魔絆の相手
身震いしてルウィエラは目が覚めた。あれから一晩経ってしまったらしい。
(あれだけ吸い取られればね……)
両腕を擦りながら空を見ると、陽が昇り始め明るくなってきている。
夜通し外に居たので体調を崩すだろうと覚悟していた。しかし、首や体を動かしてみても倦怠感や節々の痛みはなく、昨日根こそぎ奪われた魔力の喪失感は、まだ残っているが思ったより状態は良かったので首を傾けた。
(あれだけの魔力喪失と、かなり冷える外に一晩いたのに何故だろう……あ、紅い鳥!)
昨日の記憶を辿って紅い鳥の存在を思い出したルウィエラは、パッと周りを見渡すが、紅い鳥はどこにも居らず、寄り添ってくれていた腕も冷えていた。
(どんな理由で側にいて触れてくれたのかは分からないけど……偶々今回がそうしてくれただけで、次もあるわけではない。私には、私しかいないのだから。)
それはルウィエラがレウィナの日記を読んでから、湧き上がる様々なものを、まだ幼く動きづらい感情なりに色々考えて出した意志だ。
元々頼れるものは皆無だし、これからもないのだろうと当然考える。流され諦観してきた今迄のことに卑屈にならずに、この先は自分の為に前向きでありたいのだ。
とはいえ、昨晩寄り添ってくれた紅い鳥のおかげで、あの悲惨な場と枯渇の苦痛が取り除けたことは幸運と思って感謝しよう。
ルウィエラは井戸から水を汲み桶から掬って冷たい水で喉を潤す。思っていた以上に喉が渇いていたようで桶の半量以上を夢中で飲み、桶を戻し離れに戻った。
ごっそり魔力を持っていかれたので、今日は体を休めながら頭の中で手を付けようとしていた錬金術の仕組みを振り返ろうとベッドに横になった。
陽が落ちる少し前に離れの扉がバンと開いた。
「あ、居たわね!昨日サリトリー様がお帰りになった後に来たのだけど居ないのだもの!ずっとあの井戸に居たの?あら、そういえばお母様には具合が悪いみたいで井戸に居るわって伝えたのだけど、誰も寄越さなかったのかしらね?まあお母様もそれどころではなかったかもしれないわね、うふふ。」
伝えたのが、よりにもよっての相手では折檻以外の目的ではまず来ないだろう。
シェリルは両手をパンと鳴らして満面の笑みで左右に身体を揺らしながらルウィエラを見て歌うように話しかける。
「そんなことよりも聞いて!とても素晴らしく嬉しいことがあったのよ!サリトリー様がね、私はサリトリー様の魔絆の相手なのですって!対よ!伴侶なのよ!あの時、私を見て驚いていらっしゃったでしょう?その時に魔絆に気付かれたみたいで、お父様に報告した後に聞かされた時はあまりの嬉しさに失神しそうになったわ!一緒にいらした宰相様も吃驚されていてお父様なんて大きな口開けて呆然とされていたわ。ふふ、あんな表情のお父様を見たのは初めてよ。サリトリー様が私と共に居たいって仰って下さったのよ。私、昔からサリトリー様に憧れていたから……感動して泣いてしまったわ!……私、サリトリー様のお嫁さんになれるの!妻になるのよ!こんな幸せなことってないわ!」
そう言いながら左右に揺れるだけでなく、今度は回り始めて淡い黄色のドレスがふわりと舞う。
「でも私まだ13歳でしょう?そしたらサリトリー様が人間の成人の16歳まで待って下さるっていうの!人間の形式に合わせて私の16歳の誕生日に婚約式を、その一年後には結婚式よ!人間の立場を慮って下さるなんてお優しい方!その間はお互いに時間を育んでいこうですって!ああ、本当に幸せでどうにかなりそう…明日にでも一緒になりたい…でも今は我慢しなきゃだわ。残りの三年間、サリトリー様に相応しくなれるように、もっと魔法と魔術の勉強をして、淑女教育にも精を出して……ああ、これから忙しくなるわね!あなたも私の魔力の為にずっとずっと元気でいてもらわなきゃね!頑張って沢山貯めてね!私も頑張るわ!じゃあね!」
相変わらずルウィエラの返答を欲していないシェリルは満足して去って行った。
魔絆。
ルウィエラは書庫で人外者についても調べていた。
魔絆とは、人外者のみに感知できる人間だけに対する、唯一の絆である。己と繋がる魔力の繋ぎを感知する相手が現れると、それはとても狂おしい程の愛情と育み、相手の魔力がとてつもなく心地良く感じ、無上の幸福に満たされるという。
人外者は基本子を成すという概念がなく、詳しくは記されていなかったが、後継者や同志を種族特有の魔力を使い、種族毎の特異の資質によって創り出すそうだ。それを家族、一族や仲間などと称する人外者もいる。
だが、魔絆の相手に限ってはどのような世界の理なのかは不明とされているが、低確率で子を成せるという。そしてその子供は稀有な能力を持って生まれることが多い。
しかし魔絆に出逢う確率は滅多になく、且つ人間には殆ど感知できない為、なかなか稀なことらしい。それに魔絆の相手に出逢えたとしても、必ずしも人間側が心を通わせるとは限らないのだ。
母にとって魔絆の伴侶であるルディとはきっと心を通わせて愛を育んだのだろう。とても幸せだったのだと記されていた日記からも感じていた。
ルウィエラはサリトリ―に初めて逢った時のことを思い出した。
サリトリ―は魔絆を感知した。
そこには二人の少女が居て。
一人は美少女に相応しい新緑のドレスを纏い、ミルクティー色の艶がある柔らかそうな髪と血色の良い顔で微笑み、ルウィエラの魔力を豊富に纏っていたシェリル。
もう一人は生成りの使い古したワンピースを着て、ちぐはぐな長さのくすんだ灰色の髪と青白い顔で石垣に凭れ、枯渇していた僅かな魔力のみのルウィエラ。
「君」と「お前」
「シェリル嬢」と「奴」
サリトリ―の視線の温度差
そして
彼は魔絆ではない方の手を取り選択した。
そして今シェリルから婚約の話を聞かされて。
ほんの僅かだけ
ほんの一瞬だけ
魔力が心地良く感じた人ならざる者
そこからの失望と諦念
ルウィエラは出逢った時にドキドキしていた胸元を両手で覆う。
そしてゆっくりと呼吸をしてから、一つ頷く。
レウィナとルディの魔絆の繋がりはきっと強いものだった。
そして、ルウィエラとサリトリ―の魔絆の繋がりは脆かった。
そういうものなのだと受け入れた。
そう自分に言い聞かせるように反芻しているとスッと心が凪いだ。
凪ぐ前に、僅かに何かに荒ぶりそうになった心の動きをぐしゃっと潰して、育つ筈の感情に背を向けしっかりと蓋をして頑丈な鍵をかけた。
それからルウィエラは、以前にも増して学びに励んだ。先ず自分の魔力を特定されない魔力識別阻害の魔術を会得することに没頭した。
魔力器の上部の魔力がある程度溜まると、魔力を選別しながら下部に少しずつ送る。そして覚えた魔術や錬金術を学び、魔力を使い個々の精度を上げていった。そして吸収されるであろう魔力量を残す。ある程度残しておかないと枯渇状態はなかなかに辛いのだ。
またある日は井戸に出向き、井戸の周辺に生えている草の中から小さな水色の花を咲かせている雑草を根っこから幾つか引き抜いた。
これはこの国ではどこにでも生えている一般的な雑草と分類されている花なのだが、根の部分に極々僅かな魔屑素材を含んでいると錬金術の本から学んだ。といっても本来この雑草で錬成されることはまずない。錬金しても採れる素材は微々たるものであるし、万人が知る、ある程度の魔草は近辺の森に生えていたり魔草専門の店などに売っているからだ。
しかしルウィエラの場合は、離れから井戸までしか行けないし、もし出歩いてアグランド家の者たちに知られ、これ以上制限をかけられたり、万が一にも他の術で縛られては堪らない。ルウィエラはその根っこを井戸水で洗い、離れに戻って地道に錬成に取り掛かる。
根っこから魔屑素材を抽出すると、その花はさらさらと砂のような粒子になり消滅して跡形も無く消えていった。自分の魔力の中から水色と透明がかった金色を選び、混合しながら撹拌して錬成していく。
それを井戸近辺にある、これも僅かな量しか抽出できない小石の魔屑素材から作った、初めはとても歪な形ばかりしか作れなかった小さな瓶の入れ物に、貯めていた同じ液体と混ぜていき更に凝縮させていく。
雑草しかないのなら、極微量に採れる魔屑素材を何度か重ねて濃縮させていけば、効果は少しずつでも上がっていくのではと、試行錯誤を繰り返してようやくある程度の濃度になり、魔力回復薬なる物を作ることができるようになった。
それは何度かごっそり魔吸収された時に、試し飲みしてみたら上部の器の半分近くまで回復できるまでになったことは実証済みで、今後必ず必要になるものだ。
それから約三年の間、サリトリ―は多忙を極めない限りは、一週間に一度訪れていたらしい。その日の直前にごっそり魔吸収されることが多く、その後、高確率でシェリルが何かと報告に現れるのだ。内容は「この前一緒に素敵なレストランでディナーをしたのよ!」とか「我が家の庭園の好きな花の話をしたら翌週その花の亜種の花束を持って訪れて下さったの!」とか「昨夜催された夜会でね、皆が私のことを美しさに磨きがかかったとか、より聡明になったと褒めてくれたの。きっとサリトリ―様に愛されて、私も相応しくあろうと頑張っている成果かもしれないわね!」など。
だが、その気紛れな訪れは今後の予定も話すこともあったので、その前後の魔力配分を注視できるようになったことは僥倖だった。
そして来るべき日の為にルウィエラは着々とやるべきことを進めて行った。
ここから外に出る為に。
彼等に報復を施す為に。
自分が自分で在るために。




