ピタパンサンドを共に
セルの助力によって無事三色苔を入手できたルウィエラは、少し遅めの昼食を摂る。
敷物は大きめのものなので、セルに声をかけようかと思ったが、食べるのでないなら地べたに座らせるのもどうかと思ってルウィエラは敢えて声をかけずに、出かける前に作ってきたピタパンサンドが入った紙袋を取り出した。
本日の昼食はポケット型の空洞があるピタパンにターキーとマッシュルーム、粉チーズに辛味をとった玉ねぎと少量のクランベリージャムにシャキシャキの葉物を入れてキックリの手作りマヨネーズを加えたルウィエラ特製のピタパンサンドだ。
ルウィエラはこのピタパンサンドが大好物で、その日の気分で好きな具材を入れて外で食べることが魔草採取に出掛ける時の楽しみの一つとなっているといっても過言ではない。今日は長めに探索予定だったので、三つ作ってきている。
いそいそと紙袋から取り出しながら思わず下唇を吸ってたくたくしてしまいつつ、手を拭いてから「いただきます」と言ってワックスペーパーを少し剥いてサンドイッチを取り出してはむっと齧りつく。
(美味しい!)
ローストしてしっかり味の付いたターキーと酸味があるクランベリージャムの組み合わせが何とも食欲を促進する。メインはターキーなので、甘味を前に出し過ぎないようにジャムは少量なのがポイントだ。これが双方黄金の旨味を最大限に引き出してくれている。
キックリから少しずつ他の表現の方法が出てきたからか、最近は減ったと言われていた瞬きの数は今回に関しては連打中だ。朝早く出てあちこち動き回り、苔で悪戦苦闘していた為、少し遅めの昼食なのでより美味しさの補正がかかっている。
夢中で口を動かしながらふと視線を感じて顔を上げるとセルが煙管も吸わずにこちらを凝視している。
(もしかして食べたいのかな?)
ルウィエラは外で食べる時はピタパンサンドをいつも多めに作るようにしている。腹八分目という言葉が好きではなく、食べられる時にお腹いっぱい食べておきたい性分なのだ。それと昔のまともな食事を禄にできなかったことからの飢餓感もあるのだと思う。
今日はターキーをたっぷり挟んでいるので、二つでお腹は満足しそうだ。
「お腹空きました?ピタパンサンド食べますか?」
「いらん。必要としないからな。」
どうやら違ったらしい。
「必要がないのですか?」
「極稀に気が向いた時か、アルノー関連で勝手に出された時くらいだな。あとは世話焼いてジラントルが食べさせてくる。」
「そういえば人外者の方は食事をしなくても魔術が枯渇しないから生きていけるのでしたね。」
「ああ。嗜好だったり精神的に緩和されることもあるらしいが、俺は興味がないからな。」
「そうなんですね。なんだか勿体無いですね。」
「勿体無い?」
セルが訝しげに尋ねてくる。
「はい。美味しいと感じることは幸せで心がほこほこします。人間の三大欲求の一つと言われていますしね。」
「食べるだけで幸せとは随分お気軽で小さい幸せだな。」
セルが失笑気味に言うのをルウィエラは当然とばかりに頷く。
「それはもう。最近ようやく私も知ったのですよ。どんなに小さくても積み重なっていけば増えますし、そこから色々なことが広がる可能性もあるので時には積算になりますね。お気軽に少しずつ沢山集められるなんて幸せ以外のなにものでもありません。―――――何も感じず心が動かないこと程寂しいものはないですから。」
そう言いながら一つ目のサンドを食べ終えた時に低く静かな声が響いた。
「―――寂しいだと?」
「はい。私はそうでした、というかそうだと気付きました。ですから今はどんな些細なことで微かにでも心が動くことがとても嬉しいです。」
16年間得られなかったもの。
それがようやく少しずつ少しずつ覚えたり経験したりして蓄えられるようになってきているのだ。
ルウィエラにとっては今この毎日がとても大切なのだ。
「何を以てどう思うかはそれぞれなので一概には言い切れませんけど。私はそうだというだけです。」
ルウィエラは二個目のサンドに挑むべく紙袋をごそごそしていると、横にどさっとセルが座った。
「気が変わった。食べる。」
少し憮然とした感じの様子でセルが言った。
「食べるのですか?無理して食べなくても――」
「食べると言っている。なんだ、惜しくなったのか?」
「そうではないのですが嫌々食べられたら可哀想かなと。」
「俺が?」
「いえ、ピタパンサンドが。」
そんな返しにセルは唖然としているが、ルウィエラからしたら幸せになる食べ物をお裾分けするのだから、当然なのである。
その思いが通じたのか、セルは「――貰ってもいいか」と言ってきたので、ルウィエラは袋から残り二つのうち一つを取り出してセルに差し出した。
「はい、どうぞ。ペーパーを捲りながら食べて下さいね。」
「ああ。テーブルで皿に出された物しか食べたことがないからこういう食べ方は初めてだな。」
「そうなんですね。良い天気の中、外で食べるのも良いものですよ。」
セルはサンドを受け取り包みを開いて無言で齧りつこうとしたので、ルウィエラはさせまいと、口より先にまた手刀を頭部にポコンと入れてしまった。
またもや唖然として固まっているセルに対して質問した。
「セルさんは食事される前に何も言わないのですか?執事さんや国王様にも何か言われたことは?」
「――――何も言わないし言われたこともないが。」
その返答にルウィエラは首を傾げた。
(偉い人達は食事前にそういう言葉言わないのだろうか。そういうことは本には載ってなかったな。)
もしそうであるのならば仕方のないことなのだろうが、ルウィエラ個人は違う。
「食べ物は誰かの、何かの命の恵みから与えられるもので感謝の意味を込めて『いただきます』、そして作った人やそれらに携わった人への感謝の『ごちそうさま』の言葉というものがあり、私はそれをとても大事にしています。勿論種族的に倫理観や価値観は違うものなので普段のセルさん自身はご自由にと思いますが、私と食べる時に関してはそうしてもらえないならご一緒することは遠慮させてください。」
お互いが形は似ていても違う生き物なのだから、どちらかが寄り添わない限りは難しいのだろう。そして我が儘なルウィエラは食事に関してのことは殊更譲れないのだ。
セルはルウィエラの手刀を受けたまま固まっていたが、瞬きを一つしてから「――わかった、言う」と言った。
てっきり、なら要らないと言うと思っていたので些か驚いたが、こちらに合わせてくれるなら問題ない。ルウィエラはセルの頭から手を外し「口よりも先に手が出てしまいました。ごめんなさい」と謝ると、セルはまた瞬き一つして「構わん」と言ってから「――いただく。」と食事の言葉を言ってくれたので、「どうぞ召し上がれ」と返すとまたこちらを凝視していた。
ルウィエラも二個目のピタパンサンドを取り出して齧り付く。セルも暫くこちらを見ていたが、自分の手元にあるサンドを見て綺麗な所作で大きくパクリと食べもぐもぐと口を動かしてからピタっと止まった。
「―――――美味いな。」
すると小さい声でぼそっとセルが呟いた。
「あ、良かったです。今日の具材は朝の気分で決めてくるのですが、ターキーは外せなかったのでお肉増し増しでお腹に溜まりますよね。」
「エルが作ったのか?」
「そうですよ。パンは配達の物ですが作ったのは私です。因みにマヨネーズはお婆の特製なんですよ。本当に万能調味料です、これ。」
「―――作ったのか。」
「あれ、信じていませんか?これでもお婆に色々教わって、ある程度普通の生活ができるようになりました。自分で料理も洗濯も掃除もできるんですよ。」
そう言いながらルウィエラはピタパンサンドを攻めていく。
セルはこちらを見たまま止まっているのが視界内でわかったが、暫くするとまた食べ始めていた。
少しお腹に溜まってきていても美味しさは変わらずだ。ルウィエラは思わず「美味しい…」と独り言を呟いたのだが、少し間が空いてから「…そうだな」とセルが言ったような気がした。
「セルさん、サンドの中身に苦手なものはありませんか?もしあったら私の方に増し増しさせますので言ってくださいね。残すのは嫌なので。」
「いや、問題ない。そもそも好き嫌いという感覚がなかったからな。」
「…感覚?」
「ああ。出されたものを摂取するだけという感覚だったな。」
「え……味覚がないのですか?」
「それくらいはある。ただ興味が皆無で億劫だっただけだ。」
セルがそんなことをいうので、ルウィエラはなんて寂しいことを言うのだろうと思った。
離れに居た時の固いパンと味のない水のようなスープならともかく、セルに出されているものは、きっとそれなりに美味しい食事のはずだ。
「それは勿体無いことをしていましたね。でも、今美味しいという認識ができたのなら、これからは億劫さが多少緩和されるかもしれないですね。誰かと食べれば、賑やかに楽しめますしね。」
「どうだかな。会食も楽しいと思ったことは無いし、屋敷で食べるのは俺以外居ないからな。」
「…誰も居ないのですか?」
「ああ。ジラントルは仕えているから一緒のテーブルについたことは一度もない。他は屋敷を維持する眷属しか居ないからな。」
「眷属?」
「俺の魔術から派生した命令でしか動かない意志の無い人型だ。」
ルウィエラは最近身近で臨時眷属扱いにしたとある文鳥を思い出す。
意志が無いどころかなんとか己の意志を推し進めようと日々キャルキャル威嚇している姿を思い出してルウィエラは儚げな遠い目をする。
「眷属というものは皆そういうものなのですか?」
「いや、意志を持たせることもできるが、余計なことをして厄介になっても面倒だから俺はしないな。」
「そうなんですね。誰かがいるのに誰とも食事できないのはちょっと寂しいですね。」
そういうものなのだなと思いはしたが、それでもやはり少し寂しいなとも感じながらも、口はひたすら動かし、二個目を食べ終えて満足感を得た。ペーパーを小さく折りたたみ「ごちそうさまでした」と言いながら袋に仕舞っていると、とっくに食べ終わっていたセルが少し逡巡してから「――馳走になった」と呟いたので「はい、お粗末様でした。」と返しておいた。
それから行きの道と違う遠回りの道を選び、所々にあった必要な魔草を採取しながら帰路に向かっていた。
「家ではキックリと二人でいつも食べているのか?」
薬屋までもう少しのところで、ルウィエラの横を歩いていたセルがそんな質問をしてきた。
「そうですね。お婆が用事で出掛けていない限りは基本一緒に食べています。」
「テーブルについてか?」
「そうですよ。先程の食事は外専用ですね。普段はちゃんと器に入れてカトラリーを使って食べています。あ、ただ…」
「なんだ?」
「シンプルなカトラリーは使えますが、フルコースで戴く流れはやったことないので、そこは本でしか読んだことないので未経験です。いつかお金を貯めて一度は行ってみたいと思っています。」
そんな話をしながら歩いていると、途中で横にセルが居なくなっていることに気付き、後ろを見るとセルは立ち止まり少し下を見つめながら手の親指と人差し指を口にあてて何か考え事をしているようだ。
「セルさん、どうしました?」
「―――――俺の屋敷で食べてみるか?コース料理というものを。」
そう言いながら、セルは視線を上げた。
「セルさんのお屋敷で、ですか?」
何故突然こんな話になったのだろうとルウィエラはこてんと首を傾げる。
「ああ。」
「またどうして急にそんな話を?」
「エルが言ったのだろう。誰かが居るのに一人で食べるのは寂しいと。」
「まあそうですね。」
「屋敷には共に食べる者が居ないからな。それにフルコースで出てくるからな。エルの経験になるんじゃないか?」
「!」
経験という言葉に敏感に反応したルウィエラは、しかしはっと気付く。
「でも私はまだ助手で、ちゃんとした仕事をしていないのでフルコースを食べれるほどのお金は多分かき集めても無いです。」
「招くのに金を取るわけがないだろう。」
「そういうものなんですか?それと私一人だけで行くのですか?」
「―――――キックリも連れて来れば良い。」
妥協案のように言われたが、質問しなかったらルウィエラ一人だったのだろうか。
知り合って何年かは経つが、片手で数える程しか関わっていないので、流石にそれはジラントルのことも考慮すると居心地悪いなとルウィエラは感じた。
「まあそれならば。お婆に聞いてからになりますが、経験してみたいのは確かですしね。」
「―――そんなに嫌か」
セルがルウィエラに追いついて眉を顰めながら見下ろす。
頭一つ分以上高い位置のセルの顔をずっとみていると首が疲れそうだ。
「そうではないのです。セルさんは人外者さんとはいえ男性で執事さんもそうなので、そんな中に小娘とはいえ女性が一人で訪れるのは駄目だとお婆にも言われているので。」
「――――そうか。」
「はい。なのでお婆も行けるようならフルコース経験してみたいです。」
「そうか。」
「ただ、執事さんは私のことを不愉快に思っているようなのですが、大丈夫なのでしょうか。」
「問題ない。説明したからな。」
「何をですか?」
「……諸事情をだ。」
目をすっと逸らしてセルはぼそっと呟いた。
「そうなんですね。相手がご不快にならないなら良かったです。」
「ジラントルがか?」
「はい。不愉快なのに対応するのはとても心が削れるでしょうから。そして嫌々対応されたら、もれなく私も嫌々になりそうなので。」
「―――そうだな。」
「食事は眷属の料理人さんが居るのですか?」
「言えばできるのだろうが、食事はすべてジラントルが作っている。」
「え」
「本人曰く趣味なのだそうだ。」
「人は見た目で判断するなという最たる例を聞きました。ねちねち執事さんがフルコースを作れるなんて想像がつきません。」
「ねちねち」
「はい。」
「―――――そうか。」
そんな会話をしながら二人は薬屋に歩いていった。
帰宅後にキックリはセルが寝そべって苔を採ってくれたことに何故か爆笑し、セル宅でフルコースの話をしてみたところ、何とも悪い笑みをしながら「へえ、面白そうじゃないか。あの執事の食事を堪能させてもらうかねぇ。」といやに乗り気であった。




