錠菓の効果と弊害
食事を終える頃に、少し遠くからキックリの気配を感じて店の扉の玄関方面へ顔を向けた。
少しすると鍵を開ける音がして、キックリが暖簾から姿を現す。
「今帰ったよ。――なんだい、珍しく少食じゃないか。」
「お帰りなさい、お疲れ様でした。今日は沢山考え事してました。昼食は食べたのですが、夜はお婆の作ったスープだけいただきました。食欲が左右されるのは初めてだったので、今後を見極められる良い経験になりました。」
「そんな日もあるさ。続く場合は無理して食べた方が良い時もあるがね。そんなルウィエラには良い土産かもしれないねぇ。」
そう言いながら、キックリはローブを脱いでコートラックに掛けた。
ルウィエラが良い物とは何かなと首を傾けた姿を見てキックリは「食いついてこないなんて、本当に珍しい。」と耳飾りの収納から群青色の包装紙に水色のリボンで包装された両手に埋まる程の小さな箱を取り出して差し出した。
「お婆、これは…?」
「前に錠菓を買ってきたフルナーレにある砂糖菓子やチョコレートを揃えている店があると前に話しただろう?そこのプラリネチョコレートだ。」
「プラリネチョコレート…」
「ナッツをキャラメリゼしたものをペースト状にした香り高いチョコレートだよ。紅茶を入れてくれるかい?」
「はい。」
初めて知るお菓子に僅かに心が動きながら紅茶を入れている間、キックリは着替えてきたようだ。
「コーヒーにも合いそうなんだが、向こうで飲んできたから紅茶だね。」
「そうなんですね。紅茶入りました。」
「ああ、ありがとう。開けてごらん。」
そう言いながら二人は席につく。キックリはカップを持ち紅茶を飲み始めた。
ルウィエラは高級感のある柔らかめの包装紙とリボンを丁寧に外し、焦げ茶色の箱を開けると、カカオの香ばしく甘い匂いが立ちこめた。
「―――良い匂いですね。甘くて芳しい。」
そこには楕円形の形をした品の良いチョコレートが六つ仕切りにされた箱に入っており、きっと茶色の宝石があるならこんな感じなのかなと思うほどの光沢と、更にチョコレートで綺麗に螺旋模様が装飾されている。
「今日は珍しく空腹感が無かったのですが、これはとても食べてみたいです。」
「はは、そういう時は迷わずに食べな。」
「ありがとございます。食べたい、美味しいと感じるうちはまだまだ大丈夫ですね。」
「…そうだね。境界線を自分で定めておくのは大事なことかもしれないね。」
いただきます、と声をかけて楕円形のチョコレートを一つ摘んで口に入れた。
外側のビターチョコレートの少しの苦味と甘味がとろっと溶けてふわっとカカオ独特の風味を感じた後、プラリネのナッツの香ばしさとキャラメルのほろ苦さと甘みが広がり、ルウィエラの目の面積も拡がった。
「これは……美味しくて、とても普段は食べてはならない禁断のお菓子ですね。」
「ははは!食べれるものは食べときな。でも何かを頑張った時のご褒美として、自分の中でこれが唯一だ、と決めておくのもいいかもしれないね。」
「それですね。お駄賃貯めて買いに行きます。」
そう答えつつ、口の中のプラリネチョコレートを楽しんでいた。
キックリは一つだけで十分だと言い、残り五個のうち三個を紅茶を間に挟みながら戴いた。
その様子を穏やかな様子で見ていたキックリは口をもしょもしょしていたルウィエラが落ち着くのを待ってから、改まって話し始めた。
「ルウィエラ。今日フルナーレの薬屋に行ってきたんだけどね。」
「はい。公園の奥にあるちょっと隠れ家的な素敵な『レーレイ』の薬屋さんですよね。」
「外見はね。中に居るあいつは偏屈だけどね。」
「と、向こうも間違いなく思っているのでしょう。」
そんなわけないだろうがと、キックリが紅茶を飲みながら失笑する。
「私の錠菓の需要はどうでしたか?」
「ああ、それなんだけどねぇ。ルウィエラ、渡していたものと、今日持たされた錠菓は濃度を濃くして提供していたかい?」
「今日渡した液体のお薬は三倍濃度でしたが、今日渡した錠菓を含めて全て濃さなどは一回の錬成のみですよ。ごんさん用に黒い鳥対策に作ったものだけは五倍でした。」
「そうかい。実はね、タンデが言うんだよ。取り扱いは難しいって。」
タンデは薬屋レーレイの店主の名前だ。
それを聞いたルウィエラは効果が足りなかったのか、需要がなかったのか分からないが、残念に思い目線が思わず下に下がる。
「勘違いしちゃいけないよ、ルウィエラ。あんたが思っている理由より寧ろ逆なんだ。」
「逆?ですか」
一つ頷いてキックリが話し始めた。
「タンデ曰くあんたの錠菓の効力は通常の薬の効果の数倍だ。しかも直ぐに噛み砕いて効果があって、且つ一回の錬成。タンデが一つ買い取って食べたからお墨付きだよ。そして濃度を上げた液体の薬は薄めたら50瓶分になると言われた。前にも言ったが、あんたの錬成する魔力との過程と、まるで意思があるかのような魔力との共鳴部分…というのかね。それが通常錬金を扱う奴等とは桁違いということだそうだ。」
キックリから聞いた話を纏めるとルウィエラが想像以上に並外れた能力を持っているということだった。
ルウィエラからしたら、魔力との触れ合いという考えからの延長線上なので、大変だとかやり辛いという概念がない。
キックリによると、息を吸うようにそれらを淡々とやるのが当たり前のルウィエラを、今日改めて再確認したという。
「そうなんですね。私はお婆の薬の効果も錬成もあまりに秀でているので、それを基準に考えて、まだまだだなと思っていたので気付きませんでしたが、それを聞いてお婆の凄さこそを再認識できました。」
「あんたねぇ、私ですらある程度能力はあったとしても極めたり時間を掛けてようやくなんだよ。なのに16年しか生きていないあんたがもう私のすぐ後ろに迫っていることが、どれだけなんだいってことだ。それをタンデは危惧していてね、一度も店頭には出さなかったらしいんだ。前にも言ったが、これだけの魔力とその関わり方、錬金術の作る速さと効力の高さは下手したら国が囲うか、どこぞの勢力がどんなことをしてでも欲しがるものだ。」
キックリはルウィエラの目を見据えて言葉を重ねる。
離れから飛び出した直後に会った時も同じようなことを言われたのは勿論忘れてはいない。
「レーレイでは店主の配慮で店頭に出なかったのですね?」
「ああ。前回錠菓を預けた後、私もすぐ行くところがあったから、鑑定は任せてその場では聞かなかったんだ。錠菓の数粒を鑑定して、あいつは店頭に出す代物ではないと判断したんだ。」
キックリ曰く、タンデは偏屈だが、信頼のおける人物なのでそのへんは任せておいたようだ。
「私がざっと作る工程の時間と精密さを教えてはおいたが、それだけでもタンデはまさかと思っていたそうだが、成分を鑑定していくうちにこれは本物だと判断したんだ。液体の薬も濃度は綺麗で不純物な魔力の残骸もなく、薄めても効果は皆同一だ。液体は薄めればどうにでもなるが、あんたの錠菓はそのまんま食べられて、しかも液体や粉薬の効果より上となれば、下手したら液体や粉薬の需要が危ぶまれるかもしれないとのことだ。」
キックリから聞いたタンデからの思った以上の評価とその弊害について、ルウィエラは通常錬成でさえ高効能であるという自分の錠菓が需要どころか争いの元になると暗に伝えられて驚いた。
ルウィエラ自身今まで比べる相手がいなかったこともあるが、キックリも前に言っていた通り、あまりに自分を安く見積もり過ぎると、利用されることは必然で、無知というものは恐ろしいものなのだと再認識させられた。
「では、少なくとも私の錠菓は店主以外は知らないということなのですね。」
「いや、ところがなんだ。たまたま運悪くというか、レーレイの薬屋にはお忍びであの国王が訪れることが偶にあってね。運悪く店主が鑑定をしている時に限って来たんだよ。」
「え」
それは二度と滅多なことでは会うことはないと思っていたディサイル国の国王のことだろう。
そしてお忍びでルウィエラが今後訪れるであろうフルナーレにちょくちょく来ているのだという。
「鑑定の錠菓を隠そうとしたが、相手は国王だからね。あれこれ誘導されて話すしかなかったんだと。ただ、ルウィエラの名前は出さなかったらしいが、国王は鑑定魔術できるし、私がそこに通っていることも知っている。そしてあんたの能力も知っている訳だ。容易に予想はできただろうよ。そしてその後凄くいい笑顔で帰っていったそうだ。」
「―――なんか面倒な予感が。」
「ああ、可能性は高いだろうね。ただ、誰かに漏らしたり、権力でどうということはしないよ。私との誓約を違えるということになるからね。」
「お婆が尊大な人であることを今日ほど有り難いと思ったことはありません。」
「尊いのも、畏敬の念を抱くのも当然さね。」
相変わらずな堂々な返しの早業にルウィエラは肩を諌めたが、キックリの元に居たことで生活の基盤や、教えてほしかった色々なことを、ルウィエラなりのやり方で好きに学ばせてくれたことは本当に僥倖だったのだと改めて思った。
同時に、尊大な態度にならないように、更に精進しようとも再認識したのだった。




