月影さまの推理
「北の方ではなく、月影さまとお呼びください。日野さま」
声がしたのは御簾からだ。
「ちょっと、月影さま! 東宮さま以外の殿方に声を聞かせるなど」
「恥じらいがないわね。でも分かってるわ、そんなこと!」
「ああ! ダメですよ! 御簾からお出になられるのは絶対にダメ!!」
御匣殿が慌てて御簾の裾を掴んで月影の君を閉じ込める。
「はいはい。でもね、わたしは東宮さまの命を受けた方を無下に帰すのは、さすがに無礼ではないかと思うの」
「東宮さまの命を受けた? なぜそんなことが分かるのですか?」
御匣殿が食い入るように問うた。
たしかに資朝は一言も東宮の命だとは言っていない。でもそれは言葉にすら出せないほど距離を取る主の想いを無下にはしたくなかったからだ。盗み聞きでもしていれば別だが、先ほどの様子からそれはないし……。
「簡単な推理よ」
「推理……?」
御匣殿は首をかしげた。資朝も仕草には出さなかったが、視線は御簾へ注がれている。
「日野殿の唇をご覧なさい。少し血が出ているわ。切れ目がハの字になっている」
資朝は唇に手をやった。赤い血が人差し指と中指に付く。
こんな血いつ付いたのだろう。東宮に会うまではなかった。血が付いていたら里内裏に着いた時に誰かから指摘されるのは間違いない。
御匣殿は御簾を押さえながら、資朝を睨んだ。
「月影さま、見てはなりません。血など不吉です」
「不吉な傷ではないわ。だってこれはあの東宮さまがやったのよ。開いた扇の縁で人を突くからあの形の傷になるの。ああやっておちょくっているんだわ」
よくここまで口が回るのだと感心する。それに傷の付き方に気づくのはさすが正室というだけある。
御匣殿が資朝を訝しげに見た。
「そうなのですか?」
資朝はうなずく。
「ああ」
月影の君は御匣殿に向けて話を再開した。
「つまり、彼はそれほどの関係を東宮さまと築いている。これは話を聞いてみる価値はあるんじゃないかしら?」
資朝は唸った。月影の君の話しぶりは聡明で聞いていて気持ちが良い。なるほど、東宮が思い出すだけで顔を輝かすのに合点がいった。
同じく御匣殿も唸っていた。それからため息を吐いて、御簾を押さえる手を離す。
「日野さま、良ければお話お聞かせ願えませんか?」
こうして資朝は東宮に連れられて昇殿したことを話した。