隠されていた日記
翌日、外が白み始めた早朝にルウィエラは目が覚めた。
まだ倦怠感は残っていたが歩けない程ではないので井戸に向かう。
歩きながらルウィエラはふと左腕を見つめた。肘下まである袖のおかげで腕輪は見えないが、触れるとしっかりと填まっていて上下にすら動かせない。
シェリルが食事を多めに運ばせると言っていたが、それで魔力を蓄えても持っていかれてしまうならルウィエラは辛いだけではないか。
とは言え、食べずに吸収されて枯渇状態になるのは危険であるし、どちらにしろあの痛みと血が引くように魔力が吸い取られる悍ましい感覚は避けられないと思うと憂鬱になる。
井戸の水を腕に垂らし滑りを良くして取れるかと試してみたが、びくともしない。填められた時にきゅっと縮まった感じがしたので、恐らく填めた相手に合わせて変形でもするのだろうか。
少しがっかりしながら戻ると三個に増えたいつもの固いパンと、いつものスープが乱雑にトレーに置かれていた。
(私は魔力製造人間か)
ルウィエラは味のしないパンをスープで浸しながら黙々と食べた。
固形物を食べる時期からこんな生活をずっと続けているので、食に関しての興味は皆無で、お腹に溜まれば良い。尚且つこんな痩せ細った体の胃は当然小さく、実際二個目の途中でスープは無くなり、お腹も一杯になってしまった。
『普通の人間』は一日三食らしいから、空腹を感じたらまた食べればいい。
あの吸収の衝撃がいつ何時襲来するかわからないから、今のうちにあの本を読んでおこうと、ルウィエラは引き出しの二重底を開け、くすんだ黒い表紙の本をだした。
ベッドから下りてベッドサイドに背を付けて床に座り込む。もしあの激痛が訪れてもすぐにベッド下に隠せば、その後誰かがきても見つからずに済むだろう。
そしてルウィエラは表紙を捲り、文字の羅列が今の自分には殆ど理解できることを確認して読み始め、直ぐに気付いた。
「これは……日記?」
その黒い表紙の本は、ルウィエラの母、レウィナの日記であった。
《4月9日
ここに攫われてきてから何日経ったのだろう。
キックリお婆は普段からあんな悪態つきながらも絶対に心配しているだろうな。
しかも薬屋の買い出しの途中だったし。
それにしてもあいつめ!オーリスと名を呼べと言っていたけど誰が呼ぶか!
買い物に時間が掛かってしまったから裏通りの人気の居ない所で転移使おうとしたら、急にあいつに手を掴まれて、ずっとこの時を待っていたとか恍惚とした顔でいうものだから、もの凄く気味悪かった!
私は魔術を展開する前に魔封じの腕輪填められて、近くまで寄せていたらしい馬車に押し込められた。
え、何なの?
明らかに貴族風の男が人攫い?
この辺ではこんなことが罷り通るの?
直後に強力な眠りの術を施されて気付いたら知らない部屋であいつは私を好き勝手弄んでいた。
気持ち悪くて気が狂いそうだったけど、帰せと喚いて暴れても体が思うように動かなくて、あいつは私だけを寵愛してやるのだからここにずっと居ろと宣う。
心の底から何様だと怒鳴ってぶん殴ってやりたかったし、ありったけの魔術でぼこぼこにしてやりたいのに使えない。
それでも暴れていたら急に腕輪が熱くて痛くなって体中に激痛。
ブツンと意識がなくなった。
それから毎日毎日あいつが来るたびに暴れて腕輪が熱くなって痛くて苦しくて力が抜けて、あいつは君が分かってくれなくて暴れるから仕方なくなんだよとか吐かして腕輪をなぞりながら私を好き勝手するんだ。
何度も逃亡を試みようとしたけど、この離れの扉には外からしか鍵が掛けられない様になっているしその扉と窓には防御強化の魔術がかけられているし、屋敷全体には逃亡防止の魔術まで。
帰らないといけないのに!
私を待っているルディがいるのに!
魔絆の最愛の伴侶が!
ああ、ルディはきっと私を血眼になって捜しているだろう。
何度汚されても絶対ここから逃げ出してやる!
それと机の引き出しにあったこのノートを日記として記していくわ。
あいつの非道な行いの数々を。
そして私の気持ちの拠り所とする為と己の心が折れずに常に奮い立たせるために。》
《4月14日
信じられない。
有り得ない。
これはただの魔封じの腕輪なんかじゃなかった。
見たこともない古の文字。それに魔吸収が施されている。
禁忌と言われている魔呪道具だ。
苦しくて痛くて力がごそっと抜ける感覚がとても悍ましい。
所持しているだけで重罪に問われ、使用したら一家諸共破滅だ。
あいつはこんな物騒な物を私に嬉々として填めたのだ。
罪悪感の欠片もない悦に入った表情で。
しかも、他に認識阻害と自決不可まで重ねて掛けられてあった。
正気の沙汰じゃない。
そしてこの前タチアナっていう正妻と名乗る女が私に会いに来た。
奥さんがいるのにあいつはこんなことしているとか最悪!
全てにおいて悪いのはあいつなのに何故か相手が浮気をすると浮気相手に怒りの矛先が向くのって何故だろう。
案の定、彼女は憎悪を滾らせた表情でこれでもかと罵詈雑言の嵐。
私はあいつに無理矢理連れて来られて監禁されている事実と、罵倒された分を倍返しで言い返してやろうと思ったら、あの男以外と話せない箝口魔術までかけていた。
悪魔か!
今のところ私に為す術はない。
認識阻害のせいで、ルディは私を捜せないだろう。
急に私の魔力が消えて捜しても見つからなくて泣いていないかしら。
どれだけ彼の身体と心に負担をかけていることだろう。
とても強くて優しくて私の気持ちを慮ってくれて、
私と喧嘩したり私を怒らせたりするとうじうじと泣く愛しいルディ。
彼が二人の家に二人で寄り添って座るソファに一人で途方にくれている姿を思うと胸が潰れそうになる。
何が何でも逃げる方法を見つけなければ。》
《4月17日
夜遅くにあいつがまた来たから暴れてやった。
奥さんを大事にしろと怒鳴ったら、タチアナとは政略結婚で愛は全くないから安心していいだって。
寧ろ不安と不満と軽蔑しかないわ!
それで余計暴れたら、魔吸収発動されて好き勝手された。
寵愛なんて耳障りの良い言葉を理由に掲げて、一人の感情ある人間にこんな非道な仕打ちがあっていいのか。
心が伴わない一方的で強制される交わりは虐待に他ならない。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
私はあいつの都合の良い人形なんかじゃない。
何で私なの?
こんな日がずっと続くの?
なんでこんな惨いことができるの?
逃げたくたって手段を全部奪われて何もできない。
死ぬことさえ許されない。
色々模索しても数々の術のせいでできない。
こんなになった私をルディは赦してくれるのだろうか。
どれだけ怒られても泣かれてもいいから会いたい……》
《7月9日
ここ数日体調が悪くて嘔吐を繰り返していたから、アグランド家お抱えの医師に診察を受けさせられた。
ご懐妊おめでとうございますだって。
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。
あいつは大喜び。
これでずっと離れられないなと宣った。
あいつは異常者だ。
でも私は何もできない。
魔力を絶妙に加減されて吸収していくのだ。
でも。
医師が言うには妊娠約三ヶ月位だそうだ。あいつに攫われてからも約三ヶ月。
ならば。
ルディとの子供の可能性も残っているのだ。
魔絆の対ならば低確率だが子を成せる可能性がある。
そうであればどんなに幸せなことか。
心が壊れかかったけど、そんな暇はない。
出産経験がないからわからないけど、前にキックリお婆がある程度お腹が大きくなった時に、胎内から感じる魔力の中に相手の魔力が交じっていることが認識できると言っていた。
もしそれであいつの魔力を感じたら私は…壊れるかもしれない。
あいつは私に伴侶がいることを知らないし、言ったこともない。
あいつから聞かれた事もない。
きっと多分そんなことはどうでもよくて、どちらにしろ逃がしてくれることもないだろう。人を攫って閉じ込めて封じ込めてしまうくらいの人間だから。
本当にあの日に裏通りを選んだ選択肢が悔やまれる。
不条理な現状に心が疲弊していくし泣き叫びたくなる。
でも絶対に負けないし心の一欠片もあいつには渡さない!》
《7月27日
あれからあいつが毎晩やってくる。
私の食欲がなくて痩せて体力が落ちてしまったから心配で仕方ないのだと。
どの口が言っているんだ、元凶のくせに!
あいつの頭はまるで狂っている。
私が罵っても暴れても照れているだけだと本気で思っているのだ。
全てはあいつのせいなのに、あいつは私に自分を真正面から愛さないからいけないのだよ、と宣いながら医師から安静と言われた私を好き勝手できない分、毎晩抱き込んで眠るんだ。
貴族というものはこんなにも傲慢なのだろうか。
それともあいつだけが異常なのか。
怒りと何もできない情けなさで踏ん張っている心がバリンと砕けそう。
傍にいるのがルディであったならば。
子を授かった私のことを心配し過ぎるくらいに大事にしてくれて、
いつも一緒に寝てくれて心身共に包んでくれただろう。
そうだったのなら、なんて素敵な時間で幸福な日々であったのだろう。
そう思うと滲むものが出てくるが、耐えて我慢する。
ルディの元へ戻った時に涙腺決壊させてわんわん泣きたいから溜めておく。
負けない。
絶対に負けない。》
《10月22日
ああ!神様!
私が攫われた時点で信じなくなっていたけど!
今日だけは感謝するわ!
なんて素晴らしいことか!
胎動を感じるようになってから少しずつ子供の魔力を
感知できるようになってきた。
そしたら!
私の魔力に交じってルディの魔力が感じられたの!
こんなに嬉しいことはない!
生まれてくる子供は私と愛するルディの子なのだ!
そして感覚だけだけど女の子だと漠然と感じられた。
間違いなく世界一可愛くて愛らしいに違いない!
守らなければ。
私が守らず誰が守るのだ。
私はこの愛しい子の母様になるのだから!》
《11月3日
あいつが子供が生まれたら直ぐに乳母に任せるとか言い始めた。
二人の時間が少なるからって。
冗談じゃない!
あいつとの時間なんて苦痛以外に何ものでもない!
でも魔封じと魔吸収されている私では太刀打ちできない。
あいつと交渉しなければ。》
《11月6日
あいつと話して臨月に入ったら魔封じと魔吸収を一時的に取り除かせることに成功した。何か遭った時に自分で魔術が使えないと命取りになることと、出産には膨大な魔力を消費するから、腕輪を付けていたことで死んでもいいのかと脅したら渋々了承した。
その代わり認識阻害と自決不可と箝口と逃亡不可の魔術が組み込まれた違う腕輪を付けることが条件だと言われたが。
気持ち悪い!
でも私は潮らしく対応しておいた。
魔封じと魔吸収さえなければどうにでもなるはずだ。
出産したら何としてでも脱出してルディに会いに行くんだ!》
《12月22日
愛しいわが娘へ。
あなたの名前が決まったの!
本当はルディと決めたかったのだけれど、生まれる前から名前で話しかけたくて。
私、レウィナの名前と最愛のルディの名前から一文字ずつとって
ルウィエラよ!
愛称はルウィなんてどうかしら?
ああ、名前を付けたらより愛情が増す感じがするわ!
もっと早くに名付けておけば良かったわ。
そうそう、あいつが勝手に名前をつけようとしたから、ルウィエラって決めているから!って叫んでやったわ。
あなたの名前を教えるのも勿体ないけど勝手に名付けられてはたまらない。
あいつは父親なんかではないのだから。
ざまあみろ!
早くここから逃げて三人で暮らしたいな。
…でもルディはこんなことになった私を受け入れてくれるかな。
もし彼が耐えられないならルウィエラを私が一人でも幸せに育ててみせる!
…でもやっぱり三人で幸せに暮らしたいな。》
《1月27日
あの正妻がまた訪れた。
私と同じくらいお腹が大きくなっていたのには驚いたわ。
またここに書くのも憚られるくらい汚い言葉で罵倒していたけど私には何の効果もない。煩い騒音だな、くらい。
何故なら大嫌いな相手の奥さんに何言われても何とも思わないし憐れにすら感じる。
箝口魔術のせいだけど何も言い返さないのがお気に召さなかったようで、私に向かって手を振り上げてきたから迎撃してやった。
といっても振り下ろされた手を払っただけだけれど。
一応相手も妊婦だしね。
よろけて侍女に支えられて凄い形相で睨みつけていたわね。
でも、その時振り降ろした手に填めていた指輪が当たってチクッとした痛みがして、手に小さな傷がついた。
地味に痛い。
穏便に済ませず、往復ビンタの往復でも食らわせておけば良かったわ。
魔法あたりで攻撃されるかもと思ったけど魔力器が小さいみたいで最低限の魔法しか使えないってあいつが言っていた。
それにしても八つ当たりなんていい迷惑だわ。》
《2月2日
ここ最近体調が思わしくない。
なんだか魔力の溜まり方が異様に遅い。
今の時期はそういうものなのか聞いたら、そういうことは聞いたことないけどお腹の子には問題ないと医師が言っていた。
もうすぐ臨月に差し掛かるから魔力不調のままだと出産が心配になる。
これ以上体力が低下したら困るとぐちぐち言ったら渋りながらもあの忌まわしい腕輪を外した、瞬間に新しい腕輪を付けられた。
気持ち悪い。
でも魔力が使える感覚を取り戻して久々の解放感。
魔力が少ない状態が続いたから先ずは貯めることに専念しないとね。》
《2月4日
腕輪を付け替えてから二日経っているのに、思った以上に魔力が溜まらない。
体もまだ少し気怠い感じがする。
何でだろう。
禁忌の後遺症とか?
でも外した場所を鑑定魔術しても残滓は残っていなかった。
身籠っているから?
これだと出産の時に多分耐えられない。
耐えられなくてあなただけ残すなんて絶対に嫌だ!
ルウィ、母様は頑張るからね!》
《2月12日
あの憎たらしい正妻め!
あいつと同じような魔呪道具使って私に呪いをかけるなんて!
全くお似合いの夫婦だこと!
前に手を挙げられた時のチクッとした痛み。
傷が消えても鈍い痛みがなかなか消えずにまさかと思って鑑定したら呪いとか!!
一定間隔で少しずつ魔力を削っていく地味に嫌な呪いだ。
でも今の状態の私には、致命的になりかねない酷な嫌がらせだ。
あの時手を払うなんて情けなんてかけずにグーで殴って回し蹴りもセットでやっておけば良かったわ!
ルウィ、母様はそれでも負けないからね!
ルディとあなたに会うために頑張るからね!
でも、ね。
万が一の状況に陥った時に、何もせずに後悔だけはしたくないの。
だから保険をかけておくことにするわ。
保険は大事!
臆病でも慎重であるなら良いの。
やることを放棄して、いざとなった時に手遅れなんてなるくらいなら臆病者で上等よ!
母様は魔術と錬金術が得意なの!
母様直伝の屈指の術をここに沢山記しておくわ。
それにあなたにもこれでもかと保険をかけておくわ!
その為には集中して魔力を蓄えないとね!
あいつらに目にものをみせてやるんだから!!》
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《3月3日
一昨日、正妻に子供が生まれたらしくて苦心して溜めておいた魔力を出産直後だったからか、ごっそり持っていかれたわ。
自分の持ち分の魔力と気合で何とかしてみなさいよ!
ルウィ、直接ではないし効果は薄いかもしれないけど、なるべく継続できるように胎内の外側から防御強化と治癒促進の魔術をこれでもかと重ねておいたわ。
魔力吸収される前で良かった、後悔なんて微塵もないわね!
寧ろ母親として誇れるわ!
愛しいルウィと愛しいルディの為だもの!
だけど。
もし私が耐えられなかったら。
あの正妻に思った以上に魔力を持っていかれた。
私の残りの魔力で、もし足りなかったとしたら。
私の亡骸をあいつの元へやりたくない。
髪の毛一本ですら渡したくない。
だから。
私が最後まで耐えられなかったら。
魔力消滅の魔術で私自身を消滅させる術を施しておいた。
あいつには私の何一つも残してやらない。
愛するルディとルウィの元へ戻れないとわかっていても。
それが私の矜持なの。
あ!書き忘れていたわ!
ルディとルウィへの最高の贈り物!
日記の最後のページの方に組み込んでおくから、魔力を流してみてね!
母様のとっておきの特等魔術なのよ!
この日記は絶対に見つからない様に隠しておく。
そして私とルウィしか見つけられないように魔力指定魔術をかけておくわ。
そしてこれを書いている間に陣痛というものが始まったみたい。
もう少しで愛しのルウィに会えるのね。
勿論母様は最後まで負けずに気張って踏ん張って戦ってくるわよ!
あなたを無事に産んで、ぎゅうっと優しく抱っこして愛情をこれでもかと注ぐのよ!
待っていてね。私の可愛い可愛い娘、ルウィエラ。
ルディ。
私の最愛のルディ。
心配させて、迷惑かけて、ごめんなさい。
どんなに怒られても泣かれてもいいから
あなたに会いたい。
お願い、どうか嫌わないで。
さあ、では母様は頑張ってくるわ!
ルウィ、ルディ、大好きよ!愛しているわ!》




