奈良の都の八重桜
「……というわけなんです」
資朝はひとしきり話し終え、押収した桜の枝を御簾の前に並べる。
御簾の向こうからため息が聞こえた。
「花ぬすびとの謎ねぇ」
月影の君の楽しげな様子が声から感じ取れた。
御匣殿は不機嫌な様子で正座している。
「ふん。月影さまのお体に障るような話ではございませんね。でも、そのような盗みがあれば少しは騒ぎになるのでは?」
「それがならなかったのです。騒いでいたのは……東宮さましかおりません」
一瞬、東宮の名を出して良いか迷ったが、そのまま口に出た。騒いでいたと言うのは無礼だけれども、事実なのだからしょうがない。
御匣殿はさらに質問を続ける。
「それに左近桜のそばで桜の枝を持った公卿を見たのでしょう? 日野さまは顔を覚えてないんですか?」
「見ました。ただ、それは後ろ姿で、顔は見ておりませぬ。それと歌を詠んでおりました。たしか……」
思い出そうと資朝が目を閉じた時、御簾から麗らかな声が響く。
「くるとあくと 君につかふる 九重や やへさくはなの かげをしぞ思ふ」
あまりに美しき吟誦に資朝のまぶたに左近桜の絵が浮かんだ。青空に左近桜の白がよく映える。五枚の花の中心が赤くなっていたから、もうじき散る頃だろう。
資朝は御簾へ目をやって軽く一礼し、御匣殿に解説する。
「意味はこうでしょう。治天の君のそばに仕える左近桜のように自分も忠勤するという」
御匣殿は短く、ふっ、と息を吐き捨てた。
「存じております。左近衛大将さまがお世話をされるとか。この里内裏にも桜がございます」
彼女の視線につられるように資朝は自分が入ってきた縁側から外を見ると、濃い色をしたつぼみが成った若い樹木を見つける。
「あれも桜ですか?」
「ええ。……オホン。いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」
今度は御匣殿が歌を詠んだ。月影の君ほどとはいかないが上手い吟誦だ。詠み終えた後に得意げな顔で資朝を見なければ完璧だと言えた。
「今より三百は昔の京で八重桜が珍しかったとか。もしやこれは」
「お察しの通りです。この八重桜が奈良より献上された時のもの。接ぎ木はしていますが」
「おお、それはそれは。開花が楽しみです」
御匣殿は満足そうに頷く。
それから御簾がゆったりと揺れて、中から咳払いが聞こえた。
「うちの桜より左近桜よ、ミクちゃん。そして日野さま。あなたの前に現れた三人について詳しく聞かせてくれないかしら?」
資朝は軽く首肯し、腰帯を握った。この話は少し勇気が必要だったからだ。
「では、まずは静覚殿の話をします」