やってみたいこと
ようやく一通り話し終えかと思う頃には、喉がからからになってしまい、キックリが今度は甘いミルクティーを作ってくれた。
アリームイという茶葉で、味と匂いに癖がなく万人に好まれる紅茶だそうだ。ほっと落ち着くような香りのしっとり甘いミルクティーに、またもや初めましてなルウィエラは、ぱちぱち瞬きしながらちょびちょび飲み始める。体だけでなく心も温かくなったような気さえする。
そんな様子を見ながら、キックリは天井を見上げながら嘆息して呟く。
「こりゃまた近年稀にない腐りきった連中だね。そんな奴等にレウィナとルウィエラは犠牲になったっていうのかい…………それにしても、本を読んだだけでそれだけの魔術を良く発動したものだね。作ったという回復薬もそうだが……ルウィエラ。」
キックリは首を戻し、ルウィエラを見つめた。
「私はレウィナの日記に記してあった通り、ただの薬屋なんだけどね。それでもある程度の魔法と魔術、錬金術は使えるんだ。だからこそわかる。あんたは過酷な環境も影響されているんだろうが、その年齢で今まで魔力を奪われ続けて、それでも奴等への復讐に魔絆砕きと転移を成し遂げている段階で規格外もいいとこだ。それにさっきやっていた無詠唱での治癒魔術や、魔屑の要素さえ殆ど残っていない道具に亜空間収納魔術を付与することもね。」
キックリは日記に目を向ける。
「レウィナもかなり腕は良かったが、父親の血もあるのかもしれないね。あんたは元々の素質も高い上に、良くも悪くも全ての時間をそこに費やしたこともある。幾ら書庫を読み漁っていたとしても、その歳でそれだけの魔術展開と錬金術の技術は、同年代じゃ比べる基準にすらならんだろうよ。いい大人の魔術師共だって同等の輩が何人いるんだか。」
そう言いながら肩を諌めた後、ルウィエラをひたと見据える。
「だからこそ、その才能は国は勿論のこと、どこぞの研究所や悪事を働くような奴等までもが、どんな手段を使ってでも捕らえて囲っておきたい程のものだ。その能力を隠して生きろとは言わないが、十分に気をつけた方がいい。自分の身を守る魔術や錬金した物をこれでもかと増やしておきな。また搾取される羽目になるよ。」
「はい。」
ルウィエラは厳かに頷く。
自分の力がどれほどのものかは今まで比べようがなかったし、魔宝玉で鑑定した時の彼等の反応を見て、少なくとも人並み以上であることは分かっていた。
それが今度は相手が国や大きい組織等に代わっては堪らない。
「ここの薬屋はね。ディサイル国の東の端っこにあるグエタという森の中にあるんだ。あんたは魔呪道具を破壊して奴等を呪い返した。とびきりのおまけ付きでね。知る通り、周辺国もそうだがディサイル国も勿論、魔呪道具は所持だけで重罪、そして使用は問答無用で死罪だ。だが国は現時点でそれらを奴等に行使できなくなっている。あんたの付帯魔術がこれでもかとかかっているからね。血眼になって捜すだろうよ。かけられた魔術を解除する為に選りすぐりの魔術師共を集めても何時までかかるやら。このことについてはどうするつもりだい?」
「今直ぐには難しいですが、会いに行くつもりです、ディサイル国の王様という人に。それに…アグランド家の者に伝えたいこともあるので。それでようやく私の復讐が完遂します。」
そう、あの三人には伝えなければならないことがある。そして少し、いや、人生が終わるその時まで絶望し続けて欲しいと思うルウィエラは、彼等とそう変わらず大概残酷で無慈悲なんだだと自覚している。だが、始めたのは向こうなのだから返しは受けてもらう。
「やれやれ、そのあたりはレウィナそっくりだね。あの子もね、普段は溌剌として気立てのいい娘なんだが、自分のこれと決めた領域範囲を侵した奴等には容赦ないことがあったねぇ…」
ルウィエラには表情も気立てもないが、レウィナにちょっと怖い部分でも似ていると言われるとなんとなく心がもぞもぞしてしまった。
数度瞬きしながら顔を左右にこてこてと傾けていると、そんな困惑がキックリに伝わったのか、彼女は苦笑しながら「そんな過酷な環境に居て感情が育つ訳もないさ。それはこれからゆっくり育んでいけばいいんだよ。」と言う。
「まあ、ディサイル国王とはちょっとした知り合いだから、その時はついて行ってやるよ。」
ルウィエラは瞬きしてキックリの目を見返す。
「いいのですか?」
「ああ。レウィナのこともあるしね。ここ暫くは平和だと思っていた裏側でこんな惨いことが起きていたんだよ。一度しっかり国王の尻を蹴ってやらないといけないねぇ。」
恐らくこの国で一番偉い人間だろう相手の尻を蹴る人こそ最強なのではと思わないでもなかったが、そう言いながらキックリは新しく入れにいった紅茶と共に少し黄色いふんわりとした丸い食べ物が載っているお皿を持ってきたことで、その考えはスパーンと彼方に飛んでいった。
ルウィエラの前にコトンと置き、「食べな、消化の良い蒸しパンだ。今朝一で届けに来たパン屋から買っておいて良かったよ。」と勧めてくる。
「あ…りがとうございます。」
ルウィエラはその蒸しパンを手に取り、自分の頬くらいの柔らかさに秘かに驚く。
今までかちかちのパンしか食べてこなかったので、ふわふわでミルクの匂いがするパンをどうやって扱ったらいいのかわからない。
持ち上げてあちこち見ていたらキックリは笑いながら「そのまま齧ってもいいが、手で一口大に千切って食べてご覧」と言われ、両手で持って少し力を入れれば、何の抵抗もなく一口大に千切れたパンにまた驚く。
それを恐る恐る口に入れ、もぐもぐと咀嚼するとふわっと優しい甘味が噛む毎に口の中全体に広がっていく。しっとりしているので口の中にくっつかずにほろろっと飲み込めた。
「美味しい…甘くて、柔らかくて………美味しいです。」
「はは!まだあるからたんと食べな。」
こんな美味しいものがまだあるのかとルウィエラはぱちぱち瞬きをしながら、少しずつパンを千切りながら大事に大事に食べていく。
次に何時こんなに美味しいものが食べられるかわからないから。
そんな思いが挙動不審気味の無表情な顔から推察できたのか分からないが、キックリが仕方のない子だねとでも言う風に少し困った優しい笑顔でいう。
「これからはもっと美味しい物が食べられるさ。自分でも作れるようになればいい。」
そう言って紅茶を飲みながら、蒸しパンを取りそのまま齧り付く。
作る…本でしか読んだことはないが、調理器具を使ってキッチンに立って好きな食べ物を作れるようになるのだろうか。
朝昼晩と一日三食食べられるようになるのだろうか。
飲みたい時に井戸まで行かないで水が飲めるようになるのだろうか。
「とりあえず国王に会いに行くまではここに居な。私は一人暮らしだし、部屋は余っているからね。そうだね………色々準備を入れたとして一ヶ月くらいかねぇ。それまでにあんたは最低限の日常生活を覚えるんだよ。国王との連絡はこっちでしておくよ。」
「……ここに居ても良いのですか?」
「ああ、今のあんたは諸々危なっかしいからね。それにレウィナの娘だ。あの子を救ってあげられなかった分、あんたで罪滅ぼしでもさせておくれ。勿論、謁見後も居たけりゃ居れば良い。その代わり店の手伝いはしっかりやってもらうけどね。」
「ありがとう…ございます。」
ディサイル国王に会う日までは、なんとこの薬屋においてもらえるらしい。手伝いをするならもっとおいてもらえるらしい。
ルウィエラは本からの知識だけは盛り沢山だが、実地では殆どが初心者だ。今度からは外で実際に色々学べるのだ。
そしてレウィナと面識のあるキックリは少し強めの口調だが、何故かとても安心感もあるのだ。
また心がもぞもぞして瞬きをぱちぱちしながらお礼を言った。
「まあ、国王に会ってみて特に困った状況にならなかったとして、だ。ルウィエラはこれからどうしてみたいんだい?上手く言葉にはできないかもしれないが何かやってみたいことはあるのかい?王宮に勤めたいとか魔術師になりたいとか色々な所を旅をしてみたいとか。」
「やってみたいこと…………あ、普通の生活がしてみたいです。」
ルウィエラにとって、今は何になりたいとかこんな仕事に携わってみたいとかいう以前に、一般的な人間がやっているという暮らしをしてみたいのだ。手を膝の上で重ね指を絡ませ動かしながら答えていく。
「書庫で読んだような物語の本の中の……離れではできなかった料理をしてみたり、片付けとか掃除というものをしてみたり、着替えもしてみたり、お風呂というものにも入ってみたいです。盗み見するのでなく図書館という所で椅子に座って本を読んでみたいですし、働いてお金を稼げるようになったら、買い物というものをしてみたいです。」
「………そうかい。」
キックリはなんともいえない途方に暮れた表情をしながら「まあ、その程度ならうちで全部できるよ。最近腰の調子がいまいちだったから丁度良かったよ。ったく…。」と呟いた。
手を見ていて自然と俯いていたルウィエラはパッと顔を上げてキックリを見る。
その顔は無表情だが目が期待にきらきらしているように見えてキックリは苦笑した。
「それじゃあ暫くはここで暮らして、あんたのいう普通の生活を覚えていくんだね。ついでに私の薬屋の仕事手伝えるようになったら駄賃をやるよ。そしたら買い物もできるだろうよ。」
「駄賃…?」
「手伝いをして貰えるご褒美みたいなもんだよ。」
「ご褒美…」
無表情の目の煌めきが更に少しずつ増えているように見えたキックリは思わず笑った。
「さあ、先ずはその服を脱いで風呂だね。着替えは私の背丈と殆ど同じだから貸してやる。そのうちある程度の服を揃えなきゃだね。あんたを見る限り思っている以上に汚くないし、臭いもしないね。浄化魔術を修得しているのかい?」
「はい。」
「体はどうだい?風呂は湯に浸かるものだから多少体力は使うんだ。まだ体調が良くなければ明日にでも…」
「大丈夫です。ホットミルクとミルクティーと蒸しパンという美味しいものをいただいたので元気がでました。」
ルウィエラは早速やってみたい普通の生活の『お風呂』が実現できると聞いて被せ気味に答えた。
「ははは!なら良い。本来浄化魔術を覚えれば入浴はしなくても良いのだろうが、風呂は気分的にすっきりするし気持ち良いからね。私も良く入るんだよ。案内するよ、こっちだ。」
これから体験出来るだろう初めてのお風呂に、ルウィエラはまた目だけを少しきらきらさせながらキックリについて行った。




