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犯人が三人も居る

「で、桜の枝を持つ者を見つけたはいいが、そやつを帰してしまったと?」


 夕刻、大炊御門万里小路殿の里内裏に戻った資朝は東宮へ報告したところ、当の東宮はこの苛立ち様であった。

 東宮は額の汗を鬱陶しげに拭った。京の夕は日中の熱がこもって、薄暮れでも昼間のごとく暑い。対する資朝は汗一つかかず凛としている。


「はい。疑わしいだけで確信が持てませんでした」


「疑わしくても連れて参れば良いのだ。枝を持つ者が盗人なのだから」


「治天の君が催した宴です。東宮さまであっても三人も連れて出るというのは角が立ちます」


 東宮は畳扇(たたみおうぎ)(扇を閉じた状態)で上畳の縁をトン、トン、トンと三回も叩いた。


「そうだ。三人。犯人が三人も居るというのは不自然だ。折られた枝はたしかに一本だけだったぞ」


「左様でございます。おかしいのです」


 東宮が扇をまじまじと見つめて、指を(はさみ)のようにしてそれを挟んだ。


「もしや折った枝を三等分にしたのではないか?」


「それは……、どうでしょう。分かりません」


「だから三人とも連れて」


 東宮の言葉を遮って資朝が続ける。


「一人ならまだしも、二人、ましてや三人も紫宸殿の門の前で(たむろ)していれば、兵衛(ひょうえ)に不審がられます」


 兵衛とは見回りの武官だ。


「ぬう。……ならば一番怪しき者を連れて参ればよかったのに」


「しかし、それは私には判断できません」


 二人の間に沈黙が横たわった。台所から女房たちの働く音が聞こえてくる。もうじき夕餉の頃合いだ。

 東宮がキョロキョロと辺りを見回した。バッ、と扇子を開いて、口元を隠す。何事かと目を丸くしていると、東宮が資朝に目を合わせて、チラチラと奥の間を見やった。北の寝殿である。


「ちょうどこういうのに詳しい者がそこにおるのだが」


「そこと申しますが、そちらには北の方が」


「シッ」


 資朝の口は東宮が突き出した扇面の縁で縫い止められる。少し痛い。

 北の方と申したのが良くなかったのだろうか、と資朝は己の不明を恥じて言い直した。


「月影の君が……いてっ」


「あいつの名を出すな。また身籠ってくれたのだ」


 まったく見当違いだった。資朝は扇の縁で再び唇を突かれ、歯を食いしばった。それから東宮と奥を見比べる。


「すいません。でも、どうして名前を出してはいけないので?」


「知らんか? 前の子がああだったんだ。俺は良い影響を及ぼさぬ。此度は遠くから見守ることとした」


 ああ、のところで人差し指と中指を交差させて、魔除けの印を結ぶ。

 死は穢れだ。言葉にするのも憚られる。


「なるほど。失礼しました」


 だからといって妻の名前すら呼ばないのはあまりに距離を置きすぎでは、とは言えない資朝は深々と頭を下げる。

 東宮から衣擦れの音がしてやっと頭を上げた。そこには神妙な面持ちの東宮がいた。


「で、ものは相談だ。この話、届けてくれはせんか?」


「届けてって、私が北の……、例のあの方にお話をお伝えしろと?」


 どう言って良いか分からず何やら不審人物のような呼び方になってしまった。


「そうだ」


「もう夕刻。私があの方に会うのはまこと畏れ多いです。それに話を聞かせて何になりますか?」


 日が暮れて男と女が会うのは、そういうこと。まして相手が東宮の正室となれば、中流貴族の資朝が手出しできる相手ではない。


「会うのは構わん、俺が許す。それに話を聞かせてやるのではない。聞いてもらうのだ。あれは頭が切れる、清々しいくらいに」


 東宮の顔が輝いていた。雲間に現れる日のごとく、その陽射は月影の君に注がれているのだろう。東宮の恋歌で月影の君と詠まれたほどのお方だ。ただ想うだけでも東宮を明るくさせる。

 また、桜の一件を見てからずっと暗い表情だったのが、この時だけは変わったのを資朝は見逃さなかった。資朝は腿の上に置いた手を握りこぶしにする。


「分かりました。お話、聞いて参ります」


 去ろうとした資朝に東宮は一言付け加える。


「くれぐれも俺の名前を出すなよ」


 資朝は返事の代わりに頭を垂れ、その姿勢のままに退室する。廊下に出ると炊いた米の香りがして、西の山の稜線に太陽が掛かり始めているのが見えた。清水(きよみず)では夕景を眺めながら瞑想をするという。資朝は歩みを緩めて、楽土に思いを馳せた。

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