ただでは起きあがらない定義
いつもの食事の倍近くかかったが、ルウィエラは自分で食べ終えた。
ジラントルが手当ての準備をしている間にルウィエラは歯磨きを終わらせた。セルが運ばなくて良いのかと聞いてきたが、そんな何度も移動運用させるわけにはいかないので丁重にお断りしたが、少し肩を落としていたのはきっと気のせいだろう。
ずっと手に巻かれていた包帯は、排他魔術が施されていて巻かれている感覚は殆どなく、濡れたり汚れたりすることもないらしい。体調面での悪化で気付かない程度だったのか、然程痛みは感じていなかった。
セルが包帯の巻いたルウィエラの手を取り、排他魔術を解除してするすると解いていく。
ルウィエラは自分の手よりも、ついついセルの手元を凝視してしまう。前の捕縛魔術の時もそうだったが、魔術を展開する前兆が皆無なので魔力の織の流れを目で追ってしまうのだ。
ぱらりと包帯が解けた素の手には羽が尖った瞬間に刺されただろう赤黒い小さな傷が無数にあった。
「やはり後付の魔術が組み込まれているな。」
「後付、ですか。」
「前にも言ったが、固有魔術を使われた場合、呪具などの有無関係なく、相手の階位によって残響が残る。それを知らずに治癒を使ったりすると、侵蝕されてそれを解くのが至難の業になる。…リテリが使用した呪物は羽だな?」
「…そうです。」
羽によって魔力を喰われた話はしていないような気がするから幻獣から聞いたのだろうか。
―――――それ以前に幻獣と話す…?意思疎通ができるということだろうか。
疑問が増えていく間にも話は進んでいく。
「やはりな。リテリの固有魔術の一つ、羽の乱舞は魔力捕食に特化している。背景に羽が舞っていただろう。」
「は、い。色形が色々な羽が生きているように沢山舞っていました。森の…廃れた森のように見えました。」
どうやらリテリの固有魔術形態を知っていたようだ。となると幻獣の疑問が残ってしまったが、取り敢えずその時のエト湖からの出来事を、記憶から辿りながら話していく。
「廃森の巣だな。鳥種族固有区域になる。エト湖から飛ばされたらしいが、固有区域は治外法権地区や高度な遮蔽魔術が成されている場所以外なら、どこからでも展開できる。区域自体は違う層扱いになる。」
巣と聞いてルウィエラはあのまるで誰も住み着かないような不気味な森を思い出す。
あの時は数多の羽に目を奪われてしまったが、周りの木々の残骸のようなものがあちこちに散乱したが、妙に積み重なっている場所もあって、今思えば巨大な廃れた巣にいるようだったと気付いた。
「廃森の巣…層が違うと言うのはここのお屋敷と同じようなものですか?」
「そうだな。人外者にはそれぞれ種族ごとの聖域がある。そこはその種族に特化した有利な場所となる。」
「そこから私はどうやって抜けたのでしょうか。」
「幻獣が脱出経路を見つけてお前を拾って抜けてきた。本来は鳥道の核となるものを壊すか、捕獲しないと出られないのにと不思議がっていたな。」
「核…」
「その場所にある膨大な魔力を蓄えた何か、ですね。」
そう続けたのは包帯の換えと盥を持ってきたジラントルだった。
「今回で言うなら羽だな。ジラントル、予想通り後付が付けられていた。」
「やはりですか。あの人物がやらない訳もないですからね。効果はどのようなもので?」
ルウィエラの手を視診していたセルが顔を上げる。
「魔力捕食の継続だな、しかも微量ずつだから気づき辛い。元は幻獣狙いだから侵蝕すれば固有魔術の欠片でも掘り起こせるとでも思ったのかもしれんな。」
「相変わらず悪辣で狡猾な鳥ですね。」
二人が話している内容を聞いていたルウィエラはとても気になる言葉があったが、その前にリテリの種族が鳥だという新たな情報を得た。
「以前エト湖で会った時、眷属の鳥と一緒でした。あの方は鳥種族の方だったのですね。羽は、付いていなかったです。」
「背中から羽が生えているのは妖精種族だ。鳥種族は鳥そのものに変化する。」
更なる新しい知識にルウィエラは目がきらきらし始めたが、ジラントルが「起きられているうちに包帯を交換してしまいましょう」と促し、盥を側まで持ってきた。
「左手を浸してください。治療魔術はできないので、それ以外の悪化や障りがないように盥の中には浄化と排他の魔術が含まれています。」
盥の中の水は無色透明だが、良く見ると銀色の細かい粒子のようなきらきらした魔力の織が散りばめられているように見える。
ルウィエラは左手を浸からせると、ひんやりと感じた後、さわさわと中の銀色の粒子が左手の傷を中心に纏うような動きを見せた。
その動きの滑らかさにほうっとしていると、もう上げていいですよと言われたので、名残惜しいがゆっくりと水の中から手を出した。
肌触りの良いタオルに包まれてそっと拭かれ、新しい包帯を巻いてもらった。
「セルさん、ジラントルさん、ありがとうございました。」
「ああ。」
「いえ、明日キックリ殿が来られるとのことで、その時に持ってきて貰う素材で事足りればいいのですが。」
「あ、さっき通信カードでやり取りしました。事足りるとは?」
もしかしてキックリが高位人外者の後付に対応できる素材を見つけたのだろうか。その疑問に答えたのはセルだ。
「リテリの魔力残滓だな。キックリが使い道を思案していて残っているらしくてな。極微量とのことだが、足りれば侵蝕抑止や消滅させる魔術を施すことができる。まあ核となるあいつの放った呪物があれば、楽にできるんだがな。」
それを聞いて先程気になっていたそれを思い出し、ルウィエラは手を挙げて申告する。
「あの、―――――その羽有ります。」
「「――――は?」」
タイミングも言葉も呆然とした表情も見事に重なった二人を見ながら申告する。
「羽が背中に刺さって幻獣さんが暴れていたので、短い不動魔術をかけて、羽を抜こうとしたら、急に棘状になって突き刺さったんです。根性で抜いてから幻獣さんに治癒魔術―――――っ!」
ここでルウィエラは幻獣に治癒魔術を使ってしまったことを思い出したのだ。もしかしたら後付を定着させてしまったかもしれないと戦慄く。
「ああ、それは問題ない。刺された時間が短かったからか、後付はされていなかった。」
「そ、そうですか…良かった。」
それを聞いて、ルウィエラは心底ほっとした。今後は固有魔術の懸念がある場合は治癒魔術のタイミングに気をつけなければならない。
「そもそも、固有魔術から後付付与ができる者自体が少ないのですよ。我々ならば高位の人外者の更に上位、人間なら魔術師等の最高峰ができるかどうかくらいです。―――それから羽を抜いてどうやって捕獲したのです?」
「あ、はい。ごっそり魔力を喰い荒らされたので、怒り狂って器内領土戦争が勃発して――」
「戦争?器―――魔力器か?」
「?はい、そうです。かなり盗られましたが迎撃できる分は残っていたので、そこから圧死させるべく包囲して奮闘をしていたら、手元から羽が離れようとしたので逃がしてたまるか、と。」
「逃がしてたまるか――ですか。」
「良くない何かに遭遇しても、ただで起きあがらないという、お婆の受け売りです。私も強欲に生きたいので大賛成派です。それで少なくなった魔力を掻き集めてとっ捕まえました。」
そう答えて、ペンダントから羽を取り出した。瓶と保存袋の二重にしてあったそれは、赤黒くて仄暗く悍ましく輝き、ちゃんと状態保存されていたようだ。
「瓶だけで、もし逃げられたら、憤死、しそうだったので、更に厚めの、保存袋に。」
連続で話していたのでちょっと息が切れ始めたが、これで何とかなるかなと二人を見ると、双方目を丸くして驚いた表情していた。
「驚きましたね。核そのものと、しかもしっかり密封されていたことで全く気付きませんでした。」
「これで少しは何とかなりそうでしょうか。」
「―――なるもならないも、あの場の核だからな…それだけの密度が濃い魔力の塊があれば、解除だけじゃなく、ある程度ならあいつを押さえることすらできるぞ。今頃あいつは焦っているだろうよ。」
「儲けましたね!」
そう言うと二人は遠い目をしていた。
夜にはだいぶ体も楽になって動けるようになったので、セルは少し渋る様子を見せたが、ルウィエラが譲らなかったので、扉を少し開けておくことを条件に一人にしてくれた。
ほっとしたのと、少しの寂しさが残ったが、これがいつも通りのことなのだと一つ頷いて、ルウィエラは一人でベッドの端に身を寄せて目を瞑った。
翌朝、夜中の目覚めは昨日よりは減り、魔力器が稼働し始めているからか熱と倦怠感はまた少し楽になって、立ち上がり時のふらつきもだいぶなくなっていた。
朝食に美味しいパン粥と、どの野菜も均等の大きさの具沢山トマトスープとヨーグルト、そしてサラミハムという薄く切られたご新規ハムは肉加工食品上位ランキングに躍り出たことを朝食を共にしたセルに熱心に伝えた。
「ああ、少し顔色が良くなったね。熱はどうだい?」
「お婆、心配かけました。動かない怠さは魔力器の稼働と食欲でだいぶ良くなりました。」
昼過ぎにキックリが服と、朝配達に来たパン屋のパンを沢山お土産に持ってきてくれた。
それをジラントルに渡すと、ルウィエラのお見舞いに訪れた。
そのパンのことを予め聞いていたのか、ジラントルは昼食をこれまた具沢山のポトフと、一緒に運んできてくれた。それをソファのテーブルに置いて貰ってキックリと共に戴いている。
ジラントルはごゆっくりと言い残して去って行った。
ルウィエラはこれまでの出来事をキックリに説明していく。キックリはセルとのやり取りににやにやしながら聞いていた。
「そういえばジラントルから聞いたが、巣の中にあったリテリの核を持ってきたんだって?」
「はい。それが核とは知りませんでしたが、それが私の魔力器を荒らしたので、根性で弱らせて取っ捕まえました。」
「そうかい、良くやったね。上乗せで御礼できるってもんだ。」
「この羽で何が可能になるのですか?」
前に奪った魔力残滓とは比べ物にならない量と濃度なのは間違いない。
「あいつが幻獣を狙うくらいだから、眷属とまではいかないが、それに近しい魔力を切り出しているはずだ。鳥種族は羽を媒体に眷属や固有魔術を作り出す。心臓に近い羽ほど強い効果を齎すんだ。」
ルウィエラはペンダントから保存袋に入った瓶を取り出す。瓶の中には捕らえた当初のままの状態を保った赤黒くも悍ましく美しい羽がふよふよと魔力と相まって浮いている。
「刺さっている時は光を帯びているようにさえ感じましたが、そのままでも恐ろしく綺麗な羽ですね。」
「赤黒くなっているのは魔術の浸透具合かね。直接見たことはないが、奴の鳥の姿は深紅に金と銀が混ざっていると言われている。」
それを聞いて、ルウィエラは眷属のティリなる鳥を思い出す。
ティリは深紅の羽をベースに色が淡くなり尾羽は朱色だったので、キックリの言うリテリの鳥姿とは色合いが多少違うらしい。金と銀と聞いて、羽ではないが瞳がそうだったなと記憶が蘇ってくる。
「廃森の巣に入ったと聞いて本当に肝を冷やしたよ。あそこは鳥の固有区域でも最下層に近いレベルだ。」
「最下層?」
「巣の中では深くて厄介な場所ということだね。上層ならまだしも深くなるにつれて普通の人間では自分の意志では滅多に戻れない。対価を支払うか、滅されるか、元になる核を壊すかだね。あんたの場合、壊しはしなかったが、捕縛したことで核が消失したと判断されたのかもしれないね。」
それを聞いて、あの時はそれどころではなかったが、今後も是非とも入りたくはないので、もしもの時に冷静に判断して動けるように用心しなければと思う。
「あ、それと擬態のことですが…」
「ああ、元の姿の方が都合は良いのは確かだが…まあ今のあいつなら大丈夫だろうね。」
「今の、ですか。まあ良いなら良いです。擬態を解かないでもある程度できるように訓練はしてきましたが、元の姿で早く治してお暇した方が良いので。」
そんなことを呟くと、キックリが静かな目でこちらを見る。
ルウィエラが首を傾げていると、キックリは淡く苦笑した。
「まあ―――今はそれが精一杯かね。心が今迄にない動きをしていると、その時の気持ちが何かに怯えて真逆になってしまうことはあるもんだ。」
食事を終え、キックリがまた持ってきてくれた林檎水を飲んでいると、程なくしてセルがジラントルと共に部屋に訪れた。
ジラントルはルウィエラにはミルクたっぷりの紅茶、セルとキックリにはコーヒーを淹れている。
「さて、エルの手の治療だがこの核からできるとして、相殺的な効果を施す感じだろうかね?」
「ああ。あいつの魔力がこれでもかと凝縮された物だからな。それを媒体に練り合わせて、まあ毒を以て毒を制すようなものだ。俺がやろう。」
「おや、いいのかい?」
「狙われたのがこちら側の幻獣だったからな。俺の管轄になる。対価は必要ない。」
それを言うと後方で立っているジラントルが首を振っている。ルウィエラがその仕草を見ていると、「反対と言う意味ではありませんよ」と教えてくれるが、いまいち理解が難しかった。
「セルさん、その羽の核は全部使い切るのですか?」
「いや、半分もあれば十分だな。」
「なら残りはいただきますね。やりたいことがあるので。あ、でもセルさん達も迷惑被っているので山分けしましょう。」
それを聞いたセルとジラントルは驚き、キックリは愉快そうな顔でルウィエラを見る。
「報復か?相手は高位人外者だぞ。やり返されて終わりだ。」
「それでもです。とはいっても初めて会った時に禍々しい魔力の織を見ていますので真っ向対立は流石にしません。因みにお婆にも横流しします。」
「奴からしたら所詮人間如きなんだろうがね。そんな脆弱な人間は、だからこそ生き抜いていける術を磨いているもんなんだよ。」
「キックリ殿は人間側と言えるのでしょうかね…」
ジラントルの呟きに、私はしがない薬屋だからねぇとキックリがへらっと笑っているのを見て、また首を振っている。
「憎悪はあいつの魔力の糧になるぞ。だからこそ偶にしかやらない平定以外にも、様々な種族を勧誘して工作員に仕立て上げ、諜報機関にして動かしているくらいだ。やればやるほど相手から怨嗟や憎悪の籠もった報復を食い物にしている。」
「勿論、あれは幻獣さん宛の攻撃で、そこに無関係の私が迷い込んでしまい、尚且つしゃしゃり出てしまったことによる自損事故のようなものですね。勝手に巻き込まれた私が愚かなのであって、羽を掴んで魔力を盗られたのも自業自得だと人外者の方々が考えるのが普通なのだとお婆から聞きました。」
「そうだな。人外者が己の聖域以外に周りを考慮することは無い。そういうものだからな。それが人間からすると天災扱いになったとしても、元より人間だけの為の世界ではないからな。」
「ですね。そんなひ弱で直ぐに死んでしまう人間ですが、人外者さんからしたら瞬く間の人生の中で、それでもと、隙間を縫って何とかしてやりたい小賢しい我が儘な生き物ということなのでしょう。」
それでも退く様子のないルウィエラにセルは眉を顰める。
「せっかく外に出れた今の生活を無下にするつもりか?」
「せっかく外に出れたのに何故怯えたり、搾取されるのをまた我慢しなければならないのですか?」
そう返すとセルは目を見開く。
「もしこれが、私主動で事を起こし、やり返されたことならばしませんよ、愚かしい。そして私が受動的にやられても、何も方法が無いのならば泣き寝入りでしょうし、弱くて何もできない無能な自分を嘆くくらいです。だからこそ、ただでは転ばないということなのですよ。」
同じような姿形はしていても、同じである部分もあるが価値観の根本から異なることは度々あるのだなと思い知る。
でも、だからこそ。
異なるものがあるからこそ、それを知る機会があることは悪いことではないのではないか。人間でも人外者でも個々違う部分はあるものだし、一人一人どこか違うものなのだ。
「確かにここは人間だけの世界ではありませんが、それは人外者さんも同じ。力の差があるからと言って何をされても我慢しろというのは、それこそ人外者さん側の高慢であり、種族特有の欲深さや渋とさがあり、どうにかしようと頭を巡らすのも人間なんだと思います。」
ルウィエラは目を逸らさずに真っ直ぐセルを見て話す。理解されなかったとしても、それが人間のルウィエラとしての考えであり、それを曲げるつもりは微塵たりともない。
「だからといってリテリには到底敵わないぞ。」
「承知してます。初めて遭った時に人間用の小さな、でも私にとっては大きな攻撃をされましたから。」
「は?」
セルが唖然とする。あれは彼からしたらちょっとした悪戯的な区分なのだろう。
「でもそれがその方の資質なのならば、そういうものなのかなと。ですが、私は彼ではないのでその考えに寄り添う義理はないのです。」
「魔術で勝てると思うのか?」
「勝つというか…玩具にされないように、あまりこいつに近寄りたくないかな程度に思ってもらえれば。遭遇する度に何かされるのも面倒ですし、時間は有限ですので勿体無いです!」
「面倒…」
「だからこその、何か遭っても、ただでは起きあがらずに模索して自分が動く手段を増やしておきたいのです。」
ジラントルまでもが呆然としているが、彼等の言う人間は従順で謙って何もできないイメージなのか、ルウィエラの様な強欲で我が儘な人間には会ったことがないのかもしれないなと首をこてんと傾けた。
次の更新は1日となります。




