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共和国図書館書庫 2

「きゃ!」

「おい!」

 私は驚きのあまり、脚立の上で足を滑らせてしまった。

 そのまま背中から床に落下してゆく。本を持っていなくて良かった、と落ちながら考えていた私は少しおかしいのかもしれない。

 だが、落下の衝撃は、いつまでたっても襲いかかって来なかった。

「……?」

 おそるおそる顔を覆っていた手をどけてみると、思い切り不機嫌そうな金色の瞳とぶつかる。

「危ないじゃないか! トロいネズミのくせに、あんな高い所に昇るんじゃない!」

「ルド……?」

「そうだ俺だ! 相変わらず、ちっこいなお前。ちゃんと食っているのか?」

 私を抱きかかえながら、ルドヴィク・ゼンはいらいらした様子で文句を言った。

 良く見ると彼は、元首の正装を身につけている。

 顔が割合近い距離にあって、天窓から射す光で濃い金髪が輝くのが分かった。

 キレイ……。

 私は思わず見とれてしまった。相変わらず性格は悪いが、顔だけは見ごたえがある男だ。

 …………

 ……じゃなくて!

 モンダイはこの状態でしょ!


 幼馴染であるルドヴィク・ゼンは、二十六才という若さで、前元首アルド様が亡くなられた後、評議会議員満場一致で元首に選出された。

 そして、昨夜がその就任の式典で、同時に婚約も発表されて栄光と幸福の絶頂にいる筈だ。

 およそこんな早朝に、薄暗い書庫に現れていい人物ではない。

 しかも、その人物に私は横抱きにされているのだ。

「もももー、もーしわけっ」

 ございません、と口籠りながら、私はその腕から逃れようと、じたばた身体をよじった。

 子どもの頃はこの美しい顔を見るたび、恐怖で青ざめたものだ。

 あまり会う事のなくなった今でも、苦手な人物筆頭の座に堂々と居座っている。

 その証拠にほら、体が強張(こわば)って、どもりが始まった。

 ルドヴィクは、そんな私を見て溜息をつきながら、そっと床に下ろした。

 思いの外、優しい仕草だと感じたのは気のせいだろうか?

「何がもーもーだ。お前は牛か?」

 無論気のせいだった。

 あきれ果てたような、馬鹿にした声音。子どもの頃よく聞いたような。

 あの頃は彼の事をルドと呼んでいた。さっきは思わずそう呼んでしまったが、勿論、共和国元首様となられた今では、失礼の極みだろう。

 おちつけ、落ち着いたらつっかえたりしないわ。

 頑張れ、リゼ。

 私はそう念じて、目の前にそびえ立つ男を見上げた。

 元首の正装である紫紺の長衣は、金糸の刺繍が施された大変立派なもので、彼の長身を引き立て、眼前に立つ私を圧倒する。

 膝の力が抜けているように見えなければいいと思いながら、私は膝を折って貴婦人の礼をした。

「こ、こ、この度は、元首就任並びに、ご、御、こ、婚約おめでとうございます。閣下」

 ほら、割合すんなり言えた。

 偉いぞ私。

 けれど、頭の上から降って来たのは無情な言葉だった。

「今度は、コココで鶏か。ネズミになったり、牛になったり、相変わらずお前は忙しいな」

「……」

 ネズミって呼んだのはあんたじゃないの!

 そう言いたいのをぐっと堪える。

 子どもの頃、一度も敵わなかった相手が、今では元首なのだ。どうあがいたって、勝てる気がしない。

 だけど、礼をした女を馬鹿にするような奴が、元首でいい訳?

 元首は全ての女性の憧憬の的ではなかったか?

 これでは共和国の行く末が思いやられる。そんな事を思っていた時、再び頭の上で盛大な溜息が聞こえた。

「確かに元首にはなったがな、婚約なぞしてないぞ……できなかったからな」

「へ?」

 私は思わず頭を上げた。

 いかに世間知らずな私でも、こんな大きな国家的祝賀行事が突然の取り止めなど、あり得ないことぐらい知っている。延期ならともかく。

 だが、何か手違いが起きたのだろうか?

 私は少し心配になって来た。しかし、ルドヴィクは相変わらず不遜な面構えだ。

「……ところでお前、なぜ昨夜、元首宮に来なかった? 招待状が行っただろう?」

 意外な事を言われる。

 確かに、貴族で共和国最大の織物商人でもある父の所には、元首宮で行われる祝賀式典と、その後に行われる宴の招待状が届いていた。

 妹にも、そして一応、私にも。

 それには共和国元首の印璽が捺してあり、ルドヴィク・ゼンの署名まで施されてあったから、元首直々の招待状と知れた。

 だが、どうせ父の縁で招待されただけだろうし、大勢の人たちに送られている招待状だと思うと、有難味も無い。

 そう言えば、普段夜会など絶対に行かない私に、今回珍しく父が祝典に出席するように何度も勧めてきた。

 しかし、私は父が勧めれば勧めるほど、気分が滅入った。

 私には妹のようにエスコートしてくれるパートナーもいないし、かと言って商売柄忙しい父が介添えでは、壁際に放っておかれるのは目に見えているからだ。

 だから私は父に行かないと返事をした。

 珍しく強い口調で断る私に父は少なからず驚いたらしい。

 余程私が真剣な顔をしていたからだろう。暫らく考えこんでいたが、やがて首を振って、先方には体調不良とでも伝えておくと言うような事をつぶやいた。

 我儘は聞いてもらえた。

 なのに私は少し後ろめたい気分だった。

 いくら昔いじめっ子だったと言っても、幼馴染の大出世を祝う気持ちくらいはある。

 けれど、今さら彼に会っても、自分のダメさ加減を再認識させられるだけだろう。栄光に満ち溢れた元首ルドと、その婚約者が壇上に立って喝采を受けるのを、私は遠くの壁際で見つめるだけなのだ。

 よそう。

 家からこっそり祝福の念を送ろう。

 私は自分の決めた事に満足して、意気揚々と晴れ着を着て出かける家族を見送ったのだ。


 昨夜は遅くまで舞踏が続き、皆明け方に帰って来たらしい。

 そして私は、まだ家族が寝静まっている間に家を出てきたという訳だ。

 遅い朝食の席では華やかな宴の様子や、婚約者がどんな人だったか話されることになるだろう。

 私はなぜだか、それを聞きたくなかったのだ。

「昨日は家にいたのか? 一人で?」

 重ねて問われる。

 何か言わなくては。

 私はもぐもぐと口を開いた。

「あ……も、申し訳ございませ……、た、体調が少し……」

「体調だぁ? これだけ朝早く起きられる病人なんているか!」

 やっぱり。

 こんな見え透いた嘘に、ルドヴィクは誤魔化されたりはしなかった。

 だが、私がいない事になんで気がついたんだろう?

 昨夜は国内外から何百人もの招待客がいただろうし、こんなネズミ娘、一人いなくったって誰も……彼も気にしたりはしないはずだ。

 大体、なんでこんな所に現れたんだろう。

 おそらく昨夜のままの正装で。最初の疑問に立ち帰り、小首をひねった私をどうみたか、ルドヴィクはじっと私を見つめている。

「……も、もうしわけ……」

「謝ってばっかりだなお前は……なぁ、お前、俺がなんで婚約できなかったと思う?」

「……え?」

 またしても唐突な質問に、私は困惑してしまった。

 しかし、考えてみれば大変な事態だ。共和国中の人間が若き元首の誕生と、その婚約者となる女性を祝うため、市をあげて盛り上がっているのに、祝い事の片方がダメになってしまったのだから。

 でも何故?

「わ、わかりません」

「相手が来なかったんだよ」

「えええ!?」

 もしかしたら、その女性はやっぱり外国の貴婦人で、何かの理由で到着が遅れてしまったのだろうか?

 そう言えば先日、北の山脈で崩落事故があったと聞いた。

 だが、それではいよいよ事態は深刻ではないか。いくら昔いじめられた苦手な男だとしてもこれは気の毒だ。

 それに諸外国からも大勢招待客が来ていただろうし、共和国の威信にも関わるような気もする。

「そんな顔すんなよ。別に何でもありゃしない。ただ単に、俺は振られたんだよ」

「ふ、振られ……?」

 ルドヴィクは、私の懸念を余所(よそ)にあっさり言い放ったので、私は更に驚いてしまった。

 ルドヴィクをソデにする女性がいたとは驚きだ。

 男性神を具現したような逞しい身体と、男らしい美貌で、彼は今まで沢山の女性達を虜にして来たのだから。

 実際今までにも、このまま婚約かと噂になった女性も数人はいたと思う。

 それなのに、人生の晴れ舞台とも言うべき場ですっぽかされる言う、最悪の形で振られただなんて信じられない。

 だけど……もし本当ならちょっとおかしいかも。

 だって、ずっと私をネズミだと馬鹿にし続け、対人恐怖に陥れて軽く引き籠りにさせ、自分は才能と容姿に恵まれて華やかな人生を歩んできたルドヴィクが、大勢の人前でこっぴどく振られた?

「ぷ……くっ」

 思わず笑ってしまいそうになり、慌てて口を押さえる。

 だが、時すでに遅かった。

「お前、今笑ったな!」

 ルドヴィクは眉をあげて私を睨みつけた。

 金色の瞳が煌いて私を射る。私は後の書架に背中を預けた。

 そして彼は、私の顔の脇に両手を突いて私を閉じ込めてしまう。幼い頃の恐怖がじわじわと蘇える。

「いっ、いえっ。そんな事は……元首様」

「いいや、笑った。絶対笑った! 俺が振られたと聞いて!」

「……もうし、申し訳……」

「そうだ、そこは謝っていいところだ。大体皆、お前のせいなんだぞ……リゼ」

「は?」

 何を言い出すのか、この男は。

 訳が分からない。私が元首宮の宴を欠席した事と、自分が振られた事にどんな関係があると言うのだ。

 だいたい、私を人嫌いにした原因を作ったのはこの男ではないか。

 ああ、そうか。

 私は思った。

 これは八つ当たりだ。

 自分が振られた事の腹いせに、こいつは久しぶりに私をいじめようと言うのだ。だから誰もいないこんな時間に現れたのだ。

 なあんだ。

 私はようやく事を理解する事が出来た。

 私だって、もう子どもではない。

 これでも二年間仕事に就いてきた誇りある職業婦人だ。確かに人間嫌いは残っているが、それでも最低限の人間関係を取れなければ、仕事など果たせない。

 私だって少しは成長しているのだ。

 そう、子どもの頃からの劣等感を払拭する時は、今なのだ。

 それならば……!

 私は、若き共和国元首を見据えた。



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