな」


 「それはお互い様でしょう」


 「そうだな。だが女であれば利用価値は男よりもある」


 門扉の外に残っていた女騎士が身じろいだ。


 女魔法使いは鼻で笑った。


 「そう言えば、貴族は魔力の高い者どうしを掛け合わせてきたのでしたっけ」


 「そうとも。多くの貴族がそなたの血を求めるだろう」


 「やはり、森以外では女だと生きにくいですわね」


 ねえ、と女魔法使いは女騎士のほうへ言ってやる。


 女騎士は眉を寄せ、唇をきつく結んでいた。


 魔法使いに取り入ったはいいが、今のところ「便利な駒」以上の存在ではないらしい。


 「何、あまたの男に抱かれるのが嫌であれば、私が囲ってやってもいい」


 にやり、と下種に笑って男が言う。


 「以前とは見違えるような姿だな。聞いた時は信じられなかったが、悪くない」


 上から下まで舐めるように見てくる男を無視して、魔法使いは首をかしげる。


 「仮にわたくしが王都へ行ったとして、あなたに所有権が渡るとも思えないけれど」


 「私は今や魔法師団の次席だ。魔力量も実力もほぼ師団長と同等。そして家格は我が家が上だ」


 「馬鹿馬鹿しい」


 心底呆れたように言う女魔法使いに思わず男は視線をきつくした。


 「なんだと」


 「家格が何の役に立ちますか。師団長の実力はあなたより上ですよ。私が彼には一応従っていたのは単に上司だったからだけではありません」


 そうでなければ、面倒を避けるためにその地位を奪い取っていただろう、と笑う。


 「この度の事、師団長は何とおっしゃっていました?」


 男は不愉快げに顔をしかめた。


 「今回の件は私が王に直接上奏した」


 女魔法使いは納得したように「やはり」と頷いた。


 「こんな馬鹿げたこと彼が許可するとも思えませんしね」


 「は……」


 男はあざけるように笑った。


 「随分と信頼が厚い事だ」


 「彼はあなたと違って愚かではありませんでしたからね」


 「ではその愚かな男の計画で屈辱を受けるがいい」


 男は首輪を女魔法使いの首にがちゃりと嵌めた。




 ぽちゃり、と水滴の落ちる音がした。




 足元に置かれた如雨露の先端から。


 一気に溢れだした水が、男の足もとをぬかるませ、土を緩め、瞬時に男の身体を半分程地面に埋めた。


 息をのんだ女騎士や兵士たちが慌てて剣を抜いてこちらへやってこようとしたが、門扉のあった場所には透明な壁が存在し、誰も入れず、剣を叩きつけても弾力のある感触が返ってくるのみ。


 事ここに至って、漸くバリスタや投石器が使われたが、先ほどと違って全てがぽよんぽよんと間抜けに跳ね返されて地に落ちる。魔法付与の派手な反応らしき火花を散らしながら。


 「貴様!」


 半身を泥に埋めた男が憎々しげに叫ぶ。


 女魔法使いが首輪を指先でひと撫ですると、するりと外れて落ちた。


 落ちたそれは、灰色に変色した上、ぼろぼろになって砕けていた。


 それを見て、男は絶句した。


 「愚かなり」


 女魔法使いは言った。


 「なんだと!」


 男は睨みあげたが、女魔法使いの周囲に不可思議な光が多数漂っていることに気が付いた。


 ふわふわと真昼の蛍のように。


 目を眇める男に漸く気が付いたのかとでも言いたげに女魔法使いは肩をすくめた。


 男の目の前をふわりと横切った光は、曖昧ではあったが、背に翅をはやした小さな人の姿を浮かばせていた。


 「精霊、か……?」


 「今やこの森は精霊の住処です。きちんと王都に報告もしていたのですけれどもね」


 聞いていなかったのか本気にしていなかったのか。


 「そもそも人知らずの森も山も、人の領域ではありませんよ。何時の時代も人の国の領土ではなかった。こんなに傍若無人に振る舞って、いくら平穏が続いたとはいえ、まだ十年も経っていないのに、あなた方ときたら……」


 呆れた顔で女魔法使いはじりじりと泥に沈みつつある男と、その向こうで狼狽えている兵たちを見やる。

 狩人程度が日々の糧を得るために入る事は目こぼしされても、今回の騒動はそうはいかない。



 あの白い鳥は、精霊が姿を変えた者……



 「どういうわけか、私の住処は精霊が沢山集まる場所でしてね。あなた程度だって、目を凝らせば見えるでしょうに、ここを荒らすとは本当に考え無し……」


 「あなた程度」と言われて男は眦を上げ、まだかろうじて自由だった両腕を目の前の飛び交う光を掴みとろうとするように振り回した。 


 腕は宙を切り、身体はなおのこと沈んで胸まで泥に漬かった。


 女騎士が男の名を叫ぶ。


 そういえば、そんな名前だった、と女魔法使いは思う。


 「こんなことをしてただで済むとお思いですの!」


 女騎士は精一杯脅しつけるように叫んだ。


 「さあ?でも私を脅しつけたとてどうにもなりませんよ」


 眉を寄せる女騎士に困ったように言ってやる。


 「今、諸々なしているのは精霊ですから」


 ぶわり、と女魔法使いの周囲から眩い光が爆発するように広がった。


 恐れをなしたように兵士たちは下がった。


 女騎士も。




 美味しくない


 美味しくない


 森にはいらない




 りんりんりんと鈴の音に似た歌声に、女騎士ははっとする。


 それは数年前にここへ来た時きいた、けもの道を飛び跳ねながら移動する小魚たちの歌。 

 

 足下をぴんぴん跳ねながら虹色の小魚たちが如雨露の生み出す水流を遡っていく。




 美味しくないのに


 美味しくないのに


 沢山沢山


 折角綺麗になったのに


 折角力が満ちたのに




 女騎士は突然己の足が膝までぬかるんだ泥に沈んだ事に気が付いて悲鳴を上げた。


 兵士たちも次々と泥に沈んでもがき始める。




 森にはいらない


 おうちへ帰って


 そうして二度と




 二度と来ないで





 ぱーんと空気が弾けたような音がした。


 その場にいた人間達は、女魔法使い以外、全員が閃光に目を眩ませた。







 そのころ同時に、山の頂き近くの場所にある、有名な「瀕死の巫女のドーム」に向けてもバリスタが構えられていた。


 兵士たちは、多少の躊躇いはあったのかもしれないが、上からの命である上、もう災厄の竜討伐の旅からは十年近くが経ち、その頃感じていた絶望感や、瘴気から救われたことによる歓喜などの感情が薄れつつあった。


 それ故、「白い鳥は元巫女であり精霊」よりは、「元災厄の竜」という情報を抽出して、遊戯のような討伐ブームに乗ってしまう事も、闇のドームにいる瀕死の巫女の貼り付けられた身体も「いずれ災厄の竜に変じる」という事のみを取沙汰して事前に滅してしまおうとする事も、「大したことではなく」、平和な時代の最善の策であるとぼんやり考えていた。


 いや思考を放棄していた。


 それ故、躊躇いなくバリスタはドームへ向かって放たれた。


 ぶん、と至近距離から鈍い音を立てて飛んだそれは、闇のドームに先端を触れさせると、ぴたりと宙に留まった。


 女魔法使いの家への攻撃と同じであるが、ここにいる者たちはそれを知らない。


 これは一体どういうことだと兵たちがどよめき、現場の指揮官がとまった矢に近づく。





 「愚かなり」





 一陣の風が吹き、影が差す。


 見上げた兵たちは、太陽を背にして空いっぱいに広がる白い鳥の出現を見て息をのむ。





 「愚かなり。ワガレルリアグは精霊の住処である森と山へ仇なすが望みか」





 「それは違う!王が我らに命じたのは「前代と次代の災厄の竜の排除」だ!」


 それが正義とばかりに指揮官が叫ぶ。


 「では、森の魔法使いの家へ攻撃を仕掛けたのはどういうわけなのだ?」


 「あの魔法使いは王の出頭命令を無視した」


 「あちらへ尋ねれば、別の話が聞けようが、まあ、それはいい」


 関係ない、と白い鳥は言った。


 「今も昔も、人知らずの山と森は、どこの国も領有しない事で話し合いがついていたはずではなかったのか?竜討伐の頃ならともかく、兵士を多数派遣するとはどういう心積もりか。どさくさに紛れて領有を主張するつもりか」


 魔物や大型の肉食獣も出る事はあるが、瘴気が消えて瞬く間に実り豊かになった森は、各国にそれなりの恵みをもたらしていた。森の外側を囲う九つの国は、それぞれがあやふやな線を引いて区切って大ざっぱに森を把握してはいたが、それは決して領有を主張していたわけではない。軍隊を入れてきっちりと国境を決める事もしてこなかった。


 古より、災厄の竜が目覚める度、森は瘴気に満たされたからだ。


 最初にそこが聖地である、と定められたからだ。


 神によって。




 「それも違う!先ほど言ったように、我らの使命は災厄の竜の排除だ!」


 「ほほ……」


 白い鳥は笑った。


 「そもそもの最初、至高の存在がここへ一柱の神を留めつけたのは、出来たばかりの若い大地を富ませる為だったのだがな」


 「なに……」


 「まず神力が満ちて落ち着き、瘴気に変じて一見大地は死にかけたが、浄化の後魔力に変じた。腐葉土を作って混ぜ込むようなもの。繰り返すごとに森は豊かになっていっただろう?そなたらの短い生では実感できぬことだったか」


 「何を言う!あの瘴気のせいで人類がどれほどの苦境に立たされたか」


 指揮官は顔をこわばらせた。


 「だが滅びはしなかったであろ?」


 ぐっと指揮官は歯を食いしばった。


 「所詮至高の存在にとっては人等その程度の存在と言う事。そのかわりというわけでもなかろうが、精霊が細やかに人を見てくれていたというのに……」


 精霊、と言われて皆はゆるりと周囲を見回した。


 この山も森も、瘴気に覆われる前は精霊の住処として大事にされていた。日々の糧を得る為に入る事は許されていても、それ以外は不可侵の聖域と取り扱われてきたのだ。


 瘴気に覆われてからも、「精霊の日だまり」と呼ばれるスポットが点在し、そこが人々の、討伐隊の一時避難所となり、九死に一生を得たという者も多い。


 古くから、精霊は神よりも人に寄りそってきた。


 それ故、神殿も神と並んで精霊を祀っている。


 「そなたらはもう、その精霊の助力も必要ないということなのだな」


 ちらちらちらちら、と目の端を飛び交う光に、兵士たちは気が付いた。


 白い鳥の眩しさに目がかすんだかと思ったが、そうではなく。


 宙に留められた矢の周囲にそれらが集まってきていた。


 「私は人に興味がない」


 はっと顔を上げる。


 白い鳥はゆるりと高度を上げた。


 「()()以外の精霊たちが、そなたらをどうするか決めるだろう」


 ばさりと大きく羽ばたく。


 「待て……!」


 と、声をかけた者がいた。


 指揮官でも、まして兵士たちの誰かでもない。




 いつの間に来ていたのか、剣士だった。




 住処を覆った結界の周囲にたむろしていた兵士たちを出し抜くくらいは大したことではなかっただろうが。


 「リウは無事なのか」


 剣士は事ここに至っても瀕死の巫女を案じていた。


 「変わらずその中に」


 矢をぴたりと受け止めている闇のドームをくちばしで示す。


 「リウはどうなる」


 「その子がなりたいように」


 「望み通り、ということか?」


 「そう。眠っていたいというならそのように」


 その子はこの世界の者ではなく、未だ邪神ではなく、精霊でもなく、そしてもはや人でもない。何とも規定できない存在でしかない。誰にも干渉できない。


 そう告げられて、剣士はほっとしてこわばりを解いた。


 「では、よい」


 そう言って、下がった。


 「け、剣士殿!良いとはどういうことか!」


 指揮官が声を荒げた。剣士は胡乱な眼差しを上げた。


 「そのままの意味だが」


 「いずれ邪神となる者を今何故仕留めようとせぬ!」


 「今はそうではないし、そもそも勝手に外の世界から彼女を呼びつけたのは我らだ。どうなろうが我らの責任であろう」


 「だからこそ、災禍の起こる前に何とかしようとしているのではないか!」


 「それで精霊を怒らせていれば世話は無いな」


 宙に浮く矢にまとわりつく沢山の光を見ながら剣士は溜息をついた。


 「王は召喚陣が破壊された事を今更気に病んでいるのか?まあ問題は子孫へ丸投げとしても、現状他国からはもうそれあるが故の尊重は受けられぬからな」


 ちょっとした軽い取決め事であっても、以前であれば召喚陣のある国としていくらか譲歩を引きだせていたものが、今は一切それもない。


 王は為政者としては凡庸だ。今まで通りにいかぬとあらば焦りもするだろう。


 とはいえ。


 「それはご自分の才覚でなんとかしていただかなければ。リウや鳥を滅した所でそれらが向上するわけでもあるまいに」


 「王を愚弄するか」


 剣士の言葉に指揮官は声を上げたが、殆どそれは彼自身もうっすらと思っていた事ではあった。


 市井の人間でさえもそうと話すほど周知の事実でもあった。


 「私も魔法使いも、ここで静かに暮らしたいだけなのだ。討伐の褒美としてそれを願い、王の許可を得、周知もされたはず。何故それを乱すような真似をする。我らには褒美を受ける権利もないのか」


 それだけの働きは見せたはず。


 当代随一の剣士と魔法使い。


 指揮官はそれを改めて思い出す。


 表舞台から去ったとはいえ、まだ忘れてしまうには早すぎた。


 王が魔法使いを呼び出そうとしたのは、大型兵器に魔法を付与させようと考えたからだ。


 王とて忘れてはいなかったのだ。


 この二人の力を。


 「王たる者の為すべきことは森の禁忌を侵す事ではない筈だがな」


 それが政治的判断だとしても、反動の予測がつかないことを行うのは愚かすぎる。


 そう言った時、ぱっと目もくらむような閃光が森の中で弾け、一瞬視界を真っ白に染めた。





 女魔法使いの住処の前にいた兵士たちは一人もいなくなっていた。


 大型兵器は残っていたが、それは女魔法使いの首に嵌められて落ちた首輪と同じく、灰色になって、触れれば崩れて落ちそうな程に脆くなっている。


 魔法使いと女騎士は首まで泥につかっていた。


 そしてその周辺を、小魚たちがぴんぴんと跳ねている。




 これどうする?


 これどうする?


 美味しい魔力に混ぜ物をした


 とてもまずい


 とても汚い


 首ちぎる?




 ひ、と女騎士が悲鳴を上げた。


 魔法使いは必死になって泥から逃れようと魔法を使おうとしているようだったが、底なし沼からどうやって逃れる事が出来るのか。


 水は乾かす後から後から注ぎ込まれ、土は重く手足を絡めて下へ下へとじりじり引く。


 何より精霊たちの魔力は潤沢にこの地に溢れ、供給され続けている。道具でかさ上げした程度の魔法使いの魔力量など比べるべくもない。


 「首と離れた身体をこんなところに放置されても困るわよ」


 女魔法使いがのんびり呟いた。


 「血で土が汚れるのも嫌だし」


 顔をしかめる。




 泥の中に引きこんで混ぜちゃうよ?




 小魚たちの無邪気な提案。


 「こんなの肥料にしたくないでしょ」


 女魔法使いの言葉に小魚たちは寄り集まって少し話し合った。


 横で女騎士はむせび泣きながら魔法使いを責め、王を責め、女魔法使いに必死に命乞いをしている。


 魔法使いはまだ無駄な魔法を行使しようと脂汗を流している。





 う~ん、じゃあ、兵士たちと同じ


 二度と森に入れない、でいいや





 面倒になったのか、小魚たちは同時にぴかぴかと点滅し、輝きを増し、その光がまた極まった時には、泥に埋まっていた二人も消えてなくなっていた。




 「迷惑な人達だったわねえ」


 のんびりと女魔法使いが門扉の支柱に手を触れると、壊れた木戸が音もなく復活した。


 散らばった投石器の礫はぼろぼろと崩れて砂になった。





 もう二度とあれらは入ってこれないよ


 印をつけたから


 森はあの印を拒むんだ




 「それは良かった。それじゃ中に戻りましょうか。お菓子をあげるわ」


 水のとまった足元の如雨露を拾い上げると、すっかり元通り乾いたどころか、芝で覆われているそこで踵を返す。




 やった


 美味しいお菓子


 魔法使いの魔力がたっぷり




 小魚たちがぴんぴん跳ねる。


 門扉は再び閉じられ、結界も元通りとなった。


 ただ、宙に不自然に留められた矢を残して。







 「ああ、魔法使いの方は終わったようだ」


 森の光がおさまると、白い鳥が呟いた。


 「終わった……?」


 指揮官が眉を寄せる。


 「森の禁忌を侵すものは、二度と森へ入れない。それが精霊たちの判断のようだ」


 ふわり、と大きな羽ばたきが驚くほど緩やかな風を起こした。

 

 矢に集っていた光は一斉に舞い上がり、一つの塊を作った。


 周囲から次々と集まって巨大化していくその姿は、一本の樹木を模した形となった。




 光の巨木。




 まるで、原初の頃にこの山に生えていたという伝説の巨木のようだった。


 「そなたらも帰るがいいよ。小魚たちは首をちぎるとか土に混ぜるとか物騒な事を話し合っていたが、森が汚れると魔法使いが拒否したらしい。感謝する事だ」


 ばさりと翼が翻る。


 「ま、待て……!」


 指揮官が手を伸ばした時、光の巨木が閃光を発した。





 指揮官が目を開けると、何処ともしれぬ、荒れ果てた瓦礫の園の中にいた。


 森でもなければ山でもない。


 周囲を見回すと、己の部下である兵士たちも呆然と立っている。


 いやそれ以上の人数がいた。


 森へ派遣された他部隊の兵士たちだ。


 全身泥まみれで横たわっているのは、王の肝いりで女魔法使いの所へ派遣された魔法師団次席の男と、最近その男にまとわりついていた女騎士。


 森や討伐隊の情報を与える為と言いつつ、明らかに媚を含んだ様子に、周囲は失笑していたものだったが。


 その女が、明らかに半分正気を失ったような目をしてぶつぶつと、だが「助かった。殺されなかった」と呟いているからには安堵してはいるのだろう。


 白い鳥は「魔法使いの方は終わった」と言っていた。


 では、こちらも「終わった」のか。


 もう一度周囲を見回す。


 遠くにかすんだ山が見える。


 見慣れた、「人知らずの山」だ。その頂には見慣れぬ光り輝く物がありはするが。


 では、方角と位置的に、ここは、都ではないのか。


 そう思って、もう一度位置を確認し、そして衝撃に息をのんだ。





 場所は王城だった。






 だが、壮麗であった王城は跡形もなく、ただ、瓦礫が広がるばかり。




 「お、王は何処におわす!一体何があったのか!」




 慌てて指揮官は周囲に声をかける。


 俄かに騒然と動き出す皆の額に、その時になって初めて、白い印が刻まれていることに気が付いた。


 ぐるりと二重に巻きつけられた蔓のようなそれが何かの戒めのようにも見える。


 衝撃を受けつつも周囲に倒れ伏す者達を確認しながら兵たちは駆けずり回った。




 王は元城のあった場所の中央に呆然自失の体で立っていた。




 周囲の者達の話によれば、突然閃光が走ったかと思った途端、この世の者とは思われぬ轟音と地揺れが起こり、気が付いた時には城は跡形もなくなっていたという。


 そして、城にいたすべての者達の額には、同じ印が刻まれていた。





 二度と森には入れない。






***





 光の巨木は根に闇のドームを抱え込んでいた。


 いや、もう闇ははらわれ、中に留め置かれている瀕死の巫女の姿があらわになっていた。


 久しぶりに見たその姿に、剣士は溜息をついた。


 無事であった、と安堵していいものか。


 全き光に覆われた樹木は、その根で闇の代わりに結界を保護し、防御する。


 「まだ、続くのか……?」


 いっそ今すぐ邪神に変じてくれても良いとすら思う。


 それ程少女の開放を願っていた。


 「続かないわ」


 返ってきた声は白い鳥。


 いや、人に変じてすぐ傍らに立っていた。


 金の髪、金の瞳で。


 「もう最後だし、教えてあげる」


 そうしてゆっくり巨木の根元へ歩み寄る。


 「ごらんなさい」


 言われて覗き込む。


 根は、ドームの外側だけでなく、内側にも入り込んで、少女の身体を包み込んでいた。


 「いずれあの身体は、根に飲まれ、取り込まれていく。そうして樹木と混じりあう」


 じわじわと、今でも金の粒子が少女の身体から溶け崩れるように立ちのぼり、それが、樹木に溶けいっているのが目に見えて判った。


 「ここへあの状態で留め置かれる替わりに、解けて樹木に変じる事になったの」


 「なぜ、また……」


 「もう腐って肥料になる必要もなくなったから」


 「は……?」


 ソラリスはぽん、と軽く結界を叩いた。


 「瘴気を生んで、それが浄化されて魔力となる。それを繰り返して地に力をつける。そういう循環が終わったから。多分、私の魔力がとてつもなく多かったのが原因ね。それが二度繰り返されたから、もう充分だったようよ」


 「充分……。ではこの十年近く、彼女がここで苦しんだのは無駄だったのか……?」


 「そうともいいきれない。全てが落ち着くまでは、ここに要は必要だったから」


 犠牲の一柱が留め置かれること。


 それが一番最初の「約束事」だった。


 「高位の存在やら神やらの理屈は私には良く判らないから、説明を求められても答えられないわ」


 そう言って、だが、宙の一点を指さす。


 「でも、まあ、あれくらいは見せてあげる」


 巨木の光の枝に一羽、小鳥がとまっていた。


 虹色の羽を持つ、尾の長い小鳥。


 瞬きひとつする間に、枝に腰を下ろす少女に変じていた。


 黒いワンピースを纏い、黒髪をなびかせた少女は、先ほどとは違って一羽のカラスのようだった。


 「リウ……」


 ドームの中の半分金色に溶けかけている身体と見比べて剣士は呆然と呟いた。


 「あの子は新たな身体を得たわ。もう異界の身体ではないから、この世界に馴染みやすくはあるけれど、あの子の魂はそのままだからそっちとの親和性をすり合わせるのに時間がかかったの」


 「リウ……」


 うわごとのように剣士は呼ぶ。


 少女は枝の上に立った。


 すんなりと伸びた手足と身長が健やかな成長を思わせた。


 「私たち、もう行くわ」


 ソラリスの言葉に「行く?」と理解の及ばぬ体で呟く。


 「ここに拘る必要もなくなったし。知ってる?大地は丸いのよ。私たちの世界では当たり前の事だったけど。ここはひとつの星。大陸はここだけだけれど、海には島もあるし、海の底には海の精霊の国がある。好きな時に好きな所で過ごすわ。森に帰ってくる事もあるだろうけど」


 そう言って笑った。


 「なるべく楽しく過ごすわ。あなた方もそろそろ罪の意識をなくして生きて。それがあの子の伝言」


 ばさりと羽ばたきの音とともに、精霊の姿は鳥となって再び上空へ、枝に立った少女の隣へとまった。


 「それではね」


 鳥は言い、少女は緩く手を振った。


 そして、金の粒子が風で巻きあがったと見えた途端に消えた。




 剣士は力が抜けてその場に膝をついた。


 透明になったドームの向こうでは、少女の身体が半分金の粒子にうずまって、根に巻かれ、手前では微動だにしない弓矢が宙に浮いている。






 ***



 「まず、島に行きましょうよ」


 ソラリスはにこにこしていた。


 「どこの島にする?」


 これまで、あちこちの島に降り立って、気に入った場所には住居を整えて気まぐれに住んでみたりしていた。


 人はいなかったが、動植物はそれなりにいて楽しめた。


 海は当然ながら人の手が入っておらず、想像を絶するほど美しい。


 そして、どこにでも精霊がいた。


 「南がいいかな。ビーチのある所」


 「リゾートか。私は温泉に入りたい」


 「じゃあその次は北の火山島ね」


 精霊たちは飛翔する白と虹色の鳥に長く列をなしてついてくる。


 魔力に惹かれてやってくるのだ。


 空に軌跡を描きながら。


 やがて見える者には見えるそれは、「精霊の渡り」と呼ばれるようになる。


 あまねく大地の隅々にまで魔力と精霊を届けているのだ、と。


 それを聞いて、ソラリスは鼻で笑い、リウは呆れたように肩をすくめた。


 この星の為に役に立ってやる気などないと言うのに。




 ワガレルリアグは精霊の好意を無にした国として周辺諸国から忌避されるようになった。


 特に王をはじめとした額に印を受けた者達に対するそれはあからさまだった。


 また彼らは二度と森に足を踏み入れることは叶わなかった。


 一歩でも森に入ろうとすると、足下がぬかるんで首まで泥に嵌るのだ。


 印のない者が、入って確認した所、女魔法使いの家へ射掛けられたバリスタの弓は宙にとまったまま微動だにせず。


 その他の大型武器は朽ちたように崩れ果てていた。


 魔法使いの家は目視は叶わず。


 森が広がるように見えるばかり。


 森と言えば、人知らずの山の方も変貌を遂げていた。


 まず剣士の住処だった中腹は、いまやもう立派な森に変じていた。


 この地にあった剣士の家も目視はできず、近寄ることもできない、と報告された。


 そして頂近くの「瀕死の巫女」の結界は。


 巨大な光の樹木の根に飲み込まれ、殆ど姿が見えなくなっていた。


 中の巫女も眩いほどの金の粒子にほぼ埋まってしまい、頭部のごく一部、髪のひと房が見える程度だった。


 光の樹木は人知らずの山の「原初の神木」と呼ばれるようになった。


 瀕死の巫女の身体を養分にして立っている、とまことしやかに囁かれた。


 森の周囲を囲む九つの国のどこからでも見る事が叶うため、それは畏敬の対象として大陸中の信仰を集めた。


 ワガレルリアグの所業は各国の知る所であり、それはその他の国の戒めともなった。


 人知らずの森と山は、不可侵の聖域。


 そう、再び周知徹底された。


 勿論、狩人などが浅い場所に狩猟に入る程度は見逃されてはいた。


 森の実りは豊かであり、それまでの日常でもあったので。




 額に印を受けた者達は罪人のように忌避されはしたが、その子孫に印が現れることはなかった。


 それでは次第に忘れられてしまい、再び森に仇なす者が現れようと思われたが、森に残った二本の矢が宙にぴたりと止まったままその存在を残し、戒めとなった。精霊の怒りを忘れぬように、と。


 女魔法使いと剣士は殆ど人前に現れず、森の中でその魔力量故の長い生を生きた。


 変わらず、瀕死の巫女の結界に詣でる日々だったそうである。


 金の粒子と神木の根に飲まれていく姿をひたすら見つめていたという。




 時折、白い鳥が人知らずの森の上を舞った。


 もう弓を射かけようなどとする者はいない。


 今や、稀に邂逅できたと有難がられる程。







 至高の存在が恐らくは望んだ通りとなった世界は、きらきらと輝きながら。


 一粒の真珠のようにぽつりと浮かび、漆黒のトーガを彩る装飾の一つとなったのだろう、と。




 今や、人でなく、精霊でもなく、竜にも邪神にもなる必要のなくなった、何者でもないリウはぼんやりと。



 ぼんやりと、考えた。

体調は二週間の大量ドーピングでなんとかまともな数値に戻りました。

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