『ルーシーとケビー2』
あの婚約式の日から一ヶ月後、アグランド家は国から召喚がかかり、アグランド家従事者からはルーシーとジャコビー、ケビーが付き添った。
一家三人が謁見室にいる間、近くの待合室で待機している時に突如目の前に一人の老婆が姿を現した。
恐らく転移を使ったのだろう。王宮は遮蔽空間が施されているので、この老婆はそれらを除外される人物なのだと理解した。
「タチアナに付いている護衛騎士と、シェリルの専属侍女はお前達の中にいるかい?」
老婆なのに姿勢は真っ直ぐ背筋が伸び、白髪混じりの銀の髪はぴっちりと団子状に整えられている。掠れているが、はきはきした声はとても見た目相応にはみえない。
「私がシェリルお嬢様の専属侍女のルーシーと申します。」
「私はアグランド夫人の護衛騎士、ケビーです。」
ケビーもそう名乗り出ると、老婆は交互に見つめてひっそりと嗤う。
「そうかい。私はあの子の母親の、まあ師匠のようなものだね。」
「!」
「み、身内のような……」
「そんなこところだ。さて、聞きたいことがある。」
何年も音沙汰のないあの子供の母親に捜索願が出されなかったのは孤児か家の事情だと勝手に解釈していたルーシー達は、まだこの時には真実を知らされていなかった。
「分かっているとは思うが、正直に言った方が枯渇に苦しまずに済むよ。」
その話を聞いて思わずケビーと顔を見合わせた。魔力が枯渇状態になる時、誰かを憎んだり邪な考えをした時に発動していたことは確認できていた。
「先ずはあの家に雇われている者の中で、あの子が16年間あの環境に置かれていることに関して、全く関わっておらず、あの子の存在すら何一つ知らなかった奴はいるかい?」
「……居ません。」
「そうかい。全ての者はあの子の置かれている環境を知っていたんだね。」
「………………はい。ただ、雇われている全ての者は、あの屋敷での出来事全てに於いて外に漏らさないように魔術誓約がありました。」
「そうかい、私が聞く限りでは16年間自ら辞めた奴はいなかったと聞いている。さぞかし良い賃金で良い『環境』での仕事だったんだろうよ。」
そうケビーが説明を足してくれたが、老婆は鼻で失笑しただけだった。
そうだ、所詮言い訳以外の何物でもない。
ルーシーもケビーもあの子供の母親が来る前から働いており、母親が離れに来てから、急遽あの魔術誓約が成された。
理由は誰もが分かっていた。
だが、その日を堺に賃金が高待遇になった為、元々仕事自体も過酷ではなかったことで、辞める者は老衰以外で誰も居なかったのだ。それはあの子供が生まれてからも一緒だった。時にはメイドが無表情が気に食わなくて蹴ってやったなんて話も聞くこともあった。
そして雇われていた者達は、あの子供に対して多かれ少なかれ罪悪感を持っていたのかもしれないが、高待遇状況と過去にいた悪い母親の噂のこともあり、皆何も言わずにいた。何もせずにいた。何一つあの子の為にしてあげた者はいなかった。
それによってあの子供が何かしたとしても、子供に一体何ができるのかと、誰もが侮り見下していたのだ。ルーシーも含めて。
「さて、あの子が九歳の時に受けた魔法による火傷の傷だが。あの後に布を寄越したのは誰だか分かるかい?」
その言葉にルーシーはひゅっと息を呑んだ。
あの出来事はシェリルの行動に初めて疑問を持ったときだった。
あのまま彼女と屋敷に戻ってきてしまったが、明らかにあの子供の環境では酷い状態になることがわかっていたので、次の食事の時にメイドに持たせたのだ。微かな罪悪感を乗せて。
「それを渡したのは私です。」
ルーシーは簡潔に答えた。魔力消失魔術の発動のこともあるが、この老婆には言い訳のようなものは一切通用しない気がしたし、もう目を背けることもしたくなかったのだ。
「そうかい。その後であの女から鞭打ちの虐待を受けた時に一緒に居たのはお前かい?」
その言葉に如実に反応してびくっと震えたケビーは息を詰めたが観念したように答えた。
「はい、私です。あの時は奥様が為さることが分かっていて一緒に同行しました。」
そういうケビーをじっと見つめ「そうかい」とだけ答えた老婆はローブから何かをとりだした。
「これはあんたに返しておくよ。直接渡すのか聞いたが、もう一切関わらないようだ。あの子はこの布のおかげでなんとか耐えられたのだそうだ。」
そう言って、放り投げられ思わず手で受け取ったその布は、確かに七年前のあの日の翌日にルーシーがその日に食事を運ぶメイドに持たせたものだ。布は元の真っ白でなく少し肌色のように変色していて、その理由が何なのか嫌でも理解してしまい、なのにあの子供の対応と、反して自分の非情さに手が震え胸が押し潰されそうになった。
それも今更だ。今まで行動できなかったのだから、何もしなかったことと同類だ。
ルーシーはあの日以降、シェリルの屈託のない無邪気な表情と天真爛漫と思わせている行動が、ふとした瞬間に違和感を覚えるようになった。
今までは、ただ可愛らしい子供特有の我が儘とそれを超える魅力で、屋敷中から皆に慕われ可愛がられていたし、ルーシーも魔法の件がかなり衝撃的だったから、偶々そう見えたのだと無意識に言い聞かせてきた。
だが、まだ明かされていなかった魔呪道具を、シェリルからは本来の魔力を返してもらえる腕輪をオーリスから許可を貰って付けていると聞かされ、あの子供に付けてからのシェリルの行動は、専属として長年付き添ってきたルーシーですら、一層不気味な程の気味悪さを感じたのだ。
あの子供が離れの中で蹲って目の前で倒れているのに、それに対して一切の関心を向けず、且つ満面の笑みで離れから出てきて、「もう少し返してもらえそうだったからもらったわ」と。まるで貸したハンカチを返してもらうような軽い感じで言うのだ。何かが歪で何かがおかしい。そう思うことは何度もあった。
それでもルーシーは自分の今を守る為、自分可愛さの為に見て見ぬふりをしてきた。
そんな時に、同じ思いをアグランド家夫婦に感じていたケビーと話す機会があった。
そして縁があって夫婦となり、お互いにそろそろ伯爵家をお暇しようかと考え話し合っていた矢先の今回の出来事であったのだ。
「あの日は長過ぎた髪を切ってくれてさっぱりしたようだよ。それと怪我した腕を避けて抱えて運んでくれて助かったのだそうだ。」
老婆から聞いたケビーは愕然としていた。握られた拳は震え、「…そんな…でも俺は……」と呟き自分の足元を見つめている。
「あとで聞くだろうが、さっと話しておこう。私の弟子には唯一無二の伴侶がいた。それを横から掻っ攫って魔呪道具を施し捜させないように監禁して、己の欲望のままに実行したのはお前達の雇い主だ。そしてあの子にはアグランド家の血は入っていない。正真正銘、伴侶との子供だ。」
とんでもない爆弾投下の事実にルーシーは目を瞠り、口に手を覆いケビーを見た。ケビーも驚愕の眼差しで、後ろにいるジャコビーも「そんな……」と絶句している。私達の雇い主のあまりの衝撃の真実に身体が震え始める。
「そのことを踏まえての、あの子への不遇の数々を思い返してみろ。確かにお前達の中には真実を知った所で、そこまで関わっていない自分達にまでこんな仕打ちを、という者もいるだろう。だが、覚えておくがいい。お前達は人間に良くある同調行動の一環かも知れないが、誰もが何もしなかったことで、これらは表にでることもなく、誰にも知られず、誰にも調べられず、結果、あの一家を更に助長させた。あの子は本来受ける当然の愛情も最低限の生活も、そして母親すら失った。周知の上で何もしなかったこと、何も知ろうとしなかったことは奴等と大して変わらん。」
今までルーシーの知っていた事実が、その前提すら覆し凌駕する真実にルーシーは目眩を起こし、ケビーが駆け寄って支えてくれた。
老婆の言う通りだ。皆分かっていた。
もし自責から辞めるものが増え、誓約で言えなくても何とかして行動ができていれば、あの子供だけでもどうにかなったかもしれない。でも目を背け見なかったことにして、自分は悪くないと、皆やっているのだからと、仕方なかったのだとあの子供を見捨て、可愛い自分をとり、自分の将来をとったのだ。
そしてその顛末がこうなったというだけ。
「さて。まだ未熟なあの子の後始末を請け負ってやろうかね。あの三人には私の分も報復したが、お前達に一つだけ私から救いをやろう。今後16年、清貧に生き続けた者は、アグランド家から逃れる選択をやろう。ただし、その場合はアグランド家での出来事全ての記憶を抹消させてもらう。お前達とそこの男もだ。三人で全員分とお互いをしっかり管理するんだね。働く者全員にもしっかり伝えるんだ。」
肩を諫めながら、やれやれという風に言いながらも老婆は困った子だよとでも言う親身な表情をする。それはまるで自分が盾になってその子供を守るということにしかルーシーはとれなかった。
「……わかりました、必ず全員に周知させます。そして私は最後まであの家に居ます。」
「……ルーシー…」
「そうかい。それは好きにしな。どちらにしろ16年後に私が行くまでに決めれば良い。」
そう言いながら老婆は背を向けスッと消えた。
消えた場所を三人とも暫く見つめていたが、ふぅと後ろから溜め息が溢れた。
「いや…参りました。ここまで惨い内容だとは思いませんでしたよ。恐らく侍女長と前執事はある程度知っていたでしょうね。」
「ジャコビー…そうなのか?」
「ええ。前に訪れた際、二人共部屋の片隅で『私は知らない、命令されていただけだ』と繰り返し呟いていたのでね。私は数年前からの新参者ですから、あの子供の母親のことは詳しく知りませんが。」
「そうか……俺は今更だが………昔一度だけオーリス様の専属護衛が感染症に罹って、代わりにその日だけ護衛を請け負ったことがあった。共に離れに行って、俺は外で待機していたんだが、暫くして彼が離れから出てこられた瞬間、中からこれでもかという罵倒を聞いたんだ。そこで始めて防音魔術を施していることを知った。余りに酷い言葉だったから、思わず尋ねたら『ああやって私を困らせて楽しんでいるんだよ。可愛いだけだ。』と。私でも分かるくらいに嫌悪を滲ませた声音だったのに、オーリス様は本気でそう思っているのか、惚気けるような表情をされた時に悪寒が走った。今思えば…その時に、と悔やむばかりだ。」
「それを言うなら私もよ。シェリルお嬢様が、魔法を発生させて投げつけた後の満面な笑みに怖気が立ったわ。その時に何かしら行動を起こしていたら、せめて子供はどうにかなったかもしれない。でも今更だわ。もう過去は変えられないの。私達は罪を償っていくしかないわ。」
「ですね。私も何時も何かを企んでいた執事や侍女長を自分事でなければと、見て見ぬふりをし続けてきました。これからあの家に居続けて生きていくことが唯一の償い……それも私達の傲慢な考えで自己満足にしかなりません。でもやらなければ。」
「そうだな。そうだとしても、しない選択肢はない。」
その後、国の使いの者から家の全ての雇われた者が呼び集められて、事の次第が明らかにされた。それに併せてジャコビーから老婆に言われた事柄も説明した。
若干名はそれでも納得ができないと態度に表し、枯渇状態に陥るものもいたが、大部分は自分が大小なりとも要因の一部であったことを受け入れる者が多かった。使いの者からはアグランド家三人は今後殆ど役に立つことはないだろうし、尊敬などできないだろうと、最低限の礼儀と世話をすればいいとさえ言われた。
あの三人はこれから老いてなくなるまで、あの苦しみをずっと味わっていくのだと思うと末恐ろしくなり、まだ自分はましな方だと思えてしまう。
そしてここに居る全員は思ったことだろう。
いつか必ず報いは返ってくるものだと。




