復讐と逆襲の上乗せ
外は雲一つない晴天だ。婚約式日和なのだと思う。
陽が真上に昇るまではおよそ一刻半。半刻前位にシェリルは再度魔吸収を行うつもりだろう。
ルウィエラは息を吸ってゆっくりと吐き出す。
16年に及ぶ不遇の数々と惨い仕打ち。
シェリルを始めアグランド家の誰もがルウィエラがこれから行うことを予想だにしていないことだろう。
小娘如きが何も出来るわけがないと思っていたのかもしれない。
無知で無力な人間は搾取されることが当たり前だと思っているのかもしれない。
矮小な、魔力量しか取り柄のない青白い顔の喋らないちっぽけで脆弱な人間だと。
ただ、相手を攻撃するのなら攻撃し返される覚悟をもって然るべきだ。
そして傲りで軽視し続け、放置していたことが、これからの未来を招く。
ルウィエラは、ある程度魔術や錬金術が上達してからも、敢えて今まで通り何一つやり返さずに、されるがままにしてきたのは、好機を見極め、確実に仕留めたかったからだ。
着々と彼らを破滅させる鋭利な刃を静かに静かに丁寧に研いでいたのだ。
母の命を奪い
母の愛する人との絆を断ち
その子供を不遇の環境に置き続け
その子供が復讐すると微塵にも思っていない愚かな愚かな人間達
ちっぽけなルウィエラの心が、どれだけ凶悪で悪辣なのか思い知るがいい。
あの人間達がしてきた数々の積み重ねの顛末だ。
ルウィエラがこれから行う魔術の連続発動よっては、かなり危ない状態になることも懸念してはいるが、復讐に命を賭けようなど微塵も考えていない。
今まで散々搾り取られてきて何故ここでまた奪われねばならないのだ。
それにここから出て自由に生きて行くことを、何より母が望んでいると思っている。
幸せになってもらいたいのだと。
なので死ぬ気で彼等を追い込むつもりはないし、かといって復讐をしないなんて偽善ぶるつもりも毛頭ない。だからその為に、この日まで好機を待ち続けてきたのだ。
脱出するだけなんて生易しいことを選択をする訳がない。
すべき事を成し遂げ、キックリという薬屋の店主に会い、父親だという人に日記を渡しに行くのだ。
ルウィエラは目を静かに一度閉じて再び開く。
静謐から一転して慈悲の一切無い獰猛な眼差しに変わる。
さあ、始めよう。
ルウィエラは、今まで擬態していた姿を解除する。その姿は相変わらず痩せてはいるが、魔力が下部にある程度貯まっていたことで目と髪の色が本来の色、所々紫の色が入った漆黒の髪と、白金の混ざる漆黒の目に戻ったのだ。
砂時計に似た形の魔力器の上部の魔力量を確認した。
約半分を超える量の魔力がさらさらと漂っている。括れの部分の魔力の塊を解し下部から円環状の多彩に組み込まれた魔力束を細長くして丁寧に上部に引き出していく。そして上部の魔力を流していき下部を魔力でいっぱいにして詰め込んだ。
そして左腕の袖を捲り腕輪を露わにする。禍々しく淀み輝く黒い腕輪に右手を添え、全神経を集中させる。
初めての全力での魔力操作となるが、今までの魔力との過程を共に歩んできたルウィエラにとっては、誰よりも信頼できる相棒で緊張など微塵も感じなかった。
「我に纏いし闇深く忌まわしき古の禁忌なる化身よ。時は満ちたり。我が魔の煌めきに乱舞し漆黒の檻から解き放たれ滅せよ。彼の者と其の血を繋ぎし全てに還り滅びの序曲を紡ぎ覆いつくせ。」
詠唱しながらその腕輪に円環状の魔力束を覆う。
その瞬間ブゥンと腕輪の深淵から、ぶちぶちと断ち切れる感覚と、暗色から始まり、徐々に眩い多彩な色の帯状の魔力が畝り狂い、腕輪が熱をもつ。
そして腕輪から立ち起こる禍々しい幾重の古の文字の形をした魔術束が渦となり天井突き破った。
ドォォォォン!と凄まじい破壊音と共に、屋根を優に超え曲線を畝り描きながら、向かうべき処へ誘われていった。
そして熱が引いた腕輪を見ると、古の文字に纏っていた色が全て元の石の漆黒色に戻っていた。
カツン……カラカラ…
離れの天井は殆ど消し飛ばされ、パラパラと残りの残骸が床に散らばっている床に、長年ルウィエラを苦しめてきた忌々しい腕輪が外れ落ちた。
ルウィエラは無表情でそれを一瞥する。
呪われた道具には呪い返しがあって然り。
呪い返しに多様な魔術を添えてお返ししよう。
アグランド家全員とそこに従事する全ての者に。
付帯させた魔術は、自決不可、病死不可、他殺不可、死罪不可、精神破滅不可、逃亡不可、邪心魔力消失、記憶忘却と盛り沢山だ。
自殺不可能、病気による死亡も不可能、他からの殺害不可能、法律で定められた死罪も不可能、精神が壊れ廃人になるのも不可能、住処周辺からの逃亡も不可能、邪な考えで行動しようとする瞬間に魔力が一時的に消失、そしてルウィエラとレウィナの『名前』だけを記憶から抹消。
母がルウィエラを想い名付けてくれた大切な大切な名だ。
あんな奴等に口から出されたくないし覚えていて欲しくもない。
大事な大事な母の名も然り。
でもルウィエラ達の記憶は残している。
それを思い出す度に苦しんで貰うためだ。
そしてシェリルとオーリス。
この二人は間違いなく同類の人間だ。
自分事に関しての善悪が判断できない類の。
だから邪心魔力消失が恐らく効かないと思ったルウィエラは、二人に『魔力器完全消失』を施した。
魔力器そのものがないことで、二度と魔力を持てないようにした。
そして枯渇で苦しむことがない分、何時か邪気が芽生えた時に魔吸収のように全身を針で刺すような痛みを付け加えた。
楽になんてさせてあげない。
死んだらそこで終わってしまうではないか。
心なんて壊させてやらない。
その生活を続けて、衰え死ぬその日まで悶え苦しめばいい。
これらを淡々と躊躇なく実行する自分は、きっともう何処か壊れてしまっているのかもしれないし、元々の資質なのかもしれない。
どちらにしろ私は私だ。
ルウィエラはワンピースのポケットから瓶を取り出して凝縮された魔力回復薬三本のうちの一本を飲み干した。凝縮されている分、苦味が口内に広がる。
円状の魔力束が何重にも精密に重ねていた為か、魔力束以外に使用した魔力は然程多くなかったようだ。魔力器内に新しい魔力が宿り上下併せてほぼ満タンな状態になった。
次は魔絆砕きの魔術だ。
これは魔力消費の予想がつかないし、本来使い手は命を懸ける位の高度な魔術であるらしい。だが、ルウィエラは命懸けで魔絆砕きに挑むつもりは微塵もない。
書庫から探した本の文献によれば、本来人外者と対になることはとても幸福になるといわれている。
だが、稀に既に伴侶がいるのに魔絆相手が訪れた時などに使うことがあるそうだが適例があまりなく、命懸けである事と併せて、それなりの代償もあるそうだ。
なので少ない文献からの方法と、自分の熟考した方法を組み合わせてみることにした。人間のルウィエラには魔絆の繋がりがはっきり分かるわけではないが、初めて会った時の、あの心地良い感覚がそうであるならば、それを無にするのだ。
念の為に、発動後に魔力識別阻害の魔術も併せてやる予定だ。
なんて人間に優しくない仕様だと思いながらも、やらない選択はない。
もう十分苦しい思いも辛い思いも嫌な思いも、したではないか。
これからは自分の為に生きていってもいいではないか。
苦しめるものは
優しくないものは
傷つけるものは
要らない
それがどのような恩寵でも。繋がりを断つことで代償があったとしても。
幸福にもならないそれを、そのままにしておくのはとても不愉快だった。
かといって、魔呪道具の仕様で気付かなかったということで、相手を恨むつもりもないし、そういう巡り合わせになり、お互い選択しての、この顛末だ。
一つ頷き、ルウィエラは自分の内にある膨大な魔力を操作しながら心地良かった魔力の固結と繋がりの破壊を、そしてその無効化と識別阻害の魔術を組み合わせを展開した。
「我が命と心に繋がりし幸福と慈愛の加護よ。我は汝との絆を欲さず。其れを漆黒の闇と強固な堅牢にて無に還そう。そして我が代償にて覆い尽くし滅せよ。」
その瞬間、魔力が根底から噴き出して蜷局状に舞い上がりルウィエラを包む。穏やかで慈しむような柔らかい温もりを帯びる魔力の渦が旋回しながら色彩が徐々に冷たい暗いものに変化していく。
そして包むようにルウィエラを覆っていたそれらがパキと何かが割れたような音がを感じたと同時に光る粉のようにパキンパキンと粉砕されていき、同時に心臓の一番中枢の部分がブツンと千切れる感覚に見舞われた。
それが魔力消費と重なり上部全てと下部に渡りごっそり抜けて立っていられず膝をつき両手で体を支えた。
はあはあと息が乱れ、直ぐにあの心地良かった感覚を追ってみるが、消え失せていたので恐らく成功したのだろう。
だが、思った以上に魔力を消費したので、ルウィエラは震える手で残りの二本の瓶を取り出し苦味に臆することなく次々に飲み干した。下部はいっぱいになり上部に少し残る位まで回復したので、次にいけそうだ。
最後に覚えた魔術は転移の応用だった。
一度だけ確認の為、シンプルな転移を井戸の場所から離れまで試してみて確認済みだ。
人間では高魔力保持者でもなかなか修得が難しいと言われている転移は、一度行ったことがある所や、転移門からしか行けないが、日記に記されていたレウィナの特等の魔術は大体の地域の位置と遠隔透視と索敵の魔術を応用してその周辺まで転移できるという優れものだ。
だが、あまりに遠いと上手く行かず、思いもしない所に転移してしまう可能性があるので、常用はしない方がいいだろう。
ルディの方はかなり遠い所に居るのか、位置が把握しきれなかったので、確実性を考慮して先ずは比較的近いキックリの方に決めた。
日記に書いてあったキックリの外見の概要を思い出しながら、ルウィエラは呼吸を整え転移の魔術の展開を組み始め目を瞑った、その時だ。
バタン!と蹴破る凄い勢いで扉が開いた。
目を開け扉に向けると、そこには癖のない紫がかったシルバーブロンドの髪を振り乱して急いでここに来たという風情の、濃紺の軍服仕立てを見事に着こなしている人外者が立っていた。
サリトリ―はルウィエラを見つめ愕然と目をこれでもかと見開いている。
それを排他的な眼差しで見ていたルウィエラは、魔絆が消えたからわざわざ確認しに来たのかなと首を僅かに傾けた。
「…………ま…さか…」
サリトリ―が戦慄く声で呟いた時、転移魔術の展開が終わりルウィエラは僅かにでも魔力が残りますようにと祈りながら目を瞑る。
「待っ……!」
術が発動され、ルウィエラが立っていたその場所に僅かな風だけが舞う。
その場には立ち竦んでいる人外者が一人取り残された。




