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甘い水





咳込む音と喉の痛みでルウィエラは意識が僅かに覚醒する。だが目はなかなか開けられない。とてつもなく瞼が重く感じて意識はなんとなくあるのに体も上手く力が入らず、咳のし過ぎで胸付近が重苦しく感じる。



(夜中は冷えただろうに一度も目が覚めなかった。ああ……喉が乾いたな…)



昨夜倒れるように眠り、起きたらそのままの体勢だった。瞼の裏にも分かる陽の光を眩しく感じながらも少しずつ目を開けていく。今日も天気は良いようだ。


目の前に見えるのは短くなった長さがバラバラの髪、その先に見えた左腕に当てられている布は真っ赤に染まって、乾いている箇所は茶色に変色している。もう洗っても元の白い布には戻らないんだろうな、と少し残念に思う。



「…ゴホゴホッ…」



喉の奥から痰が絡む嫌な咳が続き止まらなくなる。咳込む度に頭にも響き、ただでさえ無い体力が更に削れていき憂鬱になる。


体を起こすことすら苦痛で井戸まではとてもじゃないが行けそうにない。でもここには水も何もない。浴場も水は止められているし手洗場も魔術で流す仕組みらしく本当に何もないのだ。


ルウィエラの生きる糧は定期的ではない質素な食事と井戸の水だけ。折檻の後に残っていた食事を持っていかれたから恐らく今日は何も届けられないだろう。



「せ、背中の傷はどう…ゴホゴホゲホッッ…」



ぜいぜいしながら触れられる範囲の背中を右手で擦り辿っていく。触る度にピリピリ痛むが触った感触と、戻した血のついていない手を見る限り、傷は乾いてはいるようだ。背中の傷は膿んだら対処しようがないので防寒を犠牲にした甲斐はあったようだ。


どうにか服だけは着ようとベッドの端に放られていたワンピースをずりずりと手を伸ばして取った。先ずはそれを終えただけで、ボフッと少し上げていた頭をベッドに埋めることになる。


息を整えてからと思うものの咳も出るのでなかなか落ち着けない。それでも時間をかけて仰向けなり、目は瞑ったまま手探りでワンピースの形を確認して火傷している左腕から慎重に袖を、そして首、右手の順に通していく。


裾を引っ張りゆっくり俯せに戻り背中側の裾も伸ばす。擦れる度背中は痛むが暫く俯せで寝て傷を圧迫しなければ化膿はしないはずだ、きっと。


左腕を見ると布はかなり乾き始めていて布全体が変色し茶色くなっている。乾いて傷口にくっつく前にと、痛みを食い縛りながら布を慎重に剥がしベッドの柵にかける。


じわりと血は滲むが垂れるほどではなくホッとする。こっちは酷使されたから悪化する可能性は高そうだ。


やっとの思いでワンピースを着たルウィエラは、高熱だけでなく咳も併発しているからか、呼吸をする度に胸回りが苦しく感じ、頭も未だに脈打つように痛むので起きたばかりだが、ちょっと一休みと目を瞑る。



(最後の一冊…魔術と錬金術の本いつ読めるかな。いつ熱下がるのかな。いつ起き上がれるのかな…………いつ元気になれるのかな。)



これだけ体中が悲鳴を上げている状態だと、果たして元に戻るのだろうかとふと不安になる。



(今まで鞭打ちや井戸の水を頭からかけられたり、数日食事を抜かれたりしたけど、魔法攻撃からの傷口への折檻は流石になかったからなぁ。)



ルウィエラは逃げるという選択肢があるとも思ったことはなかったし、あったとしても実行できる頭も体力もない。


そんな風に考える知識もなく、外に何があるか世界がどうなのかすら何も解らず、物心つく頃から離れに訪れる人からずっと言われてきたのだ


「悪い女の子供」

「汚れた魂の子」

「卑しい存在の子」

「要らない子」

「醜い子」

「悪い子で可哀想な子」


と。



自分はそういうものなんだと認識し、こういう環境なのは普通なのだと誰にも何も教わらない状態ではそれが事実で全てなのだ。


ただ、初めてシェリルに会った時。同じ子供でこうも違うものなのだと、胸が苦しくなって生まれて初めて何かの感情が動いた。


そして、ほんの気紛れに与えられた本によって9歳にしてようやく色々なことを『学び』始めたのだ。



そんなことをつらつらと思い出し、微かに眉を顰めながらルウィエラはまた浅い眠りに落ちた。






コツコツ……―――――……コツコツ………



何かを叩く音でルウィエラはぼんやりと覚醒した。


外はだいぶ陽が傾き薄暗くなり始めている。寝ている間も息苦しく口で呼吸していた為、口の中はカラカラだ。口を閉じて舌を動かし口内を唾液で塗し嚥下する。ズキンと喉が痛むが数回繰り返す。玄関を見ると床を拭いた汚れたワンピースがあるだけで今日はやはり何も届かないらしい。



(…何日もこなかったら口の中を濡らす水分もなくなりそう。)



今まで何度か体調を崩したり折檻後に寝込んだりすることはあったが、今回はそれらを凌ぐ辛さでまだまだ上があるんだなと熱で呆けている頭で考えていると



コツコツコツ



窓の方から何か細いもので叩く音が聞こえた。


そういえばこの音で目が覚めたのだっけと思い出して、ルウィエラは俯せのまま玄関と逆方向の窓をみると窓枠に何か置いてあるのが見えた。



「…木?…ゴホッ」



息を吸う度に出る咳に顔を顰めながら、熱でぼやけた視界に目を薄めて見てみるが、やはり切り取られた木のようにしか見えない。


寝た状態だと良く見えず、起き上がらないと何が置いてあるのかもわからないので、ルウィエラは右腕で体を支え咳込みながら起き上がった。


ぐわんと頭がくらくらして酷く痛むが、内側の窓枠に手をかけ外の窓枠をみると、そこには木でできた器があった。持ち手がなく食事についてくるスープの器のように幅はないが深さはある。


誰かの忘れ物かなと首を傾けながら覗いてみると、その中には水らしきものが入っている。



(…水だ!)



軋む体を叱咤させながら、古くなって建付けが悪くなった窓をガタガタと鳴らし開けて周りを見てみても、薄暗い庭園とその左右に大きな木があるだけで人気はない。



(あの音は風で窓に何か当たって鳴った……?それよりも…)



熱で少し震えている両手でルウィエラはその木の器を慎重に持った。



(飲みたい…もしこれが誰かのもので、後で折檻されたとしても。)



小さな両手で持っても余るその器の中身は、水のようだが少し色味がついているように見え並々と注がれている。


ルウィエラは少し躊躇したが、体全体が水分を欲している。折檻されても飲みたい気持ちが勝り、その器を口元に近づけて鼻をくんくんさせる。



(何かふわっと良い匂いがする。鼻につんとくる嫌な匂いではない。)



意を決してルウィエラは器に口を付け傾けてコクっとその水を飲んだ。



「…美味しい!ゴホッゴホゴホ……ゴホッ…あ…甘い?」



あまりの美味しさに思わず声に出てしまい、咳き込む。


その水はいつも飲んでいる井戸の水と同じくらい冷たかったが、ほんのり甘みがあり火照って痛んでいた喉を優しく流れていった。絵の本に書いてあった甘い飲み物を思い出して、ルウィエラは初めて『甘い』ものを経験した。



(一気に飲みたいけど……、これしかないから大事に少しずつ…)



そう思いながら熱でまだ左右にゆらゆら揺れている体で溢さない様に気を付けながら、ちびちびと時間をかけて飲んでいく。


口腔から喉、胃、そして体全体に水分が染み渡るようで、倦怠感がほんの少し楽になったような気さえする。体がそれだけ水分を欲していたのだろう。


残り半分まで減った時にルウィエラはハッとして血だらけになってしまった布を見た。



(こんなに初めての美味しい物は全部飲みきってしまいたいけど…)



ルウィエラは未だにかなりの熱をもつ火傷痕をみた。背中の鞭の跡と違い腕の火傷は鞭で打たれたこともあって、間違いなく悪化するだろう。


少しでも冷やして起きたいところだが、この甘い水を飲み切ってしまいたい気持ちもある。でも間違いなく後に火傷痕が辛くなるのは想像に容易い。でもまだ飲みたい。


ルウィエラは暫く器と火傷痕を交互ににらめっこしながら悩んだが、やはりこの火傷の熱と痛みを少しでも和らげようと決める。甘い水が減るのは惜しいが、火傷痕が少しでも楽になれば井戸まで早く行けてお腹いっぱい水が飲める。その方が回復も早くなるだろう。


ルウィエラはベッドの柵にかかっていた布をとり器をゆっくり傾けて赤くなった布に少しずつ水を垂らしていった。


絞って水が滲む手前で止めて器の中身をみるとまだ四分の一ほど残っていることに安堵し、器を窓枠に置いてから左腕の火傷痕に当てる。ビリッとした痛みの後にひんやりとした布が心地良く、ルウィエラは思わず熱い息をふうと吐く。


コホコホと咳をしながら残りの甘い水を少しずつ口に含み、夜中に起きた時にとっておけばと思ったが昨夜のように持っていかれてはたまらないので飲みきった。


何も入ってない器をみて少し悲しくなったが、体が水分を得て僅かに楽になったような気持ちが大きく「ありがとう」と小さく呟きながら外側の窓枠に器を戻した。



(これで今夜は耐えられそう。)



そう思いながらベッドに俯せになり熱い吐息をついて目を閉じた。





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