厨房の王妃 3(結び)
嫁いで二年間ぐらいはまだ、王妃としてある程度は尊重もされていたエリスフィールだが、アルトゥールの訪問もなく、存在自体を軽んじられていることが召使いたちにまで明らかになってからは、王妃宮からどんどん人がいなった。
それも断わる訳でもなく、いつの間にかいなくなると言うのが、ほとんどだったそうである。
終に二年前には、一人残らず去ってしまい。食事さえも満足にとれなくなったらしい。
仕方がないので、最初は別の宮にモリイが出かけて食べ物をもらっていたが、王妃宮の者だと言う訳にもいかず、大変みじめな生活だったらしい。
その内エリスフィールが自分たちで何とかしようと言いだした。
引退した庭番を見つけて野菜の種をもらい、モリイと共に育てはじめた。一人で着られないドレスは、こっそりモリイが街に出て売り払い、肉やパンと交換した。宝石も紋章の入っているもの以外は売り払って冬場の薪を買った。
その頃から王妃自身も街に出たいと言い出し、どうせ出るなら市場に何か売れるものを持って行こうと言う事になり、さすがに少しは怖かったので、二人は長い事話合った。
出かけるのは昼間の二時間程度とする事、最初は庭番についてきてもらう事、絶対に二人で行動する事などを決まりごととした。
市場の権利は、庭番の協力で一番隅っこの出店の許可が下りたので、二人は野菜を売る事にした。
幸い、庭の土壌がよかったらしく畑の野菜はよく育って、二人では食べきれないほど収穫があったため、二人は時々街の市に参加するようになった。
野菜の種類は豊富で、中には珍しいものもあって、美味しいと評判になり、並べるそばからすぐ売り切れはしたが、所詮野菜なので多額の収入は見込めない。
二人は得た僅かな金で、必要なものを買う日々だったと言う。そんな生活の二年間だった。
「なんと……だが、どうやって城壁の外へ? 見とがめられるだろう?」
「なんの。誰もこんな恰好の女が王妃だとは思いませんからねぇ。どの衛兵も役人も、下働きの女が使いに出ると信じて疑いませんでしたわ」
「……」
たしかにその通りだった。
身につけているものは清潔ではあるが、下級貴族の女が着るドレスですらない。平民の上等な平服がいいところだろう。美しい髪をボンネットに隠せば、この若い女がこの国の王妃だとだれも思わないに違いない。
「あ、一応最低限の衣装や、道具は辛うじて残してありますわ。陛下から時々送られてきた品々もとりあえず。でも、この冬を越すのにどうしようかと思っていたところでしたが」
「すまない……俺は何も知らなかったんだ……だが、そうだ! 予算の件はどうなっているんだ! 王妃宮の掛りは年々増えておるのだぞ!」
「さぁ、その件につきましては私は存じませぬ。人員削減が陛下のご指示ではないのなら、どこかの役人の懐に入っているのかもしれませんね? 私はこの国に来てから、一切の物品を購入した覚えはありませんし」
「なに? なんと……そうだったか」
王妃が嘘を言っていないのは、もう明らか過ぎるほどである。
彼女が黙っているのをいい事に、王妃や宮にかかる予算を着服した者がいるのは明白だった。
「これは……副侍従長のマグ・マーグレイブを召喚し、詰問せねばなりませぬな。国家財政逼迫の折に、なんたる私利私欲の徒であるか!」
宰相も憤懣やるかたない様子である。
「私利私欲と言えば、市場の役人もかなりうまい汁にありついているようですわよ。市の利権が異常に高いのですって。皆袖の下を払っていい場所をもらっているみたいなんですの。後、飲食店主たちの話では、公費で飲み食いしたりはしょっちゅうですわ」
「なんだと!」
「ですが、いい事もありましてよ。陛下の評判は市井の者たちには、概ねよいようです。特に女子供からは。市場でよく噂話を伺いましたから。陛下の代になってから、物価も安定し、何より安定して食品の供給がされるようになったとか」
なんということだろうか。
この妃は文字通り、市場で市場調査をやっていたようなのである。
「しかし良い政策も、それを実際に行使する末端が腐っていては何にもならぬ……」
「まぁそれはそうです。あ、パンがきましたわ。流石に小麦までは作れませんので、市場で粉を買うのです。昨日生地を作って、今朝、市に行く前に竈に入れておいたんですの。焼きたてをお茶のお共に召しあがられませんか?」
侍女のモリイが薄く切ったパンにジャムを添えて小さな卓に並べた。先ほどのよい匂いはパンの焼ける匂いだったのである。
そして今は香ばしい匂いが部屋中に満ちていた。
「そなたが焼いたのか?」
「左様でございます。ジャムも手作りですのよ。お口に会えばよろしいのですが」
アルトゥールはほかほかの一片をちぎって口に入れた。甘くて、ふんわりしている。
彼の食卓に焼きたてのパンなど出る事はないから、これは初めての経験だった。
「……美味い。こんな美味いパンははじめてだ」
「ようございました。お茶のお代りもどうぞ」
エリスフィールは微笑んだ。隣で宰相ももくもくと食べている。
「すまない……俺はあなたをずっと高慢ちきな女だと思っていた。頭はいいが、余計な口を聞く、鼻持ちならない女だと」
「まぁ大体その通りですけどもね。自分の国でも昔から可愛くない子だと言われていましたし。両親にも大事にはされても、可愛がられた記憶はございません。だから、平気だったのですわ。忘れ去られても飼い殺しにされても、とことん生き抜いてやろうと、頑なにそう思っておりました。俗に憎まれっ子世に憚ると言いますでしょう」
「だが、並大抵のことではなかったろう。一国の姫君がこんなご苦労を……」
痛ましそうに、アルトゥールは妻を見つめた。
今はボンネットを外しているので、細い首も華奢な肩も明らかだ。だが、この娘は己の境遇に屈せず、自分で道を切り開いたのだ。
そして尚且つ、これだけ美しい。
「確かに……このまま王宮の奥庭で朽ちてゆくのかと思うと、少々寂しくはありました。かなり諦めの境地でしたが、でもまぁ街の皆さんとは仲良くなれたし」
「すまぬ……俺が愚かだったせいで」
「いいえ……ところで陛下、今日はどのようなご用件でいらしたのですか? 伺うのを忘れておりました」
「それは……」
アルトゥールは口ごもった。そんな王を宰相は黙って見ている。黙っているしかできないだろう。
「もしあなたが許して下さるのなら、もう一度私とやり直してくれないだろうかと……そう思って……その……」
「……左様でございますか?」
エリスフィールは口の端をあげた。
その様子は、彼がどんないい訳をしても受け入れてくれそうで、だが、だからこそもう偽ってはならぬのだとアルトゥールは悟った。
「……いや止めよう。あなたの前でこんなごまかしは、益々自分を情けなくするだけだ。俺はあなたが、贅沢三昧しているのではないかと、問いただしに来たのだ……離縁も辞さない覚悟で」
「まぁ……。それで離縁されるのですか? それならそれで大人しく国に帰りますけれど」
「あなたが立腹されるのも無理はない。俺は何とひどい事をしてきたんだと今猛烈に後悔している。もっと初めからお互いを知るべきだったのだ。許してくれ、エリスフィール」
「はじめて私の名を呼んでくださいましたわね。嬉しゅうございますわ。でも私も悪かったのですよ。どうせ敵国人だとずっと意地を張って、自分から陛下と仲良くしようとしませんでしたし……」
「いや、すべて私が悪い。あなたの五年間を無駄にさせてしまった」
「いえ、生意気を言うようですが無駄ではありませんでした。確かに夫からは放っておかれましたが、この国の人々の事がよく分かったし、市場や物価の事にも詳しくなれました」
「王妃様は素晴らしい情報網を持っていらっしゃる。まさに我が国に今、必要なお方でございます。陛下、是非王妃様を王宮に……」
宰相は感心して言った。アルトゥールもうなずく。
「私をご意見番に? おわかりでしょうけど口うるそうございますわよ」
「そうではない」
アルトゥールは少し荒れた、だが華奢な手をそっと取った。
「確かにそなたの意見は貴重だし、是非傾聴したいが、俺は女としてのあなたをもっと知りたい」
「……」
「もし、許して頂けるなら、最初からやり直せないか、と今は思っている。我が妃よ、まだ妃と呼ばせてもらえるならば……どうか我が宮へいらして頂けないだろうか? 無理強いはしない。ゆっくりお互いを知ってゆけば、いつか真の夫婦になれないだろうか? こんな情けない俺だが。あなたがお嫌でなければ……どうか……エリスフィール」
アルトゥールはそう言って、エリスフィールの前にひざまづいて首を垂れた。
「あら、私はこう見えてせっかちですのよ。もっと早く、そして貪欲に陛下の事を知りたいと思います。執政者としても……夫としても」
エリスフィールはきっぱりと言い放ち、そしてキラキラと笑った。
「これまでの五年分をふくめて……ね」
これは、書籍化「置き去り花嫁は、辺境騎士が捧げる不器用な愛に気がつかない」」の出だしに似てるでしょう。
実は置き花の、元になった作品なのです。
それにしても、王様情けなさすぎ!
本当はもっと賢王にしたかった!
次回はもっと有能な奴が出てきます!




