無邪気で非道な罰
それから国や人外者の本を一通り読み終え、言葉を覚え噛み砕きながら少しずつ理解していった。部分的に読み返したり、文字を思い浮かべながら指先を動かし口を動かし復唱して、また最初から復習し読み返しを繰り返した。
そんなある日の雲一つない空の太陽が真上に差し掛かる少し前のことだ。
少し遠くの方から軽い足音がする。ルウィエラは急いで本をベッドの下に隠してから窓を見ると庭園の方からシェリルが歩いてきた。
「今日も良い天気ね!ねえ、あなたはお外にでないの?晴れた日の庭園のお散歩は気持ち良いのよ!」
シェリルがノックもなく扉を開け部屋の中に入ってくる。
ルウィエラのいる離れは外側から鍵はかかるが内側からはかけられない。その鍵も既に壊れてしまっているので今では何時でも誰でも開けられる状態だ。
シェリルはすたすたとルウィエラの所まで近づく途中、ふと気づいたように部屋の周りを眺めながらあちこちに鼻を向けて嗅いでいる。そしてルウィエラに近づいて鼻を近づけ
「あら?」と不思議そうな表情をする。
「この離れってとっても寂れて汚れているのに部屋の中は臭くないわ。それにあなたも臭わないわね。ここでは入浴もできないのよね?まさか井戸の中にでも入って洗っているのかしら?」
クスクスと無邪気に笑うシェリルは鮮やかな青いドレスを着ていて、外の青空と似ていると思った。
「こんな良い天気に家にいるのはもったいないわ。庭園にでましょうよ!特別に私が連れて行ってあげるわ!」
さも名案だという屈託のない笑顔で言うシェリルが誘おうとする。井戸の水を飲みに行く以外には出てはならないと物心つく頃から言葉と体への暴力で覚えさせられているので無理な話だった。
「行けません」
「そんなこと言わずに、さあ!お外に出てあちこち行って楽しんだら今日だけでも幸せで良かったって思うわ!」
そんな訳ないのに。
ルウィエラはそれでも断ろうとしたが、シェリルは少女で小柄だがルウィエラはそれ以上に小柄で痩せ細っている。
シェリルがぐっとルウィエラの手首を掴んで引っ張ったのを踏ん張りも利かずに眩しい陽の差す外に連れ出されてしまった。
何年も早朝の薄暗い時間帯か夕方以降以外で外に出たことはない。慣れない陽の光に眩しくて目が半分程しか開けられず、そんなルウィエラの表情を「やだ、そんな怖い顔して睨まないで!綺麗な花を見たら笑顔になるわよ!」と勝手に誤った解釈をされ、庭園の方に向かって引っ張られていく。
一張羅のワンピースで隠れていない腕の一部や顔の青白い肌が強い陽射しに当てられピリッと痛む。そんな状態を顧みることもないシェリルは手首を引っ張り続けて庭園に連れて行こうとした。
「シェリルお嬢様!」
その時、庭園の向こうからメイド服とは違う深緑の服装をした茶色い毛をひっつめ髪にして後頭部でお団子型にした女性が悲鳴のような声をあげて駆け寄ってくる。
この人物は確かシェリルが庭園に出ている時にいつも側にいる侍女だったような気がする。
(ああ…これで躾という名の折檻が決まってしまったようなものだ。)
ルウィエラはすんと小さく溜息を吐いた。
「あら、ルーシーどうしたの?昼食にはまだ早いでしょう?」
シェリルの傍まで来るとルーシーは安堵したように息を吐いて整えてから、キッとルウィエラを睨み付けた。
「シェリルお嬢様、外に散歩に行かれる際には私を必ずお連れくださいと申し上げているではありませんか。それにここの離れには奥様も近づくなと仰っております。こんな子供と一緒に居てはなりません。お前!シェリルお嬢様から離れて離れに戻りなさい!」
まあこうなることはわかっていたので、ルウィエラは引っ張られていた手首を離そうと後ろに足を引こうとしたらシェリルは掴んでいた手首を更に強く握りしめぐいっと上げた。
「…っ」
手首が軋む程握り挙げられ引き攣る痛みに思わず息を詰めた。そんなシェリルは楽しそうな笑顔しながら歌うように話し始める。
「ルーシー。この子は悪い子だけど可哀相な子なのよ?可哀相な子には時に慈悲を与えるべきだと思ったのよ。でも与え過ぎると調子に乗ってしまう子供もいるってお母様が言っていたわ。ずっと部屋から出ないと色々良くないことを考えてもっと悪い子になってしまうかもしれないでしょう?だから助けてあげようと思ったのよ!でもごめんなさいね、ルーシー。私に何かあったら侍女のあなたが怒られてしまうものね。」
シェリルの目を見ると本気の本音で言っているのだろう。
自分の行いが真っ当で正しいことなのだと信じて疑わない。自分の信念の元から出る言葉や行動に対して、相手が相反する可能性があるかもしれないとは微塵も思っていない様子だ。
ルーシーを困らせてしまったと殊勝な態度で下を向いたシェリルに対して、ルーシーは少し困ったように微笑み諭す様に窘めた。
「いえ、私のことはお気になさらずに。お嬢様は相手の気持ちを慮ってあげられる優しい心をお持ちですね。シェリルお嬢様のお考えはとても素晴らしいことだと思います。慰問に行った孤児院の子供達に施して差し上げれば喜ぶことでしょう。ただこの子供にはそういう施しは必要ないのです。この子供は奥様を苦しめた女の子供。そんな子供にシェリルお嬢様が近づいて何か危害を加えられたらと奥様は心配しておいでです。それにこの子供は井戸水を飲む以外の外出は禁止されていて、破ると罰を与えられるのですよ。」
そう、だから出ないし痛い思いをするから出たくもない。
その言葉にシェリルはパッと顔上げ掴んでいたルウィエラの手首をもう必要ないとばかりにさっと離してルーシーの元へ駆け寄った。
「あら、そうなのね。私から誘ってしまったけど嫌がらずに外に出たから、てっきりあなたも同じ気持ちだと思っていたわ。」
行けませんと言ったし抵抗したつもりだが、ルウィエラの力が弱過ぎたのだ。
「んー」と手を頬に当て、首を傾けて考える仕草をしてから何かを思い付いたのか両手でパンっと手を打った。
「そうだわ!罰を大人から与えられるのは可哀相だから、今回に限って私から与えることにすればいいわ!私は大人より力が弱いから、あなたにとって少しは楽になるでしょう?」
満面の笑みでころころと鈴がなるような声でまるで良い解決策だとでも言うように言葉を紡いでいく。ルーシーは困惑した表情だ。
「シェリルお嬢様……そういうことは私ども大人の役割で…」
「ルーシーいいのよ!私はこの子より偉いから私が責任をとるわ!」
そう言いながらルーシーから少し離れたシェリルは、これからゲームでもやるような楽しげな表情でルウィエラから離れた位置の正面に立ち、右掌を上に翳して何か唱え始めた。すると掌の上にポッと赤々とした拳大くらいの火の玉が現れた。
「魔法を教えてくれる先生よりも全然小さいから大丈夫よ!大して痛くないと思うからこれで罰としましょう!」
「……え」
「し、シェリルお嬢さ…」
ルウィエラは思わず声が漏れ少し後退したのと、ルーシーが焦って声をかけようとしたと同時に、シェリルは掌の火の玉を一切躊躇せずルウィエラに向かって真っ直ぐに投げ飛ばしてきた。
咄嗟に何も見えない闇夜で培った反射神経で右に避けたルウィエラだが、避け切れなかった左二の腕に拳大の火の玉が当たってジュッと焼ける音と同時に壮絶な熱さと痛みに「!……ぅぐ…」と、くぐもった声が漏れ、堪らず膝をつく。
(…避けなかったら胸元に当たっていた…)
そう考えるとぞっとしてシェリルの方を見たが、そんな彼女は避けられたことが意外だったのか少し驚いた表情してからニコッと微笑む。
「まあ!ルウィエラは外に出ていないのにとても素早いのね!それと安心してね。私は良い子だから罰だけではなく、ちゃんと慈悲も与えるわ!」
そういうとシェリルはまた右手を掲げて唱え始め、掌の上に人の頭くらいの水の球が現れ直ぐ様ルウィエラに向け放った。
顔の真正面に飛んできた水球に膝をついていたルウィエラは顔を背けることしかできず、その水球は頬に直撃し頭から下までびしょびしょに濡れてしまった。ルーシーも目を見開き「…シェリルお嬢様…」と流石に狼狽えている様子だ。
「これで熱かったのも冷たい水ですっきりしたでしょう?……あら、でもびしょ濡れになっちゃったわね。でも入浴代わりになったから一石二鳥ね!よく拭いて綺麗にしてね!ルーシー、魔力使ってお腹が空いちゃったわ。そろそろ昼食の時間ね、行きましょう!じゃあね!」
シェリルは善行を積んだとばかりに爽やかな笑顔でルーシーの手を引いていく。ルーシーはこちらを向き困惑していたが、ルーシーの手を握り共に去って行った。
二人が見えなくなるまでルウィエラは放心状態のままであったが、ハッと覚醒して左腕をみると二の腕付近の麻の袖部分は焼け焦げていて少し引っ張れば千切れそうだ。
皮膚は拳大の火の玉と同じ位の範囲で真っ赤に焼け爛れ火膨れもできており、血も所々滲み出ている。
(ずぶ濡れでは部屋に入れないし…布はベッドの薄い布団しかない。焼け焦げた袖の残りを破れば火傷を冷やす布代わりにはなるかな。)
傷に触れないように残っている袖部分をグッと引っ張ると思ったより簡単に麻の袖は破れたが、引っ張った振動で火傷痕がビリリと痛む。
今日は天気が良いといっても夜はまだまだ冷える。夜の冷えを思い出したのと少し風が強くなってきたのもあり、ルウィエラは身震いし少しふらつきながらも早足で井戸の方へ向かった。
ぽたぽたとワンピースから雫を滴らせながら、ルウィエラは井戸に辿り着き井戸水を汲もうと両手を動かすと左腕に激痛が走る。
「っ痛…」
これから暫く左手はあまり動かせなくなるかもしれないと思いながらも、誰かが助けてくれる訳でもないので、右手に重心をかけながら左手は添える程度に極力動かさずに、いつもの倍以上時間を費やして井戸水を汲み上げた。
髪からも雫が滴っていたので絞り、ワンピースの裾を左手に負担がかからないように片手で絞っていく。そして千切った麻の布を冷えた水に浸して軽く絞りゆっくりと当てた。ビリビリと神経が剥き出しになったような痛みが奔る。
(!!………痛過ぎる…麻だから火傷痕には使いづらい…けど冷やさないときっと後が辛い。)
眉間に皺をよせながらルウィエラはひたすら布を水に浸して火傷痕に押し当てる作業を繰り返し、ようやくじくじくと煮え滾るような痛みが僅かに和らいだ頃にはもう夕暮れ手前になっていて風もかなり冷たくなっていた。
(何か入れ物があれば冷やし続けられるのに)
離れの部屋には何一つ水を汲んでおける道具はない。仕方ない、とルウィエラは火傷した左腕に布をあて右手で添えながら離れに戻った。
ワンピースは少し乾いたが、まだ絞るとじわりと水分が滲みでてくるので、部屋に入り扉を閉じてその場でワンピースを脱ぎ捨てて広げて置き、すぐにベッドに潜った。
ベッドは真ん中部分の木が腐ってしまったのか少し陥没してしまっている。
ルウィエラはいつものように端っこに寄り、薄い布団を巻き付け左腕に負担がかからないように右側臥位になった。
ふと左手首を見るとシェリルに掴まれた部分が薄く痣になっていることに気付き、今日は左腕の災難ばかりだなと溜め息をついて体を丸めて目を閉じた。
(明日には乾いているといいのだけど。)
左腕がじくじくと痛むがどうしようもない。ルウィエラは先程読んでいた本の内容を頭に思い浮かべながら、なんとか眠気がくるまで耐え忍んだ。