白い眷属と温かい食事
目の前には人の形を象った白い靄のようなものが二体立っている。
「白もやさん…」
目が覚めた時にはもう陽が落ちていて、部屋には仄かな灯りが灯っていた。
「ええ。キックリ殿から着替えは私共にはさせられないとのことで、こちらの眷属が対応させていただきます。性別もないですし事前にやり方を聞いています。言葉を理解していますので命じて貰えれば、その通りに稼働しますよ。」
「白もやさん達は魔種族ではないのですか?」
「我が主の魔力から派生しているものなので、そういう意味では同じ種族というのかもしれませんね。ただ、敢えてあらゆる感覚、感情を備えてはいないので、それらが働いて動作に支障がでるということはないです。」
「無感情、無感覚…なのですね。」
感情、感覚だらけの人間のルウィエラからしたら考えられないことだが、その言葉に返したのはセルだった。
「基本眷属を派生させると感情も伴う。自我があれば、ある程度先を読んで行動したり、派生元の為にと率先して動くものもいるが、言い方を変えれば、ある意味自由勝手に行動できるということでもある。動作の範囲を指定していたとしても、それでも感情で動いてしまう眷属も時にはいる。俺はそれが面倒だから命令のみで動くように派生させている。」
ルウィエラはその話を聞きながら二体の白もやに目を留める。
ジラントルの後ろに控えていて命令を待っている状態だろう。良く見ると、微かに左右に揺れていた。
セルの屋敷には数体の眷属が居るらしく、それぞれ派生時にやるべきことを指定して命令しているのだそうだ。命令元はセルとジラントルのみだ。そして眷属は命令されたことのみで動き、それ以外の時は眷属専用の集合部屋のような一室に控えているらしい。
「眷属を使って襲撃や諜報も可能ですが、失敗して相手が手練ならば消滅する僅かな間に魔力残滓を盗られ、結果その眷属の派生元が危うくなります。高位になればなるほど、それは危ういものとなりかねない。まあ我が主はそれ以前に諸々面倒で効率的ではないそうですよ。」
「直接手を下す方が早いからな。」
「まあ、器用で面倒な手間や手入れが苦にならない者ならばできるでしょうが、それでも完璧とはなりません。魔術よりも濃く、魔力の塊のようなものですね。」
以前リテリの魔力残滓を僅かだが捕ったことがあったが、十分に濃過ぎるように感じたのだから、高位人外者の魔力の濃さとは如何ほどのものか。
「白もやさんは一度派生させるとずっと居るのですか?食事…手入れ?のようなものはあるのでしょうか。」
「継続させるならある程度定期的に魔力を与えるな。不必要と判断した時は魔力を還元すれば良い。」
魔力を与え継続させるか、魔力を元に戻し消滅させるか、ということだ。
「今回エルさんの身の回りをする眷属は我が主が新たに派生させた者なので、存分に専用として使って下さい。」
ジラントルから言われた言葉にルウィエラは目を丸くさせた。
「わざわざその為に?」
「微々たるものだ、問題ない。」
「膨大な砂漠のほんの砂粒程度なのでご心配は不要ですよ。入浴は左手の状況と熱が下がってからですので、着替えと清拭をなさってください。半刻程したら、食事をお持ちします。」
セルが白もや二体に何か命令してから二人が出て行くと、白もやの一体がキックリが持ってきてくれた寝間着の一つを持ち、もう一体は盥にタオルを浸して絞って持ってきた。
ルウィエラは寝間着を脱ぐか、顔から拭くか悩んだが、タオルがほかほかと湯気がたっているので、温かいうちにとタオルを持った白もやに話しかけた。
「白もやさん、まず顔を拭きたいと思います。タオルを借りても良いですか?」
そう言って手を伸ばすと、左右に僅かに揺れているタオルを持った白もやはぴしりと固まった。
あれ、とルウィエラは首を傾げたが、もしかしたらと言い方を変えてみた。
「タオルを貸してください。」
すると、すすすと進んできてルウィエラの手にタオルを置いた。
ルウィエラが「ありがとう」と声を掛けると、タオルを渡した仕草のままで、またぴしりと固まり、少しするとすすすと後ろに下がり元の位置に戻った。
温かいタオルをゆっくりと顔に当てて、ふうと息を吐く。
じわっとタオルから肌に移っていく熱が染み渡り「気持ち良い…」と呟いてしまう。
ルウィエラは顔全体から首周りを順に拭いていく。その間白もや達は左右に揺れるだけで待機している。そして白もやにタオルを返して、だいぶ起き上がっても体幹が安定してきたルウィエラはワンピース型の寝間着をすぽんと上に引き上げて脱いだ。
そして下のショートパンツも脱ぎ、下着だけになった時にふと下着の替えはあるのだろうかと焦った。寝間着を持った白もやに声を掛けて替えのものを受け取ると、寝間着の間に新しい下着が包んであってルウィエラは心底ほっとした。
ひっくり返らないようにささっと脱いでから、再度盥で温めてくれたタオルを所望して腕から胴体、下半身と順に拭いていった。
着替え終わり、下着を寝間着に上手く包んでくるくると丸めるように畳んで白もやに渡した。
「二人共手伝ってくれてありがとうございました。」
ルウィエラはぺこりとお辞儀をすると二体とも同時にぴしりと固まって、また少しするとすすすと動き出した。その様子を見ながら足の形がないから擦るように進むのだなと発見を新たにし、そういえばこの前食事に招待された時の白もやもお礼をいうと固まっていたことを思い出す。
(命令やお願いには普通に対応してくれて、お礼や疑問文には固まってしまうのだ…)
それは対応しない、できないということなのか。はたまた理解できるけどどう対応したらいいのかわからないのか。
ルウィエラが首を傾けながらじっと見ていると、やることを終えた白もやはそれぞれ寝間着とタオルの入った盥をもったまま立ったままなので、そうだと試してみたくなったことを実行してみることにした。
「白もやさん達、二人共机に寝間着と盥を置いてください。」
すると、二体共流れるような仕草で置く。
「置いたら二人共私の側まで来てくれますか?」
そう言うと、二体ともまるで双子のように同時にぴしりと固まる。
なるほどと思いながら、ルウィエラは二体に「私の側まで来て下さい」というと、二体とも迷わずすすすとルウィエラの前まで来た。
「私が一人で何でもできるようになるまでの間ですが、よろしくお願いします。」
そう言うと、またしてもぴしりと固まる二体に対して、ルウィエラはじっと見つめながら、右手を差し出してみた。
すると、白もやはルウィエラの手を見つめたまま、左右に揺れている。
「よろしくの握手をしましょう。」
この言葉を聞いた白もやは固まった。そしてどう対応していいか分からないらしく揺れずに僅かに首を傾げる様子が見られた。
(あ―――初めての動作だ。)
そう思いながら「右手を出して下さい」というと、すすっとミトンを填めたような右手が差し出されたのでそれに触れる。
もしかしたら、白もやの色が靄のようなものなので、触れることはできないのかもと思っていたのだが、水よりも、とろみのあるスープのような触感を手に感じた。人肌の温かさで、色々なものが付与されていないなら冷たいのかなとさえ思っていたのだ。
(何だ、温かいではないか。―――一緒ではないか。)
それがルウィエラが出した結論だった。先程の僅かに首を傾げる仕草も、固まるのも白もやの中で何かが動いたからこその行動なのだ。
ゼロでも何を以てもゼロのままではないのだと解った。
そう思って、ゆっくりとそのさらっとした手を緩く握る風にして「よろしくお願いします」と伝えると白もやがぴゃっと全体が一瞬毛羽立った形に変化したように見えたのだ。
もう一度確認しようと、隣のもう一体の白もやに手を出してとお願いして、同じく緩く握って挨拶をすると手触りはそのままで、全体が毛穴が開いたかのようにちくちくな形に一瞬だが変わったのが可愛らしいと思った程だ。
そう考えると、派生させた者に感情が有り、その者の魔力を受け継いでいるのだから完全にゼロになる訳ではないと解釈するとなんだかすっきりとした。
その後、着替えた物を片付けるお願いをして、ルウィエラはまだ倦怠感のある体をベッドに倒した。
そして、魔力器の溜まり具合を確認する。
上部はまだ空っぽだが、だいぶ魔力の動きが滑らかになってきているのを確認して、中部は半分を超えた位に魔力が溜まっていた。
ルウィエラはほっとして、胸元のペンダントに触れてから紫色のカードを取り出した。
カードを見ると、出掛け時のキックリからの返答と、その後のメッセージが入っていた。
【具材は私の気分次第だね】
【カードが見れるくらい回復したら連絡しな。何か欲しいものがあれば書くんだよ】
それを読んで心がほわっと温かくなる。
【先程、着替えが自分でできるまで回復しました。今は熱と倦怠感だけです。ママイの差し入れありがとうございました。久しぶりにお粥を食べてお婆の優しさも思い出しました】
そう入れると時間を空けずに返事が返ってくる。
【優しいのはいつもだね。まあ書ける位回復して良かったよ】
【擬態なんですが、解いた方が治りがいいかもしれないと言われましたがどうしましょうか】
【そうだねぇ。まあ今のあいつになら問題はないかね。何より治りが早い方が良いだろう】
【ですね。セルさん達にお世話かけっぱなしですし、早くお暇できるようにしないとです】
【あいつは自分で首を締めたね】
【首ですか?】
【何でもないよ。何か欲しいものはあるかい?】
【動けるようになってからの部屋着が欲しいです】
【ああ、分かった。明日持って行くよ】
【お手数かけます、よろしくお願いします】
やり取りを終えるとカードを仕舞った。
集中してやり取りしていたからか、少しくらりとしたので、そのまま目を瞑る。
少しすると、ノックが聞こえ返事をするとジラントルがトレーを持って入ってきた。
「着替えはできていますね。眷属は粗相しませんでしたか?」
「はい。白もやさんのおかげですっきりして着替えができました。」
「そうですか。今夜いっぱいは軽めのものを提供させていただきます。お替わりはありますのでその時は言ってください。こちらのテーブルで召し上がれそうですか?」
「ありがとうございます、体力も少し戻ってきましたので大丈夫です。」
ジラントルがテーブルの方に向かったので、ルウィエラもベッドから慎重に立ち上がりゆっくりとソファに腰掛けた。
「チーズリゾットとコンソメスープ、デザートにさくらんぼのシャーベットです。食べられるものだけどうぞ。」
ことんと置かれた品々にルウィエラは思わず、ずいっと前屈みになってしまい、下唇をたくたくと動かしてしまう。
淡い黄金色のチーズリゾットは、程良くブラックペッパーが振りかけられていて、チーズの煮込まれた匂いとブイヨンが芳しく食欲が湧いてくる。
コンソメスープは、玉葱の甘い濃厚な匂いとベーコンを細かくしたものが入っていて、ジラントルの瞳のような琥珀色で完成度の高い煌めくスープだ。
そしてセルも隙に違いないさくらんぼのシャーベットはほんのり桃色でスプーン型でくるくる丸めて小さな器に盛られている。これはどんなに辛くても食べるべき至高のメニューではないか。
「―――どんなに具合悪くても這ってでも全部食べてみせます。」
そういうと頭上からふっと笑う気配がした。
「食欲が湧いてきたようで何よりです。リゾットは数種類チーズを使いたかったのですが、濃厚になりすぎますと、くどくなりかねないので、今回はパルメザンと少しのカマンベールで。コンソメスープは牛のみでなく鶏も入れて、こちらもくどくない程度に。シャーベットはムースよりは酸味があるのでさっぱりいただけると思いますよ。」
そう説明してくれている間にも既にルウィエラはカトラリーを手に持っていた。これを食べて元気にならないわけがない。シンプル且つ体に優しいのに、手間をかけていると思わせるメニューだった。
いざ、とシャキーンとスプーンを光らせて挑もうとすると、セルが戻ってきた。
「食べられそうか?」
「はい!食欲は昼より出てきていますしさくらんぼですしさくらんぼですし。」
「何を言っている。」
「デザートにさくらんぼのシャーベットなんです。」
「…一人で食べられるのか?」
そう聞かれて、ルウィエラは始めの質問が体調を気遣ってくれたものだと理解した。
「あれから休ませてもらってふらつきも今はないので、ゆっくりですが自分で食べられそうです。お気遣いありがとうございます。」
「そうか。」
そう返したセルはいつもの無表情なのだが幾らか残念そうな感じに見えたのは何故だろう。
ルウィエラが首を傾げると、セルは自分もここで食べると言い、ジラントルはそう言うと思いましたと言って下がっていった。
「先に食べていろ。」
「セルさんもここで食べられるなら一緒に食べた方がより美味しい筈なので待ってますよ?」
「―――――どう考えても俺のほうが早く食べ終わるだろう。」
ルウィエラの言葉に少し目を瞠ったが、良いから先に食べろと言われ、最中にくるるとお腹が実は鳴っていたのでお言葉に甘えさせてもらうことにした。
ぱくりとリゾットを口に入れるとぴぴっと体が伸びて、思わず立っているセルを見上げる。
美味しさをどう表現しようかもぐもぐしながら考えているとじっと見ていたセルが目元を覆った。
「濃厚過ぎないのに、芯のあるリゾットを噛み締めるほどにじんわり味が滲み出るようです!」
「―――そうか。」
何故か目を覆ったまま立っているので、座らないのかなと見ていると、視線に気付いたセルは目を逸らしながら、一人用ソファでなく、ルウィエラの隣に背もたれに凭れ掛かるように浅く座った。
弾力のあるソファが少し沈み、まだ本調子でないのか気張りきれずに、ぽすんとセルの膝に倒れるように傾いてしまった。
「ごめんなさい。気張りきれませんでした。」
「―――問題ない。」
ルウィエラの座っているソファは悠に三人は座れそうな大きさだ。テーブルが細長いので隣に座ったのかなと思いながらリゾットに集中する。
一口食べる毎にぴぴっと背筋を伸ばしていると、体力が持ちそうにないので耐え忍ぶ。
そうしていると、ジラントルがセルの分の食事を持ってきた。セルの座っている位置を確認して一度止まっていたが、気を取り直してセルの前に並べた。
セルが食べ始め、ルウィエラはコンソメスープに切り替え取手のあるスープカップを持ち上げる。
ソファとテーブルの高さがほぼ一緒な所での食事なので、持って食べなければならず、ルウィエラへの器は全て軽めの陶器で取手が付いているというジラントルの配慮が有り難い。セルは少し全体が大きめの器でスープカップだけが同じだ。
スープを一口飲み、その美味しさに「んぅー」と声が漏れてしまい、びびっと体が伸びる。そしてセルの方をみるともうリゾットはいつの間にか食べ終わっていて、同じくスープに突入していた。
「こんな―――とても濃厚なのに後味さっぱりだなんて…」
ふるふるしながらジラントルを見るとふっと淡く微笑んだのでルウィエラは目を丸くする。
「牛だけのコンソメだともっと濃厚且つ味わいが深くなります。今回は鶏を入れたことで中和させました。」
「味わい深いのにさらっとごくごく飲めてしまいます…」
「エルさんが元気になられたら牛だけのコンソメスープをお作りしましょうか。」
それを聞いて急にがばっと顔を上げてしまったので、流石に少しふらついてしまった。
セルから「興奮し過ぎだ、落ち着け。」と言われてしまう。
この黄金のスープのより濃厚版が飲めるかもしれないのに、これが落ち着いていられようか。
大事に大事に飲みたいのに、掬う手は止まらないのがこのスープの恐ろしいところだ。
「美味しい、です。もっとゆっくり味わいたいのに手が止まらないです…」
「お替わりなさればいいでしょう。」
その言葉に、再度がばっと顔を上げふらっとしてセルから同じセリフを言われた。
「セルさんはこの黄金のスープの魔性具合に惑わされないのですね…」
「何を言っている。」
セルの定型返しを聞きながらまた一口飲んでほっこりとする。
「美味しいです。」
「そうだな。」
「一緒ですね。」
「―――――そうだな。」
それから少しだけお替わりを貰ってしまい、デザートのさくらんぼシャーベットの美味しさは皆まで言うまい。
ただ、セルの口から再度さくらんぼと言わせられなかったことが、ルウィエラだけでなくジラントルも無念だったに違いない。
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