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共和国図書館書庫 4(結び)

 この国において、元首が頭を下げるのは、神の御前と共和国市民を前にした時だけである。

 無論私だって市民なんだから、下げられたっていい筈なのだが、私はただの個人だ。

 一個人に片膝をついて願いを乞う元首など、聞いた事がない。

「はぁ」

 余りにたまげてしまったので、間抜けた声が出たが、ルドは顔を上げなかった。

「リゼ・クロトワ嬢。どうか私、ルドヴィク・ゼンの妻になって下さい」

「……つ……ま?」

「これまでの無礼の数々に許しを乞います。そして必ずあなたを幸せにすると誓います。だから、どうか……」

 衝撃が体を突き抜けた。

 私は茫然と、手の上に伏せられた彼の頭を見下ろした。

 整った旋毛(つむじ)と、後頭で結わえた金髪が見える。

 珍しいものを見た……いや。

 いやいやいやいや。

 馬鹿な事を考えている場合ではなかった。

 大人になってもっともらしい様子をしたって、この男はあのルゼなのだ。何か裏に魂胆があるに決まってる。

 私は、思わず手を引っこめようとしたが、それは叶わなかった。

 熱を持った両手にしっかりと握りこまれていたから。

「……あの」

「私を憐れと思し召すならば……断わらないで。どうかはい、と言って欲しい」

「だ……だって……だって私は、のろまでネズミで、あなたはいつも、私をからかって……」

 ルドヴィクはその言葉に、はっと顔を上げた。

「すまない。だが、そう言い続けないと、誰かがお前に可愛いと言ってしまうだろう?」

 ようやくルドの口調が元に戻って少しほっとするが、今度は、ものすごく聞きなれない言葉を耳にしてしまった。

「は? か、かわゆいぃ?」

 いったい誰の事?

「そうだ。リゼがあんまり可愛いすぎて、いつ誰が目をつけても不思議じゃない。俺はガキ大将だったから、俺がお前を不細工だと言えば、あの頃は誰も逆らえなかったから。それで……」

「えぇ?」

 もう何が何だか。

 この男の審美眼が変(大いにありうる)なのか、私が本当に可愛らしいと思い込んでいるのか、わからない。

 でも、もしそれが本当なら、自分が不器量だと思い込んできたこの十数年はなんだったのか?

 いや、私が不器量か、そうでないかはこの際置いといて、問題は現在進行中のこの事態なのだ。

「酷い話だ。そうやって俺はお前に虫がつかないように、いつも注意を払っていた。亡くなったアルド殿に頼んで、お前を図書館員にしたのも俺だ。本好きのお前なら、断らないだろうと思ってな」

 それは確かにそうだ。

「お前は知らないだろうが、今まで家と、ここまでの送り迎えをしていたのは俺の家の者だ。これでお前は誰にもその姿を見せずに社交界から遠ざかる。そして時期が来たら俺が、かっさらおうと目論んでいた」

「……」

「もうずっと見ていた。お前しか見ていなかった」

「私を?」

「リゼは休憩時間に裏庭を散歩するだろう? 評議会の俺の控室からは、図書館の裏庭とお前の部屋がよく見えるんだ」

「それは……」

 私だってずっと、上を見ては溜息をついていたのだ。

 裏庭から見える大ドーム。選ばれた者しか入ることを許されない、共和国の頭脳と英知が集結する、厳めしい評議会議事堂を。

 そこに自分の幼馴染がいると、密かな誇りと憧れを感じながら。

「ああ、いつも見ていた。そんで可愛いなぁとか見蕩れてた」

「でも……あなたは、いろんなお、女の人と……」

 私がそう言うと、ルドは悪戯が見つかった少年のように顔を顰めた。

「知ってたのか! ああ、くそ! 正直に言う! 確かに俺は清廉じゃない。言い訳に聞こえるだろうが、お前のためにも、女の事を知らないといけなかったんだ! その……最初は……大変だって言うし……俺が未熟ではいけないと思って、同意の上で遊ばせて貰った」

「へーえ」

「お前に触れたが最後、(たが)が外れるのは、わかっていたからな。今の俺には何の迷いもない。ただのルドヴィク・ゼンと言う男として、お前に結婚を申し込んでいる」

「……」

「お父上のクロトワ殿には昨夜俺から話をした。今までの謝罪も含めてな。クロトワ殿は驚いておられたが、お前がいいと言うなら異存はないと、承諾を頂いた」

 お父様が?

 では父は既に、この事を知っているのか?

「ああ。少々お叱りを受けてしまったが、あの方は偉大な方だ。俺の片想いには、ほとんど最初からお気づきだったようだ。だが、お前の気持ちだけは、今一つわからないとおっしゃっていた。だから縁談を勧められたのだが、お前がきっぱり断ったので、もしかしたら、とお思いになったらしい」

 ルドは私の表情を読んで答えた。

「……」

「本当に危い所だったんだ。間にあってよかった……」

 ルドは私の手に頬を擦りつけてそう言った。

 肌が少しざらざらしているのは、今朝はまだ髭を当たっていないからだと思う。

 だが、これは本当なのだろうか?

 私はまた、からかわれているのではないだろうか?

 幼い頃に植え付けられた傷は存外深い。もしこれが何かの冗談だったら、私は二度と人を信用できないだろう。

 そう思って、私は最後の抵抗を試みる。

「だけどあなたは今、き、共和国元首様でしょ」

「お前が手に入らないなら、そんなもの返上したっていい。元々庶民の俺が、お前の家に認めて貰いたくて頑張った結果だからな」

「え!」

「リゼ……頼む、うんと言ってくれ。でないと俺は……」

 私が驚きで動けないでいると、ルドヴィクは跪いたまま、両手で私の腰に(すが)りついてきた。

 これは誰?

 傲岸不遜(ごうがんふそん)に私をからかい、精悍な騎士の姿で令嬢達を魅了し、評議会議員として舌鋒(ぜっぽう)鋭い論客だったと言う、ルドヴィク・ゼンとは、この男ではないのだろうか?

「リゼ……リゼ、愛しているんだ」

「……」

 小さい頃は大嫌いだったルド。

 だけど、ずっとその姿を目で追っていた。

 なのに彼が近づいて来そうになると逃げた。自分を守ろうとして、卑屈になって。

 子どもの時期を過ぎて、貴公子達に混じって努力しているルドの姿を見ても、見ないふりをして。

 それに比べて私は、幼い頃のことを言い訳に、自分が変われないことを無意識に正当化してはいなかったか?

 本当な立派になった彼に認めて貰いたくて、仕事をしてみようと思ったのではなかったか?

「それ……ほんと?」

 私の声は弱い。

「本当だ。ガキの頃から愛してる」

 あっさり認めたルドは、すっくりと立ち上がった。

 ……そんなに見ないで。すごく恥ずかしいから。

 でも、私も言わないといけないのだわ。

「あの……あの……あのね。私が招待に応じなかったのは……社交が苦手だっていうのもあるけれど、きれいな婚約者の横で、幸せに輝いているルドを見たくなかったからだ……よ」

「え? それって、もしかしてやきも……」

「違う! でもっ! 嫌だったの! 私はみっともないネズミで、どもりで、つっかえながら喋るのに、ルドはすっかり偉くなって、皆の憧れの騎士様で、英明な元首様で……その上、婚約までして……なのに私はっ……!」

「でも、立派に司書を務めてるじゃないか。俺はいつも報告を受けていた」

「それは仕事だから。私は本が好きだし、推薦してくださったアルド様のためにも、頑張らなくちゃって思ってたから。そしたらいつかは、ルドにネズミだ、不器量だって、からかわれないようになるんじゃないかって……」

「ネズミは俺の最大の賛辞だったんだぜ。でも、態度が悪すぎた。お前が俺を信じられないのも自業自得だ。これから全部ぬり替えていくから」

「どんなに塗っても、綺麗にはなれないわ」

「馬鹿。塗るって化粧の事じゃないぞ。お前の俺に対する評価をだ。それにお前ホントにすごく可愛いんだぞ。ちっこくて、ちょこまか動いて、柔らかくて……手のひらに載せていつまでも愛でていたい」

 そういうと、ルドはぐいと私を抱きあげると、胸にすりすりと頬を埋めた。

 うわっ!

「やっ! ちょっとルド、やめてよ!」

 本日二度目の空中浮揚だ。

 足先がぶらぶらして、頼りないことこの上ない。

「ああ、まだ許してもらった訳じゃなかったな……でも、おいリゼ、気がついてるか? お前今、ちっともつっかえてないぞ」

「え?」

「ちゃんと喋れてる」

 そう言えば、なんだかいつものように、舌先が固くなっていないような気がする。

「うそ……」

「ほら、うそじゃないだろ。ああ、かわゆい。可愛くてたまらん。色んなところがすべすべで……もう……」

 言いながら、ルドのきれいな顔がどんどん近づいて来たので、思わず背中を反らそうとすると、がっちり肩を掴まれた。びっくりしている私にちょっとだけ笑い、そして……。

 ああ……。

 初めての口づけは、しっとりと私を包んだ。

 触れ合ったところから優しい熱がじわじわと広がってゆく。

 私の戸惑いを宥めるように、背中が撫でられて、力が抜けた。そうして少しだけ、唇が浮いたかと思うと、少しずらせて、またぎゅっと重ねられる。

「……返事は? リゼ」

「……」

「嫌だと言っても攫って行くがな」

「元首がそんな悪いことしていいの?」

「いい」

「私が人前に出られるまでには、まだしばらくかかると思うけど?」

「リゼ……なら」

「今度私にいじわるしたら、あなたのガキ大将ぶりを共和国人民にバラします。それでもいいなら」

「ああ、いいとも。二度としない。げっぷが出るくらい幸せにしてやる」

「げっぷ……もう……行儀が悪いわ」

「俺は庶民だからな。元々行儀は、なって無いんだ。だから……うん……いや、さすがにここでは拙いな」

 ルドはなぜか、きょろきょろと辺りを見まわしてがっかりしていた。

 何か探していたのだろうか。しかし、ここは書庫だ、あるのは本だけである

「何?」

「直ぐにわかる。さぁ、これからお前の家に行くぞ! クロトワ殿にご報告して、そんで今夜、共和国民に婚約を発表する。なに、一日くらい遅れたって許して貰えるだろ。式は七日後だ」

「ま、待って! 私まだ大勢の人前は……」

「ああ、お前は出なくていい。おれがバルコニーに出て、ちゃっちゃと終わらせるからな。お前は寝室で待っておくように」

「何で寝室限定なの? 別に居間でも、応接室でも」

「ダメだ! 寝室と言ったら寝室。待ちきれない。俺は何年待っていたと思っているんだ!」

 露骨な言い方に、さすが私も意味はなんとなくわかった。でも、そう言う事はちゃんと結婚してからの方がいいのではないだろうか?

 なのにルドは、私の懸念を正確に読み取ったらしい。

「ああ、式はちゃんと挙げる。ドレスも作らせる。欲しいものがあったら何でも買ってやる。だからなぁ、リゼ。お願いだから……もう一度キスさせて……」

「元首様がそんなに我儘でいいの……?」

「いいんだ。これが政治的駆け引きってもんだ。だから……リゼ……」

 暗い書庫の天窓から一筋の光が降りる。

 それは床に明るい輪を作り、一つになった恋人たちを薔薇色に染めて包んでいた。





この作品も、拙作の電子書籍「波の音を待ちわびて」によく似ていますね。

要するに思考が変わってない!

初めましてのお客様、よければ一言いただけると、大変嬉しいです。

吃音に対する描写は、医学的な見解にもとづいていません。ただの作り話ですので、その点のご理解のほどお願いします。


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