厨房の王妃 1
「つまるところは節約しかないと言うことか……」
アルトゥールは秀麗な額に手を当てて、深いため息をついた。
理由は財政難である。
この国は豊かではないものの、王家と歴代の宰相の善政により、そこそこやってこれた小国であった。しかし、去年立て続けの災害はたちまちのうちに、国の財政に重圧をかけてしまった。
「恐れ入りまする。陛下ご自身が贅沢をなさらない事は十分承知しておりますし、陛下御即位後の金縮政策に依り、国庫には少しばかりとは言え、貯えができるようになりました。しかし、先月の南部の洪水被害は予想を超えておりまして……」
「わかっておる。難民を出さぬためにも何か手を打たねばとは思っていた。ふむ……節約と言っても、後宮はとっくの昔に解体したし……軍事費も最低限度まで抑えている……後は何処を削るかな……いっそ俺が人足として働くか……」
アルトゥールはそれから長い事、厚い書類に熱心に目を通していたが、ふとある項で眉を顰め、怒りを露わに紙ばさみを机上に投げ出す。
「これはどういうことだ!? 他でこれほどまでに切り詰めておるのに、王妃宮にかかる予算が削減どころか、ここ数年じわじわと加算されているではないか!」
「そ……それは……王妃様はかつての敵国から、いわば和平の掛け橋として我が国に嫁して来られた訳で……如何に国庫不如意でも、ご不自由させられないとの配慮ではないでしょうか。私もその辺りはよく調べもしませんでしたが、王妃宮の一切は副侍従長のマグに一任しておりましたので……」
老宰相は珍しく口ごもった。
「許せぬ……いくら政略結婚とは言え、それなりに遇してやっておったはずだ。それをつけ上がりよって……」
「……ですが、陛下ご自身は、王妃様に最後にお会いされてからかなり経つのでは? 王宮ではここ数年、夜会も舞踏会も開かれておりませぬし、きっとお寂しいのではありませぬか」
宰相のもっともな意見に、アルトゥールは黙った。
「……」
それは確かにその通りであった。
実のところ、アルトゥールは五年前に隣国から若干十六歳の姫を娶った。以来、王妃とは数回しか会っていない。
それも堅苦しい儀式の場のみである。
彼は美しい事は美しいが生意気そうな感じが鼻について、どうしても妃を愛そうと言う気になれなかったのだ。
その頃まだあった後宮に数人の女がいた事もあって、義理で一度だけ契りを交わしただけで後は放っておいた。
だが、その後宮も今はない。即位して数年、内政の充実や外患を退けるのに必死で昼夜を問わず働き続けなくてはいけなかった。
そして、徐々にではあるがその成果は上がっていた。男は仕事に打ち込むと夢中になる時期があるようで、アルトゥールはまだ若いのに、女どころではなくなってしまったのである。
「ともかく。このままでは済まさぬ。王妃宮に向かうぞ!」
アルトゥールは椅子を蹴って立ち上がった。
「なんだここは?」
主宮の遥か奥に王妃宮はあった。
元々はただの別宮だった所を、王妃専用の宮として改築させたのだ。これはアルトゥールが、若い王妃に如何に関心がなかった事を示すことに他ならなかった。
だがかつて美しかった庭は荒れ果て、王が宮に出向いたと言うのに畏まって迎える侍女たちの姿も何処にもない。
どころか王妃自身も何処にいるのか、荒れ果てた宮の中には人っ子一人いなかったのである。
ただし、どう言う訳か美味そうな匂いが漂ってくるから、もしかしたら、どこかに人は残っているのかもしれなかった。
「一体これは……」
「私めにも何が何だか」
アルトゥールが愕然とするのへ、宰相も言葉を失っている。
「しかもなんだ! この匂いは」
「どうやら何かを焼くにおいのようですな。裏手に回ってみましょう」
仕方ががないので何か手掛かりをと、小さな宮の周りを一周すると、裏手の庭に忽然とよく整備された畑が現れた。
「これは……?」
具合良く畝が整備され、沢山の種類の野菜が少しずつではあるが植えられて、それぞれよく育っている。立派な実をつけているものも多い。
王宮内の庭園になんで畑が……? アルトゥール達が茫然としていると、カサコソと枯れ草を踏み分ける音がして、振り返ると二人の娘が立っていた。
「これはこれは王陛下ではありませぬか。驚きましたわ。こんなところまで一体何のご用でしょうか?」
「お前は……!」
顔を隠す大きなボンネットを被り、生なりのエプロンをしている小娘が立っていた。手には大きなバスケットを下げている。
村娘のような身なりのその娘は、まさしく彼の妃、エリスフィールであった。