後編 あなたを殺したい
王太子の婚姻とあって、結婚式は国をあげての大掛かりなものとなった。
派手に飾り付けられた街には国中から集った民衆があふれ、あちらこちらに配置された楽団から高らかな音色が響き渡る。老若男女立場を問わず、手に手に色彩豊かな旗を振り、普段にない喧騒。まさにお祭り騒ぎ。
挙式自体は招待客のみで行うため、大聖堂の周囲には大勢が詰めかけてはいたものの招待状さえ所持していれば中に入ることは容易だった。
セレニカに向けられる視線は、これまでの経緯を知っているのだろうと察するに余りあるもので、しかしセレニカは顔を上げ歩みを進めていく。
関係者以外立ち入れず、さらに警備のために出入りが確認され制限されている廊下は、外のにぎわいを知っているからこそ奇妙に静かだ。白で統一された内装は厳かな雰囲気を醸し出し、自身の置かれた立場とこの婚姻にまつわる内情との差を感じ鼻で笑いそうになる。
「殿下、特別ゲストのご到着です」
護衛が仁王立ちしている部屋を前に、案内人がノックとともに告げ、応えを受けてドアを開ける。
中にいたのは当然ヴァディムで、すでに正装を着込み、見たところ新郎としての用意はほとんど整っている。椅子にゆったりと腰掛け、そばに侍っていたセレニカとも顔見知りの者たちと雑談でもしていたのだろう。
「レニィ、元気だったか?」
ヴァディムの呼びかけに、小さな、しかし聞こえよがしの笑い声がさざめく。
にやけた表情を繕いもしない男たちは、気を利かせたつもりなのか、好奇の視線を向けつつ退室していった。
「……この佳き日にご招待くださり感謝いたします。殿下もお元気そうで何よりです」
どうしても強ばる声で返すセレニカに、ヴァディムは素知らぬ顔で笑みを浮かべる。
二人きりの密室。式直前の新郎を異性と二人にするとは周囲も何を考えているのか。……何も考えてはいないのだろう。不誠実であることはもちろん、危害を加えられる可能性も想定などしていないと見える。いざとなれば〝聖なる力〟頼みでどうとでもなると思っているのか。
しかしセレニカにとってはお誂え向きな、望むべくもない状況だった。
「エカテリーナには会ったか? 彼女も会いたがっていた。在学中さほど交流が出来なかったから話してみたいと、レニィの卒業を待って側仕えにしてやってもいいという話も出ている」
「もったいないお言葉、恐れ多いことでございます」
低姿勢での受け答えに気分をよくしたのか、ヴァディムは饒舌に語りかける。手を伸ばしセレニカを引き寄せ、当たり前のように目を合わせる。
ヴァディムの瞳が淡く輝く。
セレニカの瞳が強く輝く。
互いに目を逸らさずに。セレニカは至近距離にまで迫った男を見つめ続ける。恋人だと思い込んでいた、あの頃以上の熱を込めて。
そうして囁くように、それでいて噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡いで聞かせた。セレニカが彼に望む、最後の願い――。
睨み合いのごとき時間を経る。
自分の腕を掴む手から力が抜け落ち、セレニカは相手のぼんやりとした様子に胸を撫で下ろした。
別れの挨拶として、あえて慇懃に頭を下げて礼をとる。
「王太子ヴァディム・ディメイズ殿下。このたびはご結婚おめでとうございます。殿下、妃殿下、他のみなさんも、……どうかお元気で」
その日、セレニカは父親をともない家を、街を、国を出た。
抱えきれる荷物だけを持って、婚礼の最中で騒がしい人波に紛れながらも逆らって進む。
今日に至るまでに父親と二人、近所の人々を身勝手にも巻き込んで繰り返した実験。これまで親しくしていた人々に対して罪悪感もありはしたが、悪意ある言葉を与えてはいないことを自身への言い訳にした。
なんせ突然あらわれた能力だ。扱いがわからないのに、それを扱って事を為そうというのだから無謀な話ではあった。
何をきっかけに発動し、どういった作用を及ぼし、正気でないのはどれほどの時間になるのか、その効力の範囲は、残る記憶は。
時間に限りがある中で朝から晩まで繰り返し、時に無理がたたり倒れながらも、どうにか統計は出た。だからといって同様の力を保有する人物を相手取ってどうなるのかは賭けだった。
決行は結婚式当日と決めていた。
王太子とかろうじて貴族の娘では、アカデミーという接点がなくなれば会おうと思って会えるものではない。招待状などと向こうが差し出してきた特殊アイテムのある今回を逃せば、この先で生きる世界が重なることはなく、彼に近づくことは果てしなく難しくなる。セレニカ自身の状況もあって、次の機会はないはずだった。
――どうかお元気で。
最後に告げたそれに嘘はない。死んでくれればいいと思う、それも本心だ。だけどそんなものは生ぬるい、生きて苦しんでほしいと願う。恨みを憎しみを忘れられる日がいつか来るならその時まで、きっとどこへ行ってもどこからでもそう願い続ける。
そうしてあなたを殺したい。
彼のこの先が、セレニカの望んだ未来へ進むかどうか確証はなかった。それでもどうしてか自分にとってそう悪くない道を転がり落ちていってくれそうな予感がしていた。
結末を見届けられないことは少しばかり残念にも思えたが、何より自分たちの身の安全が最優先なのだから仕方ない。子を産まされることも側妃にされることもなくとも、あの様子ではまた玩具にでもされてしまうに決まっている。
セレニカが願ったのは、彼の破滅だ。
危ない橋を渡ってまで復讐しようとすることは、最初こそ父親には反対されたが、最後には説得に応じてともに計画を立てる共犯者となった。本心では同じ気持ちを抱えていたからだ。
だけど、国を捨てることはセレニカの選択であり責任だった。
誰に踏みつけられようとそれなりの人生を送ってこられた、そんな国を父親にも捨てさせる。これから待ち受けるのは苦難の連続かもしれない。次第に変わりゆく体調、巻き込んでしまった父親には大変な苦労をかけるに違いない。
それでも母親を殺し、自分を弄び、それを何でもないこととする異常な国に骨を埋めることは出来ない。
元気で、どうか地獄を見て生きてください。
これがこの国の崩壊への一端となりますように。
そっと腹に手を当て、父親と頷き合う。
行き先にあてはない。他国との交流を絶っていた国では、外のことなど知れるはずもない。微かに聞いた豊かだとの噂だけを頼りに、南へ南へと逃れるつもりだ。
歓声が遠く背中に聞こえる気がした。
セレニカが残したものは呪いとなるか。
この佳き日に、新たな人生を歩み出す――。
王族の血が薄まって誕生していたはずの彼女は、王族の血を腹に宿し、能力が強まったようです。
能力同士は打ち消し合う様子。彼女が彼に仕掛けた呪いが効力を発揮するよりは、増した力が怒りや憎しみまで加わり、彼の能力を根こそぎ打ち消す結果となっていることでしょう。
お付き合いくださり、ありがとうございました!