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中編 神国の底辺令嬢

 卒業式が終わっても在学生には終業式まであと数日残っていたが、片手で数えられるほどの日数なこともあり、セレニカはそのまま登校することをやめた。

 やめたと言うよりは、登校出来なかったと言う方が正しい。


 ――あの日どうやって帰宅したか、覚えていない。


 卒業式で気が遠くなったのが、自覚ある最後の記憶だった。

 信じていたものが偽りだった衝撃のためかぼんやりした状態が続き、頭の中が白や黒が明滅するような感覚に気持ちが悪くなって、出すものもそうはないというのに何度か嘔吐した。

 父親は心配して寄り添ったものの、セレニカには頭を、気持ちを、整理する時間が必要だった。


 何が夢で何が現か、働かない思考回路では惑うばかりだったが、幸いなことに時間はたっぷりとあった。

 冬の長いこの国では、卒業および学年の終わりは一年の終わりと等しく、新学期までは春を待つべく長い。


 毎日食事をし、眠り、ただただ日々を暮らす中でセレニカはゆっくりと自分を取り戻した。

 そしてその時には恋人に向けていた想いは消え失せていた。


「……忘れるんだ」


 父親は娘から一連の話を聞き、苦しげに顔を歪めながらも静かに首を振った。


「忘れてしまうんだ、セレニカ。つらいだろうけど、納得いかないだろうけど、」


 すべて忘れるようにと。それがお前のためなのだと。妻の忘れ形見である娘までもを失うわけにはいかないと。

 セレニカの肩を抱く父親の手は震えていた。痛いほどに込められた力が、父親の苦しみを訴える。


「……お前まで……母さんみたいになったらと思うと……」


 青白い顔で言葉を詰まらせる父親は、この国の理不尽さを、残酷さを、目の当たりにしてきていた。

 亡き妻はその犠牲になったのだと、つぶやくような声で口にした。

 そうして父親、ダルスによって語られた母親の最期、そこにはセレニカにとっては記憶にない事実があった。



 ――神国ディメイズ。


 神の国を名乗り、王族は神の子であるとされるのがこの国であった。

 公爵位は神の姻戚、その他の貴族は爵位で区分けこそされるものの、それ以外の者という認識であり、王族や公爵家に仕えるものでしかない。

 平民にいたっては有象無象、上位者に尽くしてこそ喜びは得られ、使い潰されて然るべきものなのだ。


 王族が真実神の系譜に連なるものであるかは誰にもわからない。それでも不思議な力を保有していることは確かで、閉ざされた国では異論を唱えるものなどいるはずもない。いたとしても、ささやかな声などどこに届くこともない。


 そんな国で、身分違いの二人は出会った――。


 セルシア・ヤーガ。もとの名をセルーシャという。

 セレニカの母親は、銀の髪に紫の瞳の美しい女性だった。


 偶然の出会い。本来ならば世界が違う、行動圏が重なることなどなかったはずの二人。

 一目で心惹かれたダルスは、しかしその瞳を見て踏みとどまる。それが特別な存在である証だとは、国民の誰しもが知ることだったからだ。

 一方のセルーシャもまた、感じるものはある様子ながら、ダルスの着古した衣類を身につけた姿に身分差を悟り、出会いなどなかったことにした。


 ところが運命の悪戯か、偶然の邂逅を何度となく経た二人は、抵抗虚しく恋に落ちる。


 気持ちを通わせ、恋人同士となり、セルーシャはこれまでの人生を捨てた。

 セルーシャ・ディメイズは当時の国王の娘、王女であった。公爵家に降嫁する未来しか与えられていない立場。底辺貴族のダルスと結ばれるには、そうするより他なかったのだ。


 当然王女の失踪は問題となったが、二人の出会いから逢瀬まで、セルーシャの普段の行動からは逸れており、見つかることなく捜査は打ち切りとなった。


 平民としてダルスと婚姻を結ぶことは、王族の血筋以外が軽視される国柄のため雑な戸籍管理ゆえに容易く。

 そうして、娘のセレニカが産まれ、家族三人での平穏な日々が訪れた。……はずだった。


 セルシアと名を改めて密やかに暮らしていた彼女を、街中で見かけてもしやと怪しんだ貴族がいた。

 そこからあっという間に王家へと繋がり、兵士が派遣され、そのまま帰らぬ人となった……。もとより公爵家の人間としか婚姻を結ぶことがないと定められている立場、王族の血を外へ出さないための処置なのだろう。


 その場で殺害されたこともあり、どこでどう生きていたのかまでは把握されなかったようで、ダルスとセレニカにまではその手は及ばなかった。

 とはいえ、買い物にと外出する妻を見送ったきり、死に目どころか遺体すら確認出来ず、唐突に失った日常。


 ダルスの負った心の傷は、それでも時間の経過とともに癒されつつあったはずだったのに。セレニカの状況を受けて傷が開いてしまったようだ。



「父さん……」


 肩を震わせる父親に、セレニカも目に涙を浮かべる。

 彼女にとって気が付けば失われていた母親。その出生には、幼き日々の記憶にある容姿、仕草や雰囲気から疑いを抱いてはいた。しかし父親の話でそれが事実であること、そして知ることのなかった死の真相に、少なからず動揺した。

 母親が王妹、自分もまた王家の血を継いでいる――。


「お前と母さんの繋がりに気づかれでもしたら、それこそお終いだ。これ以上関わってはいけない」


 当時命令を下したのが母親の兄か、父か、他の誰かなのかは知らないが、その人物はきっと顔色ひとつ変えずに殺害を指示したのだろう。もしかすると笑みさえ浮かべていたかもしれない。

 あの日のヴァディムのように。


「……王族に逆らってはいけないよ、あれは私たちの常識から外れた存在なのだ」


 父親は元王女と夫婦だったのだから、相手も自分と同じ人間であると理解していた。しかしだからこそ、自分たちとは違う人間性をも理解し、命を命とも思わないその恐ろしさは拭えない。


 セレニカは頷くしかなかった。

 ヴァディムに抱いていた気持ちのなくなった今、彼女にとって大事な相手は父親に他ならない。悲しませるわけにも、もちろん失うわけにもいかなかった。


 忘れよう。


 父親のために、これから先もこの国で生きていくために。

 なかったことには出来ないかもしれない。いつか自分の中で歪みが生じるかもしれない。それでも忘れたふりをしよう。




 しかしそんな決意を嘲笑うように、王家の印が捺された一通の封書、王太子の結婚式の招待状が届く。挙式から披露宴、パレード、行われるすべてへの招待となる特別な招待状だという。

『アカデミーで特に親しくしていた友人だから』祝ってほしいと。喜びを分かち合おうと。定型文に、わざわざ一筆したためて。


 馬鹿にしている―――怒りに目の奥がカッと熱くなった。


「慈悲深い殿下は、これまでの献身に感謝を示されている。底辺貴族にはもったいのないことだ」


 それを運び届けたのは学友だった男の一人。

 セレニカが新学期が始まっても引きこもっていたからか、ヴァディムの指示を受けて玄関先までやって来たその男は、質素な暮らしを見て取っては鼻で笑い、見下した様子を隠しもしない。傲慢な態度に、またセレニカの神経は逆撫でられる。


「尊き殿下を恋い慕う気持ちは当然だが、己が立場を理解し、これまでの身に余る栄誉を胸に――」


 どれだけ弄べば気が済むのか、王族も、高位貴族も。王家が絶対であることは常識ではあったが、知ったことかと怒りのままに睨みつけた。


「黙りなさい」


 低く、命じるような声が口を突いて出た。途端、滔々と語っていた男は口を閉ざし、はい、と従順に、呆けたように、動きを止める。


「ヴァディムは初めからそのつもりだったのかしら?」


 不思議に思う間もなく続く言葉がするりと出る。


「――オレはそのようにきいています。壊してもかまわないちょうどいい玩具だと――」


 無情な答えは、しかしセレニカに涙はもたらさなかった。

 ただただ焼けるように目が熱かった。


「……喜んで祝福すると、戻って伝えるがいいわ」


 見据えられている男は焦点の合っていない表情のまま、頷くとふらりとした足取りで背を向けて立ち去った。

 睨むままにそれを見ていたセレニカは、急に襲ってきた目眩に倒れ込む。浅い呼吸に明滅する視界。父親が仕事から帰宅し助け起こされるまで、その場を動けずにいた。


 部屋に運び込まれ、水を飲み、そうして父娘で話し合った結論は、セレニカは王族特有の〝聖なる力〟に目覚めたのだろうということ。

 母親も詳細は語らなかったと言うが、そもそもどういったものであるか本人たちも理解はしていないのかもしれない。それでも最期の日まで逃げおおせたのには少なからずその力の影響があったのではないかというのが父親の見解だった。


 王族にあらわれる〝聖なる力〟は、どうやらそういった――セレニカが起こした現象、服従や洗脳のような――作用を持つらしい。

 これまで発現しなかった能力とともに、瞳の色までもが幾分変化しているようだと、指摘されて驚いた。青紫だったものが、母親ものによく似た紫へと変わっていたのだ。父親が言うには彼の本性を知ったあの日すでに、顔を見ての違和感はあったと。


 もしかして、と頭をよぎったのは、あれ以来彼に対する気持ちが消えたこと。

 あまりの所業に愛想を尽かしたのだと思っていたけれど、抱いていた恋心さえそうと思い込まされていたのだとしたら。それを解かれたのか、いや、自分が解いたという可能性も高いのかもしれない。


 セレニカは跳ねる心臓を落ち着かせるよう、意識して深く呼吸を繰り返す。

 自分の体質が変わりつつあることには気づいていた。

 少しずつ、少しずつ、心も肉体も奥の奥から作り替えられていくような感覚。これこそが真の神の御業かもしれない。


 これが、この力が自在に扱えたなら。

 そうしてそれが神の思し召しならば。――わたしは。


 頭に浮かんだ思考に息を呑み、セレニカは強く自身を抱き締めた。

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