邂逅
月日が経ち、ルウィエラが13歳になったとある日のことだ。
日暮れ前に井戸へ水を飲みに赴き、井戸の直ぐ手前で、左腕に熱の衝撃と激痛が襲い、ドクンと魔力が吸い取られる。
その場に膝を付きながら這いつくばりながら何とか進み、石垣に手を掛けたところで力尽きる。
(いつもより、多く奪われて…これ以上は………!)
急速に大量の魔力が吸収されていき、体がついていけず手足の先が麻痺するような感覚に陥り、石垣に両腕をなんとか乗せて伏す様にして、勝手に指が力んで腕に爪が食い込みそうになるのを抑え、ヒューヒューする喘鳴を整えようと努める。
(上の器部分に殆ど残っていない…。目の前に井戸があるのに…水を飲む以前に動くことすらすぐには無理そう…)
魔力をほぼ根こそぎ持っていかれたのでなかなか息も整わず、目を瞑りながら息苦しさを逃がそうと試みていると、すぐ近くで芝生を踏みしめる音と生き物の気配がした。
(……………誰?)
目を開けるのも億劫だが、何とか開いてみると、そこには背の高い男性がいた。
胸下辺りの長めで癖のない真っ直ぐな髪は、太陽の光によって所々紫にも見えるシルバーブロンドで、藍色のリボンで左に緩く結ばれている。
濃い紫色と漆黒が混ざった瞳は艶やかで、切れ長な目尻が、より男性らしい鋭さを際立たせている。形の良い高い鼻梁と薄い唇の配置は完璧と言える程の美貌だった。
その全貌をみると男性にしか見えないのだが、どこか精巧過ぎて人間らしくない。
それがルウィエラが彼を見た第一印象だった。
冷徹な眼差しと残酷なまでの美しさを放つ美貌、重圧な気配のその姿に、人間味溢れる箇所が一切備えられていない。銀の縁取りと裾に同じ銀色の美しい刺繍が施された濃紺の軍服のような服は、背が高く足の長いこの男性の為に誂えたかのようだ。
僅かに落ち着いた心臓が今度は違う形で何故か苦しくなる。
(綺麗な人。でも…それ以上に魔力がとても重たい。それが原因なのか…また息苦しくなってきた。)
心臓がドクドク脈打つのと併せて、この男性はかなり無尽蔵な魔力の持ち主なのか、底知れない量を感知させ、重圧感があると同時に穏やかさも感じて、重い気配なのに心地良く感じるのだ。
ルウィエラはその相反するものが何なのか理解できずに、ようやく少し動くようになった腕で胸を押さえる。
なんとなく分かることは、この男性は恐らく人外者なのだろうと思う。
「…………お前は」
その男性が低く落ち着きのある声で呟いた。
お前とは私のことをだろうかと思いながらも、疲労困憊のルウィエラにはそれ以上顔も声も上げられず、それでも何とか声だけでも出そうと思った時、
「サリトリー様!」
離れの方からシェリルとお付きの騎士がやってきた。
「君は……」
「はぁはぁ…御見かけして思わず走ってしまうなんて、はしたない姿を晒してしまい申し訳ございません。私はアグランド伯爵家が娘、シェリルにございます。」
ミルクティー色の髪の毛をふわりと揺らし、新緑のドレスを纏ったシェリルは、息を整えてから綺麗にカーテシーをした。
「本日、我がアグランド伯爵家に宰相様と相談役サリトリー様がお立ち寄りになると父から聞いておりまして、是非ご挨拶にお目通りできればとお待ちしていたのです。そしたら御者の方が急にサリトリー様がこちらの方に向かったと聞いたので、宰相様と父に断りをいれ、お迎えに参った次第ですの。」
ようやく息が整いつつ可憐な微笑みで話すシェリルは、サリトリ―という名の男性を迎えにきたようだ。
そのサリトリーは僅かに目を見開き少し首を傾げてシェリルを見つめている。
「あの…?サ…あ、申し訳ございません!許可を戴いていないのに御名を…相談役様?」
「………その魔力は」
「え?」
サリトリーは何かを希う眼差しでシェリルを見据える。
「その魔力は君のものだったのか?」
「相談役様?」
「…いや、サリトリーでいい。シェリル嬢といったか。君の魔力は…」
「?…はい、サリトリー様。私の魔力が如何なさいましたか?」
「その魔力は私の…いや、ここではなく屋敷の方で話そう。それと伯爵に話がある。それとこの娘は一体…」
そう言われ、シェリルは「ああ…この子は…」と少し言葉を濁すようにして、困ったように少し微笑んだ。
「我が家の恥となる事柄なので、ここだけの話にしていただけると助かるのですが……実は昔、私の父が平民の女性に誑かされてしまい…その時の子供で…その女性は産んだ後に亡くなったのですが、私の母がいる手前、妾として認める訳にもいかず、父は慈悲を与えてあちらにある離れに。私も幼い頃は仲良くしようと外へと誘ったこともあるのですが、強く拒否されてしまい……」
シェリルは少し俯きながら憂いを帯びた顔をした。
「それからも話しかけてはいるのですが答えてくれることはなくて…食事も届けてはいるのですが、残すこともあって…水を飲む目的に他にここに来るのは彼女なりの気晴らしもあると思うのです。」
すらすらと話すシェリルを見てルウィエラは素直に凄いなと思った。
シェリルからしたら『嘘』は言っていないのだ。
一度だけ外に誘われた時の「行きません」の言葉も、ルウィエラからしたら折檻を受けるからの理由であるが、彼女からしたら「強い拒否」となるのだろう。
話しかけられたとしても魔吸収受けた直後であったり、こちらの返事を必要とせず、言いたいことを好きなだけ話して、満足して去ればそれは彼女にとっては「答えていない」ということになる。
食事も魔吸収の後は吐き気を催したり、気絶して摂れない状態になれば次の日に運んできたメイド達はルウィエラの分際で残すなんてと思い、報告するのだろう。
どれもシェリルからしてみれば、そう思ったと解釈すれば、それは彼女にとっての真実となる。そして言葉と表情を巧みに使い、相手が彼女の思うように解釈させるように誘導しているのだ。
彼女の今までの行動、言動から省みると恐らく無意識だろうと思うと末恐ろしい。
それ以前に彼女自身が本当に真実だと思っている可能性も高いが。
サリトリーの方を見ると案の定ルウィエラへ軽蔑の視線を向けた。
「そうだったのか…恩を仇で返すとは…それとこの娘の魔力だが…」
その時だった。
「っぐ…!!」
ただでさえ枯渇している状態での連続の魔吸収に体にドンと負荷がかかる。ズズッと魔力が抜き取られる悍ましい感覚に堪らず支えていた両腕に顔を埋めて歯を食い縛る。
ほぼ上部の僅かに残っていた魔力が根こそぎ持っていかれ、塊の部分が解けそうになったので数本手放して残りの塊をより固めて必死に抵抗した。体が震えバラバラになりそうな痛みに思わず腕にぎりぎりと爪を立てる。
「あら、また魔力が減ってしまったのかしら。待って、今助けるわ。」
心配そうに声を掛けたシェリルはルウィエラの側に寄り、傷一つない綺麗な手を震える肩に置いた。じわっと僅かに魔力が送られる感覚があるが、直前に取られた半分にも満たない。
息もまともに出来ずにヒューヒュー音をたてる。そんな状態に場違いな優しい慈愛に満ちた声が落ちる。意識が朦朧としているが辛うじて目を向ける。
「これで少しは楽になったかしら?まだ覚えたてだから少ししか送れなくて…そんな怖い目で睨まないで。ごめんなさいね……」
「譲渡してもらって睨むとは…見下げた奴だな。」
「サリトリー様、いいのです。お気になさらないで下さい。魔力が足りない時はこうやって魔力を時々…ふふ、魔力譲渡の魔術をやっと最近覚えたのですがまだまだですね。もっと精進しなければ。」
ルウィエラには凍えるような冷酷な視線を向けたサリトリーは穏やかに微笑むシェリルに対し目元を僅かに柔らかくして答える。
「二人の魔力が同じだと思ったのだがそういうことだったのか。気にかけているのだな。」
「いえ、私にはわからぬ苦しみですから、せめてこれ位……あ、サリトリー様、屋敷の方でお話があると仰っていましたよね?ご案内致します。こちらには誰か寄越しましょう。さあ、どうぞ。」
「ああ。」
そう言って二人は騎士と共にこちらを一瞥すらせずに去って行った。
ルウィエラはヒューヒュー鳴る喘鳴を必死に整えるよう努める。なかなかに苦しい状況に震えが止まらず声が漏れそうになる。
暫くは井戸の水も汲めそうにない状態であり、突っ伏していた顔を横に向け、新鮮な空気を取り込んで少しは楽になるように願いながら何度も何度も呼吸をして整える。
すると何処からともなく羽ばたきが聞こえた。息がまだ乱れたまま顔をゆっくり少し上げて目も開けると、そこにはあの紅い鳥が石垣に留まりルウィエラを見ている。
(…また…会えた。)
相変わらず綺麗な鳥だなと思いつつ、今は何もしてあげられそうにない。当然井戸の水も汲めないので水をあげることもできないなと、ようやく少し整った呼吸の合間になんとか声をかけてみる。
「…水…ほ…しい…?まだ…動けそう…に…ないの…」
何とかそれだけ話すと紅い鳥は驚いたように目を丸くした。
ルウィエラはそこでもう目が開けていられずに閉じてしまう。再度呼吸を整えようと試みていると、ふと腕に温かいものが触れる。
冷えた腕にじんわりと優しい温もりが宿る。何だろうと瞼に力を入れて開けてみると目の前には深紅と赤い色の羽が見える。
(…え、触れている…?)
紅い鳥は、ルウィエラの腕に体を寄せ、少しだけ腕に触れている状態だ。そこからほんのり温い温度が伝わり、なんの感情が動いているのか、ルウィエラはほわほわと揺れる心の底も一緒に温くなる不思議な感じに視界が僅かに滲む。そして意識が徐々に薄れていく。
目が覚めた時にはこの紅い鳥は居ないかもしれないから、せめてこれだけ。
「大丈夫だよ、あり…がとう」
その言葉だけをなんとか紡ぎ、ルウィエラは意識を手放す。
腕に残る温もりに魔吸収で軋んだ胸に微かに安らぎを感じながら。
その後シェリルが誰かに声をかけたかは分からないが、誰も訪れた様子はなかった。




