『オーリス1』
『 』は主人公以外の別視点からのお話となります
オーリスは昔から何でも卒なくこなす子供だった。
ずば抜けて突出するものがない分、大抵のことは苦労せずにできた。
それは人付き合いでも遺憾なく発揮していた。
誰かと口喧嘩したこともないし、折れられる所は折れて譲れない所は相手を上手く誘導してきた。
オーリスにとって刺激がないこの世の中はなんてつまらないのだろうと常々思っていた。
伯爵家の嫡男というまあまあの家に生まれ、容貌もまあまあ褒められ、学力も体力もまあまあ優秀な方だった。
両親は、そんなオーリスを自慢の息子で何時でも爵位を譲れるなと誇らしそうにしていた。
なんてつまらないのだろう。
このまま年頃になって結婚して子供が生まれて、爵位を譲って、年老いて死んでいくのだろうか。
夜会で一人の令嬢が執拗に接触してきた。
男爵令嬢だが今代が商会を興し、一代で莫大な財産を築いたという話は噂に聞いていた。
そのことが念頭にあったので、その令嬢にも他の令嬢同様に卒なく対応した。
その男爵令嬢タチアナは、その後も手紙や連絡を何度も寄越してきた。
今まで女性の扱いと選別には自信のあったオーリスですら今回は失敗したなと思った程だ。
かなり煩わしいなと思い始めていた時、伯爵家の財政が傾く事態になり、タチアナの父親である男爵が接触してきた。
どこで調べたのか、伯爵家の財政状況を遠回しに話題に出されてヒヤッとしたが、タチアナと比べて男爵自身はとても話が面白く愉快で、商売の貴重な話や体験など聞かせもらい、商いというものに興味が湧いてきていた。
その中でも魔術に特化した腕輪やそれに付加する効果などの話が特に面白く、領地経営より全然楽しそうだと感じた。
そんな雰囲気が伝わったのか、ある日男爵から援助するから伯爵に会わせて欲しいと言われた。
対価はタチアナとの婚姻と、男爵とオーリスが今後共に商売をしていこうという内容だった。
始めは勿論断ったが、男爵は流石に商売をしているだけあって、一旦引いたと見せかけて、徐々に包囲を固めて攻めてきた。その頃には財政難もかなり緊迫してきていて、とどめが一番興味深かった不思議な装飾品に似せた面白い物を作ってみようという話で陥落した。
オーリスはまだ爵位を譲ってもらっていないので、父に話さなければという体で保留にさせてもらったが、両親はオーリスの為すがままだ。そしてオーリスは商売とその装飾品に興味を募らせていき、こんなに心が沸き立つのは滅多に無かったので、その時点で殆ど心は決まっていた。
だが、どうしてもタチアナの性質が苦手で、男爵には遠回しに苦手だと伝えたら、「上手く転がして妾でも作ればいいんですよ、私もそうしていたので」と浮気を公認する言葉に思わず苦笑してしまった。
まあそれなら好きにやらせてもらおうかと承諾した。
それからもタチアナは煩わしかったが、優しい言葉と彼女の高いプライドを緩やかに刺激しながら操作して、上手く転がせるようになっていた。
そして婚約を経て結婚式を行った。
当然貴族としての夫婦の営みはしなければならず、淡白なんだと丸め込み、そういう欲が溜まった時に発散するような形で、二年はまあまあ上手くやっていた。
結婚してから一年ほどでオーリスは爵位を継ぎ、彼の両親は静養地でのんびり暮らすと移り住んでいった。
領地のことは未だにあまり興味がなかったので、領主としてすべき最低限のこと以外は執事と執事補佐、家のことはタチアナがあまり役に立たないので侍女長に任せていた。そして男爵と様々な商売をして財産は増える一方であった。
その頃からオーリスは、以前にも増して魔術が付加された腕輪や指輪を蒐集していた。
実はこの腕輪は、禁忌と呼ばれる魔呪道具だと男爵から秘密裏に打ち明けられた時には流石に驚いた。
魔呪道具は、この国は勿論、周辺国でも所持だけで重罪に問われ、使用したら死罪確定だと言われている恐ろしい禁忌指定の代物だ。
だが、禁忌と言われても手を伸ばしてみたくなる程、艶やかに鈍く光る漆黒の腕輪に彫られた古の文字の禍々しさが、より昏い美しさを引き立てていた。
オーリスはこの美しくも悍ましい腕輪に魅了されたのだ。
男爵はそれを確信して、オーリスを取り込んだのだろう。そして縁を繋ぎ、共に商売していくことを見越して。
大正解だ。
このつまらない生き様に光明が差したのだ。
勿論限りなく危険であるし、国に知られたらアグランド伯爵家は男爵諸共破滅だろう。
だが、それでもオーリスはとても心が湧き立っていた。危険以上に余りある魅力があるのだ。
そして魔呪道具に似せた道具をお抱えの魔術師に作らせ、誰かに使ってみたらどんな効果を齎すのだろうと思うと心のざわめきが治まらない。
オーリスはこの商売に関して、男爵とお互い他言無用の魔術誓約を結んだ。
勿論、魔術の抜け穴で裏切られ嵌められても困るので、そのことを事細かに記したものと、お互いの誓約書を隠し扉の棚の一つに隠してある大事な魔呪道具と共に収納しておいた。
そして商売をして暫くしてから、オーリスはとある街で衝撃的な出会いを果たす。
新しい魔呪道具の情報を得て、その情報を知る人物と落ち合う為に、オーリスは伯爵領から程よく離れたディサイル国東端にあるナラルカという街に来ていた。
オーリスは魔術は程々に使えるが、擬態魔術は苦手だった。唯一できる茶色の髪と茶色の瞳で街を歩いていた。
(胸ポケットに紺色のハンカチーフを入れて…相手は黒のローブに灰色のブーツだったな。合言葉は―――ん?)
頭の中で反芻していると、すぐ近くにあったパン屋で快活な耳心地の良い声が聞こえてきた。
「おばさん、こんにちは!いつものデニッシュパンと蒸しパン。それと帰りながら食べる揚げドーナッツをくださいな!」
「あら、いらっしゃい。いつもありがとね。お使いかい?」
「そうなの。師匠は相変わらず人使いが荒くて。今も魔草屋やら色々寄ってからようやく最後にここに辿り着いたわ!帰る時はここのパンを食べながら帰るのがお使いの楽しみなの!良い匂いだけ嗅ぎながら家まで我慢とか無理無理!」
「ははは、そりゃありがとね!試作品のパン一個いれておくよ。」
「わ!本当?嬉しい、ありがとう!次来た時に感想聞いてね!」
「ああ、頼むよ。気をつけて帰りなね。」
「はーい、また!美味しいパンをいつもありがとう!」
その様子をオーリスは瞬きもせずに見つめていた。
オーリスはパンの袋を覗きながら嬉しそうに歩いて行く女性を一目みて、掻き毟られるような情動が心の奥底から尋常じゃない勢いで溢れだした。
快活で透き通るような声と少し小柄な背丈。綺麗な漆黒の髪を軽く編み込んで後ろに一本に縛っている。結んだ髪からちらっと見える項が何とも美しい。瞳も黒で目尻が少し上向きに切れているのがとてつもなく魅惑的だった。
ローブを羽織っているが、きっと中身は女性らしい魅力のある体型に違いない。
オーリスは今まで大して動いたことのない情欲が根っこから揺さぶられ、強烈に切望した。
初めて人間の一挙一動に惹きつけられ、それ以外の景色が白黒にでもなったような激しい感情。
みるみるうちに離れていく彼女にオーリスは我に返り、追いかけようと足を踏み出すと、突然肩を掴まれた。ぎょっとして後ろを振り向くと、そこには黒のローブを目深に被った口元のみ見える人間がいた。
「この辺りに良い瓶の店はありますか?」
「は?………あ、―――」
掠れた低い男性の声が囁くように話しかける。
そこでようやくオーリスは、その人物が今日会う予定の相手だったことに気付いた。
慌てて合言葉の返しを思い出す。
「あ、えっと……素材は魔黒石ですか?魔鉱石ですか?それとももっと特殊なものですか?」
「初めまして。あなたが男爵の紹介の方ですね?私のことは……おや、どうしました?」
オーリスがあまりにも遠くに行ってしまった女性を気にしてしまっているので不思議に思ったようだ。
「い、いや。今歩いていった女性が……」
「ああ、………あの女性の方ですか。たまにあのパン屋辺りでみかけますね。」
「知っているんですか!?あの女性は―――」
「まあ、落ち着いて下さい。またこの街に来るでしょうから。取り敢えず今は私との取引を。」
「も、申し訳ない。取り乱してしまいました。私のことはアラドと呼んで下さい。」
オーリスは元から決めていた仮の名前を伝える。
「はい、アラドですね。私のことはイオとお呼び下さい。」
イオは口元にひっそりと笑みを零しながら場所を変えましょうと動き出した。
オーリス達は人の出入りが多い喫茶店を敢えて選び入った。
「これも精巧にできていて、黒の煌めきが何とも言葉に尽くし難いですね。是非取引願いたいです。」
「では、来週以降より取引開始ということで。今では禁忌の魔呪道具の製造方法は封印されていますからね。まがい物しかできないのが残念です。」
「本当に。禍々しさを超越する美しさが勝るあの代物は何にも代え難い。」
「貴方も魅入られた一人なのですね。」
そう言いながらイオは珈琲を口に含む。
目深に被っているフードで殆ど顔は見えないが、少し出ている髪の色は黒のようだが、擬態の可能性が高い。声は掠れているが張りがあるので若い男のようだ。
「ところで、先程の女性には何か用事でも?」
「い、いえ得には。何故かどうしようもなく惹かれてしまって…」
照れくさくて下を向いて喋ると、くすっという声が聞こえた。
「ああ、すみません。馬鹿にしたわけではなく。私も昔そういう経験があったもので。あの女性にご興味が?」
「はい。未だかつてこんな激しい感情を持ったことがなかったので自分でも戸惑ってしまって…」
「それはそれは―――――もし宜しければ、彼女がこちらに来た時に貴方にご連絡しましょうか?」
「え?」
イオが少し考える仕草をした後で唐突にそんなことを言った。
「知り合いなんですか?」
「残念ながら。ただ私はナラルカによく来るので、たまに見かけるのを覚えていたのですよ。」
「そうなんですね。ご迷惑でなければ是非お願いしたいです!」
「わかりました。ではこの件に関してだけは、男爵は抜きということにしましょうか。商売に関係ありませんしね。」
「あ、そうですね。でも全くの私用なのによろしいのですか?対価などは―――」
「いりませんよ、ここに来るついでなので。では道具に関しては一週間後に先ず一つお渡しできると思います。その間に彼女を見かけることがあったら情報を集めておきましょう。」
「ありがとうございます!」
そこでイオとは別れ、オーリスはここまで高揚した気分になるのは初めてでとても胸が高鳴った。
それからオーリスはナラルカに赴く度にイオから彼女の情報を聞き出した。
名前はレウィナ。何処かの店で師事している者の元、弟子として働いているらしい。
週に数回ナラルカに足を運ぶようで、パン屋や魔草屋、紅茶屋、魔術や錬金術に使用する装飾品店等に買い出しに来ているそうだ。
何度か話しかけようとしたが、軽快な行動で次々に用事を済ませて行ってしまうので、なかなかきっかけが掴めずにいたが、ようやく魔草屋から出てきたところで「あの!」と声をかけ、その後が続かず上手く言葉すら思い浮かばずに立ち竦んでしまった。
彼女は首を傾げながら「何か?」と鈴のなるような可憐な声と可愛らしい仕草にオーリスは堪らず恍惚とした表情をしてしまった。
何か話さなければと少し俯いて考えている間、レウィナがオーリスの表情を見て僅かに眉を顰めたことには気付かなかった。
「そ…そこの魔草屋は初めてなんだ、お、お薦めの魔草はあるかな。」
結局上手く纏まらずに目の前の店の話題しか出せなかった。
本当は一緒にお茶などしたかったのに。
手に握ったり、艷やかな髪を撫でてみたいのに。
「お薦めですか?それは貴方が何の効能を必要とするかに寄るので、私には答えられません。お店の人に聞いたほうが早いと思いますよ。じゃあ」
「あ……」
そう言うと、彼女は颯爽と去ってしまった。
今まで女性に対して緊張したこともなく、力まず卒なく接していたオーリスには有り得ない失態だった。
がっかりして落ち込んだが、また次があると奮起して帰路についた。
それから何度も機会は巡ってきたのに、何故か傍に行く直前でレウィナはスッと方向を変えたり、いつのまにか居なくなってしまうことが多くなった。不可思議に思い気の所為かと思っていたが、その後もどうしても対面ができないのだ。
何故?
何故面と向かえない?
何故話せない?
オーリスはこれまで自分から女性に積極的に行動したことがなかった。
大体相手から来て、そこから選んでいただけだった。
だからレウィナの行動が理解できなかったし、そのうちようやく、もしかしたら避けられているのかと思うようになった。でも避けられる理由が全く思い当たらない。
ということは。
(そうか。レウィナは私と駆け引きをして楽しんでいるんだ。これが恋愛の駆け引きなのか)
そういう解釈に至ったら、今まで感じたことがなかった耐え難いもやもやした蟠りがスッと無くなった。
オーリスに気があることを知られないように、敢えて避けてオーリスが右往左往するのを楽しんでいるのだ。きっと早く強引にして欲しいと思って待っているに違いない。
そこでオーリスは男爵抜きで仲良くなったイオにその話をしたら、彼は腹を屈めて笑った。
何が可笑しいのか解らずに、オーリスが首を傾げているとイオは「いや、すみません。久々に傑作な人物に会ったなと。では好転するようにお手伝いさせていただきますよ。」と申し出てくれた。
イオは商売に使っている物でもいいが、確実にするならオーリスの蒐集品の本物の魔呪道具を使って捕らえ、彼女との駆け引きの最終章を華々しく幕引きしてみてはと提案してくれた。
とても劇的な良案だったので了承し、次に会った時には使う予定の魔呪道具に魔封じや箝口などの魔術まで付加してくれた。
「イオ、感謝する。これで間違いなく大団円になるだろう。彼女はきっととても恥ずかしがり屋で私が強引に行動してあげないと胸に飛び込んできてくれないと思うんだ。あの強気な性格から察すると、わざと怒ったりもしそうだから、それを宥めるのも今までに経験がないから、そんなやり取りが楽しみだよ。」
「くくく……失礼。想像すると愉快ですね。付加した魔術の効果は一年ですよ、お忘れなく。」
「ああ!とても楽しみだ。男爵にも上手く言ってくれて感謝してるよ。妻がとても嫉妬深くてね。」
「奥様はこれから大変だ。」
「そうなんだ。私はレウィナと共に幸せになるのだから、男爵も上手く扱ってもらわないとね。穏やかに夫人としての役目を全うして欲しいと思う。」
「―――――」
イオは何故か肩を諫めて、「では、時機が来たら連絡します。幸運を祈りますよ」と檄を飛ばしてくれた。オーリスはとても良い友人に恵まれたと浮かれながらその日が来るまで待ちわびていた




