罰の上乗せ
「こんなところにいたのね。私を歩かせるなんて何様のつもりかしら。」
ランプの灯りが近づいてきて、次第にはっきり見えてきた人物は、足音からの予想通りシェリルの母、アグランド伯爵の正妻タチアナだった。
ダークブロンドの髪は編み込んで上で纏めてあり、瞳と同じ色のミントグリーンのドレスの上には毛皮でできた暖かそうなケープを羽織っている。お付きの護衛騎士がランプを持って側に控えていた。
「昼間に勝手に外に出た罰を与えにきたのよ。シェリルが代わりに与えたみたいだけど、そんな軽いものじゃ躾にならないわ。立ちなさい。」
立ち上がろうとするが、案の定眩暈が起こり座り込んでしまった。
「さっさとしなさい!ケビー、これを連れてきて。」
命じられた騎士のケビーは「ほら、立て。」といいランプの持っていない手でルウィエラの左腕を掴んで引っ張り立たせようとした。
「!!っ…!」
焼けるような激痛が奔り震える。怪訝な顔をしたケビーが「ん?何で濡れているんだ?
」と掴んだ腕を見て布に気付き、それを捲って目を瞠る。
「…奥様、左腕を怪我していますよ。」
「ああ、シェリルが言っていたわね。火と水で軽く罰を与えたって。」
そう言いながらルウィエラの火傷痕の腕を一瞥して薄らと嗤う。それを見たケビーは僅かに眉を寄せたが「立て」と今度は右腕を持つが、今度はその腕の熱さから「熱もあるのか」と呟き、少し屈んでからルウィエラを脇で抱えた。
その時に左腕に当てていた布が落ちそうになったので、取り上げられる前にワンピースのポケットに直ぐに仕舞った。
「あらあら、ケビーは優しいわね。」
タチアナは、くすくす嗤いながらも目は全く笑っていない。
「奥様、この様子では離れに着くまでに時間が掛かり奥様が冷えてしまいます。私はそちらを懸念したまでですよ。」
「ふふ、仕方ないわね。手こずらせた分、多めに罰を与えましょうか…ああ、それとケビー。それの髪の毛を引き摺っているわよ。肩上まで切ってしまいなさいな。汚れた髪が邪魔でこの後の罰が与え辛いわ。」
背が高いケビーが脇で抱えていても一度も切ったことのないルウィエラの髪は腰下あたりまで伸びていて地面に付いていた。
「此処で、ですか?」
「そんな汚い髪を床に撒き散らして踏んだら嫌だわ。切ったらその辺に捨て置きなさいな。」
「…承知しました」
そういうとケビーは一旦ルウィエラを下に降ろす。そして長く伸びた艶のないパサパサの紫の混ざった黒い髪を纏めてから小型の剣を取り出した。
少しの逡巡の後、ザクッザクッと音がしてルウィエラの頬に短くなった髪がかかった。
「すっきりして良かったわね、感謝しなさい。さあ戻りましょう。その髪はその辺に投げ捨てておいてちょうだい。」
タチアナはそう言って踵を返して歩き出した。
少しの間意識が落ちていたのかドスンと体を床に下され、ルウィエラはぼんやりと今の状況を確認する。薄暗い汚れた床を見て離れに戻ってきたと理解した。
「跪いて服を脱ぎなさい。」
タチアナの声が聞こえ、いつもの鞭打ちかな思いルウィエラは両手で体を支え置き上がり、傷に当たらないようにワンピースを脱ぐ。下着だけで正座の状態になると、タチアナから更に命令が下る。
「左腕を横に出しなさい。」
タチアナの背後にいるケビーが僅かに動く気配がしたが、まあ弱点が目の前にあるのならば、より苦痛を与える為に見逃すわけはないだろうと予想していたルウィエラは、左腕を少し持ち上げる。
そして敢えて目を強く瞑り頭痛を誘発させながら、声が絶対に漏れないように歯を食い縛った。
刹那、ビシッッという鞭の音と同時に左腕の火傷の箇所に凄まじい激痛が迸った。
鞭の音は一度で留まらず幾度となく繰り返され、タチアナは薄暗いのに的確に火傷痕を狙ってくる。その間ルウィエラは、目をグッと瞑り発熱による頭の鈍痛と目の奥の痛みを敢えて作り出し、左腕の業火の痛みからなんとか誘導できるように頭部の痛みに集中した。
鞭の音は続き、何発目か分からなくなった頃には既に半分朦朧としている状態だったので体は鞭の衝撃に耐えられず前のめりに突っ伏した。薄目を開けると左腕を出していた床の下には小さな血溜まりが、その周りには所々血痕が飛び散っていた。
「ああ嫌だ。お前の卑しい血が私の鞭に付いちゃったじゃないの。汚らわしいあの女の血だわ。それに相変わらず泣き声も喚き声も出さないなんて、余計に腹立たしくなってくるわね。それとももっと躾けて欲しくてそうしているのかしら?ならばご期待に添わなくてはね。」
タチアナは嘲る声色で投げ捨てるように言うと、鞭に付いた血を塗り付けるかのように今度は俯せになったルウィエラの背中に鞭を踊らせる。
今夜は耐久勝負かな…と消え入りそうになる意識の中、ようやく鞭の音が止んだ。
タチアナは息を切らせながら「手が痛いわ。」と鞭を放り投げた。
(それだけ振り翳せばそれは疲れるだろう…これでもし騎士に代わりにやれとか言ったら…流石に危ないかもしれない)
ルウィエラは既に意識混濁手前の状態だった。
「奥様、手が赤くなってしまっていますよ。戻って冷やしましょう。」
「そうね、ケビーは優しいのね。この子供は折角用意してやった食事も要らないようね。鞭と一緒に持って帰ってちょうだい。」
「…承知しました。」
カチャカチャと食器の音がして、やがて扉が閉まる音が聞こえ、足音が遠ざかるとようやくルウィエラは食い縛って開かなかった口を右手で顎を掴みゆっくりと開けた。持っていかれた食事を少しでも食べておいて良かったと思った。
左腕をみると火傷痕が見えないくらい血濡れでその周りは血が飛び散り赤く蚯蚓腫れのようになっている。
もう既に限界を超えている体を酷使しながら這い蹲って、脱いだワンピースから綿の布を取り出して左腕に当てるが、もう麻痺状態のようになっているらしく痛みも熱さも殆ど感じなかった。
それならば今のうちだと肘を使ってずりずりと進み、玄関の方に広げてあったまだ濡れているワンピースを引き摺り取って血溜まりと血痕が残っている床を雑に拭う。
もうこれが今のルウィエラができる精一杯だった。そして渾身の力を振り絞って下着のままでベッドに左腕を庇いながら俯せに倒れこんだ。
(背中もきっと血が滲んでいるだろうから傷を乾かさないと……服が汚れるし、化膿してしまうかもしれない。寒いけど……きっとこの熱は暫く治まらないだろうから今更だ。)
そう思いながら半ば気絶するようにルウィエラはようやく意識を手放した。
そんな惨状が繰り広げられていた離れの中が見える窓の位置の向かいには、庭園に続く途中に生い茂る大木がある。その木の幹の影から、金と銀の瞳が離れをずっとみつめていた。