王宮へ
それから約一ヶ月間、ルウィエラはキックリの元で生活基盤を作り、本には載ってなかった一般常識や魔術、錬金術のキックリ方式等を無我夢中で学んだ。
元来内気な性質ではなかったようで、キックリに対しての殊勝な態度は始めの数日であった。
レウィナに似て心身共になかなか頑強であるとお墨付きをいただいた。
「口が達者で無駄に肝が据わっているとこなんかレウィナそっくりだね。」
「私もお婆の辛辣な言葉責めと類稀ない狡猾な立ち回りに日々鍛えられ、口も毛穴も開きっぱなしですが、打たれ強くなる能力が急上昇です。海老クリームパスタに入っているお婆の海老の方が大きいです、交換希望です。」
「一言どころか二言三言多い!なのに何故名前は更に省略されているのさ。海老はあんたの方が数が多いだろうが。」
「お婆と話していると言葉数がどうしても増えるので、省かざるを得ないのです。美肌効果の高いパプリカを差し上げますので、海老と取引しましょう。」
「いや、海老も同効果なんだがね。省く言葉はそこじゃないだろうに…」
そんな軽快な応酬しつつ文句を言いながらもキックリは海老を交換してくれる。しかし、後にキックリのパスタ皿の底にもっと大きな海老が潜んでいたことにルウィエラは戦慄いて敗北を感じずにはいられなかった。
元々物覚えが良かったルウィエラは、心身のストレスが解放されたことも併せて、水を得た魚のように目覚ましい勢いで、先ずは最低限な事柄を取得し、次に薬屋にある一般書物や専門的な書物も読み始め、充実した日々を送っていた。
この国の王と謁見するまでは店頭始め、外には出ないように提案された。覚えたいことはまだまだあったので快諾して、店の裏で魔草の仕分けや魔素材別に分類したりと手伝いに励んだ。
「この前切ってもらった髪から魔力抽出したもので石を錬成しました。前にお婆から貰った革紐に通して新しい亜空間収納を創りました。小さいですが鉛筆の10倍は物が入ります。」
「おや、良くそこまで凝縮できたものだね。やっぱり魔力の豊富なものから抽出した収納空間は容量も違うねぇ。」
腰近くまで伸びていた髪はキックリに胸元まで、前髪は眉下までばっさりと切ってもらい、時間をかけて魔力抽出して更に自分の魔力を重ねがけしながら仕上がった石は、濃い紫色で線状の黒が混ざり綺麗な光沢を放っている。そしてキックリから貰った紐に通して首にかけていた。
「良い物を創ったね。紐は昔作って残っていたものをあげただけだから、強度の高い紐見つけたら換えるんだよ。」
「いえ、この紐にも強化魔術をこれでもかとかけてありますし、お婆から貰った初めての装飾品ですので、宝物なんです。」
「……ったく。そういうところだよ。」
キックリは肩を諫めながらも少し照れ臭そうにしているが何故だろうか。
ルウィエラが首を傾けていると、こちらを向き直り改まって話し始める。
「明日の謁見はエルの希望通りに通りそうだよ。アグランド伯爵一家に召喚をかけている。先ずは国王との謁見の後に奴等を呼び出す流れだ。」
「ありがとうございます。もし言動が度を超えているようなら止めて下さいね。」
「魔術をぶっ放さければ大丈夫だろうよ。といっても城だから魔術の遮蔽空間の魔術を展開しているだろうけどね。まあ私が居れば大抵のことは許されるよ。」
「流石お婆ですね、伊達に生き字引の名は…」
「一言多い!」
そう言いながら食器を洗い終えた私に、キックリは大きい紙袋を渡してきた。
「頼んでいたローブだよ。鈍色で良かったのかい?髪色の灰色にするんだろう?」
「はい。灰色の髪に淡い色合いは浮きそうですしローブですしね、ありがとうございます。それに会いに行く方々に外見で特に好印象持ってもらう必要もないので。フードは被ったままで本当にいいのですか?」
「やれやれ、あんたにとってはその程度の意味合いなんだろうけどね。まあ向こうも必死に捜してはいたようだったからね。被害者側に来てもらうだけで御の字だろうよ。」
「被害者にしてはそこそこの報復はしていますけどね。」
「当たり前さね。それくらいしてくれなきゃ、私がレウィナとあんたの分まで上乗せして重ねに重ねて奴等にしてやっただろうよ。」
キックリは人の悪い笑みを浮かべカラカラと笑う。
こんな風に話してくれるキックリを見ながら、謹厳実直な人柄でなくて良かったとルウィエラは心底思う。もし彼等に報復した内容や、報復そのものも窘められでもしていたら、恐らく今日までここには居なかっただろう。
キックリの飄々として時折みせる熾烈な性格は、とても心地の良いものでルウィエラの本質にぴったり合っていた。
翌朝の曇天の中、灰色の髪と濃灰色の瞳に擬態魔術をかけたルウィエラはキックリに連れられてディサイル国の王宮に登城した。
王宮の城壁で囲まれているフルナーレという城郭都市にキックリ主導で共に転移してもらい、そこから都市の町並みを少し歩くと奥に城が見えてきた。
全体は白が基調で統一しており、塔の屋根は薄い灰色で揃えられている。主塔を中心に左右に塔が聳え立ち、同じ白の建物が絶妙なバランスで配置されていた。
その周りを堅牢な城壁で囲んでおり、それに見合う見事な城門にはカーキー色の詰め襟制服を着た門番が立っている。
城門の前まで行きキックリは胸元から召喚状を取り出して門番に渡した。
「東端にある薬屋のキックリだ。国王に召喚されて参上した次第だ。」
「キックリ様ですね、お話は伺っております。今迎えの者を寄越しますので少々お待ち下さい。」
門番がそう言うと胸元から薄いカードのような物を取り出し、そこに口元を近づけて誰かと話している。恐らく通信用のカードなのだろう。ルウィエラはフードを深めに被った中から見つめ、自分で創れるだろうかと頭の中で考案し始めていた。
門番は「すぐに来るそうです。」とにこやかに返し、それに対しキックリは「別に迎えなんていらないんだけどねぇ。」と呟きながら門番を苦笑させていた。
そして数分後、城門先の入り口辺りから小走りで走ってくる男性が目に入る。
その男性は、黒茶のジュストコールに同色のジレとトラウザーズ、黒のブーツを履き少しクリーム色の帯びたクラヴァットが、駆けてくる振動にふわりと揺れている。
シルバーグレーの髪は顎下で切られていて、毛先は少し遊ばせていてさらさらと舞う。水色の意志の強そうな瞳をしている端正な顔の男性だ。キックリの側まで来てから深々と一礼する。
「キックリ殿、お待たせ致しました。」
聞き取りやすい良く通る低音でその男はキックリに話しかける。
「ツェクトじゃないか。ディサイル国の敏腕宰相を迎えに寄越すなんて、重要参考人にでもなった気分だねぇ。」
「いえ、そのようなことは…王にけしかけられたのですよ。」
「ああ、国王には事前に連絡した時にちょっと嫌味な言い方はしたかもしれないね。」
「はは、それですね。かなり焦りながら急いで迎えにいけ!と言っておりましたので。さあ、ご案内致しますよ。お連れの方もお待たせ致しました。こちらです。」
ルウィエラに対しても客人として丁寧な対応をしてくれるらしい。ツェクトは優雅で流れるような動作で中へ誘導する。
キックリは特に何の反応もなく歩き出し、ルウィエラはペコリと頭だけ下げてツェクトとキックリについて行った。
門を潜り入り口を通り抜けると、両端には豪華だが華美過ぎないアイボリー色に緻密な植物の模様が彫られた柱が立ち並び、中央の道に沿って歩いていて、ふと上を見上げると、国の信教かのシンボルなのかステンドグラスのような色彩のガラス細工の中に、白金色の足元までの髪をふわりと靡かせたトガのような白い布を幾重にも重ね合わせたような意匠の女性らしき天井画が描かれている。
知らぬ間に足が留まっていたらしく、それに気付いたツェクトが声をかけた。
「天井画に描かれているのは我がディサイル国の象徴と言われる大地の女神ジヴィラの画ですよ。」
「そうなんですね。」
「ええ、10歳の魔力測定の時に来ませんでしたか?緊張していて覚えていなかったのかもしれませんね。」
ツェクトはそういうこともありますよ、と小さく微笑む。対しルウィエラは首を僅かに傾げながら返す。
「普通の家庭で育っていたのなら、この画を見る機会はあったのでしょう。私は残念ながら普通ではない環境だったようなので、今日初めて訪れて観ることができました。」
ツェクトを見ながら答えると、彼は驚いたように目を瞠った。キックリはここに来るまでルウィエラの境遇を話してはいないらしい。
「まさか…そんなことは」
「ツェクト、そういった話は国王の前で話す予定なんだ。そこで聞いておくれ。さっさと行こうかね。」
「足留めさせてしまい、申し訳ありませんでした。」
「いえ…そうですね。参りましょう。」
再び三人は謁見室に向かって歩き始めた。




