不可思議な人物とその眷属
開館からまだ間もないが利用者は既にそこそこ入っている。
だがルウィエラが生物関連で向かった三階の角付近には人は殆ど居なかった。
窓側近くにはゆっくり読書できるスペースがあり、何冊かに決められなかった場合はそこで一冊読むことにしようと考える。
生き物に関する本は数多にあり、気になった題名を手に取りぱらぱらと捲りながらざっと目を通して、調べたい優先順に選別していく。
書庫棚はルウィエラの小柄な背丈を優に超えていて倍近くはありそうだ。
一番上の段のついては殆どの人が取れない高さなので、各書庫棚には梯子が併設されている。
ルウィエラの背では届かない高い位置にある段の本の位置をざっと把握してから、その逆側にある書庫棚の梯子の足を掛ける部分に借りる予定の一冊の本を置かせてもらう。ここから読書スペースまでは少し遠いのだ。
(確かお婆がここは遮蔽空間魔術ほどではないけど魔力を使う殆どの魔術類は使えないようになっていると言っていた。僅かな魔力は壁スクリーン等でも使うので許可されているが、本を複写させたり勝手に持ち出したりできないように指定魔術も取り入れられているとか。でも本を遠隔操作で認識させて見つけることくらいなら魔力を薄く伸ばしてやれば大丈夫かな)
図書館には貴重な本だけでなく、内観の棚とかもまるで博物館のようだと言われているくらい希少素材や精巧な彫り物の本棚や壁がある。そういうものの破損や盗難などが出来ないように、細かい指定魔術が組み込まれているらしい。
(高い場所にある本を幾つか確認する作業となると……透視は結構魔力を消費するから遠隔で認識と索敵を組み合わせてから検索する言葉に反応して淡く光って知らせられるように―――操作はもし落としたら大変だからそこは選別してから梯子で。探知できない程度に魔力を薄く伸ばしてこの周辺の書庫棚にかけてみよう。)
ルウィエラはざっと周辺の書庫棚を見渡して魔力を指の先に集めながら展開させた。
極限まで薄く伸ばした魔術の織をみながら相変わらず自分の魔力は温かく感じるなと思いながら、両手の指先をそれぞれ違う動きをさせ、書庫棚周辺を覆った。
その中から数冊淡く光りを灯したので表紙を確認をしながら選別して二冊に絞る。一冊はぎりぎり梯子を使わない場所だったが、もう一冊はかなり上の方だったので梯子を動かして角度を少し変えてから足をかけて上った。
ルウィエラはあまり女性の中でも背が高い方ではないので、梯子を使ってもぎりぎりだったが、なんとかもう一冊の本を取れたので下りようとした時のことだ。
すぐ近くに人の気配を感じた。
それだけならルウィエラも気にならなかったのだが、同時に聞こえる筈の音が聞こえなかった。
気配を感じるのに足音が全くしなかったのだ。
離れの暗闇で何年も過ごしていたので、音と感覚は未だに集中しなくても無意識に耳が追う状態だ。そして視界の端に人影が入ったので気になってそちらを見ると、丁度ルウィエラの書庫棚の列に入ってきたところだった。
その人物は少し手を伸ばせば書庫棚上の本まで取れそうなくらいすらりとした背が高い男性で短めの銀白の髪は癖っ毛のように所々刎ねている。
顎下まで隠れているハイネックの質の良さそうな薄手のセーターのようなものにズボン、そして更にトレンチコートのようなものを羽織っている、それらの服装は全て漆黒だ。
左耳にはいくつもの髪の色と同じ銀白のリング型の耳飾りをしている。
ルウィエラは彼から目を離せずにいた。
その理由は二つあった。
一つは彼の肩に鳥が留まっていたのだ。
肩幅に大きな足を乗せているのは黒と灰色と白が綺麗に連なった羽のフクロウだった。
嘴と瞳の色は黄金で、瞳孔の黒い部分は今は丸くなっていて、ルウィエラをじっと見つめていて、
目元の上には眉毛のような長めの羽が生えている。
図書館受付で何も言われなかったのならば眷属なのかなと考える。
そしてもう一つの理由は。その人物の目元は真っ黒の布で覆われていたからだ。
耳にかけて後ろで縛っている布は透けてもいないし、どう見ても見えているとは思えない。それなのに普通にここの書庫棚にぶつからずに入ってきたのだ。
(しかも足音がしなかったのはこの人だ―――)
普通に歩いているようにみえるが、するべき足音がしない。
じっと見過ぎていたからか、こちらに近付いてきた時にその男性が顔を上げてルウィエラの方に向いて止まった。
目元は見えないが銀白の髪に白い肌と男性の割には少し細めの体躯に見えるが、静謐で研ぎ澄まされた男性らしさも感じる。そしてこちらが見えているかのように目を向けて僅かに首を傾げたので、ルウィエラも思わず首を傾げてしまった。
すると何故か彼は口を少し開けた。
まるで自分がそこにいることが誰かに分かるはずもないという風に。
ルウィエラは首を逆側に傾げて先程から気になっていたことを伝える。
「あの…今梯子を少し通路側に角度を変えて出してしまっているので足元気をつけてください。」
もし見えてなくて躓きでもしたら大惨事だしルウィエラももれなくひっくり返ってしまうので、一応声をかけた。すらっとした背の高い男性はまた少し口を開けてぼそっと呟いた。
「―――見えてんのか。」
「寧ろそちらが見えていないのが気になって。」
囁くような甘めの掠れた声は鋭さも混じる。
既に本を取り出しているので注意を促すより降りた方が早いと、ルウィエラは足元に気をつけながら梯子を降りた。
梯子を元の角度と位置を戻して、彼の方をみるとこちらに視線の標準を合わせているので、どうやら見えているのか感覚かでわかるようだ。
「感覚で動いている感じですか?」
相手は無言だったが、小さく頷いた。
足音を消して歩ける位なので体術の心得があるのかもしれない。
動きは俊敏そうだし大丈夫なのかなと思う。
とはいっても本は読めないのではと思ったが、もしかしたら図書館の雰囲気が好きとかそういう理由かもしれないので、それは好き好きであると結論を出した。
ルウィエラは「それじゃ失礼します」と横を通り過ぎようとしたら、男性の肩に留まっていたフクロウが羽をゆっくりと広げて「ホゥ」と鳴いた。
体長は男性の頭くらいの大きさだが羽を広げると倍以上の幅になりそうだ。
広がる羽の優美な勇ましさにルウィエラも同じく「ほぅ」と溜め息を吐きたくなったが、嘴も鳴らしていないので威嚇ではなさそうだが何だろうと考える。
「………ロロ?」
男性の方もフクロウがそういう行動を取るのが珍しいのか困惑しているようにみえる。
ふと今朝のごんさんとのやり取りを思い出して、同じ鳥だからもしかしたら独自に感知するものがあるのかと勝手に予想してみたルウィエラは、さっと向きを変えてペンダント収納からと小さな袋に数個入れて保管しているうちの一つを取り出した。
「もしかしたらこれでしょうか。家にも鳥が住んでいるのですが、その子の大好物なんです。匂いでもしましたかね。」
そう言って袋を見せると、フクロウは羽を閉じてその袋をよく見ようとしたのか、首を45度曲げて首を傾げた。
(か、可愛い!見た目は勇ましいのに)
ルウィエラは口を押さえて身悶えそうになったが、もう片手には本を持っていて顔面に強打する訳にはいかないので物凄く耐えた。
男性の方も同じ様に僅かだが、フクロウと同じ方向に首を傾げているのが、なんだか微笑ましい。
「良かったら差し上げます。普段は果物などで作るのですが、家の子の今の流行りが海産乾物味というちょっと渋めのチョイスなんです。家の者の晩酌時に共に食べています。」
「―――晩酌」
「はい。この前人間のツマミを強奪からの食べ散らかしで、羽を毟られそうになってたので、その子専用に作ったんです。人間も食べられますし、栄養価は高いですよ。」
「―――あんたが作ったの?」
「そうです…あ、でも食べ物は飼い主さんにも寄りますよね。中身は問題ないですが、気になるなら鑑定魔術でもしてからどうぞ。」
そう言ってルウィエラはその男性の前に袋を差し出した。男性はその袋を見て微動だにしない。フクロウはじっとその袋を見つめている。
(まあ、全く知らない人から急に渡されたら警戒するか。)
かくいうルウィエラも知らない人から食べ物を渡されても絶対に受け取ってはいけないとキックリから口酸っぱくして言われている。
ルウィエラと言えども幼子ではないので、そんなことしないと言ってもキックリは美味しそうな食べ物に関してはあんたは無防備で危険だと認識されているらしい。
男性は相変わらず受け取ろうとしないので、ルウィエラは差し出した手を引っ込めようとすると、フクロウが主の肩から腕を勇ましい趾で伝って途中まで降り、ルウィエラの手からその袋を加えて取っていった。
男性はフクロウの行動に少し驚いたようだったが、ルウィエラはフクロウがどれくらい賢いか分からないのだが、恐らく眷属ならばある程度は理解できるかもしれないとフクロウに話し掛けた。
「君が食べられるものだけど、飼い主さんから許可貰ったほうが良いよ。」
「ホゥ」
こちらの言葉が理解しているのか返事があったので、後は任せようとルウィエラは逆側の梯子に置いておいた本を取って「失礼します」と声をかけてからその場を去った。
その後ルウィエラは窓側の日当たりの良い場所でここで読んでいく予定にしていた本を読んでいた。今日はこの周辺は人が居なく貸し切り状態なので、周りを気にせず―――集中して読んでいる間は気にもならないのだが、ゆっくりと読書を満喫していた。
分厚目の生き物の本は頁が多いので家に帰って読むことに決め、今読んでいるのは世界に存在していると言われている幻獣に関しての本だ。
(この世界の中に大地と碧海、天空と地底と司る幻獣がいる。主に人外者の中でも高位が多い魔種族に寄り添うことが多いが絶対ではなく、その時の世情によって変わることもある…か。)
幻獣というものは元の姿は獣だが、人型もとれるのだそうだ。ただ、真の力を発揮する時は
獣姿であり、その膨大な力から神の眷属とも呼ばれているらしい。
(大地の幻獣は肉食獣、天空の幻獣は角と羽の生えた獣、碧海の幻獣は人の形をした魚、地底の幻獣は大蛇か。)
幻獣というともっと大きく畏怖があるような勝手なイメージがあった。
(本の物語は想像も入るし、この本もこうであったらと人間の願望も入っているかもしれないから空想のものとして読む方が賢明かも。)
本に書かれていることをどこまで信じるかは人それぞれだが、物語の本が如何に信用に足らないかはルウィエラは身をもって知っているので、その辺りは確定事項ではないものとして見るのが一番心に優しいだろう。
(これも人間が記した物だから、ある程度は遭遇や経験もあったとしてもこうだと決めつけるのはやめておこう。)
幻獣という名の如く、幻の生き物なのだから、先ずこの先遭遇することもないだろうが偏った知識は為にはならないので、何時でもある程度は受け入れられる柔らかい思考を持つようにしようとルウィエラは心に決める。
どの幻獣も通常の生き物と多少姿形が違っているのと、備わっている魔力も神力と言われる力も桁外れであるだろうことから鑑みて、魔力感知で分かるものだろうかと考える。
ぽかぽかと暖かい陽射しが読書をしている席の広いテーブルに射す。暖かさは拝受しても眩しさは読書には必要ないので、ルウィエラは陽射しに背中を向けて座って読書に集中していた。
キックリが良く集中し過ぎて何て声かけても反応しないとぼやいていたが、それは違うのだ。
離れに居た時から感覚を研ぎ澄ませることは覚えていたので、ルウィエラにとって良くないものを感じた時は直ぐ様気付いて反応する。キックリは自分の中で安心枠に入っているからそのまま集中できるのだと思う。
そしてそれは勿論図書館でも発揮される。無意識にその機能は体に染み付いているので今のところは特に問題ないので読書に集中できている。
紙を捲る音だけが響き、ルウィエラは一定の瞬きをしながら本を読み進めていく。
残り数頁となった時に羽ばたきの音と読書テーブルにカツという硬いものがあたる音がした。
ルウィエラは終盤を読み進めていて右手で頁を捲っていたのだが、机に置いていた左手に何か鋭い硬いものが添えられた。だが如何せん今は本の佳境真っ只中である。
気にせずに読んでいくと左手を甘噛みのようにかみかみされながらげしげしと尖った何かで踏まれているが、現在の最優先事項は残り数頁の本に軍配が上がる。
良く家で本を読んでいる時に絡んでくるごんさんそっくりの対応なので、ルウィエラはついいつも通りのごんさん対応を無意識に行ってしまった。
ペンダント収納から小さな袋を取り出しそこから一粒錠菓を取り出してつんつんしてくる嘴にぐいっと突っ込む。
「読んでる最中だから。これで終わり。」
そう言うと隣でかりぽりと錠菓を噛み砕く音がしたので、そのまま集中力を途切れさせずに読み進めていく。
暫くするとまた左手に攻撃が再開されたのでまたぽこんと嘴に突っ込む。それを数回繰り返してもう袋の中は空っぽになったので、「終わりね」と呟いて袋を仕舞った。
それでも少し経ってからまたもや攻撃してくるので、あと少しなんだからしつこいなとその突いてくる嘴をはむっと頁を捲っていた右手で摘んだ。
相手は驚いた様子でテーブルをしゃかしゃかさせて逃げようとしていたので、また攻撃されるといらっとしてしまうので、ルウィエラは空いた左手で頬部分を掻いてあげた。
暫くはばたばたと動いていたのだが、そのうち静かになったので嘴から右手を外して頁捲りに戻り、左手はそのまま頬掻きを続行させた。
「―――何やってんの」
そしてまた少し経ったのか、どこからか声が聞こえたが、あと数行なのでここは放置させて貰う。
ルウィエラは返事をせずに左手を一定のリズムで動かして読み進めていく。
椅子を動かした音がした気がしないでもない。
ようやく最後まで読み終えて満足したルウィエラは、ぱたんと本を閉じた。
「―――――ん?」
無意識に動かしていた左手に気付きその手の先を目視すると、そこにはしどけない状態の先程のフクロウが羽を膨らませてテーブルに佇んでいる。些か傾いているようだ。
「あれ。なんで君はここに居るの?」
手を止められたフクロウは止まった手に頬を押し付けて再開しろとぐいぐいくる。ルウィエラは頭を捻りながらもゆっくりと再開していくとまた羽を膨らませて目を瞑った。
「飼い主さんはどこに行ったの」
「ここ」
間髪入れずに言葉が返ってきたので、声のする方に顔を向けると大きな読書テーブルを挟んだ向かい側に先程の男性が椅子に浅く腰掛けて座っていた。
(感知できなかったわけではないけど、反応しなかったのは危なくなかったからかな。それかこの人が気配消していたか、だ。)
それはそうと、とルウィエラは左手に体重をかけてくるフクロウを見る。
「君は飼い主さんの元に戻りな。いつから居たかあまり記憶にないけど、頬掻きが癖になると飲んだくれのようになるよ。家の子も鳥なのに寝そべる程の体たらくなんだよ。」
そう言うと、フクロウははっと我に返ったようになり、焦ったように趾をしゃかしゃかさせながら飼い主の元に翔んでいった。
肩に止まられた黒い布で目元を覆った男性は見えているかはわからないが、こちらに顔を向けて黙っている。
「図書館では眷属する生き物を一枠連れてきていいことになってますが、基本離れてはいけないし、何かの損害を出した場合、罰則があるので気をつけた方がいいと思いますよ。」
注意喚起をしておいたので、先程無意識に錠菓をあげたり、嘴をつまんだことは無かったことにしてもらおうとルウィエラはそそくさと帰る準備を始めた。
「ロロに攻撃されなかったの?」
ぼそっと掠れた甘めの声が届く。
ルウィエラはロロ?と思ったが、先程もフクロウを見て彼が言っていた記憶が蘇りその子の名前だと認識する。
「攻撃というか錠菓をよこせ的な甘噛みと趾による圧迫足踏みですね。特に負傷はしていないので問題ないですよ。途中でしつこかったので、嘴つまみ――――あ。」
なかったことにしてもらおうと言った矢先に自分で暴露するという失態を犯したルウィエラは固まりながら、丁度目を向けた時計の示す時刻に今度は違う強張りが上乗せされることとなる。
「あ、揚げたてドーナッツの時間が!」
「―――――え」
がたんと椅子から立ち上がりルウィエラはあわわとなった。
お昼前に図書館を出発してナラルカの揚げたてドーナッツを食べる予定だったのに、思った以上に読書に集中していてしまったようだ。
向かいの男性は目元が見えなくてもぽかんと呆けているように口を開けているが、その口の開け方がまるで揚げたてドーナッツを食べる直前に見えてしまい余計焦りを感じた。
(まずい!あと半刻ほどしか時間がない!)
最早ルウィエラにとって目の前の不思議な人物とその眷属の存在は遥か彼方に儚く消え去っていた。
「おい―――」
「すみません、もう行かないと。揚げたてに間に合わなくなると、明日からの活力が。以前に午後からの源が。では失礼します。」
申し訳ないが、本を借りる受付時間を考慮して、彼と話す時間は露ほどにも残っていないので、被せ気味に答えてルウィエラは読んだ本を直ぐ様返し、気持ち早歩きの競歩で階段を降りて、借りる本の手続きをし、素早く図書館から飛び出したのだった。
次の更新は21日になります。




