『シェリル2』
ついに婚約式の日取りが来月のシェリルの16歳の誕生日の翌日に決まった。
しかもサリトリーがディサイル国筆頭相談役ということで王宮の貴賓室の一つを使う名誉を得られたとのことでお母様は大喜びだ。
シェリルは大々的に観客がいる前でやるものだと思っていたが、サリトリーはあくまでも一人外者としての相談役で対価を以て叡智や力を貸しているだけで、国の慶事にはならない。
皆に着飾った美しい自分とサリトリーの幸せな姿を見て祝って欲しかったので残念だが、結婚式ではもしかしたら人間のシェリル側に沿って大々的にやってもらえるかもしれない。
無事に婚約式を終えたらお強請りしてみよう。そしてサリトリーのお屋敷にも是非行ってみたい。
前々からオーダーしていたサリトリーの髪の色を取り入れた紫と銀色のドレスの最終打ち合わせも昨日滞りなく終わり、あとは当日を待つのみと嬉々とした表情で定期的に開かれているお茶会にシェリルは参加していた。
(そうか、このお茶会も独り身としての最後のお茶会になるのだわ…うふふ。まだ結婚はしていないけど、もう私はサリトリー様のものって皆に伝えるようなものよね。)
今日もシェリルが中心のお茶会では、当然来月に行われる婚約式の話題で盛り上がった。
皆に褒められ、羨ましがられ、婚約した後はサリトリーも一緒にお茶会に顔を出して貰えるように頼んでみるわと言って、周りから黄色い悲鳴が飛び交ってまた羨ましがられた。
とても良い気分で帰りの馬車に乗ろうとすると声を掛けられた。
振り向くと、以前不思議なことを言われた令嬢だった。
でもその令嬢は「ご婚約されるとのこと、誠におめでとうございます。」とお祝いの言葉をくれたので、ああこの令嬢もついに私の良さに気付いたのだと思い、嬉しくなってつい彼女の両手を握ってしまい「ありがとう!今まで以上に幸せになるわね!」と返したら、少し驚いた表情をした後、少し顔近づけてきて耳元で囁いた。
「貴女は最後まで理解できなかったみたいね。自分に不都合なことを都合良いことに置き換えて自分を甘やかすのは本当に気味悪いわ。いつかそれで我が身を滅ぼさないといいわね。」
そう言ってシェリルから手を抜いて去っていく彼女を見送った。
(どうして、あの人は意地の悪いことを言うのかしら。不都合って?―――ああ、私がサリトリー様と婚約して今まで以上に幸せになることがきっと羨ましいのだわ。)
彼女の言っていることはいつもシェリルには優しくない。
それは彼女が常にシェリルを羨んで妬んでいるのかもしれない。
シェリルはそう解釈した。
そして婚約式前日、ルウィエラに明日の予定と吸収する時間帯を伝えて貯めておくように言ったら、初めて彼女から言葉が返ってきた。
「お幸せに」
そのあまりに静謐な目を見て、何故か一瞬背筋がぞくっときたが、ようやくルウィエラも自分の役割を理解したのだろうと思い返してシェリルは満面の笑みを浮かべた。
その日の夜はシェリルの16歳の誕生日でサリトリー様が花束を持って駆けつけてくれた。
忙しいらしくて乾杯だけして帰られたけど、その花束をお気に入りの花瓶に活けてベッドから見える場所に飾ってもらい、とても幸せな気持ちで眠りについた。
婚約式の日、シェリルはサリトリーの色を纏ったドレスに身を包み、堂々とした佇まいで王宮を訪れた。いつも着ている濃紺の素敵な軍服のようなサリトリーの装いにほうっと溜め息を漏らす。
(この素晴らしく秀麗なサリトリー様とついに婚約できるのね。)
そして婚約式の半刻前、シェリルの輝かしい未来は無惨に砕け散ることになる。
突如、貴賓室に禍々しい魔力の渦が到来した。突風かと思う程の勢いのおどろしい魔力の渦がシェリルに覆い被さり全身を苛むような激痛に襲われ、堪らず悲鳴を上げた。
体中に纏わる魔力が何か大事な色々なものを引き剥がしているようでシェリルは恐怖に叫び続けた。
ようやく痛みと魔力の重々しい空気が収まった頃、ゆっくりと体を起こすと心配で側に来ていたタチアナがシェリルを見て悲鳴を上げるのだ。
そんなに髪が乱れてしまったのだろうかと思いながら、心配してくれているであろうサリトリーの姿を捜すと、今までに見たこともない険しい表情で窓の外をみていた。そしてハッと胸を押さえた後、直ぐにふっとその場から消えてしまった。
(え、何処に行ってしまったの?私はここに居るのに。)
宰相様が何やらシェリルの方を見ながら呪い返しという言葉を使っていることをオーリスに尋ねていて、彼は真っ青になりながら首を横に振り続けている。
そして先程から左腕が異様に痛むのだ。もしかしたらあの子の腕輪が外れてしまったのかもしれない。
(こんな大事な日なのにあの子が何かしてしまったのかしら。お母様からの罰は逃れられないでしょうね。もう困った子だわ、これからサリトリー様との婚約式だというのに。)
サリトリーが何処に行ってしまったのかは分からないが、きっと直ぐに戻ってきてくれるだろう。段々と強い口調になっていく宰相にオーリスは頭を抱え震え続けているので、仕方ないお父様だとシェリルは、こんな機会だからあの腕輪がちゃんと正義の元に使われたことを国王様に話した。
これで皆分かってくれて、改めてサリトリー様との婚約式を執り行う手筈を整えてくれるだろうと思っていたのに。
「なんてことをしてくれたんだろうね。」
国王様が一言、柔和な表情なのに酷く平淡な声で言うのだ。
何故私が恐い思いをしたのにサリトリー様は傍に居てくれないのかしら?
何故皆驚いて難しい顔しているのかしら?
何故お父様は真っ青なお顔で私に叫んでいたのかしら?
何故お母様は私を見て悲鳴をあげるのかしら?
シェリルは全く意味が解らず、こてんと首を傾げる。
それを見ていた国王様は首を振って肩を諫めながら宰相様に何か言っている。
暫くすると宰相様が手鏡を持ってシェリルの前に来た。「見てみなさい、典型的な呪い返しの模様ですよ。」と言って鏡を渡してくれたので鏡を覗き込んでみた。
そこには美しかった筈のシェリルの顔の左側から首部分まで、夥しい気持ち悪い蔦模様の痣のようなものがびっしりと綺麗な肌を覆っていて、まるで蠢いているように見える呪いの模様らしく悍ましい姿だった。
シェリルは目を割れんばかりに見開いて絶叫して気を失ってしまった。
それから、何日経っても婚約式の仕切り直しの連絡がこない。
何故かしら?それをルーシーに尋ねても溜め息を吐かれるばかり。
そして何故かシェリルの魔力が全く失くなってしまったのだ。
幾ら祈っても願ってもいつもの魔力が入ってこないし、そもそも自分の中に魔力を感じられなくなっている。調べてもらったところ魔力器自体が消滅してしまったらしい。
どういうこと?
魔力器そのものがないからシェリルの魔力はゼロだ。
少ないということではない、ゼロなのだ。
今までの魔法も魔術の学びも全て泡と消える。
魔力器が極端に小さいタチアナ以下の存在となってしまうではないか。
(そんなの困るわ。あの子はどんな悪いことをしたのかしら。離れから居なくなってしまったと聞いただけど、早く戻ってきてくれないと婚約式をあげられないのに。――あら?あの子の名前は何だったかしら?)
そんな話をシェリルに聴き取りに来た調査員に話してみると怪訝な表情をして首を振っていた。
結局一ヶ月後に召喚されるまで、シェリルは何処に行くこともできずに屋敷内に缶詰状態だった。その間、いつも一緒にいた友人達からの心配する手紙は一通も来なかった。
指定された日に赴くと謁見室にあの子がいた。
これで魔力が元に戻るとシェリルはとても安堵した。
そんな中、何故か血縁玉鑑定がオーリスとあの子に使われ、あの子にはオーリスの血が入っていないということが解った。
何を言っているかよく理解できずに、魔力が戻るのは何時なのかと首を傾けているとあの子供がシェリルの側に来て言った。
「ということなので、私とあなたは血が繋がっていません。」
シェリルは逆方向に首を傾けた。
「何を言っているの?それなら私の膨大な魔力は何処に行ってしまったの?サリトリー様と繋がる魔絆があるのに。婚約式をし直さないといけないのよ?」
早く返してくれないと。悪い子もあなたが持っていてはいけないわ―――
そう思うのに、彼女は自分のものだという。
奪っていたのはシェリルの方だと。
シェリルがやったことは略奪だと。
シェリルは大泥棒だと。
何を言っているの?
そういうことは悪い子がすることで良い子はしないのよ?
「いいえ、あなたは、悪い子です。」
え?
私が?
私はずっと良い子よ?
何を言っているの?
更に重ねてシェリルが実はこの子を憎んで羨んでいた等と勘違いしているのだ。
止めてよ、憎んでいるなんて。
それじゃあまるでお母様みたいじゃないの。
「今まであなたは自分に都合の悪いことは全て良いように変えて楽に生きてきたのでしょうね。例え私と血が繋がっていたとしても、あなたが無邪気にやってきた非道の数々は、正しくなくて、間違っていて、その行動は人間においては、この国でも恐らく周辺国でも絶対に許されることではない。」
『自分に不都合なことを都合良いことに置き換えて自分を甘やかすのは本当に気味悪いわ。』
その時走馬灯のように、あの令嬢の言葉とこの子の言葉が被り、今までのことが脳内を駆け巡った。
今まで知らずに隠して、目を背けて見ようともしなかった心の奥底の澱みが溢れ出て決壊し、その箇所から噴き出てきて止まらなくなった。
シェリルより見窄らしい格好なのに何故かとても綺麗な瞳をした子供
―――お父様を騙してお母様を苦しめた女の子供と一緒の血だなんて認めたくない
シェリルより膨大な魔力を持っていると分かった時。
―――同じ血なのに私の方が劣っているわけがない
サリトリーが魔絆の相手を見つけた時。
―――憧れの人の相手があの子なわけがない
あの子が苦しんだり、倒れていたり、辛い思いをしたりしていた時。
―――気味が良いわ
「あなたは、とても、とても、悪い子ですね。」
―――…い
―――――嫌い
―――――――嫌い嫌い
――――――――――――大っっっっっ嫌い!!!!!!!!!!!
「うぅぅぅあぁぁぁぁぁ!!!!!痛いぃぃぃぃ!!!」
直後、シェリルは体中から迸る壮絶な痛みに絶叫して暴れた。
初めて自分の本当の奥底に淀んで溜まっていた心情と向かい合った時、そこにあったのは昔に苦言を呈してきた子供達、そしてあの子供の存在全て。許し難い憎悪と妬みと嫉み。
シェリルは今は何故か名前を忘れてしまっているが、知っていた時でも一度もあの子供を名前で呼んだことなどなかった。
初めて会った時から
きっと嫌いだった。
その後、また大きな魔力に覆われて苦しくて、殆ど記憶がぼやけていたが、荒れ狂う魔力の渦の中なのに耳元で囁くように『全身の耐え難い痛みはあの子が魔吸収される度に味わっていたものだ。今度はお前が味わう番だよ』と聞こえたような気がした。
シェリルと仲が良かった『友人』は全てがオーリスや母方の祖父の商売の客の子供達だった。
彼等は殆どが爵位を剥奪され路頭に迷うか、国外追放されたと誰からか聞いた。
毎朝起きる度に何かが白紙に戻されて今まで通りのシェリルに戻っている。
私は良い子
今日も起きてから等身大の鏡の前に立ち、蔦模様の痣に触れ、口ずさむ。
(困ったわ。早くあの子が戻らないと魔力を返してもらえないわ。)
そして何かのきっかけで醜い本心が噴き出してきて、耐え難い全身を刺すような痛みに叫び喚く。
私は良い子
次の日も起きてから等身大の鏡の前に立ち、蔦模様の痣に触れ、口ずさむ。
その次の日も、そのまた次の日も。
ワタシハイイコ




