『キックリ』
『 』は主人公以外の別視点からのお話となります
謁見室からルウィエラが出て行き、キックリは謁見室を見渡した。
蹲って苦悶し続けているシェリルに始まり、オーリスの絶望と軽蔑の眼差しに目を背け耳を塞いでいるタチアナ、それを睥睨しているアルノーと、呆然と見ているツェクトや周りの兵士達。
(ルウィエラが折角お膳立てしてくれたんだ。遠慮なくやらせてもらおうか)
うっそりと微笑み、キックリはまずアルノーに視線を向けた。
「日記は私も全て目を通した。書いたのは間違いなくエルの母親だ。この私、キックリが証人となろう。あの子は淡々とは話していたがね、実際16年間もの間に受け続けた仕打ちに心身の傷はそう簡単に癒せるものじゃないし、下手すれば一生ものだ。その中であの子は誰の助力も得ず、ここまで一人で生き抜いてきたんだ。国として今後の動向を探ること位は構わんが、それ以外に国の利益や明らかに害意や悪意を持ってあの子に近づくのならば、私も久々に腕をならすことになるだろうよ。」
「キックリさん………あの子何なの?まだあんなに若くてさ、あの道具の呪い返しだけでも驚きなのに、あれだけの数の魔術を付加するって―――そこらの優秀な魔術師にだってできることではないんだよ?」
アルノーは到底理解し難いという風に片手を振る。
「さあね、元々の素質か不遇環境の影響なのかは私にもわからん。私もあの子が来てからはまだ日が浅いから確証はないが、あの子の根本的な思考は、その辺の人間とは少し感覚的なものが違うかもしれないね。そこらの同年代の人間と同じ様に扱うのは止めた方が良い。まあ、こいつらの様な身勝手で悪辣な腐った者がいたおかげで反面教師にはなったのかもね。あの子の母親は私の弟子のようなものだったからね、あの子も同じもんだ。」
「なるほどね………確かに幾ら本を読み漁っていたからってさ、王宮の謁見室で穏やか対応の国王を目の当たりにしてあれだけ飄々に言葉を綴るのって、どれだけ教育を受けた子でもなかなか実行できることではないよね。物怖じ皆無だし目も決して逸らさない。多分だけど、言葉遣いだけが一緒で僕と平民への態度も変わらない感じがする。」
「だろうね。国の構造やら国家への畏怖と言う教育を受けてこなかったのもあるが、あの子にとってはそれが今まで何の意味も為さなく、何も役に立たないとは思っているからだろうね。言葉遣いは私にも敬語のままだ。」
「そっかぁ…僕の十八番の権力も優しい牽制も効かないのかぁ。それにしてもサリ……あれ?」
「ああ、ちょっと前に転移して何処か行ったよ。」
「………僕の周りは皆自由だなぁ。」
キックリはサリトリーが居た窓側を見る。
アルノーから聞くには、サリトリーは始めこそ魔絆の相手を見つけて驚いてはいたようだが、その後は必要最低限の対応しかとっていなかったらしい。向こうから必要以上に連絡はあったようだが、その時には贈り物で済ませていたそうだ。
噂に聞く魔絆への対応とはかけ離れていたので、今だからこそ相手が違ったという理由があるかもしれないものの、サリトリー自身がそういう気質だからなのかと思っていたらしい。
元よりあの人ならざる者は、大地の平定を司るものだから仕方ないと言わんばかりの様子で、デフォルトの無表情で恙無く淡々とやっているイメージしかない。
そんなサリトリーだからこそ、さもあらんと納得する対応なのだと思わなくもないが、魔絆を砕いてしまっているのでルウィエラだと知った今となっても、もう確かめる術はない。
ルウィエラからあれだけ無関心な対応されれば、己の立場も踏まえ、気質からしても彼女に興味はなさそうだが―――――ただ。
(ルウィエラが出ようとして捕縛魔術をかけたのは、今回の事態が滞るからという説明がつくが、ローブを捲くった時だけは……まあ特に女性が人前で肌を見せるという行動には誰でも驚くものだが―――)
勿論キックリもルウィエラの突飛な行動に目を剥き、ローブを下ろそうと動く素振りを見せる前に、誰よりも早くサリトリーがその行動を起こしたのには驚いたのだ。
その時の表情も話し方も、今迄キックリが見てきた限りでは初めてだった。
(まあ、今後どうなるのかは、どちらにしろルウィエラの自由だ。あの子は要らないものにはしっかり壁を作るだろうよ。)
キックリとしては、ルウィエラが今までできなかった、自分で選んで決めて行動することができるのであれば問題はない。
さて、とっとと終わらせようとキックリは先ず、アグランド家三人のいる元へ向かう。そして、先程のタチアナ同様、藻掻いている小煩い小娘を始め、三人纏めて不言魔術をかけた。シェリルは急に声が出なくなったことと、しかも体の痛みは継続しているようで狼狽し、ぶるぶる震えながら苦悶している。
キックリは真っ赤な薔薇色の小さな耳飾りの石に触れ、そこから同じ薔薇色の艶消しの杖を取り出し、黒紅色のローブを払いながら、コツンと一度床を突く。突いた床から突如湧き出る魔力の渦にアルノーがはっと目を瞠り、ツェクトも凝視した。
ふわりと魔力の渦がキックリを覆い、その姿が変化する。
そこには魔力により沸き起こっている風が解かれて輝く長い銀の髪を靡かせていて、血のような昏く真っ赤な瞳を爛々と輝かせた、若々しく妖美な女性の姿が佇んでいた。
キックリは、怯えることも忘れ唖然として見ているアグランド家の三人に静かな声で朗々と話しかける。
《アグランド家に連なる罪深き者どもよ。今後お前たちに余計な施しや知恵を与えようとする愚者が現れないよう、そして我が弟子達への到底許し難い行為の数々の御礼をさせて貰おう。》
それは幾つもの声が重なったような混ざりあった不可思議で穏やかな声色なのに、また重なるからこそ不可解な悍ましくも聞こえる声に、アグランド家の三人は目を見開かんばかりに開けてガタガタと震えている。
キックリは嫣然に微笑むが、目の奥は僅かにも笑っていない。
コツコツン―――――――――――――
杖の音が鳴った瞬間、不言の魔術により聞こえない筈のその三人の叫喚が聞こえるのではないかという、凄惨な場面に三人を除く他の者達は戦慄した。
シュルルル―――と、まるで地獄の底から這い上がるかのような低音と魔術の禍々しい幾何学模様のような渦が三人を覆っていく。
《オーリスとシェリルには生きてきた中でお前達が何より心を抉る出来事を追想し続け、心、身体、脳への三重苦を。私の可愛い弟子の一人に止めを刺したタチアナには、その姿形を悍ましい異形に変え、且つ常時お前が何より許し難い記憶を呼び起こさせる呪いを。そして今後お前達を諭そうとした奴等全てと、その一族末裔までに大いなる災厄の種を芽吹かそう。―――――さあ『銀朱の魔女』の元に歪で無様な舞を存分に具現せよ。》
やがて魔力の覆いが消え失せ、辺りが静寂に包まれた。
キックリによる更なる報復を受けた三人は気を失い倒れてしまっている。
タチアナに至っては、元は美しかっただろう風貌が焼け爛れたような煤けた色合いと歪な凹凸が顔から体中に覆っていて、シェリルより見るに堪えない姿に変わり果てていた。
「うわ……なんてえげつない……そしてキックリさんの本物の姿初めてみ―――って元に戻った!?ん?戻った?どっちが本物なんだ…」
魔術顕現が収まった後、キックリはいつもの姿でローブを整えていた。
「さてね。さっき見た姿と名には忘却の魔術を組み込ませてあるからもう忘れているだろうよ。」
「え………あれ、とても綺麗なのは覚え…あれ綺麗だったっけ?」
「失礼な男だねぇ、淑女に対して。」
「………淑女」
「おっと、ツェクトがそこはいち早く反応するのかい?」
「い、いえ!そんなことは!」
「はは、まあこれで私の用事も済んだ。それとこいつらの従者はどこにいるんだい?」
「謁見室から少し離れた待合室に。」
「わかった。じゃあ邪魔したね。」
そういうと同時にキックリは転移を踏んだ。
その後、従者達にはルウィエラの報復に恨み辛みを持ち過ぎないように彼等に救済措置を与えてやり、キックリは城門を出た。
フルナーレの大通りを歩きながらキックリは思いを馳せる。
ある日突然薬屋の戸を叩いて、あれよあれよという間に自他ともに認める曲者のキックリの懐に入ったレウィナ。
屈託のない笑みと快活な性格だったが、豪胆さと時折こちらもヒヤッとする決断をいとも簡単に実行してしまう残酷だと思えるくらいの潔さもあった。
相手の気持ちに寄り添う人間らしさもあったが、時に人間らしくない冷酷な面も持っていた。
そんな彼女だったからこそ、伴侶となったあの男は魅せられたのだろう。
キックリもそこそこ長く生きているが、稀にそのように人ならざる者を異常に引き寄せる人間がいる。人ならざるものが人間に少し興味を持ち、構ってみて遊んで鬱陶しくなって壊してしまうことはこの世界では良くあることだ。
あまりにも『人間らしい』と、どうしても重ならない部分が煩わしくなるのだ。
だが、中には人間特有の思想を持ちながらも人外者のような考えを併せ持つ者がいて、その絶妙なバランスに人外者は瞬く間に魅了されて、その人物に対し愛着や執着を増やしていくことがある。
以前レウィナからは、伴侶には内緒だが、過去に何度か人外者や、それらに思考が近い魔術師等から言い寄られたことがあったのだと言っていた。
だからこそ思う。レウィナを閉じ込めたのはオーリスだが、たった一人の人間がここまで用意周到にできることなのだろうか。隙を狙われたとはいえ、レウィナは優秀な魔術師で錬金術師だった。魔封じはともかく、認識阻害の魔術を始め、狡猾に組み合わせて施した数々の魔術をあの愚かな人間が全て担っていたとはどうしても思えないのだ。
そしてある日を堺に…いや、恐らくレウィナが死んでしまった日から、あの伴侶はぱったりと来なくなってしまった。もしかしたら狂乱して自壊してしまったのではないかと懸念していたが、ルウィエラから遠くだが微かに魔力を感じると言っていたので安堵はしたが、あいつにとってのレウィナはもう居ないのだ。
ルウィエラがあの日薬屋に来るまで、キックリも何もしなかったわけじゃない。あらゆる手を使ったが、結果見つからなかったのだから、何もできなかったことは何もしなかったことと大して変わらない。
そして自分すらも見抜けなかった恐ろしい魔呪道具が使われていたことを知り、それを回収する方手段があるなら是非にでも手助けをするだろう。
ある日、そのようなことをそれとなしに漏れ出てしまったことがあった。
傍で聞いていたルウィエラはキックリを静かで穏やかな目で真っ直ぐに見て言った。
色々思うことは誰にも止められないし、過去の己に悔やむこともあると思うが、負の感情だけを大いに育てていって欲しくはないと彼女は言った。
ルウィエラ自身も自分が生まれたことで、彼女を死なせてしまった一つの要因にはなっていることを思い悩むことはあるが、日記を読んでレウィナの生き様を知り、卑屈になるのは彼女への冒涜だと。
彼等への報復もやるまではとことん憎悪の業火の渦中に居たが、成した後は全部流して無関心になるのに限るのだそうだ。
何故なら頭の片隅に置いておかなければならないほどの奴等ではないと。
自分のこれから生きて行く世界からは全く必要のない無価値な者なのだと。
もうどうでもいい存在なのだと。
そんな風に言ってくれるルウィエラだが、彼女が未だにトラウマに悩まされているのをキックリは知っている。
キックリが眠る時に二階に上がれば、必ず起きる気配がする。そしてキックリだと認識すれば、また眠るのだ。きっとそれ以外にもまだあることだろう。
まだ16歳で成人したとはいえ、人と関わらず、辛うじて本しか読んでこなかったまだ拙さの残る少女なのだ。それに反して部分的に大人顔負けの達観した考えを繰り出す彼女が、今後何に幸せを見出すのかキックリでさえまだわからない。
ただ、一つ確かなことはそれがキックリ一人だけでは成し得ないことだろう。
そして、その気質と緻密で独創的な魔力は人外者を相当引き寄せるに違いない。
ある程度は教授してやらねばとキックリはケーキ屋に向かって行った。




