犯人は
「そうですね。なら、枝ぶりが長いと飾るのに良いということでしょうか?」
御簾の向こうからくすりと可愛らしい笑い声が聞こえた。
「まあ、日野さま、良い線を行ってるわ。わたしもそう思っていたの。これほどの長さの桜、家で飾っても良いし、誰かに進呈したって良いわね」
資朝は桜の枝に向けていた視線を勢いよく上げた。
「はっ、じゃあ誰かに渡すために桜の枝を折ったということですか?」
「わたしはそう思うわ。そして、この桜は渡した後で事件となる」
資朝は手で口を隠した。考えてみれば当然だ。この桜が紫宸殿の桜だと知らずに家で飾ってもみろ。後でそれが紫宸殿の桜だと見つかった時にその家は大変なことになる。
「お、恐ろしい……」
手で震える歯を隠したのに、言葉が震えた。
「恐ろしい事件だわ。でもこれが事件になるには、一目でこれが紫宸殿の桜だと見分けられて、且つその桜を折ることが大罪だと信じている人物が必要になるのよ」
言われてみればそうだと資朝は胸をなでおろす。そして、パッと頭に浮かんだ人物の名を資朝は口にする。
「東宮さま……?」
「ええ。これは東宮さまが居なければ事件ならない盗みなの。最初に言った『なぜ左近桜の枝を折ったのか』はこれで見えてきたわ」
資朝はまったく意味がわからず腕を組んだ。
「どういうことですか?」
「少しまとめるわ。左近桜の枝を折られて騒ぎにするのは東宮さまくらいよ。だから、東宮さまにとっては事件なの。それ以外の人物には気づきようのない事件でもある。なら、実衡が東宮さまを困らせるのが目的だったのか、というとそうではないわね。枝を折って庭のどこかに捨てたとしても、風で折れただとか事件にならないもの」
月影の君はこれまでの推理を振り返った。
そして新たな推理を展開する。
「枝を折って事件にするには桜の枝を外に持ち出す必要がある。でも、桜の枝を持って出入りすれば見咎められる可能性は拭えないわね。だから人目を忍んで治天の君が紫宸殿におわす間に庭を出ようとしたのだわ。そこに日野さまがいらっしゃったから気付けたものの、そうでなければ桜の枝は実衡が標的とする家に届けられたはず」
資朝はうなずく。そら恐ろしいことだ。
「でも東宮さまでなければ事件にならないのだから、その桜の枝は東宮さまに近い人物へ届けられるはず。日野さま、この京で東宮さまに最も近い人物は誰だと思うかしら?」
「えっ」
突然の質問に資朝は言葉に詰まった。
「それじゃあ考えるきっかけを教えるわね。東宮さまに近い桜の枝を渡されたその人物は東宮さまの前へ召し出されるわ」
「……つまり、犯人は普段東宮に会えない人物ですか?」
「そうよ。加えるなら、その人物こそ黒幕よ。実衡に命令し、何らかの利益を実衡に約束できる人物でもある」
「黒幕? まさかそんな人物がいるとは」
「確実に実衡に利益をもたらす者でもあるわ。そうでもなければ実衡が出世に響くようなことはしない。今度はミクちゃんも考えてみなさい」
さっきから押し黙ったままの御匣殿にも月影の君は唐突な質問を投げた。
資朝は普段東宮に会えない人物で、且つ実衡に利益をもたらす者が思い浮かばなかった。
だが、御匣殿は御簾の一点を穿つように見つめている。あの目は答えが見えている目だった。そして御匣殿が口を開く。
「それは……、月影さまでございます」
「ええっ!?」
資朝は驚いた。もはや顔には出ていないものの声と仕草で感情がよく分かる。資朝の脳内では嵐のように疑問が吹き荒れていた。今まで犯人探しをしていた人物が黒幕だなんて。
「ふふ。それが自然な推理よね。だから利用したのでしょう? 御匣殿」
ミクちゃんではなく、御匣殿という呼び方がいやに低い声だった。
御匣殿の肩がびくりと震えた。
「やはり、月影さまにはすべてお見通しなんですね」
資朝は話についていけなかった。
御匣殿は御簾と資朝の間に座り直し、じっと庭の桜を眺めると、ゆっくりと口を開いた。