『タチアナ1』
『 』は主人公以外の別視点からのお話となります
タチアナは男爵家の長女だった。
父親の男爵は、商売で一代で弱小から成り上がり、色々な事業に手を出していた。女癖が玉に瑕で母親を良く泣かせていたが、父親似のダークブロンドに母親似の鮮やかな緑の瞳の華やかな容姿のタチアナは何不自由なく過ごしてきたし、男爵始め皆に可愛がられ、何でも与えられ、何一つ手に入らなかったものは今までなかった。
社交デビューを済ませた、ある日の夜会でのことだった。
タチアナは伯爵の嫡男オーリスに一目で恋をした。
細身で黒の盛装姿が麗しく、焦げ茶色の髪を夜会仕様に後ろに撫でつけ、水色の瞳は少し垂れ目なのが、また彼の全体の顔のバランスにアクセントとなっている美貌だった。
タチアナは絶対にお近づきにならなければと我先に話し掛け、一生懸命彼との接触に励んだ。
爵位は男爵だが、まだ新参者の部類だったタチアナに対し、オーリスは会話はしてくれるものの、他の令嬢と変わらない扱いにタチアナは日々やきもきしていた。
そんな一人娘の奮闘に親馬鹿を発揮した男爵は、金に物を言わせて当時少し財政難だった伯爵家を上手く取り込み婚約に漕ぎ着けてくれたのだ。
タチアナは狂喜乱舞した。毎日手紙を出し、暇さえあればオーリスに会いに行ったし、お金に物を言わせて色々な贈り物をした。
オーリスは押しに弱いタイプなのか、はたまた金に目が眩んだか、定期的には会ってくれていた。
そして婚約を経て、二年後に目出度く結婚式を挙げた。
オーリスは性欲が薄く、夫婦の営みは少なかったが、それでもタチアナは幸せだった。
結婚してから二年経ったが子供は授かる気配がなく、タチアナは焦っていた。
少し前にオーリスは爵位を継ぎ、彼の両親は静養地へ移り住んでいた。
領地のことは最低限のことは熟していたが、執事と執事補佐中心に任せて、タチアナの父親の男爵と色々な商売に手を出していて、タチアナにはあまり構ってくれていなかった。
その頃のオーリスは、商売の一環から知った腕輪や指輪を蒐集するのにご執心で、タチアナは自分への贈り物だと思っていたのだが、「女性への贈り物のような華美なものではないんだ。魔術とかそういう効果に特化したもの、という感じかな」と申し訳無さそうに言っていた。
それから暫くして、彼の様子が明らかに変わっていった。
一人で出掛けていくことが多くなり、同じ時期に、家に時折真っ黒なローブを来た怪しげな人間が訪れることもあった。気になって尋ねると、「やっぱり魔術関連の装飾は魔術に詳しい者でないとね」と答えた。
夫婦の営みも急激に減り、これでは夫婦の時間どころか後継ぎもできないと何度も説得する日々が続いた。
そんなある日、青天霹靂の出来事が起きた。
オーリスが離れに女性を連れ込んだというのだ。
タチアナは目の前が真っ暗になったと同時に、まだ見ぬ相手の女への怒りが爆発した。
オーリスにどういうことだと詰め寄れば、彼は「男爵と商売の一環で彼女を連れてきたんだ。表向きは妾としてここに住むことになる」と、有り得ないことを言い出すではないか。
元来、激情型のタチアナは、なかなか思い通りにならないオーリスに、より一層妄執的になり、愛情が歪み、執着具合が更に度を越していった。泣き喚き、怒鳴り散らし、妾としてだろうが絶対に日の目をみせるなと喚き散らした。表に出して比べられるなんて冗談ではない。
オーリスは渋々了承したが、その態度と表情からタチアナの荒ぶり様に辟易していることはタチアナですら分かっていた。それでも心の底からオーリスを愛しているのだから大丈夫だと信じて疑わなかった。自分ならそれが許されるのだと思っていた。
それからオーリスは毎日その離れに通っていた。
タチアナは腸が煮えくり返りそうな思いをしながら、自分にも同等以上の寵を、と毎日詰め寄り、何度かに一回は仕方ないという態度で慈悲のように与えられ、それが一層腹立たしかった。
―――――相手の女に対して。
男爵に文句を言っても今は商談が大事な時だから待ってくれと宥められた。相手の女はその道具に過ぎないのだからと。男爵は彼から説明された話を信じていたようだが、タチアナにはそれが嘘だと分かっていた。
だっていつもずっとオーリスを見ていたから。
離れから戻ってくるオーリスは今迄に見たこともないような、満たされた表情をしていたから。
そのことがどうしようもなく許せなくて我慢できず、オーリスが居ない時に護衛や執事の反対を押し切って離れに突入した。
相手の女はタチアナより少し若く見えて、黒い漆黒の髪は艶々していて、きゅっと左右綺麗に上がっている目尻が魅力的にみえた。それが余計癪に障り、あらゆる罵詈雑言を浴びせた。
女は何かを言い返そうとしたが、何かに気付いたように口を押さえて俯いた。その殊勝じみた態度すら腹が立ち、散々嫌味や誹り、中傷し続けた。
その夜にオーリスが訪れて、「次やったら流石に怒るよ?」と真顔で言われて、タチアナはまた泣き喚いた。
そんなある日、月のものが遅れたので精神的なものかと考えていたのだが、定期的にくる伯爵家専属医師から懐妊だと言われて歓喜した。これでオーリスもまたタチアナの元へ戻ってくるだろうと。そのうち用無しになった女は捨てられて家族で幸せになれるはずだと。彼に報告したら「健やかに過ごしてくれ」と労わってくれた。
だけどそれはすぐに儚い夢と消えた。
あの女も懐妊したのだ。
タチアナは暴れまくった。
暴れる度にオーリスや屋敷の者すら腫れ物に触るように避けていく。目出度いことなのに、皆に祝福されながら過ごしているはずなのに何故こうなるのだと、今まで殆ど我慢する必要のなかったタチアナには到底理解できないことだった。
女の懐妊が分かってから、ますますオーリスは離れから離れなくなった。偶にタチアナに順調かい?と声は掛けてくれるものの、まるで社交辞令のように言い終えるとさっさと離れに向かってしまうのだ。
あまりに暴れたり怒鳴っていたりしたので、何度かお腹の子供の様子が危ない時があり何とか乗り越えたが、その間もオーリスはただの一度も見舞いに来てはくれなかった。
お腹も目立つようになってきた頃、男爵がタチアナを訪れた。
安定期に入ったものの、精神面でかなり状態が良くなかったタチアナに男爵は、オーリスの我が娘へのあまりな対応に流石に思うことがあったようで、「オーリスには内緒だぞ?」とタチアナに一つの指輪を渡した。
その指輪には細工がしてあり、指輪を逆向きに填めて突起部分を掌側に向け、相手を叩くふりをして小さな傷をつけると、相手の魔力を少しずつ貰える魔法の指輪だといった。
これで生まれるまで彼女は苦しむだろうし、下手したら子供は生まれないかもしれないと諭されて、タチアナは大いに狂喜した。
元より希薄だった人として慮る良識など、甘やかされてきたタチアナには皆無に等しく、あの女が自分を苦しませるのが悪いのだとしか思っておらず、真の諸悪の根源に気付くことは最後までなく、嬉々としてその指輪を眺めていた。
暫く潮らしく過ごし、オーリスが外出するのを見計らって、タチアナはまた離れに突撃した。
相変わらず彼女は何も話さなかったが、挑戦的な目をしていて、タチアナはその強い目に思わず怯んだが、この好機を逃すわけにはいかないと、今迄の鬱憤も込めて引っ叩こうとしたが、手で払い除けられてしまった。
だが、その際彼女の手に指輪の突起部分が当たったので満足して去り、また訪問したことにオーリスが怒る前に殊勝な態度をとり、難を逃れた。
これであの女が居なくなれば今度こそ今まで通りに戻れると信じ、タチアナは定期的に送られてくる魔力に力が漲るように感じ、反してこんなに豊富な魔力を持っているあの女に腹を立てたが、それを自分が奪い取っているのだとほくそ笑み、また恍惚とした優越感に浸った。
そして多少難産だったものの、無事に女児が誕生した。男児ではないのは残念だったが、目元の垂れ目がオーリスに似ていて、タチアナはとても喜んだ。
そして数日後、オーリスが慟哭している声が聞こえた。
あの女が出産に耐えられずに死んだらしい。
明らかに彼女の魔力を吸い取っていたことが一つの要因となっていたが、タチアナは当然の報いだと悔いることすらなく、鼻歌を歌いながら我が愛する娘の靴下を編んでいた。
しかし、子供が生き残ったということが分かった。
まだあの女が邪魔をするのかと怒りが湧いたが、赤子だからどうにでもなると考えていたが、後日オーリスから絶対に死なすなと厳命があったと聞けば、死んでも尚憎たらしい女だと思わずにはいられなかった。
それからオーリスは屋敷に籠もることが多くなり、タチアナは殆ど会えなかった。可愛い我が子にも興味が無く、暫く籠もった後は仕事にのめり込み、家庭を殆ど顧みなくなった。
しかし、ずっと離れにいるあの女の子供にも興味は殆ど示していないことが解り、タチアナはなんとか溜飲を下げていた。




