惑う纏まらない心
翌朝目を覚ますと、ごんさんのタオル巣があったベッドの真ん中には綺麗に畳まれたタオルが置かれていた。
机を見ると、昨夜置いた錠菓の袋は全て無くなっていたので持って行ってくれたのだろう。
それを順に見つめてルウィエラは今までにない何とも言えない喪失感を味わう。
目を一度閉じてゆっくりと深呼吸して底からじわっと這い上がりそうな心のざわざわを鎮めるのに呼吸と連動させて何とかばたんと心を閉じるように尽力する。
少しして落ち着いてきたので体を起こし、少し捲られていたカーテンが閉まっているのを見つめた。
(あの声はごんさん…だったのか、夢現だったのか―――)
意識が揺蕩う不思議な感覚は普段何か感じると飛び起きるルウィエラには珍しいことだった。
恐らくそういう状態にしたのがごんさんだったのかは定かではないが、それを色々想像する気力は今のルウィエラには無かった。
寝具を整え、クローゼットを開けてシンプルなワンピースに着替え下に降りる。
「お婆、おはようございます。ごんさん出て行きましたよ。」
「ああ、おはよう。日が昇る前に出て行ったようだね。話はできたのかい?」
「―――そうですね、私が言いたいことを言っただけですが。」
「それで良いんだよ。あとはごん次第だからね。スープの皿を出してくれるかい?」
「はい。」
朝の動きはいつも通りだ。スープ皿をキックリに渡して、ルウィエラはグラスやカトラリーを出し、テーブルに並べる。
そこにはごんさん専用の器はなかったが、ランチョンマットはそのままで、他に何も置かずにそれがキックリの心境を表しているようで、何だか少し心が温かくなった。
そしてばたんと閉めたルウィエラの心は殆ど動かくなっていた。
(離れに居た時に培った心に蓋を閉める方法がこんなところで役に立つ。……その方法はなんて寂しくて非情なものなのだろう。)
何とも言えない気分になるが、美味しい朝食の前にこんな気分になるのは失礼だとルウィエラは気を取り直して、席に着く。
「今日は昨日採取したものを色々錬成してみようと思います。お婆は中央に出向くんでしたっけ?」
「ああ、フルナーレにある薬屋を営んでいる錬金術師の奴のところにね。あんたの錠菓を預けてあるから、どのくらい需要があったのかの確認だ。ちょっと情報収集もしてくるかね。」
「私の錠菓はここの薬屋で十分なのですけど。あまり大量に作ることはしたくないです。」
「錠菓に見合った効能の最低限の価格で提示しておいたが、あとは向こうに任せてあるからね。それに錠菓は意外に難しいんだよ、錬成が。あんたが異常なだけだ。」
「あ、フルナーレ行くなら濃縮した液体の薬と幾つかの錠菓を足しても良いですか?需要なさそうなら引き取ってきてくれればいいので。」
そう言いながら、ペンダント収納から取り出す。
「あるなら持っていくよ。うちの薬屋でも錠菓を出しても良いくらいだが、それはルウィエラ専売特許にしておいた方が良い。」
「私は元手と少しの足しが取れれば良いのですが。まだ価格価値が分からないので私もそのあたりは新たに学ばなければですね。」
「液体と粉の表はあるが錠菓は比べるものがまだ殆どない。それとあんたの濃縮の液体は効果倍増、または薄めて数回使えるわけだから、それなりに良い値段にはなるよ。」
ルウィエラが幾つか取り出した物をキックリは耳飾りの一つの収納に仕舞った。
「薬も錠菓もですが、追い立てられて作るのは性に合わなそうなので、採取などで余ったものを売りつつ、少しずつ稼いでいければいいなと思います。」
「その辺は好きにやりな。自分の方針が決まったらこちらの手伝いはたまにでいいからね。」
「はい、ありがとうございます。」
キックリは朝食後、準備をして「今日は店自体休みにしているから好きなことしな」といって出掛けていった。
ルウィエラは乾燥までこなす洗濯魔機を回しながら、部屋全体の掃除をした。家のことはその日の予定によって動ける方が進んでやることになっている。
一通り家のことをし終えたルウィエラは作業室に移動した。
昨日採取した魔草や魔石、そして湖水の結晶石とリテリの魔力残滓だ。
湖水で採れた結晶石は元々の殆ど魔力を含まない石が長年湖水に浸され、周りに生き物が住まうことでその魔力の流れの循環に繋がり、僅かずつ魔力を蓄えていき、結晶石になるまでは三桁の年数を要すると言われている。
ツブラアナゴに出会った過程で入手できたのは運が良かったのだなと、交換してもらった結晶化した石、湖水緑晶石は全体は深緑色だが、結晶化している部分は白くなり、角度を変えて見ると黄色や黄緑がかった輝きを帯び、透明と少し濁る色のコントラストがとても美しい。
これは魔晶石の中でも希少な部類で、水と土、光を使う魔術に向いており、錬金では守る、防ぐことに特化した石であることが解った。
五個のうち三個渡そうとしたのだが、キックリは「あんたの手柄なんだからしっかり使って役に立てな。私はこれのおかげで新しく錬成するものが増えたからね」といって、一個だけ持っていったのでお言葉に甘えさせてもらうことにして、錬成方法を考える。
(一個は錠菓…これはちょっと相当効果が期待できそう。一個は取っておいて残り二個は何か守る為の装飾品に。)
ルウィエラが今身につけているものは自分の髪から錬成したペンダント収納だけだ。
あまり体に装飾品を装うのが好きではなかったのだが、今後の有事に備えてあまり華美でなく邪魔にならない程度の装飾品を作ろうと考えた。
(ペンダント…はもうしているから、指輪、耳飾り、腕輪、足首に付けるアンクレット…腕輪は嫌だな。)
魔呪道具だった腕輪は手首のブレスレットというより、言葉通りの腕に付けるものだった。
手首だとその悍ましい色合いから、ばれてしまう可能性もあった為腕輪に特化したのだろう。
付けているペンダントもキックリから貰った紐は気持ち長めで石は胸元あたりになっている。特に首周りはぴったりしていると、締め付けられるイメージが拭えなくあまり好きではない。
(となると、腕輪は除外してアンクレットか耳飾り…そういえば。)
ルウィエラはキックリが身につけている耳飾りを思い出す。
キックリは両耳に一つずつ真っ赤な薔薇色の耳飾りをしているが、あれは自分の血から錬成したのだという。真名と一緒で血は一滴でも奪われると、命取りになるという危ういものだ。
キックリは昔ちょっとやんちゃして自分から流れた血を魔力残滓に置き換えて魔石最高峰と言われる魔輝石に集める方法をみつけたのだという。
魔石には元々魔力が備わっているため、消失寸前まで魔力を抜き取りほぼ空の状態にして、そこに置き換えた自分の魔力残滓を貯めていくことができる。
他の魔石でもできなくはないが、魔輝石は希少中の希少な石で膨大な魔力と容量を持つため、殆ど無尽蔵に入っていくらしい。
それ以前にそんなに貯める程血を流している方が問題だがねとキックリは言っていたが、戦いに赴く魔術師や戦闘を生業や職業としている者は喉から手が出る程欲しい能力なのだそうだ。
そして体内から出た血を自動的に消失させることはできるが、自動的に魔力残滓として置き換えて魔輝石に取り込むことは至難の業でそうできるものではない。
その方法が使えない殆どの者は、魔術師や錬金術師御用達の魔石屋や装具、装飾店にある魔力残滓札を購入している。だがこれらは何れも一回きりでかなりの高額らしい。
キックリから教えてもらった方法は、魔力器と自分の血の流れを同化するイメージをするというものだ。これが存外難しいらしく、元々違う層としての思考を元に戻すような感覚になるので、魔力そのものの動きが悪くなってしまう弊害があるのだそうだ。
なので、それを上手く活用でき、魔力と寄り添うことでその可能性が広がるらしい。キックリ曰く、ルウィエラの魔力の使い方を見る限りすぐ使いこなせるだろうと言われていた。
それを聞いた時に何も知らない体で頷いたが、実はその方法でなくルウィエラは既に違う過程で知らぬ間に取得していた。恐らくそれより難度の高いものだ。
その事実を今はルウィエラの心の中の留めている。
魔力残滓に置き換えるのは、覚えた元の魔術の応用編であっただけで。そして魔力を共に居るものとして常に扱っていたルウィエラだからこそ難なくできたことだった。
ただ、今自らを傷つけて、装飾品を作ろうとは思ってもいないので、今後良い魔石が見つかるか、もし有事に出血があった時にこの湖水緑晶石の効果を付与できる物を作ろうと思った。
ルウィエラは湖水緑晶石の一つを抽出して瓶に入れた。
残りの魔草や魔石も分別してとっておくものと、錬成するものに分けて暫く作業に没頭する。
そして最後にリテリの魔力残滓を見る。
極微量だが、高位の人外者のものだ。キックリは「笑いが止まらんね」とまあ素敵な笑顔で言っていたので、何に使うかは恐ろしくて聞けなかった。
半分分けて更に微々たる量なのだが、さて何に使おうかと考える。
「紅い鳥のティリさんに会うのは良いのだけど、リテリさんはまた何かされても嫌だしな。そもそも四柱って言われる者に会ったことがとても珍しいことなのでは。会うこと自体ない可能性もあるけど…それも絶対とは言えないなら…」
咄嗟に防壁魔術を使って避けられはしたものの、あれは彼からしたらほんのお遊びに過ぎなかったはずだ。放った瞬間の彼から発せられた魔力の重みと禍々しさはルウィエラでも理解できたつもりだ。
ならば次回同じものが通用するとも限らないし、この少ない魔力残滓を使ったところで防御の効果も期待できるとは限らない。
「万が一遭遇した時に少しでも緩和できるもの…軽減の何かを…防壁魔術にもう少し魔力を展開して厚みを持たせてそれを助ける錠菓を作ろうか。でも――」
それでも自分が無傷である可能性は低いかもしれない。
ならばせめて誰も、そして本人すら考えつかないような、しかもこの魔力残滓だからこそ心抉る何かができないかと思案し、人外者、上に立つ者、高位、と考えながら、ふと突発的に思い立ったことを採用することにした。
味付けの種類をみて、烏賊味の抽出液を見てまた心の扉が動きそうになるのに蓋を厳重に重ね、烏賊味は仕舞い、レモン味に決めて錠菓を錬成する。
出来上がった錠菓を見て、ルウィエラにとってはなんてこと無いものだが、あの人外者にとっては少しばかりプライドがへなっとなると良いなと願いながら心の中でほくそ笑みながら仕舞った。




