禁忌の魔呪道具
魔力測定を受けさせられてから数日後のある夜のことだ。
ルウィエラが井戸へ水を飲みに行き戻ってきたところ、離れの中から一つの魔力を感じ、入る少し手前の位置で足を止めた。感じる魔力はシェリルのものだ。
(……こんな時間に一人で?)
訝しげに思いながらもルウィエラの唯一の居場所なので扉を開ける。
窓の方を見ていたが、ルウィエラに気付きこちらを向いたシェリルは『いつもの笑顔』だった。
「ああ、戻ってきたわね!こんな夜に井戸まで行っていたの?待っていたのよ。今日はあなたに素敵な贈り物を持ってきたわ。」
シェリルはそう言いながら、ルウィエラの側まで来て左腕を掴んで袖を捲った。
シェリルが放った火の魔法による火傷痕を見て「あら、残っちゃったのね。女の子なのに傷物なんて辛いわね。」と屈託のない笑顔で話しながら火傷痕と同じ左上腕に、幅が親指の爪ほどの、濡れたように光り綺麗なのに何処か禍々しく見える漆黒の腕輪を填めた。
その腕輪には見たことのない文字が一周り分彫られていて、その文字一つ一つが複数の色を交ぜた不気味な暗色に出来上がっていて、とても気味が悪い。
カチッと填める音がすると留め部分はスッと消えてしまった。腕にぴっちりと填められていて動かすことは不可能だ。
そして消えたということは外せなくなるということだと、ルウィエラはその不吉な色合いの腕輪を見て悪寒が走る。
その腕輪を勝手に填めてしまったシェリルを見ると、腕輪を撫でながらうっとりして淡く微笑んでいる。
その表情が先日の能面の表情と何故か重なり思わず手を引こうとしたが、腕をがっちり掴まれていて敵わず、その間にシェリルの手がその腕輪の繋ぎ目だった部分に触れ、彼女の魔力を感じた。「これでいいわね。」とルウィエラの腕から手を放して一歩後ろに下がり、彼女は自分の両手を胸元に添えて目を閉じた。
その瞬間。
「!!…ぅ…ぐっ…!!!」
填められた腕輪からドンとくる強烈な痛みと熱を一瞬感じた後、凄まじい勢いで魔力が吸い取られる衝撃に体全体が悲鳴を上げ軋む。
体中を無数の針で一斉に刺されたような耐え難い激痛を発し、あまりに急激な痛みにルウィエラは耐えられずガクンと膝を付いて蹲った。
頭がズキンズキンと大きく脈を打つような痛みに目を瞑る。感知で自分の魔力器を確認すると器の中に溜まっていた魔力が根こそぎもっていかれ、今認識できる魔力はほんの僅かだった。
ルウィエラのそんな姿を見ることもなく、シェリルは胸に手を当てて上を向きながら満面の笑みで感動している。
「――っ、凄いわ…!なんて魔力なの!体中に満たされて外側からも包んでくれるようで魔力が漲るようだわ…!」
悦に入った表情をして感激しているシェリルを、疲労困憊した目をして見ているルウィエラに気付いた彼女は酷く優しい声音で話しかける。
「ああ、ごめんなさい。吸収加減の勝手がまだわからなくて。苦しそうで顔色が良くないってことは魔力が吸い取られているってことよね?意識はあるから少ししたら動けそうね、良かったわ。」
そう確認しながらルウィエラをこんな状態にした元凶であるシェリルは満面の笑みで歌うように話す。
「大成功だわ!沢山貰った時は間をおいてからにしないと、枯渇して死んでしまったら困るわ。気をつけなければね。これでもっと沢山の魔法や魔術ができるようになるわ!いっぱいお勉強して素晴らしい淑女になれるよう頑張らなきゃ!」
蹲りながら今にも意識を飛ばしそうなルウィエラを見つめながらシェリルは、うふふっと口元に手を当てて「実はね、」と事の次第を語り始めた。
窓の方を見ていたが、ルウィエラに気付きこちらを向いた。
「前にね、お父様が執務室の隠し扉の棚の一つで何時も何かこそこそしていたから、お父様が居ない時に内緒で調べてみたら、その中に大事に仕舞ってあったのよ。真っ黒で知らない文字が彫られた腕輪なんて珍しいじゃない?どんな腕輪だろうと思って、ここから一番近いお屋敷の書庫で調べてみたの。魔呪道具って言うのですって。」
禍々しい黒を纏う腕輪の経緯をシェリルは歌うように話し続ける。
「それからすっかりその腕輪のことは忘れていたのだけど、この前あなたの魔力測定した後に思い出して閃いたのよ!悪い子に素晴らしい魔力がある筈がないから良い子の私に元々在るべきものだと理解したわ!私とあなたは同じ血が入っているらしいけど、おっちょこちょいの神様が間違えてしまったのね!だから私はそれを正しく元通りにしなければならないの。だからこの腕輪の機能はぴったりだったって訳よ!禁忌と呼ばれているそうだけど、私の魔力を元通りに戻す正しい使用方法なら寧ろ合法の腕輪となるわね!食事は多めに運ばせるから、これからはしっかり食べて沢山魔力を作ってね!私も上手くコントロールできるように励むわ!」
シェリルはそう言いながら両手を合わせて左右に体を揺らし恍惚な表情をしながら、少し照れたようにルウィエラに語りかける。
「そうそう、このディサイル国の王様の相談役にサリトリー様って名前の物凄く美しくて素敵な人外者様がいるの!遠くから御見かけしたことしかないのだけど、一目みて憧れてしまったのよ。私が有名な魔法師や魔術師になれたらお近づきになれるかもしれないわ!そう考えるとますます勉強に意欲が湧くわね、頑張らなきゃ!じゃあね!」
シェリルはそう締め括って、嬉しそうに無邪気な笑顔で出て行った。
その姿が消えてもルウィエラは暫く閉まった扉を呆然としてみていた。
道徳なんてものを誰からも教えられていないルウィエラだが、何となく物事の善し悪しというものは分かっていたつもりだし、ちょっとした物語が載っていた絵のついた本を読んではいた。
それを踏まえてのシェリルの行動というものは異質で異様でしかない。根底にある思考そのものの概念が、少なくともルウィエラとは全くと言っていいほど異なる。
初めて会った時から何となく言葉にし難い違和感があり、それは歳を重ねても変わらず未だにシェリルの言動には全く邪気がないのにやることは慈悲が無い。
メイド達のように嘲笑い、蔑みながら誹りを受けるわけでもない。
タチアナのように憎しみを込めて折檻しながら暴言を吐くわけでもない。
言葉と笑顔のどれにも嘘も裏もなく、無邪気にいつも歌うように話す。
ルウィエラの魔力を吸収して自らに取り込み、それを正しいことをしていると信じて疑わない。間違っていると微塵も感じていない。ある意味悍ましいほど無垢で、心のままに話して行動をしているだけにしか見えない。
ルウィエラとシェリルとの思考が重なり合うことは未来永劫ないだろう。
風邪や怪我の辛さや痛みとはまた別物の、体の奥底からの苦痛がようやく和らいだルウィエラは、蹲っていた体をゆっくり起こしてフラフラした足取りでベッドに倒れこみ目を閉じる。
呼吸の間隔が少しずつ戻っていって落ち着いた頃、目を開いた時にふと机の引き出しが目に入った。
(そういえば…。)
魔力を調整するのに魔術の本にずっと注力していたルウィエラは、引き出しの二重底にある本をまだ読んでいなかったことを思い出した。
手を伸ばそうとしたが、魔力を限界近くまで吸い取られて手が思うように動かない。
それに今取ったところで月明かりのみで読むことは難しそうなので、明日読むことにしようとルウィエラは気絶するように眠りについた。




